与那国空港

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与那国空港
Yonaguni Airport
Yonaguni airport.jpg
IATA:OGN-ICAO:ROYN
概要
国・地域 日本の旗 日本
設置場所 沖縄県八重山郡与那国町
字与那国4350
空港種別 商業
運営者 沖縄県
標高 15 m・49.4 ft
位置 北緯24度28分3秒
東経122度58分47秒
座標: 北緯24度28分3秒 東経122度58分47秒
滑走路
方向 ILS 全長×全幅 (m) 表面
08/26 LLZ 2,000×45 舗装
リスト
国際空港の一覧

与那国空港(よなぐにくうこう Yonaguni Airport)は、沖縄県八重山郡与那国町与那国島)にある地方管理空港であり、日本で最西端に位置する空港である。年間利用客数は、国内78,227人、海外252人(2007年度)[1]

目次

[編集] 歴史

  • 1943年日本軍により建設される。滑走路800メートル。
  • 1957年 民間航空の運航開始。
  • 1968年 滑走路乳剤舗装工事等が完成、YS-11が就航する。
  • 1973年 沖縄県の日本復帰に伴い、第三種空港として指定。しかし、日本の航空法を適用すると滑走路近くにある製糖工場の煙突が進入に支障を来すため、滑走路長は800mとされた(従来は米国法に準拠し、1,232mとされていた)。このためYS-11は発着不能となる。
  • 1985年 滑走路1,500メートル化。
  • 1999年 日本トランスオーシャン航空YS-11型機が石垣空港行968便を最後に退役。滑走路の舗装を強化し暫定ジェット化供用開始。ボーイング737型機での運航が始まる。(但し、定員64名のYS-11から定員130名のB737に変更されたため、これまでの1日2往復が1往復に減便となった)
  • 2000年7月21日 琉球エアーコミューターが那覇 - 与那国線、石垣 - 与那国線を開設する。(いずれもDHC-8で週3日運航。これにより週4日ながら日帰りが再び可能になった[2]。後に週4日に増便)
  • 2007年3月15日 予定より5ヶ月遅れで滑走路2,000メートル供用開始。
  • 2007年10月4日 立栄航空による台湾台北へのチャーター便が運航された。
  • 2008年7月4日 復興航空による台湾花蓮市へのチャーター便が運航された。

[編集] 航空管制

与那国リモート 118.5MHz

管制は国土交通省那覇航空交通管制部が担当し、大阪航空局那覇空港事務所運航情報官が交信を担当

[編集] 航空保安無線施設

局名 種別 周波数 識別信号
与那国 VOR 115.3MHz YNE
与那国 DME 118.7MHz YNE

保守は国土交通省大阪航空局那覇空港事務所那覇システム統制官が担当、運用時間は24時間

[編集] 路線

[編集] アクセス

運行本数・所要時間・料金等の詳細は、該当項目や公式サイトにて最新情報を確認されたい。

[編集] 防空識別圏問題

与那国島は、日本最西端の島であり、なんらの領土紛争も存在しない、国際的にも明らかな日本の領土である。しかし、沖縄占領時にアメリカ空軍が設定していた防空識別圏を、防衛庁(当時)が1969年の訓令でそのまま継承した結果、島の上空は日本の領空だが、島の東側1/3は日本、西側2/3は台湾の防空識別圏として扱われるようになった。この領空と防空識別圏の不一致は長く防衛上の懸案とされていた。

石垣島方面から飛来した旅客機は、与那国島の北を通って一度西側に出る。この段階で旅客機は台湾の防空識別圏に進入しており、島の西側で進路を180度変え、東向きに滑走路へ降下して着陸する。離着陸は原則として全て東向きである。防空識別圏が与那国島を分断していた場合、たとえば与那国空港へ向かう日本の民間機が、事前にフライトプランを台湾空軍に提出しておかないと、島に近づいた途端に未確認飛行物体として空軍機にスクランブル発進されかねない。また、逆に台湾航空管制区域から日本へ入ってくる不審機の日本側への通報が遅れた場合、気づいたときには不審機は与那国島上空ということにもなりかねない。また、海上自衛隊の航空哨戒任務や航空自衛隊の航空機は、通常は与那国島上空より西側へ出ることは無い[要出典]ため、島の西側を目視で哨戒する事ができなくなる。

ところが、2005年12月に外間守吉与那国町長と西銘恒三郎衆議院議員が台湾を訪問した際、台湾の安全保障機関である国会安全会議から入手した資料によって、台湾は与那国島から半径12海里(約22キロ)の半月状の地域を、いずれかの時期に台湾側が自国の防空識別圏を与那国島から西側にずらして運用するようになり、与那国島を自国の防空識別圏の管轄から外して運用している事が分かった[3]。これにより、航空上の問題が起こる可能性は低いことが分かったが、どのような経緯を経て日台間の認識相違が生じたのかは分かっておらず、当時の額賀福志郎防衛庁長官も国会で「初めて聞いた」と述べて政府レベルで確認と検討を行うとし[4]、台湾側からも「国防担当者と検討する」と表明がなされた[5]。西銘は、日本の防空識別圏を西側にずらすよう政府に働きかける事を表明し、2009年7月には外間町長が浜田靖一防衛大臣(当時)に改善要望を出した[6]

防空識別圏に端を発するような問題はこれまでに起きていないが、1995年台湾海峡ミサイル危機以降、台湾の軍事訓練が活発化するようになり、漁協などの漁業関係者からは、「怖くて操業できない」「安全のために漁を自粛せざるを得ない」などの苦情がある。特に、2006年8月の射撃訓練の際には、台湾側の当初の訓練区域設定が、過去の防空識別圏のままの東経123度線に沿って与那国島の西半分をも含んでいた事が判明し[7]、防空識別圏の設定が無茶な軍事訓練の範囲にも繋がっているとの批判がある[8]。こうした事態を踏まえ、与那国町議会や漁協の関係などが、県や国の関係省庁に改善要望の提出を行った。

2010年5月26日、日本政府はこの防空識別圏を、台湾側洋上に広げる形で設定し直す方針を明らかにし、6月25日付けの防衛省訓令改正により実施された。台湾には外交ルートを通じて説明した[9]が、台湾の外交部は「事前に我々と十分な連絡をとらなかった」として遺憾の意を表明[10]、日本の決定を受け入れないとしている。

なお、2010年に設定された日本の防空識別圏は、それまでの東経123度線から、通常の防空識別圏が設定される、与那国島の陸地から14海里の分だけ西側に半月状にはみ出した形となっている。

[編集] 脚注

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[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク


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