オーストラリア

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オーストラリア連邦
Commonwealth of Australia
オーストラリアの国旗 オーストラリアの国章
国旗 国章
国の標語:なし
国歌アドヴァンス・オーストラリア・フェア
オーストラリアの位置
公用語 英語
首都 キャンベラ
最大の都市 シドニー
政府
女王 エリザベス2世
総督 ピーター・コスグローブ
首相 トニー・アボット
面積
総計 7,686,850km26位
水面積率 0.9%
人口
総計(2008年 21,293,000人(52位
人口密度 3人/km2
GDP(自国通貨表示)
合計(2011年 1兆4,417億[1]オーストラリア・ドル
GDP (MER)
合計(2011年 1兆4,882億[1]ドル(13位
GDP (PPP)
合計(2011年 9,144億[1]ドル(18位
1人あたり 40,234[1]ドル
独立 イギリスより
1901年1月1日
通貨 オーストラリア・ドル (AUD) (A$)
時間帯 UTC +8 から +10(DST:+8 から +11)
ISO 3166-1 AU / AUS
ccTLD .au
国際電話番号 61
註1 : 国歌は公式には『アドヴァンス・オーストラリア・フェア』であるが、女王や総督が臨席する場合には『女王陛下万歳』が用いられる。

オーストラリア連邦(オーストラリアれんぽう、英語: Commonwealth of Australia)、またはオーストラリアAustralia)は、オセアニアに位置する連邦立憲君主制国家。南東にはニュージーランド、北には、インドネシアパプアニューギニア東ティモールがある。ロシアカナダ中国米国ブラジルに次ぐ世界で6番目に面積の大きい国である。英連邦加盟国であり、英連邦王国の一国。

国名[編集]

正式名称は、Commonwealth of Australia英語発音: [ˈkɔmənˌwelθ əv ɔ(ː)ˈstreiljə] マンウェルス・ァヴ・オ(ー)ストゥイリャ)。通称、Australia

通常日本語の表記は オーストラリアCommonwealth of に対応する語として「連邦」を付け オーストラリア連邦とすることもある。オーストラリアは実質的には共和政体をとるが、形式上は英国女王を元首に戴く君主国であり、Republic of(〜共和国)とすることはできないことから、同義語の Commonwealth of を用いている。したがってこれを「連邦」と訳すのは必ずしも正しくはないのだが、オーストラリアが連邦制国家であることは間違いないので、便宜上このオーストラリア連邦が Commonwealth of Australia の正式な訳語として用いられている。

漢字による当て字では伝統的に濠太剌利と表記され、またそこから濠洲(ごうしゅう)とも呼ばれる。「濠」は常用漢字の「豪」を代用して豪太剌利豪洲と書くことも多い。しかし「剌」(ラツ)を常用漢字の「刺」(シ)に置き換えるのは音が異なるため誤りとなる。

国名の由来はラテン語で「南の地」を意味する terra australis で、これはヨーロッパにおける伝説上の大陸テラ・アウストラリス・インコグニタ(ラテン語 : Terra Australis Incognita)のことを指している。

歴史[編集]

先史 - 人類の移動、居住、氷河期の終焉[編集]

更新世の地球環境、人類の移動[編集]

40000~45000年前(60000年前、更にそれ以前とも言われる)、更新世の何回かの氷河期の結果海面が100~150m下降した更新世末期の、今日より海面が低い時にアボリジニがニューギニア方面からオーストラリアに渡って先住民となったと考えられている。オーストラリア南東のタスマニア島に人類が渡った時期は、同島に存在する最古の人類居住遺跡が形成された時期約38000年前であろうと考えられている。また、その時期はバス海峡に陸橋が形成されたであろう時期と合致する。[2]

沿岸はティモール海域ニューギニアに伸び、オーストラリアとともに一つの陸地(サフル大陸)であり、アラフラ海カーペンタリア湾トレス海峡をつないでいた。スンダ列島からの短い距離の部分を渡って Sahul へ、続いて陸橋を渡ってオーストラリアへ来たと考えられている。

考古学的証明では、西オーストラリアスワン川上流に40,000年前、タスマニア(タスマニアも当時大陸に繋がっていた)には30,000年前に人類居住跡が見つかっている。また約42,000年前とされる人類の化石もニューサウスウェールズ州で発見されている(例: ムンゴマン)。

オーストラリア、ニューギニアとインドネシアでの動物植物種の共有は、当時の陸橋の結果である。最後の氷河期の終わりに海面が上昇し、オーストラリアとニューギニアの間は海でへだてられた。海面レベルは6000年前から現代までほとんど同じである。

人類の居住以降[編集]

