入間基地

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入間飛行場
Hangar Iruma Airbase 2006-8.jpg
入間飛行場
IATA: noneICAO: RJTJ
概要
空港種別 軍用
所有者 防衛省
運営者 航空自衛隊
所在地 埼玉県狭山市入間市
指揮官 中部航空警戒管制団司令
所在部隊 中部航空方面隊
航空総隊
航空開発実験集団
航空支援集団
航空開発実験集団
標高 295 ft / 90 m
座標 北緯35度50分31秒 東経139度24分38秒 / 北緯35.84194度 東経139.41056度 / 35.84194; 139.41056
地図
RJTJの位置
RJTJ
空港の位置
滑走路
方向 全長 表面
ft m
17/35 2,000×45 舗装
入間基地付近の空中写真。(1989年撮影)
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成

入間基地(いるまきち、JASDF Iruma Airbase)は、埼玉県狭山市入間市域にまたがる(本部等は狭山市)航空自衛隊の基地。正式な住所は埼玉県狭山市稲荷山2-3である。

飛行隊、航空救難団、飛行点検隊の配備のみならず、パトリオット防空システムを備えた第1高射群の本部があり、首都防衛の要として約4300名の隊員が勤務している。ただし、周りを住宅地に囲まれており、地元と協定を結んでいることから、戦闘機の運用は出来ない。基地司令は中部航空警戒管制団司令が兼務する。

基地誘導路の東南端近くに埼玉県警察ヘリポートハンガーがあり、それらの施設で県警航空隊がヘリコプターを運用している(位置)。

狭山市役所と県警狭山警察署に隣接し、敷地の9割が狭山市域にある[1](1割は入間市域)。

航空管制[編集]

種類 周波数
GND 275.8MHz
TWR 122.05MHz,126.2MHz,236.8MHz,322.2MHz
GCA 125.30MHz,225.40MHz
YOKOTA APP 118.3MHz,270.6MHz
YOKOTA DEP 122.1MHz,363.8MHz
RESCUE 123.1xMHz,138.05MHz,247.0xMHz
GND,TWR,RESCUEは、空自入間基地航空保安管制群が担当。
APP,DEPは、横田基地が担当。
小文字のxは、周波数が変動することを示す。

航空保安無線施設[編集]

局名 種類 周波数 識別信号
入間 TACAN 1004MHz YLT
保守は、空自入間基地航空保安管制群が担当。

イベント[編集]

入間航空祭でのブルーインパルス飛行展示
  • 毎年7月末頃納涼花火大会が行われる。
  • 毎年11月3日に航空祭が開催され、基地敷地内が一般に開放される。首都圏から最もアクセスが良い基地のため、毎年多くの来場者で会場が賑わっている。戦闘機や輸送機などの地上展示や、輸送機からの落下傘、ブルーインパルスによる曲技飛行などのイベントが行われる[2]
  • 毎年5月にランウェイウォークが開催される。普段は立ち入ることのできない滑走路を歩くイベントで、航空機の地上展示なども行われる。航空祭とは違い抽選による参加となっている。


配置部隊[編集]

人員・面積で航空自衛隊最大の規模を誇る基地のため、様々な部隊が所在している。

中部航空方面隊隷下

航空総隊直轄

  • 航空救難団司令部
    • 入間ヘリコプター空輸隊
  • 航空総隊司令部飛行隊
    • 電子戦支援隊
    • 電子飛行測定隊

航空支援集団隷下

航空開発実験集団隷下

  • 航空開発実験集団司令部
    • 航空医学実験隊

防衛大臣直轄部隊等

航空自衛隊補給本部隷下

主な所属機[編集]

入間航空祭でのYS-11 FC (2006年)

航空自衛隊

  • YS-11:航空総隊司令部飛行隊(EA, EB)、飛行点検隊(FC)
  • T-4:航空総隊司令部飛行隊
  • C-1:第2輸送航空隊、航空総隊司令部飛行隊(EC-1)
  • U-4:第2輸送航空隊、航空総隊司令部飛行隊
  • U-125:飛行点検隊
  • CH-47:入間ヘリコプター空輸隊

埼玉県警察

主なその他装備[編集]

基地データ[編集]

歴史[編集]

