鹿屋航空基地

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鹿屋飛行場から転送)
鹿屋航空基地
(鹿屋飛行場)
MSDF Kanoya Air Base
第1航空群司令部新庁舎(2015年撮影)
鹿屋航空基地付近の空中写真 2013年11月23日撮影の10枚を合成作成。 国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成
鹿屋航空基地付近の空中写真
2013年11月23日撮影の10枚を合成作成。
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成
IATA: なし - ICAO: RJFY
概要
国・地域 日本の旗 日本
所在地 鹿児島県鹿屋市西原3丁目11-2
種類 軍用
所有者 防衛省
運営者 海上自衛隊
開設 1936年
所在部隊 第1航空群
標高 65 m (214 ft)
座標 北緯31度22分03秒 東経130度50分43秒 / 北緯31.36750度 東経130.84528度 / 31.36750; 130.84528座標: 北緯31度22分03秒 東経130度50分43秒 / 北緯31.36750度 東経130.84528度 / 31.36750; 130.84528
地図
空港の位置
空港の位置
鹿屋航空基地
空港の位置
空港の位置
鹿屋航空基地
空港の位置
滑走路
方向 長さ×幅 (m) 表面
08R/26L 2,250×45 コンクリート
08L/26R 1,200×40 コンクリート
リスト
空港の一覧
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鹿屋航空基地(かのやこうくうきち、:JMSDF Kanoya Air Base)は、鹿児島県鹿屋市西原3丁目11-2に所在し、第1航空群等が配置されている海上自衛隊基地。主に固定翼哨戒機の実働部隊、及び哨戒ヘリコプター搭乗員教育訓練部隊の航空基地として、日本の南西海域の安全保障と、奄美群島から甑島列島に及ぶ広大な海域・離島の海難・急患輸送を担当する部隊が利用する。

鹿屋航空基地(霧島ヶ丘から撮影)
鹿屋基地を空撮(2020年)
海軍航空隊本部(後の第1航空群司令部。2015年解体)
第1航空群司令部旧庁舎(2010年代撮影)

概要[編集]

戦前から使われている航空基地であり、神風特別攻撃隊の出撃基地でもあった。滑走路脇には、今でも零式艦上戦闘機の掩体壕が残されており、司令部庁舎も戦前に建造されたものが2015年まで使用されていた。

アメリカ海軍アメリカ海兵隊にとっては、普天間飛行場に移動するヘリコプター部隊が、途中給油に立ち寄る重要な航空基地である。2005年10月、アメリカ軍の再編計画により、山口県岩国飛行場に配備されているアメリカ海兵隊所有の空中給油機が鹿屋航空基地に移駐することで、日米政府が合意した。近年中に、日米共用飛行場になる可能性が高い。

2008年(平成20年)3月26日、海上自衛隊航空部隊再編が行われた。第1航空群隷下の第7航空隊が廃止され、第1航空隊へ統合。鹿屋救難飛行隊が編成替えし、第72航空隊(隊本部:大村航空基地)鹿屋航空分遣隊に変更された。

鹿屋航空基地の一角には、大日本帝国海軍時代から海上自衛隊に至るまでの史料を集めた鹿屋航空基地史料館が開設されており、館周辺には海上自衛隊が使用した航空機や大日本帝国海軍の二式大型飛行艇などが展示されている。

沿革[編集]

大日本帝国海軍[編集]

アメリカ軍[編集]

警察予備隊[編集]

  • 1950年(昭和25年)12月1日 - 警察予備隊鹿屋駐屯部隊が編成される[2]
  • 1951年(昭和26年)5月1日 - 鹿屋部隊を母体に警察予備隊第4管区隊第12連隊が編成。
  • 1952年(昭和27年)
    • 10月:施設教育隊が鹿屋駐屯地で新編。
    • 11月22日:施設教育隊を廃止し、第535施設大隊が鹿屋駐屯地で編成完結。

保安隊・警備隊[編集]

自衛隊[編集]