木炭の発見から、火の使用も確認されている。狩猟採集民族は森林、硬葉樹林を開拓するためなどに使用した。耐火性の高いモクマオウ科ユーカリアカシアなどが残った。

動物種では人間より大きい大型動物類の多くは絶滅し、多くの小型動物もいなくなった。ディプロトドン(全長3m、有袋類草食動物で史上最大の有袋類、カバに似ている)、数種の大きな飛べない鳥、肉食のカンガルー、体長5mのトカゲ小型自動車ほどの大きさのなどを含む、約60種の脊椎動物が絶滅した[要出典]。大規模な絶滅の原因は火、狩猟、気候変動などと考えられるが、最も大きな原因は人間の介入だと思われている[3][4]

ヨーロッパ人による入植以前の人口は分かっていない。

氷河期の終焉[編集]

13,000年前に更新世末期、氷河期終焉を迎え、トレス海峡ヴィクトリアとタスマニアの間のバス海峡カンガルー島との間に海面が広がった。

アボリジニ伝説によると、氷河期の終焉は早く(あっという間に訪れた)、海面の上昇(陸地の失現)とともに、が天から降って来た、津波があったと伝えられている。

そのとき以来、タスマニアアボリジニは地理的に孤立し、9,000年前にバス海峡の島々とカンガルー島の人間は消滅した。

オーストラリアとオーストロネシアの人々との交流は長期にわたってあったと言語学遺伝学的に証明されている。

ヨーロッパ人の到達以後[編集]

イギリスジェームズ・クックは、エンデバーを指揮してボタニー湾に上陸、領有宣言を行った。

1606年にオーストラリア大陸に最初に到来した白人オランダ人のWillem Janzであった。だが、赤道付近の熱帯の北部地域に上陸し、その周辺のみしか探索しなかったため、植民地には向かないと判断し、オランダ人は入植しなかった。1770年スコットランド人のジェームズ・クックが温帯のシドニーボタニー湾に上陸して領有を宣言し、入植が始まった。東海岸をニュー・サウス・ウェールズと名付けた。アメリカの独立により、1788年からアメリカに代わり流罪植民地としてイギリス人の移民が始まった。初期移民団1030人のうち、736人が囚人 (男586人・女242人という説あり) で、その他はほとんどが貧困層の人間であった。また、当時は軽犯罪でもオーストラリアに流刑されたという。1791年の第2回囚人護送は1017人で、航海中に281人が死んだが、植民地での食糧難を加速させたため、政府は1年を待たずして自由移民を募り農地を拡大させた。

1828年に全土がイギリスの植民地となり、開拓が進んだ。内陸を探検し、農牧地を開拓した。その段階で先住民のアボリジニから土地を取り上げて放逐、殺害した。1830年までに純血のタスマニア先住民は絶滅させられた。19世紀の初めにはスペイン産メリノー種羊を改良し、以後、羊毛産業が発展した。なお、羊が重宝されたのは羊毛に関してだけでなく、まだ冷凍船がなかった頃、肉類の中で羊肉が長持ちしたためである。1850年代ゴールドラッシュが発生すると中国系の金鉱移民に対する排斥運動が起こり、後の白豪主義につながった。

州設立の歴史

オーストラリアは、1901年にイギリスから事実上の独立をしたが、独立後もイギリス国王への忠誠からイギリスの戦争には度々参加した。第一次世界大戦ではオーストラリア・ニュージーランド軍団 (ANZAC) として英仏軍と共にガリポリの戦いに参加し、日本から供与されたジャパニーズ迫撃砲を使用するなどオスマン帝国軍との激戦を経験した。ANZAC軍のガリポリ上陸記念日である4月25日ANZACの日として国民の祝日となっている。第二次世界大戦では日本軍の爆撃や特殊潜航艇によるシドニー港攻撃を受け、ニューギニアボルネオで日本軍と戦い、日本占領にも参加した。戦後はヨーロッパが人口激減と経済復興を経験したこともあり、白人移民は減り続けた。国力の基礎となる人口増加が鈍化したため、1980年代からは白豪主義を撤廃し、世界中から移民を受け入れる「多文化主義」へと移行した。ベトナム戦争にも積極的に参加し、アメリカと共に戦い、その後ベトナム難民を数多く受け入れた。1975年ニューギニア信託統治地域パプアニューギニアとして独立した。英米と協同歩調を取った2003年イラク戦争にも参加した。

