P-35 (航空機)

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セバスキー P-35

P35-6.jpg

P-35セバスキー(Seversky)社製の1930年代後期のアメリカ陸軍航空隊戦闘機。愛称は無い。全金属製の構造を持ち、引込脚や密閉式コックピットを備えた単座戦闘機としてはアメリカ陸軍最初のものである。

概要[編集]

1934年の競争試作でカーチス社のP-36に勝ち、制式採用となって77機の発注を受けた。後方に引き込まれて飛行時も半ば露出している主車輪、単純な曲線で絞り込まれた胴体、大きくて無骨なキャノピーなど、草創期の荒さの残る外観を持つが、平面図からは、その後XP-41(セバスキー社最後の機体)を経てリパブリック社となってからのP-43ランサー、名機P-47サンダーボルトへとつながってゆく系譜の始祖であることがはっきりとうかがわれる。競争相手だったP-36は後に液冷エンジンを装備してP-40へと発展してゆくが、P-35の系列は一貫して空冷エンジンを使用した。

輸出[編集]

P-35はアメリカ陸軍航空隊で使用されたほか、スウェーデンにもEP-1-06(EPは輸出戦闘機 Export Pursuitの略)の名で輸出された。スウェーデンでの呼称はJ9である。発注は120機だったが半数の60機を引き渡したところで1940年6月に英国以外の航空機の輸出を禁止する法律が成立したため、残りはアメリカ陸軍が引き取った。このタイプをP-35Aという。P-35Aのうち12機はエクアドルに引き渡され、48機は対日戦用にフィリピンに送られた。フィリピンの48機は1941年に侵攻してきた日本軍によって2日間でほぼすべてが地上で破壊され、空戦を行ったものはごく少数であった。残存機は8機のみであったという。

P-35に後部銃手を加えた複座型を2PAという。1937年、日本海軍が2PA-B3型を20機輸入し、「セバスキー陸上複座戦闘機(A8V1)」として中国戦線で使用した。2PAはスウェーデンもB6の名で52機発注したがEP-1-06と同じ理由で2機しか受領できなかった。残り50機はやはりアメリカ陸軍によって引き取られ、武装を撤去したうえで高等練習機AT-12ガーズマンとして用いられた。

P-35は太平洋戦争開始時には全く老朽化しており、アメリカ軍としては、前述の在フィリピンのP-35Aの他は実戦に参加していない。

派生型[編集]

XP-41[編集]

P-35に二段過給器付きのR-1830-19(1200HP)エンジンを装備した機体。エンジン換装の他、風防を抵抗の少ない形にし、主脚を内側完全引き込み式に改めている。1939年3月に初飛行した試作機は良好な成績を示した(最大速度520Km)が、ほぼ同時期に開発された排気タービン付きのP-43が有望になったため、キャンセルされた。セバスキー社がリパブリック社と改名したため本機はセバスキーの名をもつ最後の機体となった。

XFN-1[編集]

P-35の1機を海軍航空工廠で海軍仕様に改装し、テストしたもの。結局空母での運用に不適と判断され1機のみにとどまった。

スペック[編集]

(P-35A)

  • 乗員:1名
  • 全長:8.2 m
  • 全幅:11.0 m
  • 全高:3.0 m
  • 主翼面積:20.4 m²
  • 空虚重量:2,070 kg
  • 運用時重量:2,770 kg
  • 最大離陸重量:3,490 kg
  • 動力:P&W R1830-45 ツイン・ワスプ
  • 出力:1,050HP
  • 最大速度:499 km/h
  • 巡航速度:418 km/h
  • 航続距離:1,530 km
  • 実用上昇限度:9,570 m
  • 上昇率:9.74m/s
  • 武装:12.7mm機関銃×2、7.62mm 機関銃×2

外部リンク[編集]