  • 1954年(昭和29年)7月1日 - 海上自衛隊鹿屋航空隊と改称される[2]。陸上自衛隊発足により、第12連隊が第12普通科連隊に称号変更。
  • 1955年(昭和30年)11月21日 - 陸上自衛隊鹿屋駐屯部隊(第12普通科連隊)が国分駐屯地へ移駐し、鹿屋駐屯地が廃止[5]。鹿屋航空基地の全域が海上自衛隊の管轄となる[2]
  • 1961年(昭和36年)9月1日 - 第1航空群(航空集団隷下)、鹿屋教育航空群(教育航空集団隷下)、鹿屋航空工作所(佐世保地方隊隷下)が新編される。
  • 1987年(昭和62年)12月1日 - 鹿屋教育航空群及び同群隷下の第203教育航空隊が廃止となり、同隊所属のP-2Jにより第7航空隊(第1航空群隷下)が新編される。第211教育航空隊は教育航空集団直轄となり、鹿屋に残留。
  • 1998年(平成10年)12月8日 - 鹿屋航空工作所が廃止、第1航空修理隊(航空集団隷下)が新編される。
  • 2008年(平成20年)
    • 3月26日 - 海上自衛隊航空部隊再編に伴い、第1航空群隷下の第7航空隊が廃止され第1航空隊へ統合、同じく鹿屋救難飛行隊が第22航空群(司令部:大村航空基地)隷下の第72航空隊に編成替えとなり、「第72航空隊鹿屋航空分遣隊」に改称。旧第1航空隊配備の連絡機LC-90は第61航空隊(厚木航空基地)へ集約移動。
    • 11月5日 - 日米地位協定第2条第4項(b)の適用施設・区域として在日米軍に新規提供される(施設・区域名: 鹿屋飛行場、 Kanoya Air Base, FAC 5127)[6]
  • 2015年(平成27年)- 海軍航空隊本部時代から使用されていた司令部庁舎が解体され、新庁舎となる。
  • 2018年(平成30年)
    • 3月23日 - 第211教育航空隊を「第211教育航空隊」(回転翼基礎課程及び計器飛行課程担任)と「第212教育航空隊」(実用機課程担任)に分離改編[7][8]
    • 4月2日 - 第72航空隊の廃止に伴い、鹿屋航空分遣隊が第22航空隊隷下に編成替え。
  • 2019年(令和元年)7月 - P-3Cの後継としてP-1を配備[9]
  • 2022年(令和04年)
  • 2023年(令和05年)
    • 1月:第22航空群隷下の第22航空隊鹿屋航空分遣隊が廃止[12]
    • 11月:アメリカ空軍のMQ-9が米軍嘉手納飛行場に移転[13]

配置部隊[編集]

  • 第1航空群
    • 第1航空隊 - 海上自衛隊初の航空部隊として1961年9月に編成。2008年3月に第7航空隊と統合し再編成。固定翼哨戒機で哨戒を行う主力部隊。平素から南西諸島方面の哨戒に当たっている。2021年現在はP-1を運用[14]
    • 第1整備補給隊 - 鹿屋航空基地に配備された航空機の整備を行う。
    • 鹿屋航空基地隊 - 施設管理、警備、福利厚生、航空管制など基地業務全般を行う。
  • 第1航空修理隊 - 航空集団隷下。海上自衛隊が使用する航空機の修理等を行う。
  • 第211教育航空隊 - 教育航空集団隷下。初等飛行教育を終えた訓練生に回転翼基礎課程及び計器飛行課程の教育・養成を行う[7]。2018年現在はTH-135を運用。
  • 第212教育航空隊 - 教育航空集団隷下。計器飛行課程を終えた訓練生に実用機の教育・養成を行う[7]。2018年現在はSH-60Kを運用。
  • 鹿屋システム通信分遣隊 - 基地内の通信の維持管理を行う。
  • 佐世保地方警務隊本部鹿屋警務班 - 基地内の治安維持に当たる。

航空保安無線施設[編集]

局名 種類 識別信号 周波数
KANOYA NDB JA 238KHz
KANOYA TACAN JAT CH-85

航空祭[編集]