このように距離は離れているものの、同じアングロ・サクソンの英米や移民の出発地である他のヨーロッパ諸国との結びつきが依然として強い。もっとも地政学的要因から、かならずしも北半球の欧米諸国の一員として行動していられない場面も多い。特にフランスによる南太平洋ムルロア環礁での核実験の際には、北半球の欧米諸国が黙認するなかで、隣国のニュージーランドとともにに猛抗議した。このときは市民の間にもフランス製品に対する不買運動が広がり、大都市のフランス有名ブランド店には一時休業を余儀なくされたところもある。ただし、その背景にはアングロサクソン特有の嫌フランス感情があるともいわれる。

オーストラリアの周りは荒い海であったために、16世紀頃の世界地図にTerra Australis Incognita(テラ・アウストラリス・インコグニタ、「南方にある未知の大地」という意味)と表されていた。

シドニーメルボルンによる首都争奪戦のすえ、妥協案としてシドニーとメルボルンの中間地点に建設した新都市キャンベラを首都とした。

地理[編集]

ケッペンの気候区分に基づくオーストラリアの気候図
オーストラリア上空からの衛星画像。国土のほとんどが砂漠で覆われているため、人口の多くは沿岸部に集中している。

オーストラリア大陸タスマニア島及び、その他の小さな島で構成される。オセアニア州のオセアニア大陸とは、ほとんどオーストラリア大陸に等しい。オーストラリア大陸は平均高度が340mと全大陸中もっとも低い。さらに、2000m以上の地点の面積比が計算上0.0%となり、これも全大陸中もっとも低い。しかしながら、高度別の頻度分布では200~500mに相当する面積が最も広く42%に達する。これも他の大陸にない特徴である。つまり、オーストラリア大陸は低い大地が一面に広がり、起伏が小さな大陸だと言える。

オーストラリア大陸の東側には古期造山帯グレートディバイディング山脈が延びる。最高峰は首都キャンベラの南南西120kmの地点にそびえるコジアスコ山 (Kosciuszko) 。標高2228m(オーストラリア政府)、2230m(理科年表2006)。更に東側は温暖湿潤気候西岸海洋性気候の過ごし易い気候で人口はこの地域に集中し、ブリスベンシドニーメルボルンといった大都市は全てこの地域にある。グレートディバイディング山脈の西側は乾燥したステップ気候大鑽井盆地(グレートアーテジアン盆地)であるが、井戸を掘れば水が出るので、の放牧が行われている。大鑽井盆地より更に西はグレートサンディ砂漠グレートビクトリア砂漠ギブソン砂漠等の砂漠が広がり、人はあまり住んでいない。大陸の西海岸にパースがあるぐらいである。

大陸の北東部は熱帯雨林気候または熱帯季節風気候に属し、サンゴ礁が広がるグレートバリアリーフが有名で観光地になっている。ケアンズが観光拠点になっている。

ノーザンテリトリーウルルは複合遺産として認められたオーストラリアの代表的な自然景観で、有名な観光地になっている。

グレートディバイディング山脈では石炭が、大陸の北西では鉄鉱石が、西部ではが産出する。大陸北部ではボーキサイトウランが産出し、世界有数のボーキサイト・ウラン輸出国になっている。

動植物[編集]

コアラカンガルーポッサムなどの有袋類カモノハシハリモグラなどの単孔類エミューに代表されるように、地理的隔離と気候の多様性が生んだその生態系は非常に個性的である。オーストラリアの森林率は19%であり高山植物から熱帯雨林まで様々な植物の自生地帯が存在するが、大陸の大半は砂漠ステップ(半乾燥帯)で占められる[5]

多くの固有の生物を守るために、厳しい検疫を行っている。

環境問題[編集]

オーストラリアの自然環境は非常に苛酷であるとされ、大陸の40%が非居住地域(アネクメネ)となっている。その理由は土壌の栄養分が極めて乏しいこと、塩害が発生しやすいこと、降雨量が少ないことの三つである。こうした悪条件により、穀物生産や牧畜業、果樹生産など広範な分野においてオーストラリアの農業生産性は極めて低い。また河川から海に流入する栄養分も貧弱なため、漁業生産もその広大な排他的経済水域から考えると非常に少ないとされる[6]。このような苛酷な環境に加え、近年の地球温暖化の影響により、降雨量が更に減少し、農業、畜産、日常生活に大きな影響を与えている。

また、ヨーロッパの入植者によって砂漠地帯開発のためのラクダ、狩猟目的のウサギアカギツネ、サトウキビの害虫を駆除するためのオオヒキガエルイノシシ(正確には飼育されていた豚が野生化したもの[7])等本来生息していなかった多数の外来種が持ち込まれた。これらの動物は野生化・繁殖し天敵が生息していないオーストラリアでは個体数を急激に増やしている。結果、在来生物を絶滅・減少させ生態系が破壊され、牧草や農作物へも被害を及ぼし問題となっている。更に近年深刻な問題となっているのが、南極上空付近のオゾン層破壊による紫外線問題であり、紫外線照射による皮膚炎、皮膚ガン患者数は年々増加している。政府は国民に対し、外出の際には紫外線対策を怠らないように警告を促している。

