下地島空港
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| 下地島空港 Shimojishima Airport |
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| IATA:SHI-ICAO:RORS | ||||
| 概要 | ||||
| 国・地域 | ||||
| 設置場所 | 沖縄県宮古島市伊良部 字佐和田1739 |
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| 空港種別 | 商業 | |||
| 運営者 | 沖縄県 | |||
| 標高 | 7.58 m・24 ft | |||
| 位置 | ||||
| 滑走路 | ||||
| 方向 | ILS | 全長×全幅(m) | 表面 | |
| 17/35 | ? | 3,000×60 | 舗装 | |
| リスト | ||||
| 国際空港の一覧・日本の空港 | ||||
下地島空港(しもじしまくうこう Shimojishima Airport)は、沖縄県宮古島市の下地島に位置する地方管理空港である。
目次 |
[編集] 概要
1994年以来定期便の就航が無いため、実質民間パイロット専用の訓練空港として扱われる。日本では数少ない、滑走路両端にILSが設置されている空港である(東京国際空港等の大規模空港も含め国内の大多数の空港では、ILSは滑走路の片側にのみ設置されている)。3,000m×60mの滑走路が整備され、航空機の操縦訓練が行われる。
年間利用客数は、国内329人(2007年度)[1]。
[編集] 歴史
- 1973年(昭和48年)7月31日 - 非公共用飛行場として建設される。
- 1979年(昭和54年)7月5日 - 公共用飛行場(第三種空港)として設置、供用開始。航空会社によるパイロットの訓練が開始される。
- 1980年(昭和55年)11月1日 - 那覇空港との間に南西航空(現日本トランスオーシャン航空)の定期便(YS-11型機)が就航。
- 1994年(平成6年)7月22日 - 利用客が少ないことから定期便運休。以後、現在まで定期便運航は無し。
- 2001年(平成13年)
- 2002年(平成14年)
- 2005年(平成17年)
- 2006年(平成18年)
- 2月 - 航空自衛隊那覇基地司令が「日本の防衛上、下地島を自衛隊が利用できればいい」と発言したことが、地元紙で問題発言として扱われる。
- 2007年(平成19年)
[編集] 航空管制
| GND | 121.7 | |
| TWR | 118.3 | 126.2 |
| DEP | 125.0 | |
| APP | 120.3 | 121.2 |
- 運用時間
- APP・DEP:8:00~19:30 (JST)
- TWR:7:30~20:30 (JST)
管制は、国土交通省大阪航空局下地島空港事務所航空管制官が担当
[編集] 航空保安無線施設
| 局名 | 識別信号 | 周波数(MHz) | |
| VOR | DME | ||
| 下地島 | SJE | 117.1 | 1205 |
保守は、国土交通省大阪航空局下地島空港事務所航空管制技術官が担当
[編集] 下地島空港の軍民共用化問題
[編集] 先島諸島の状況
先島諸島は、宮古島にある航空自衛隊レーダーサイト以外は自衛隊がまったく駐留していない「軍事空白域」となっている(海上保安庁の巡視艇は配置されている)。しかも、中華人民共和国や台湾に接しており、尖閣諸島などの領土問題も抱えている。日中間では排他的経済水域の問題でも対立があり、先島諸島近海では、中華人民共和国の科学調査船による無許可海洋調査が頻発しており、調査船の護衛名目で中華人民共和国の艦隊の威力航海が何度も行われている。また、台湾有事の可能性もあるなど軍事情勢は平穏とは言い難い。
[編集] 国防の観点からみた下地島空港の価値
下地島空港は沖縄本島と中国大陸の中間にあり、尖閣諸島にも近い。先島諸島で唯一、かつ日本でも数少ない、ILSが両端に設置された3,000m×60mの滑走路を持ち、戦闘機や輸送機の運用にも支障のない規模がある。
那覇基地からでは八重山地方は中国(大陸)よりも遠く有事対応が現実的でなく、自衛隊の下地島空港使用については国政でも議論されている。自衛隊による下地島空港の使用が可能になれば、東シナ海での行動範囲が広がり、航空自衛隊の戦闘機部隊、海上自衛隊のP-3C対潜哨戒機部隊の基地、または補給中継施設として非常に重要な拠点となりえる。在沖米軍も台湾及びフィリピンへ向かう航空路近くにある下地島空港に関心を示しているとされ、これまでにも緊急の給油を理由として何度も当空港への着陸を行っている。
現用の那覇空港は、軍民共用でかつ発着便数の多さがすでに過密といえる状態であり、有事の際、軍用空港としての機能は果たせない可能性が高い。ただし、那覇空港の拡張案も具体的に検討されており、那覇空港の利用実態においての下地島空港の優位性は将来には低下するものとみられる。
[編集] 屋良覚書
しかし、下地島空港の利用方法については、飛行場設置に当たって1971年(昭和46年)に日本政府と当時の屋良朝苗琉球政府行政主席との間に交わされた「屋良覚書」が存在しており、これによって下地島空港の軍民共用空港化は為されないものとされている。
その内容は
- 下地島飛行場は、琉球政府が所有及び管理を行い、使用方法は管理者である琉球政府(復帰後は沖縄県)が決定する。
- 日本国運輸省(現・国土交通省)は航空訓練と民間航空以外に使用する目的はなく、これ以外の目的に使用することを琉球政府に命令するいかなる法令上の根拠も持たない。
- ただし、緊急時や万が一の事態のときはその限りではない。
というものである。
[編集] 旧伊良部町の請願
それに対して、下地島空港の地元である旧伊良部町では、2005年(平成17年)3月16日に開催された町議会で、下地島空港への自衛隊誘致の請願を賛成9反対8で可決し、沖縄県全体に衝撃が走った。この請願は、2004年(平成16年)11月10日に、宮古島及び石垣島沖合で発生した漢級原子力潜水艦領海侵犯事件において、稲嶺惠一沖縄県知事(当時)をはじめ、沖縄県内の首長が誰一人として中国潜水艦による領海侵犯に抗議の声明を出さず沈黙したことに、事件の地元である伊良部町の一部の住民が憤慨し、政府の責任で自衛隊を駐屯させ、日本の国土である先島諸島を守って欲しいと意思表示を行い、請願したものであった。もっとも、当請願には自衛隊駐屯による経済振興を期待する意味もあり、純粋に国防上の問題を憂えた上でのものではない。
結局、この請願は、住民集会で異論が噴出し、3月25日に白紙撤回をせざるを得なかったが、沖縄本島と先島諸島との間の国防に関する温度差が如実に表れた事件だった。
[編集] 現状
伊良部町は合併により宮古島市になり、軍民共用化反対の立場を取る革新の伊志嶺亮氏が初代市長になった。軍事利用を排して下地島空港を「国際物流拠点」とする構想を表明しているが、現時点で具体策はまとまっていない。稲嶺前沖縄県知事も明確に反対の姿勢を示していたこと、また住民感情の面からも下地島空港の軍民共用化の道は現状では可能性が低いといえる。
[編集] アクセス
[編集] 関連項目
- 日本の空港
- ストラトス・フォー - 下地島を舞台としたアニメ
- 沖縄県道252号平良下地島空港線(予定線、伊良部大橋など)
- 内田幹樹 - 元ANA機長。代表作の一つに下地島を舞台にした小説『機体消失』がある。
[編集] 脚注
[編集] 外部リンク
- 沖縄県の空港 下地島空港
- 下地島空港施設株式会社 - 訓練予定が掲載されているほか、一般向けの宿泊施設も運営
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