毎年4月下旬(2009年以前は5月中旬[15][16][17]。2010年は4月11日[18])に「エアーメモリアルinかのや」(エアメモ)の名称で航空祭が開催されている。世界的にも珍しいP-3Cによる機動展示飛行を実施していた[19]

1994年の「鹿屋航空隊開設40周年」を機に鹿屋市との共催のかたちで開始された。初回はP-2J退役式典も同時に行われ、T-2ブルーインパルスは新田原基地よりリモートで展示飛行を行った。2004年4月29日には「鹿屋航空隊開設50周年」記念の航空祭が開催され、ブルーインパルスが同基地に初展開し展示飛行を行った。2014年にも鹿屋航空隊・自衛隊創設60周年を記念し10年ぶりとなるブルーインパルスの飛行展示が行われている。2017年の当基地航空祭において米海軍P-8Aを初展示、翌年には飛行展示を実施した。

2000年は宮崎県で発生した口蹄疫の影響で、2011年は東北地方太平洋沖地震東日本大震災)の影響(展示予定であったブルーインパルスも1機が被災)で中止。2016年(4月23日・24日予定)はMV-22 オスプレイ零式艦上戦闘機(ゼロ戦)などの公開が予定されていたが、4月14日以降に発生した熊本地震の影響により同月16日に中止を決定した[20]。2020年・2021年・2022年はSARS-CoV-2の感染状況をふまえて中止された[21]

2015年は同年2月に鹿屋航空基地所属のOH-6DAの墜落事故があったものの、予定通り開催された[22]。2016年も同年4月6日に航空自衛隊入間基地所属のU-125が鹿屋航空基地の設備点検中に墜落する事故があったものの、同月12日時点では予定通り開催するとしていた[22]

主な事故[編集]

鹿屋航空基地所属部隊に関連する事故を列挙する。

この他、鹿屋基地所属部隊ではない組織の事故として、2016年4月6日に航空自衛隊入間基地所属のU-125が鹿屋航空基地の戦術航法装置(TACAN)の点検飛行中に高隈山の御岳山頂付近(標高900メートル付近)に墜落し、6名が殉職する事故[22][26]U-125御岳墜落事故を参照)や、2023年8月22日に在日米軍が一時展開中のMQ-9が着陸時、滑走路オーバーシュート、陸上施設接触後、敷地内にて停止する事故[27]などが発生している。

その他[編集]

2016年1月27日、零式艦上戦闘機の試験飛行が当基地で行われた。この機体は1970年代にパプアニューギニアで破損状態で発見され、アメリカ人コレクターが回収。その後ロシアで修復し、日本人が買い取ったもので、元ラバウル航空隊所属機と推定される。なお、エンジンは損傷が激しかったためオリジナルのからプラット・アンド・ホイットニー社製に換装されている。当日は往年の航空機ファンやレシプロ機愛好家など、全国から集まったファンの前で約20分間飛行した。試験飛行の様子はニコニコ生放送でライブ中継された。[28] その後、長期間駐機する予定の鹿児島空港まで自力飛行により移動し、写真撮影など各種記念イベントを開催。同空港では、この月の構内売上が急増し、全国でも零戦プラモデルを発売しているメーカーの生産が追い付かず、一時的に入荷待ち状態になるなどの動きがあった。2013年の映画『風立ちぬ』公開以降、アメリカでは新たな「Zeke(連合軍側のコードネーム)愛好家団体」が設立されるなど、零戦ブームは国内外において盛り上がりを見せた。この「零式艦上戦闘機 里帰りプロジェクト」は、クラウドファンディングで調達した資金が活用された。

脚注[編集]