政治[編集]

オーストラリア連邦議会

政体は立憲君主制連邦制である。成文憲法オーストラリア憲法をもつ。イギリス国王・女王と同一人物であるオーストラリア女王が国家元首とみなされるが、実際にはオーストラリア総督が国王・女王の代行を務め、その権限は専ら儀式程度に限られる。ただ1975年に上下院が対立して予算案が議会を通らずに労働党政府の維持が困難になった際に、総督が憲法に基き議会を解散、ウイットラム首相を解任するという事件が起き、論議を呼んだ。政府は議会に対してのみ責任を負うイギリス型の議院内閣制。政府機関には移民市民権省等オーストラリア特有の機関がある。共和制へ移行して名実共に英国から独立すべきと主張する共和派も活動しており、君主制の是非を問う国民投票も何度か実施されたが、僅差で否決されている。

議会は二院制で、連邦制のため上院が優越する。選挙権は18歳以上(義務投票制)。上院は任期6年で、議員は各州から12名ずつ、特別地域(首都とノーザンテリトリー)から2名ずつの計76人から構成され(単記移譲式投票)、州を代表する。下院は任期3年で、小選挙区から1名ずつ選出され、定員は150人。主な政党は労働党自由党国民党緑の党(グリーンズ)、民主党。

2013年9月現在の首相は自由党のトニー・アボット

地方自治[編集]

概要[編集]

オーストラリアの地方自治は、各州ごとの憲法あるいは地方自治体法 (Local Government Act) により設置された地方自治体 (Local Government) という単位で行なわれている。地方自治体のいくつかが統合されて広域自治体 (Regional Council) となる場合もある。

全国の地方自治体数[編集]

2006年4月時点の地方自治体は656で、各州ごとの自治体数は次のとおり[8]

州・特別地域 地方自治体数
ニューサウスウェールズ州 151
ビクトリア州 78
クイーンズランド州 124
西オーストラリア州 141
南オーストラリア州 68
タスマニア州 29
ノーザンテリトリー 65

地方自治体の名称[編集]

地方自治体の名称は、都市部では、市 (City Council) 、ミューニシパリティ (Municipality) 、タウン (Town) 、農村部では、シャイヤー (Shire Council) 、ディストリクト (District) という呼称が使用されることが多い。

軍事[編集]

フリゲート艦アンザック

オーストラリア陸軍オーストラリア海軍オーストラリア空軍からなる。ハワイグアム等に駐屯するアメリカ軍を除けばオセアニア最大規模の軍隊である。湾岸戦争イラク戦争には兵員を派遣している。

国際関係[編集]

日本との関係[編集]

オーストラリアにとって日本は最大の輸出相手国であり、鉄鉱石石炭牛肉などが輸出されている。近年、オーストラリアではアジア・太平洋地域との結びつきを重視し始めており、日本製品(主の自動車や電子機器などの工業製品)を多数輸入している。オーストラリア国内には日本製品が多数存在し、オーストラリア人の生活には欠かせないものとなっている。これらのことから、現在日豪FTAと呼ばれる日本とオーストラリア間のFTA(自由貿易協定)交渉が行われている。

内外から批判は多いものの、イラク戦争で共同歩調をとったことから政治的な友好関係が深まり、2006年には日米豪閣僚級戦略対話が行われるなど、政治、安全保障、経済、科学技術などの面での関係拡大が図られ、政治面でもアジア・太平洋地域における日本の重要なパートナーとなりつつある。1976年に日豪友好協力基本条約(en)が締結され、締結30周年目に当たる2006年は「日豪交流年」とされている。これを記念して、オーストラリア最大のコレクションを誇るナショナル・ギャラリー・オブ・ビクトリア(メルボルン)では日本のに焦点をあて「フォーカス・オン・ラッカー展」を開催した。1984年来、同美術館に所蔵されている木漆工芸菅沼三千子創作の赤漆盛器が改めて日豪交流の一役を担った。2007年3月には日豪首脳会談において、日豪間の外交・防衛協力の緊密化を謳った「安全保障協力に関する日豪共同宣言」が調印された。戦後の日本にとって防衛に関する共同宣言は、アメリカ以外では初めてのことであった。これに関連し、防衛外交当局者による定期的な会議(2プラス2)の開催も決定した。2007年9、オーストラリアの上院で慰安婦問題和解提言決議が採択され、慰安婦制度を『日本の歴史におけるおぞましい出来事』と批判した。

