松本空港

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松本空港
Matsumoto Airport
IATA:MMJ-ICAO:RJAF
概要
国・地域 日本
設置場所 長野県松本市
空港種別 商業
運営者 長野県
標高 657.5 m・2157.2 ft
位置 36°10′0″N, 137°55′22″E
ウェブサイト
滑走路
方向 ILS 全長×全幅(m) 表面
18/36 - 2,000×45 舗装
リスト
国際空港の一覧日本の空港
エプロン(機体はDHC-8-400

松本空港(まつもとくうこう Matsumoto Airport)は長野県松本市塩尻市にまたがる地方管理空港である。愛称は信州まつもと空港(しんしゅうまつもとくうこう Shinshu-Matsumoto Airport)。日本の空港では最も標高の高い場所に位置している。

目次

[編集] 概要

[編集] 開港からジェット化までの地道な発展

松本空港は、長野県が保有・管理するという珍しい経営形態で、1963年2月18日着工、建設費3億7300万円をかけて、1965年7月16日開港した。まず同年8月5日から17日までの期間限定で、東亜航空(後の東亜国内航空)が大阪国際空港との一日一往復の不定期便を開設、その後1966年10月20日から同空港との間に不定期ではあるが、主に乗客の多い夏季に路線が開設されるようになった。開港当初から、東京国際空港間の路線を開設しようとする動きがあったが、東京都立川基地上空の飛行制限などから迂回ルートとなり、採算が望めないという理由で、一度も開設されなかった。その他用途としては、長野県警の山岳警備用ヘリコプターの発着や軽飛行機用に細々と運営される、という状況であった。大阪線は1982年から通年運航となり、東亜国内航空(当時)のYS-11が1日2往復する、という状態が1993年まで維持された。

その後当空港も1980年代後半になって運輸省(当時)による地方空港整備計画に基づき滑走路の延長計画が表面化してきたが、併せて1998年長野オリンピック開催決定に伴う長野県内のインフラ整備の一環として、開催時の空の玄関口として面目を一新すべく、全面的な改修工事が施される事となり1993年5月をもって一旦運航を休止。総工費364億円を投じて滑走路の1500mから2000mへの延長及び舗装改良、老朽化・陳腐化の目立っていたターミナルビルも改築の上、1年2ヶ月後の1994年7月に再開した。

日本エアシステム(当時)は、従来の大阪線に加え、福岡線と札幌線もジェット機であるMD-87により新設、3路線による新生・松本空港の運営が始まったが、この後オリンピックまでの3年半余りは、そのカウントダウンに合わせ、松本空港を長野県の空の玄関として活性化させようという気運が高まる中、相次ぐ路線新設も行われる事となった。

オリンピック閉幕翌日の1998年2月23日には関西国際空港へ臨時便が5便運航され、外国の選手・報道関係者等の帰国に際してフル稼働を果たしたが、皮肉にも改修の一大目的であったこの大イベント終了後は利用者が漸減の一途をたどっていく事となる。

[編集] 苦悩に直面するローカル空港

1994年の滑走路延長によりジェット機の離発着を可能としたものの、空港の標高により滑走路の実効長が短くなっていること、及びターニングパッドなど中型機の離発着に必要な設備の整備がなされなかったことから、ジェット機の発着には大きな制限がある[1]。加えて、地元との協定で「MD-87を越える騒音レベルの機材を就航させる場合は協議が必要」とされており、これが拡大解釈され「MD-87以外のジェット機材は就航できない」という誤解を一部で招いている。

同空港の定期便として1994年以来就航していたMD-87型機は製造が既に1999年をもって中止、日本航空自体も同機の退役を進行中であった事に加え、搭乗率低下もあって座席数の少ないターボプロップ機(DHC-8)の運用に切り替える状況となっていた。ちなみに、同空港から2007年9月をもってジェット便は撤退、MD-87型機自体も翌2008年3月をもって日本航空からは完全に退役している。

チャーター便として、台湾グァム香港上海などから、ボーイング737-800型機、エアバスA319型機が使用された実績がある。また、全日空がかつてエアバスA320型機による国内定期便就航を、大韓航空フォッカー 100型機を用いたプログラムチャーターの就航を長野県側に打診したこともある。