  1. ^ a b 『海上自衛隊鹿屋航空基地40年誌』p.7
  2. ^ a b c d 『海上自衛隊鹿屋航空基地40年誌』p.17
  3. ^ 小郡駐屯地のあゆみ”. 第5施設団. 2017年7月15日閲覧。
  4. ^ 保安庁法施行令の一部を改正する政令(昭和28年政令第350号)”. 国立公文書館デジタルアーカイブ (1953年11月19日). 2017年7月15日閲覧。
  5. ^ 自衛隊法施行令の一部を改正する政令(昭和30年政令第292号)”. 国立公文書館デジタルアーカイブ (1955年11月1日). 2017年7月12日閲覧。
  6. ^ アメリカ合衆国が使用を許される施設及び区域について、一部返還、追加提供及び新規提供が決定された件(平成20年防衛省告示第214号)” (PDF). 防衛省・自衛隊 (2008年11月6日). 2017年7月12日閲覧。
  7. ^ a b c 鹿屋航空基地ホームページ>部隊紹介
  8. ^ 2018年3月23日付防衛省発令(1佐職人事)
  9. ^ 鹿屋航空基地の活動・行事・訓練・広報等 2019年7月”. 鹿屋航空基地 (2019年8月8日). 2021年5月24日閲覧。
  10. ^ 「3自衛隊が部隊改編」朝雲新聞(2022年4月28日付)
  11. ^ “米軍の無人機、海自鹿屋基地で1年間の運用開始 住民から不安の声”. 朝日新聞. (2022年11月21日). https://www.asahi.com/sp/articles/ASQCP6F5JQCPTLTB006.html 2022年11月23日閲覧。 
  12. ^ 第22航空隊の概要
  13. ^ “米軍の無人偵察機、1機が嘉手納へ 鹿屋基地で移駐式”. 朝日新聞. (2023年10月14日). https://www.asahi.com/sp/articles/ASRBF7R5PRBFTLTB001.html 2023年11月2日閲覧。 
  14. ^ P3Cエンジン落下死亡事故 以前も同様の器材不具合 海自鹿屋、追加調査開始を発表『南日本新聞』2021年3月10日配信(紙面記事にも掲載)
  15. ^ 鹿屋市役所企画課「2市17町の主な祭りと行事」『鹿屋市市勢要覧 2001年』鹿屋市、2001年。
  16. ^ 『鹿児島県 鹿屋市 市勢要覧 2009』鹿屋市企画財政部企画調整課、2009年 p.15
  17. ^ 第15回エアーメモリアル in かのや (PDF) 」『広報かのや』平成21年6月12日号(第83号)、鹿屋市役所、2009年 p.14
  18. ^ エアーメモリアルinかのや2010 (PDF) 」『広報かのや』平成22年5月13日号(第105号)、鹿屋市役所、2010年 pp.8-9
  19. ^ 『MAMOR』2008年9月号
  20. ^ 福留三南美「エアーメモリアル取りやめ 鹿屋実行委」『南日本新聞』2016年4月17日22面。
  21. ^ 「鹿屋エアメモ中止」『南日本新聞』2021年2月3日22面。
  22. ^ a b c 大川源太郎「航空ショー 予定通り 鹿屋基地」『南日本新聞』2016年4月13日1面。
  23. ^ a b 『海上自衛隊鹿屋航空基地40年誌』p.315
  24. ^ a b 『海上自衛隊鹿屋航空基地40年誌』p.316
  25. ^ 『海上自衛隊鹿屋航空基地40年誌』p.317
  26. ^ 野村圭「鹿屋空自機事故1週間 なぜ墜落、深まる謎」『南日本新聞』2016年4月13日1面。
  27. ^ 米軍無人機MQ-9の滑走路逸脱事案について
  28. ^ “零戦、日本の空へ 復元機、鹿児島で試験飛行”. 朝日新聞デジタル. (2016年1月28日1時58分). http://www.asahi.com/articles/ASJ1W44W0J1WTLTB007.html?iref=com_rnavi_arank_nr02 2016年1月28日閲覧。 

参考文献[編集]

  • 海上自衛隊鹿屋航空基地40年誌編集委員会『海上自衛隊鹿屋航空基地40年誌』1994年。
  • 「Military Report 海上自衛隊 第1航空群第1航空隊」『MAMOR扶桑社、2008年9月号(第19号)。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]