プライスウォーターハウスクーパース
| 種類 | LLP |
|---|---|
| 略称 | PwC |
| 本社所在地 | ロンドン |
| 設立 | 1849年(現名称への変更は1998年) |
| 業種 | サービス業 |
| 売上高 | 292億米ドル |
| 従業員数 | 17万5000人 |
プライスウォーターハウスクーパース(PricewaterhouseCoopers)は、ロンドンを本拠地とし、世界151カ国に163,000人のスタッフを擁する世界最大級のプロフェッショナルサービスファームである。デロイト トウシュ トーマツ、KPMG、アーンスト・アンド・ヤングと並び、世界4大会計事務所(Big 4)の一角を占める。2009年には、Universum社が発表した「最も魅力的な企業トップ50」において、世界第2位を獲得した。なお、2011年においては売上ベースで4大会計事務所のうち292億ドルで第1位となっている。[1]。
略称はPwC。
目次 |
沿革[編集]
1998年、プライス・ウォーターハウス(Price Waterhouse) とクーパース&ライブランド(Coopers & Lybrand)の合併により、PricewaterhouseCoopersが発足した。この2つのファームは19世紀にその歴史をさかのぼる。
プライス・ウォーターハウス[編集]
1849年、会計士サミュエル・ローウェル・プライス(Samuel Lowell Price)はロンドンに事務所を開いた。1865年にはプライスはウィリアム・ホーリーランド(William Holyland)とエドウィン・ウォーターハウス(Edwin Waterhouse)とパートナーシップを結んだ。このパートナーシップの合意書は現在でもロンドン・サザークにあるビル「サザーク・タワーズ」のPwC事務所に飾られている。ホーリーランドは後に独立したため、このファームは1874年以降プライス・ウォーターハウス&カンパニー(Price, Waterhouse & Co.)として知られるようになった。「&カンパニー」の部分は後に省略されて消える。
19世紀末にはプライス・ウォーターハウス(PW)は監査事務所として名声をほこるようになり、英米間の取引の増加で1890年にはニューヨークにも事務所を開いた。ニューヨークのファームは巨大化したほか、イギリス本部も大英帝国各地にファームを開業していった。各国のファームとは別々のパートナーシップが結ばれ、これがパートナーたちを地元企業との提携拡大へと向かわせるインセンティブになった。PWの世界規模の拡大は、国際的な合併よりも、各国に置いたパートナーが独自に発展していったことに基礎を置いている。
クーパース&ライブランド[編集]
一方、1854年にはウィリアム・クーパー(William Cooper)がロンドンに会計事務所を開き、7年後には3人の兄弟も合流しクーパー・ブラザーズとなった。
アメリカでは1898年にロバート・モンゴメリー(Robert H. Montgomery)、ウィリアム・ライブランド(William M. Lybrand)、アダム・ロス・ジュニア( Adam A. Ross Jr.)とその兄弟T・エドウィン・ロス(T. Edward Ross)がライブランド・ロス・ブラザーズ&モンゴメリーを開いた。
1957年、英米の両者およびカナダのマクドナルド・カリー&カンパニーは合併し、クーパー&ライブランドとなった。1990年、英国のクーパー&ライブランドはデロイト・ハスキン&セルズ(Deloitte Haskins & Sells)のパートナーの一部と合併したが、デロイトのパートナーのほとんどはトウシュ・ロス(Touche Ross)へ合流し、デロイト・トウシュ・トーマツを形成した。
両ファームの巨大化と合併[編集]
両ファームは世界各国の大都市にファームを開いたり地元ファームと提携したりしたが、各国の提携ファームは地元のファームを吸収することもあった。こうして各国の地方都市にまでファームは行き渡り、急増する多国籍企業が世界のどこで活動してもサービスが受けられるに十分な体制が整った。また会計監査の需要の増加、特に1930年代の世界恐慌や税体系の複雑化にともないファームは大きくなった。