日本からは留学生や観光客がオーストラリアを訪れているほか、オーストラリアはワーキング・ホリデー協定を最初に締結した国(1980年)であり、現在でも対象国中で高い人気を誇っている。ケアンズやゴールドコーストのサーファーズパラダイスでは、日本人店員や日本人観光客が多数いて、日本語の看板も多く目にする。また、近年、日本ではケアンズを修学旅行先として選ぶ学校もある。だが、増加を続けるオーストラリアの外国人観光客のうち、日本人観光客は2006年9月と2007年9月との比較で10%減少し[9]、また来濠日本人数のピークである96~97年では年間約96万人を数えたが、2010年との比較では最盛期の1/3にまで落ち込んだ[10]

一方、オーストラリアからも近年、スキー・スノーボード目的の観光客が、日本の北海道ニセコに多く訪れている。北海道の雪質が好まれる他、「地理的にさほど離れていない・時差が少ない・季節の逆を利用して楽しめる」等の点が人気のようである。また、オーストラリア人の日本語学習者も多く、有名な観光地では日本語を話すことができる人や日本に留学したり住んでいたりする人も多くいる。オーストラリア人の日本語学習者は実際数も、総人口に占める日本語学習者の割合もどちらも欧米諸国の中でトップである。ちなみに、日本人がオーストラリア大陸に初上陸した場所はメルボルンであった。このことは、2002年の『第22回全国高等学校クイズ選手権』(日本テレビ)の関東大会第一問でとりあげられた。

日本の調査捕鯨に対して批判的であり、元環境相のイアン・キャンベル(Ian Campbell)とピーター・ギャレットはそれぞれ現在シーシェパードの国際諮問委員とグリーンピースの元理事を務めたことがある[要出典]

地方行政区分[編集]

6州とACT・NT(JBTも地図内にあるが狭すぎて表示されていない)

オーストラリアは六つの州とその他の特別地域に区分されている。

[編集]

その他の特別地域[編集]

主要都市[編集]

都市 行政区分 人口 都市 行政区分 人口
1 シドニー NSW 4,336,374 11 ホバート TAS 207,467
2 メルボルン VIC 3,806,092 12 ジーロング VIC 169,544
3 ブリスベン QLD 1,867,594 13 タウンズビル QLD 157,174
4 パース WA 1,554,769 14 ケアンズ QLD 135,856
5 アデレード SA 1,158,259 15 トゥーンバ QLD 123,406
6 ゴールドコースト-トゥウィードヘッズ QLD/NSW 583,657 16 ダーウィン NT 117,395
7 ニューカッスル NSW 523,662 17 ローンセストン TAS 104,071
8 キャンベラ-クイーンビアン ACT/NSW 388,072 18 オルベリー-ウードゥンガ NSW/VIC 101,842
9 ウロンゴン NSW 280,159 19 バララット VIC 89,665
10 サンシャイン・コースト QLD 230,429 20 ベンディゴ VIC 86,510
2007年国勢調査

特に、2位と3位及び5位と6位の都市人口の差が激しい。

経済[編集]

オーストラリアは、農産物や鉱産物などの第一次産品の輸出国としての側面、および、第三次産業の割合が圧倒的に高い先進国型の産業構造を持つ側面との二つの顔を持つ。
シドニーは同国最大の金融センターであり、世界有数の世界都市である。

基本情報[編集]

貿易

ODA出資 : 25億 AUD

概要[編集]

西洋型混合経済インフラの多くを国、州などが権利を持つ

公共事業 :

多くのアメリカ系・日系企業などが進出している。

国民[編集]

民族[編集]

住民の80%以上がヨーロッパ系の白人であり、その他にアジア人が約12%、アボリジニなどが約2%となっている。移民は全体の約2割を占め、出身国はイギリスニュージーランド中国インドイタリアベトナムが多い。

1975年に人種差別禁止法が制定されるまでは白色人種以外の移民を受け入れることを基本的に禁じていた。映画「オレンジと太陽」の児童移民もいる。

言語[編集]

公用語は英語オーストラリア英語)で、人口の78.5%が家庭で英語のみを使用し、最も広く使われている。また移民の割合が高いため、非英語圏から来た移民あるいはその子孫の中には家庭で祖国の言葉を使う者もおり、中国語話者が2.1%、イタリア語話者が1.6%など少数だが存在する。先住民族の言語(オーストラリア・アボリジニ諸語)は植民地化の過程で多くが消滅し、現在まで残っている言語もほとんどが消滅の危機に瀕している。

人名[編集]

移民も多く、さまざまな人名が存在する。さらに、氏名の変更が比較的容易に可能である。また、婚姻の際には、夫婦別姓、結合性、夫婦同姓いずれも選択可能である[11]