上記の様な事情から、運用で新型のジェット機を就航させること自体は可能であると思われるが、そのような動きはみられない。

運用時間が8時間と短いことが利便性を損ねているとの指摘がある。運用時間延長に関しては2006年に地元との合意はできたものの、実施時期は未定である。

1998年度をピークに利用客が減少しているため、航空会社はいくつかの路線を廃止している。長野県は「松本空港活性化検討委員会」を発足させ、愛称を「信州まつもと空港」と定めるなどして、利用客の拡大に努めているものの、現在のところ目立った成果はみられない。

[編集] ビジネス機の拠点として

1998年より諏訪市に本社拠点を置くセイコーエプソンが、ビーチクラフト キングエアB200型・300型機を社有機として購入し、国内各地に点在する事業所(精密機械部品工場)への社員出張用途に、松本空港を拠点として、庄内空港酒田市の酒田事業所・東北エプソン)・鳥取空港(鳥取市のエプソンイメージングデバイス)・八尾空港コーポレートシャトルとして定期的に就航している。
2004年に液晶パネル生産をする千歳事業所(千歳市)を新千歳空港至近の工業団地に新設したが、日本航空定期便を利用するよう配慮しているとされる。

なお、1999年9月の台湾大地震の際には、携帯電話向け液晶パネル生産において当時世界規模で過半数のシェアを支えていた、現地法人の事業所(工場)の被災状況の視察と救援物資輸送を目的として、松本空港から鹿児島空港那覇空港を経由して、台北へ向かう海外特別便が運航された。

[編集] 札幌線休止問題

2007年1月には、当空港唯一のジェット便であった札幌(新千歳空港)線を運航する日本航空インターナショナル(旧日本航空ジャパン)が、同路線を2007年10月より休止することを決定し、長野県に通告を行った。日本航空はこの休止の理由をMD-87の退役に伴う代替機が用意できないためとしていた[2]。長野県(信州まつもと空港利用促進協議会)や松本青年会議所では、運航存続を求める署名運動で合わせて15万人を超える署名を集め、2007年2月7日までに日本航空へ提出した結果、長野県が日本航空へ支援金を支払うことなどを条件として、同路線を存続させることで合意[3]に至った。運航は子会社の日本エアコミューターへと移管、意外な形で同社初の北海道路線誕生に。なお機体はMD-87からDHC-8-400に変更され、13年続いた当空港のジェット機定期運航が消滅した。

この合意により、札幌線は2007年9月まで毎日1往復運航されていた福岡便を週3往復に減便した上で、残る4日分の運航を札幌線に振り替えるという措置によって存続される形となった。このため、福岡方面への利便性が低下することから、日本航空側では引き続き毎日運航される大阪線を利用し福岡へ乗り継ぐ乗客に対し、運航時刻の調整や乗継割引の導入で便宜を図ると説明している。札幌線と福岡線は便数を減らすことによって、大阪線は乗り継ぎ客を見込むことによって、松本空港における全体的な座席供給数は減るものの、利用率と収益性においては改善が図れるとしている。このダイヤ改正により2005年度の利用率が42.3%と低迷している大阪線の利用者が増加した場合、増便させる考えもあると説明している。ただし、これらの措置の詳細については今後検討することとされている。長野県と日本航空との合意には、羽田再拡張に伴う機材配備が整う時期を目途として早期の復便を誠意を持って検討する、という内容が盛り込まれている。

なお減便当月の2007年10月の利用者数は7136人(前年同月比6168人・46.4%減)[4]。路線ごとの利用者数・利用率の内訳は以下の通り(括弧内は前年同月比)。

  • 札幌線 2301人(週7往復 定員134人→週4往復 定員74人)・88.8%(12.6ポイント増)
  • 福岡線 1230人(週7往復→週3往復)・69.3%(12.7ポイント減)
  • 大阪線 2691人・61.6%(2.2ポイント増)
  • 国際チャーター便 914人

[編集] 拠点・焦点都市としている航空会社

0社の航空会社がこの空港をハブ空港(拠点都市)としている。また、0社の航空会社が焦点都市として運行している。

[編集] 就航路線

[編集] 国内線

[編集] 休廃止路線

[編集] 空港へのアクセス

松本市街まで約15 km(約30分)

[編集] バス

航空便に接続運行する空港連絡バスは、2008年1月15日をもって休止された。

[編集] その他

[編集] 外部リンク

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