XF-11 (航空機)

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ヒューズ XF-11

テスト飛行中のXF-11(1947年)

テスト飛行中のXF-11(1947年)

ヒューズ XF-11(Hughes XF-11)は、ヒューズ航空機で製造されたアメリカ陸軍航空軍(USAAF)向けの軍用偵察機の試作機である。前評判を裏切りXF-11は墜落し、あやうくハワード・ヒューズを殺すところだった。この事故により開発計画は頓挫した。

設計と開発[編集]

XF-11はリパブリック XF-12と同じ「高速・長距離写真偵察機」と呼ばれる要求仕様に応じて設計された。初期のヒューズ D-2の拡大版であると言われるXF-11の最終的な設計の外観は第二次世界大戦時のロッキード P-38 ライトニングと似たものとなった[1]。首車輪式降着装置、双発、与圧されたコクピットのある中央胴体を持つ双胴の全金属製単葉機であるXF-11は、P-38よりも遥かに大きい全幅と遥かに高いアスペクト比を持っていた。

XF-11はプラット・アンド・ホイットニー R-4360-31 28気筒 星型エンジンでエンジン前面に装着された2つの4枚ブレード可変ピッチプロペラを駆動した。各々のエンジンに機械的な複雑さと引き換えに性能と安定性を増加させる1組の2重反転プロペラを装備していた。

陸軍は写真偵察用に当初100機を発注したが、第二次世界大戦の終了と共にこれをキャンセルしヒューズ航空機には2機の試作機が残された。

運用の歴史[編集]

1946年のニュース・フィルム

ハワード・ヒューズが操縦する試作初号機(登録番号:44-70155)は1946年7月7日の初飛行時に墜落した[2]。オイル漏れが発生し右プロペラの制御ができなくなり、最終的には後ろ側のプロペラが逆ピッチになったことによりエンジン推力が崩れ機体を右側に大きく傾けた[3]。ヒューズは、プロペラをフェザリング状態にするよりも機体をロサンゼルス・カントリークラブゴルフコースに不時着させることを選んだが、ゴルフコースの約300ヤード手前で機体は突然高度を失い3棟の家屋をなぎ倒した。3つ目の家は墜落による火災で完全に破壊され、ヒューズは危うく死ぬところであった[4]

試作2号機は通常形式のプロペラを装着して、ヒューズが怪我から回復した1947年4月5日に初飛行を行った。この試験飛行は平穏無事に行われこの機体が高速度では安定し操縦性も良いことを示したが、低高度でのエルロンの効きが悪く低速度での安定性が不十分だった。空軍がXF-12の対抗馬として評価テストを行い、XF-11は操縦と整備が難しく製造コストが2倍掛かると予想された[3]。XF-12は少数が発注されたが、空軍はボーイング RB-50 スーパーフォートレスと同様の長距離写真偵察能力を持ち遥かに安価に調達できるノースロップ F-15 リポーターを選択した。

要目[編集]

  • 乗員:2名(操縦士、航法士/撮影員)
  • 全長:19.94 m (65 ft 5 in)
  • 全幅:30.89 m (101 ft 4 in)
  • 全高:7.06 m (23 ft 2 in)
  • 翼面積:91.3 m² (983 ft²)
  • 空虚重量:16,800 kg (37,100 lb)
  • 最大離陸重量:26,400 kg (58,300 lb)
  • エンジン:2 × プラット・アンド・ホイットニー R-4360、3,000 hp (2,240 kW)
  • 最大速度:720 km/h (450 mph)
  • 巡航高度:13,415 m (44,000 ft)
  • 航続距離:8,000 km (5,000 miles)

関連項目[編集]

出典[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Winchester 2005, p. 222.
  2. ^ Crash of the XF-11
  3. ^ a b Winchester 2005, p. 223.
  4. ^ XF-11 Crash site

参考文献[編集]

  • Barton, Charles. "Howard Hughes and the 10,000 ft. Split-S." Air Classics, Vol. 18, no. 8, August 1982.
  • Winchester, Jim. "Hughes XF-11." Concept Aircraft: Prototypes, X-Planes and Experimental Aircraft. Kent, UK: Grange Books plc., 2005. ISBN 1592234801.

外部リンク[編集]