宗教[編集]

宗教はキリスト教が主であり、2006(カッコ内は2001)年の国勢調査によれば、ローマ・カトリックが25.8%(26.6%)、聖公会が18.7%(20.7%)等を含めたキリスト教徒全体が約64%、非キリスト教が約5%(4.9%)、無宗教が18.7%(15.5%)、無回答が約12%(11.7%)である。また別の統計によれば[12]、週に少なくとも1回は教会を訪れるのは、人口の7.5%であるという。

教育[編集]

オーストラリアの公立校は各州の教育省が管轄しており、州によってカリキュラム、中学校への進学学年、学期制度などが異なる。

6歳から15歳(日本の高等学校1年)、あるいはタスマニア州の16歳(高校2年)までが義務教育期間となる。他の先進国同様、共働き家庭などの子どもはデイケアに預けられ、小学校入学前にキンダーガーテンまたはプリスクールと呼ばれる就学前教育機関に通う。キンダーガーテン(幼稚園)を幼児教育ではなく、アメリカ合衆国のように初等教育の一部とする州もある。小学校は男女共学で6年または7年生まで。中等教育はセカンダリー・スクールと呼ばれる中高一貫教育校で12年生までが通うが、例外はタスマニア州で7年から10年までのハイスクールと11・12年のセカンダリー・カレッジに分かれている。

オルタナティブ教育が盛んで、アメリカで言うところのマグネット・スクールが多く設置されており、理数系、芸術系、外国語イマージョン・プログラムなど特化教育を行っている。私立校キリスト教主義学校とくにカトリック聖公会に属すものが多い。教会直属の学校のほかに、イギリスと同様、インデペンデント・スクールと呼ばれる学校が多くあり、一部は名門校として知られている。授業料が比較的安いためカトリック系インデペンデント・スクールは人気があり、私立校の一分野を築いている。職業訓練の要素が強い中等後教育コースであるTAFE(州立)やVET(私立)を選択することもできる。

義務教育(高校1年あるいは2年)を終えた時点で終了試験を受け、合格すれば義務教育終了証を得るが、大学に進学しない者も3年生まで通って各州で統一された卒業試験を受ける生徒が多い。大学は卒業試験と、高校の最終2年間の成績をもとに入学審査を行う[13]

どの州にも共通しているのは

  • 1月末から2月はじめの夏の終わりごろに新学期が始まる
  • 公立校でも小学校から制服がある。紫外線が強く、通学帽としてだけでなく休み時間や屋外で行う授業でも制帽の着用が義務づけられている。
  • 一クラスの人数は20人から25人程度で、教科書も各学校や学級ごとに異なる。
  • 小学校から留年(該当科目だけ留年の場合もあり)がある

といった点である[14]

人種差別問題[編集]

住民の主流を占める白人による、オーストラリア先住民アボリジニや他の有色人種の移民に対する迫害や差別の歴史があり、現在も黄色人種黒人中東系などの有色人種に対する優越思想や白豪主義が一部に存在し、2005年にはクロナラ暴動が発生した[15]。このため、有色人種が住民の主流を占める国々の旅行会社の中には、人種差別的な犯罪に注意を促すところもある。[要出典]

なお、オーストラリア・ウェスタンシドニー大学の調査によると、オーストラリア国民の10人に1人が「人種至上主義者」であることが明らかになり、人種差別的視点を持つ者が少なくないことが明らかとなった[16]

文化[編集]

世界遺産にも登録されたシドニー・オペラハウス

芸術[編集]

演劇[編集]

舞踏[編集]

メディア[編集]

映画[編集]

オーストラリア人として初めてアカデミー主演女優賞を受賞したニコール・キッドマン

文学[編集]

音楽[編集]

料理[編集]

ブッシュ・タッカーが知られている。

スポーツ[編集]

オーストラリアで絶大な人気を誇るオージーフットボール

オーストラリアではオーストラリアン・ルールズ・フットボール(オージーボールとも)とラグビー(特にラグビーリーグ)、クリケットが絶大な人気を誇っている。特にクリケットの国際試合で活躍した選手は国民的英雄の扱いを受けている。海水浴に適した海岸線が長いことからサーフィン海水浴客の救助から発祥したライフセービングなどマリンスポーツが盛んである。バスケットボールも人気があり、NBLというプロリーグも存在する。またテニスも非常に盛んであり、夏場(日本の冬の時期にあたる)ではほぼ毎日テニスの試合がテレビで放送されるほどである。また、レイトン・ヒューイットなどの有名なテニスプレーヤーを輩出していることも知られている。

ラグビー[編集]