入間基地 ランドサット画像
  • 1938年昭和13年) - 陸軍所沢飛行場に開設された陸軍士官学校分校が当地に移転。 陸軍航空士官学校として開校。航空神社を遷座。
  • 1941年(昭和16年) - 行幸した昭和天皇により「修武台」と賜名され、「修武台飛行場」と改称する。
  • 1945年(昭和20年) - 戦後米第5空軍が接収。「ジョンソン基地 」になる[3][4]。航空神社は所沢市北野の北野天神社境内へ移設(1965年11月廃社)。
  • 1952年(昭和27年) - 3月1日、アメリカ空軍第41航空師団司令部が発足。
  • 1954年(昭和29年) - 東部訓練航空警戒隊が編成[3] (中部航空警戒管制群の前身)。
  • 1954年(昭和29年) - 1月6日、ジョンソン基地を飛び立った米軍ジェット機が東京都瑞穂町箱根ヶ崎に墜落。乗員2名死亡。
  • 1955年(昭和30年) - 3月4日、米軍ジェット機が離陸に失敗し滑走路から約1.5キロ離れた畑に墜落。乗員2名死亡。
  • 1956年(昭和31年) - 5月22日、ジョンソン基地を離陸した米軍のF86機入間郡坂戸町の民家に墜落し4歳の幼児が即死。
  • 1957年(昭和32年) - 7月19日、ジョンソン基地を離陸した米軍のジェット機がガス欠で墜落。乗員2名はパラシュートで脱出し無事。
  • 1957年(昭和32年) - 10月20日、ジョンソン基地所属の米軍の軽爆撃機が横浜市戸塚区瀬谷町上瀬谷に墜落。乗員2名のうち1名死亡。
  • 1957年(昭和32年) - 11月8日、ジョンソン基地所属の米軍の軽爆撃機が狭山市上奥富地内の入間川の河原に墜落し炎上。乗員2名死亡。
  • 1958年(昭和33年) - 中部航空方面隊司令部編成・中部航空警戒管制群発足により、入間基地開設[3]
  • 1958年(昭和33年) - 7月25日、ジョンソン基地の米軍B57中型爆撃機が狭山市入間川に墜落。この事故により死傷者15名。
  • 1960年(昭和35年) - 浜松南基地から航空救難隊本部が移動してくる。
  • 1961年(昭和36年) - 日米共同使用協定を締結[3]
  • 1962年(昭和37年) - 6月28日、第41航空師団司令部、横田飛行場に移転。
  • 1962年(昭和37年) - 第7航空団、偵察航空隊が松島基地から移動。入間救難分遣隊が新設された。
  • 1963年(昭和38年) - 飛行場地区の管理運用が米軍から航空自衛隊に変更[3]
  • 1964年(昭和39年) - 入間救難分遣隊が入間救難隊に改編される。
  • 1967年(昭和42年) - 第7航空団、百里基地へ移動。
  • 1968年(昭和43年) - 木更津から輸送航空団が移動。入間救難隊が救難任務を解かれ廃止された。
  • 1971年(昭和46年) - 航空救難隊本部が航空救難団に改編される。
  • 1973年(昭和48年) - 入間航空隊にC-1輸送機が配備される。
  • 1974年(昭和49年) - 偵察航空隊、百里基地へ移動。
  • 1978年(昭和53年) - 輸送航空団を第2輸送航空隊に改編。基地が米軍から全面返還される[3]
  • 1981年(昭和56年) - F-86ブルーインパルス最後の展示飛行が行われる[2]
  • 1986年(昭和61年) - 旧陸軍航空士官学校本部建物を利用し「修武台記念館」を開館。
  • 1987年(昭和62年) - 空自入間基地の一部が日米地位協定第2条第4項(b)の適用施設・区域(一時共同使用)として在日米軍に提供される(横田飛行場の一部として追加提供)[5]
  • 1988年(昭和63年) - 入間ヘリコプター空輸隊が新編。「修武台記念館」開館を契機に航空神社が奉還再興される。
  • 1997年平成9年) - 多用途支援機U-4が第2輸送航空隊に配備される。
  • 1999年(平成11年)11月22日 - T-33練習機が民家を避けて入間川河川敷に墜落し、その際送電線を切断したために埼玉県南部及び東京都西部を中心とする約80万世帯が停電、並びに信号機および鉄道が停止する。
  • 2000年(平成12年) - 倉庫建物より火災を起こし、付近を通る西武池袋線が運休する等の影響を与えた。
  • 2005年(平成17年) - 建物老朽化のため「修武台記念館」を閉館(2010年に航空歴史資料館としてリニューアルオープンする予定[6])。
  • 2007年(平成19年)3月30日 - 第4高射隊に地対空誘導弾ペトリオットの最新型(PAC-3)が配備された(空自の高射隊の中で最初)。
  • 2008年(平成20年) - 50周年を迎えた[7]
  • 2011年(平成23年) - 東北地方太平洋沖地震の発生に伴い航空救難団などは人命救助や物資輸送及び被害復旧等並びに福島原発における消火活動及び給水支援等を実施した[8]。このため、4月23日に予定していたランウェイウォークは中止された[9]
  • 2012年(平成24年)3月1日 - 隊員に対する航空歴史教育を行う場としての教育講堂として完成した[6])。2012年11月時点では一般への常時公開は行われていない[6]
  • 2013年(平成25年) - 航空保安管制群本部及び電子開発実験群が府中基地へ移転。
  • 2014年(平成26年)3月25日 - プログラム管理隊が廃止。翌26日、横田基地所在の防空指揮群と統合する形で作戦システム運用隊が編成完結。
入間基地 2,000m滑走路 (2007年)

[編集]

  1. ^ 入間基地の概要”. 狭山市 (2011年3月1日). 2011年11月1日閲覧。
  2. ^ a b 航空自衛隊入間基地 [入間航空祭]”. 航空自衛隊. 2011年11月1日閲覧。
  3. ^ a b c d e f 入間基地のあゆみ”. 狭山市 (2011年3月1日). 2011年11月1日閲覧。
  4. ^ 米軍に接収された全国各地の航空基地は地名を元に命名されたが、当基地は太平洋戦争中22機を撃墜し「ジャングルエース」の異名をとり第49戦闘グループの指揮官として25歳で最年少の大佐となったジェラルド・R・ジョンソン大佐が1945年10月7日に東京湾上空でB-25搭乗中、悪天候のため事故殉職したことを悼みジョンソン基地と命名された。
  5. ^ 昭和62年防衛施設庁告示第10号
  6. ^ a b c 教育講堂~旧修武台記念館についてお知らせ~”. 航空自衛隊 (2012年3月21日). 2012年11月6日閲覧。
  7. ^ 航空自衛隊入間基地 [入間基地50年のあゆみ]”. 航空自衛隊 (2008--). 2011年11月1日閲覧。
  8. ^ 東日本大震災における入間基地の活動状況”. 航空自衛隊 (2011--). 2011年11月1日閲覧。
  9. ^ ランウェイウォーク2011中止のお知らせ”. 航空自衛隊 (2011--). 2011年11月1日閲覧。

参考文献[編集]

  • 陸軍航空士官学校史刊行会編『陸軍航空士官学校』1996年

関連項目[編集]

外部リンク[編集]