会計業界は世界規模のサービスの必要性や急増する訴訟費用に対応するため、1980年代から規模の経済の優位性を求めて巨大合併を行うようになった。PWはアーサー・アンダーセンとの合併を模索したが、両社の利害相反が大きく交渉は破綻した(例えば、アンダーセンはIBMとの間で取引上強いつながりがあったが、そのIBMを監査するのはPWであった)。1997年、PWとクーパースは巨大化を求めて合併を発表し、翌1998年現在のPwCが誕生した。さらにPwCはロンドンの中堅法人グラント・ソーントン(Grant Thornton)とも合併しようとしたが、これ以上の巨大法人が誕生し寡占が進むことは独占禁止法にも触れる事であり話は流れた。
業務[編集]
PwCの企業形態は、LLP(limited liability partnership、有限責任事業組合とも訳される)と呼ばれるものであり、その法的構造は通常の企業とは大きく異なる。世界規模のファーム(事務所)は、実際には自律的に経営されるメンバーファームの集合体である。各地のメンバーファームを経営するシニアパートナーたちが世界本部の経営陣となる。またイギリスに本拠を置く「PricewaterhouseCoopers International Limited」が傘下に置かれ、各ファーム間のコーディネーションを担当する。その他、PwCの社員のための人的資源サービスや法務部門(ランドウェル・グローバルの名で知られる弁護士事務所のネットワーク)も持つ。
PwCが提供するサービスは大きく次の通りである。
コンサルティング[編集]
大企業に対する会計監査は世界的に大手ファームが寡占し成長の余地がなくなってきたため、各ファームは企業に対する経営コンサルティングに力を入れるようになり、ここから巨額の手数料を得るようになった。特に1990年代、多国籍企業がSAP R/3などに代表される経営資源管理(ERP)ソフトウェアを導入するなどの理由でコンサルティングの需要は急増した。しかし経営の内部に関わるコンサルティングと外部からの監査を同一ファームが行うことは利益相反になるとの指摘もあった。
2002年にアーサー・アンダーセンがエンロンとワールドコムの不正会計事件で消滅し、アメリカの証券取引委員会(SEC)は監査の独立性のルールを厳格化した。このため、経営コンサルティング部門とファームの中核である監査部門との分離が求められ、大手ファームはコンサルティング部門や子会社を売却した。PwCも2000年にはヒューレット・パッカードにコンサルティング部門を売却しようとして失敗し、2002年には分社化を模索したが、結局2002年後半にIBMへの売却を発表、IBM ビジネスコンサルティング サービスとなった。
IBMへ売却した後も一部のアドバイザリー業務は続けていたが、売却時の競合避止規定が失効した後にPwCはコンサルティング部門の再設を図るようになった。2009年、PwCは連邦倒産法第11章を申請したベリングポイントの一部を買収し、北米およびアジア地域におけるコンサルティングプラクティスを拡充した。[2]
2011年6月24日には、グローバルコンサルティングファームPRTMの買収を発表している。
収入[編集]
近年は、一般事業会社でいう売上高に当たる業務収入ベースでシェア1位であったが、2010年は業務収入が260億ドルとなり、僅差でデロイト トウシュ トーマツに抜かれて2位となった。[3] 地域別には、欧州・北米が全業務収入のおよそ8割を占め、特に欧州だけで全体の5割程度を占めている。また、ファームの主な事業である監査業務から得た収入が全体の半分以上を占めている。[4]
日本における活動[編集]
日本においては、監査(あらた監査法人、京都監査法人)、税務(税理士法人プライスウォーターハウスクーパース)、ディール・アドバイザリーおよびコンサルティング(プライスウォーターハウスクーパース株式会社)とサービスごとに法人は分かれているが、プライスウォーターハウスクーパースのブランドのもと、あらゆる業種の企業・公的組織に統合的なサービスを展開している。
監査[編集]