ラグビーラグビーユニオンラグビーリーグに大別できるが、ニューサウスウェールズ州クイーンズランド州では13人制のラグビーリーグの方が盛んである。とはいえ、いずれも世界的に見れば強豪国である。15人制のユニオン代表チーム(ワラビーズ)はワールドカップで優勝二回、準優勝一回の強豪である。トライネーションズでのニュージーランドとの対戦では国中が盛り上がる。州ごとのクラブチームもスーパーラグビーに参加している。

クリケット[編集]

ラグビーは冬のスポーツであるが、夏のスポーツの代表格となるものがクリケットである。クリケットは野球と似ており、投手が投げたボールを打者が打ち、打ったボールがフィールドを転がる間に打者が走ることで点を重ねるゲームである。野球はアメリカ発祥だがクリケットはイギリスが発祥国で、イギリス連邦などで絶大な人気を誇っているがオーストラリアもその例外ではない。

競馬[編集]

競馬が持ち込まれてすぐの1810年に初めて開催され、現在でも非常に盛んに行われている。一人当たりの馬券購入額は日本イギリスを凌いでおり、競馬場の数は平地競走障害競走繋駕速歩競走、クォーターマイル用を全て合わせると大小480場を数える。サラブレッド生産頭数は約18000頭でアメリカ合衆国に次ぐ世界2位、スタンダードブレッドも約6000頭でフランス、アメリカ合衆国に次ぐ規模である。

オーストラリアには地域ごとに大レースがあり、それぞれカーニバルが並行され大きく盛り上がる。その中でも最大のメルボルンカップは、メルボルンの都市圏が祝日となり国の機能が停止すると表現されるほどの盛り上がりとなる。また、騎手競走馬が大きな名声を得ることもあり、競走馬では、北米遠征初戦で勝利するも謎の死を遂げ反米感情のシンボルとなったファーラップ、2003-05年にメルボルンカップを3連覇したマカイビーディーヴァ等が有名。また2006年には日本のデルタブルースが優勝。2着のポップロックと共に日本馬のワンツーを決めた。オーストラリア第3の都市ブリズベンでは、農業省の祝日であるエッカホリデーでの競馬が有名である。エッカホリデーの競馬では、皆が正装(男性は主にスーツ、女性は主にドレス)し競馬を楽しむ。エッカホリデーでは朝からビールなどアルコール類を飲み楽しむオーストラリア人を多数目撃することができる。その結果として、公共トイレは男性も女性も大行列になっており、移動式のトイレなども競馬場に多数用意されている。また、非常に多くの者が競馬観戦をするため、最寄りの駅などの交通機関は完全に麻痺する。電車などは東京の品川駅などの通勤ラッシュを彷彿させるほどの混雑ぶりである。これはオーストラリアではとても珍しいことであり、エッカホリデーのレースのイベントの重要性がうかがえる。

サッカー[編集]

ヨーロッパからの移民(英国圏、イタリア、クロアチアなど)が多いため、サッカー競技人口自体は多かったものの、国民のナショナルチーム「サッカールーズ」への関心は薄かった。これはたとえオセアニアで一番になろうと、オリンピックに出場しようと(出場枠が1)ほとんど反響がなかった。しかし「眠れる巨人」と言われたオーストラリアサッカーは、これまで主力選手が海外で活躍していたが、2005年に国内のプロリーグAリーグが発足したことに加え、代表チームは2006年ドイツワールドカップ進出を決め(32年ぶり2度目)、日本を3-1で破って初勝利を飾るなど活躍し、決勝トーナメントへ進んだ。1回戦でドイツ大会を優勝したイタリア相手には、試合終了直前にPKを決められ1-0で惜しくも敗退した(但し、このPKは疑惑のPKと呼ばれ、のちにFIFA会長のジョゼフ・ブラッターがオーストラリアが勝ち進むべきだと異例とも取れる発言を行った)が、その予想以上の活躍ぶりに国内では盛り上がりを見せた。2010年大会の開催国は南アフリカに決定されていたが、一時スタジアム建設の問題が指摘され代替開催地としてオーストラリアが有力視された。

女子代表チームの愛称は「マチルダズ」(「ワルチング・マチルダ」に因む)。

これまではオセアニアサッカー連盟 (OFC) に加盟していたが、2006年1月よりアジアサッカー連盟 (AFC) に移籍した。

バスケットボール[編集]