あらた監査法人が設立する以前に存在していた日本におけるPwCメンバーファームであるみすず監査法人(旧中央青山監査法人)は、監査クライアントが5000社を超える巨大なファームであった。しかし、カネボウの粉飾決算事件を引き起こし、金融庁から監査業務停止命令が下る見込みとなると、PwCは中央青山監査法人とは別のPwCメンバーファームとしてあらた監査法人を日本に設立した。しかし、この際に中央青山監査法人からあらた監査法人へ移管された監査クライアントはトヨタやソニーなどのごく一部であった。後にみすず監査法人が解散した際には、クライアントのほとんどが他の競合監査法人に移管されたため、現在のPwCの日本における監査業界シェアは数パーセント程度となった。[5]
一方、みすず監査法人が解体されていく中で、同法人の京都事務所は京都監査法人として独立した。京都監査法人は、当初はPwCの協力ファーム(Cooperating Firm)という位置付けで、京都監査法人自体はPwCメンバーファームではなかったものの、2013年3月15日にPwCのメンバーファームとして加盟した。[6]
コンサルティング[編集]
2009年5月、連邦倒産法第11章の適用を申請し事実上経営破綻していたベリングポイントの日本法人が、プライスウォーターハウスクーパースコンサルタント株式会社としてPwCメンバーファームに参画を発表。監査・税務・アドバイザリーにビジネスコンサルティングを加えることで、PwCメンバーファームとして総合的なソリューションを提供している。
2009年10月、株式会社プライスウォーターハウスクーパース総合研究所を設立。元金融庁長官の五味廣文氏が初代理事長に就任した。なお、五味廣文氏は金融庁長官時代に、PwCメンバーファームであったみすず監査法人(旧中央青山監査法人)に監査業務停止処分を命じている。みすず監査法人は、この停止命令により解体に至っている。
2009年11月26日に、あらた監査法人、PwCアドバイザリー株式会社、プライスウォーターハウスクーパース コンサルタント株式会社の3社が、本社を東京都中央区銀座の住友不動産汐留浜離宮ビルに移転・統合し、連携を強化。
2010年1月1日には、PwCアドバイザリー株式会社が、プライスウォーターハウスクーパース コンサルタント株式会社(旧ベリングポイント)、プライスウォーターハウスクーパースHRS株式会社を経営統合し、社名を「プライスウォーターハウスクーパース株式会社」に変更した。経営統合以前は、PwCアドバイザリー株式会社が、プライスウォーターハウスクーパース コンサルタント株式会社(旧ベリングポイント日本法人)の株式を有し子会社化していたが、この経営統合以降は、代表取締役社長に内田士郎(旧ベリングポイント日本法人の代表取締役)が就任している。PwCアドバイザリー株式会社、及び、プライスウォーターハウスクーパースHRS株式会社にて代表権を有していた取締役は、プライスウォーターハウスクーパース株式会社では代表権を有していない。
その他[編集]
1935年に映画芸術科学アカデミーから依頼を受けて以来、長きにわたりPwCはアカデミー賞の投票集計業務を請け負っている。秘匿性を担保するため、集計作業は意図的に手作業で行い、またプレゼンターが壇上で受賞者の名前が記された封筒を開封するまで、受賞者の名前を知っているのはPwCのパートナー2人だけとなるよう、集計の作業工程を工夫している。[7]
脚注[編集]
- ^ プライスウォーターハウスクーパース、世界の学生が選ぶ「最も魅力的な企業」で第2位
- ^ PwC reaches agreement in principle to acquire portions of BearingPoint North American commercial services business
- ^ Big Four (audit firms)
- ^ PricewaterhouseCoopers 2008 revenues rose 10% to $28.2 billion
- ^ 4大監査法人
- ^ 京都監査法人がPwCのメンバーファームとなり、PwC Japanに加入
- ^ オスカー投票管理で70年 プライスウォーターハウス