外国人としては史上2人目のNBAドラフト1巡目1位指名選手となったアンドリュー・ボーガットが最も有名。国内にはNBLと呼ばれるプロバスケットボールリーグを持つ。男子代表はこれまでにオリンピック出場11回、世界選手権出場9回を誇る。1996年アトランタオリンピック、2000年シドニーオリンピックと2大会連続で4位になるなど、オセアニアの王者としてだけでなく、世界的にも強豪である。その後の2004年アテネオリンピック2008年北京オリンピック世界選手権には出場し続けるものの、成績はやや不振気味。現在若手への世代交代の最中でアンドリュー・ボーガットを中心とした新たなチーム作りをしている。このボーガットを中心に、近年NBAにドラフト指名される選手が複数出てきており、復活の兆しが見えている。男子代表チームのニックネームは「Boomers」。ニュージーランド代表とは熾烈なライバル関係にある。

男子以上に世界的に有名で強いのが、女子代表である。女王ローレン・ジャクソンを始め、数多くのWNBA選手を輩出し、2000年のシドニーオリンピックから2008年の北京オリンピックまで3大会連続で銀メダル獲得2006年の世界選手権では遂に優勝し、金メダルを獲得した。世界最強のアメリカ代表にとって最大のライバル国となっている。女子代表チームのニックネームは「オパールズ」。

モータースポーツ[編集]

メルボルンF1MotoGPWSBが年1回行われており国内選手権なども盛んに行われている。 数多くの年間王者を輩出しており高い人気を誇っている。

世界遺産[編集]

メルボルン王立展示館は、2004年にオーストラリアで初めてユネスコ世界遺産リストに登録された建造物である。

オーストラリア国内には、ユネスコ世界遺産リストに登録された文化遺産が3物件、自然遺産が10物件、複合遺産が4物件の合計18物件ある。自然に関わる世界遺産は、18物件中15物件を占める

ナショナルカラー[編集]

オーストラリアではゴールドと緑色をナショナルカラーとして1984年4月19日から制定している。そのため、この二色は様々なことに好んで用いられる。例えば、クリケットやラグビー、サッカーのオーストラリア代表ユニフォームにこの二色を採用している。

祝祭日[編集]

祝日は州毎に定められている。下記の他に競馬の大レース(メルボルンカップ、アデレートカップ、ローンセストンカップ等)や農業ショーの日は都市、地域限定の祝日となることがある。

日付 日本語表記 現地語表記 備考
1月1日 元日 New Year's Day
1月26日 オーストラリアの日 Australia Day
イースター 聖金曜日 Good Friday 復活祭前の金曜日
イースター 復活祭 Easter Saturday 西オーストラリア州を除く
イースター 復活祭後の月曜日 Easter Monday 復活祭翌日の月曜日
4月25日 ANZACの日 Anzac Day
6月の第二月曜日 女王の誕生日 Queen's Birthday 西オーストラリア州では移動祝祭日[2]
不定期※ 労働者の日 Labour Day 州によっては違う
12月25日 クリスマス Christmas Day
12月26日 ボクシングデー Boxing Day 南オーストラリア州ではProclamation Day

脚注[編集]

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  1. ^ a b c d IMF Data and Statistics 2012年4月([1]
  2. ^ 横山祐典「地球温暖化と海面上昇 -氷床変動・海水準変動・地殻変動ー」/ 日本第四紀学会・町田洋・岩田修二・小野昭編著 『地球史が語る近未来の環境』 東京大学出版会 2007年 50ページ
  3. ^ Encyclopedia of Australian Wildlife, Steve Parish Publishing, p.120-123, ISBN 9781740212441
  4. ^ Australian Museum. “Megafauna extinction theories - patterns of extinction”. 2010年4月23日閲覧。
  5. ^ http://adl.brs.gov.au/forestsaustralia/_pubs/sofr2008reduced.pdf
  6. ^ ジャレド・ダイアモンド『文明崩壊』13章「搾取されるオーストラリア」(草思社2005)
  7. ^ サイボクハム ぶた博物館 より
  8. ^ THE AUSTRALIAN LOCAL GOVERNMENT GUIDE APRIL 2006より。
  9. ^ JAMSTV、外国人観光客数、増加 豪ドル高の影響見られず
  10. ^ 日豪プレス年表1996年の項。
  11. ^ Change of Name - Australia Passport Office
  12. ^ NCLS Research: NCLS releases latest estimates of church attendance(英文)
  13. ^ APLa オーストラリアの教育
  14. ^ オーストラリア教教育ネットワーク:オーストラリアの教育
  15. ^ JAMSTV、シドニー人種暴動の記事
  16. ^ オーストラリア人の約1割は人種至上主義者=調査”. ロイター. 2008年9月29日閲覧。

参考文献[編集]

 国立国会図書館  http://opac.ndl.go.jp/  資料請求記号:DM456-J16  「ビーフ産業の研究」  ‐オーストラリアンビーフのすべて‐

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

政府

日本政府

観光

その他