益城町
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益城町(ましきまち、英称:Mashiki-town)は、熊本県の中部に位置する上益城郡の町である。
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[編集] 地理
熊本県のほぼ中央からやや北寄りに在り、熊本市東部に隣接している。東部から南部にかけては九州山地に属する城山(480メートル)をはじめ朝来山(405メートル)、船野山(308メートル)、飯田山(431メートル)の四峯が連なっている。北部は益城台地(高遊原台地)と呼ばれる畑作地が広がっている。中央部は熊本平野の一環を形成しており水田地帯が広がっている。河川はすべて緑川水系に属し木山川、赤井川、秋津川、金山川などが東から西へ向けて流れている。熊本市のベッドタウンとしての役割も果たしている。
[編集] 歴史
1889年(明治22年)の町村制の施行で赤井村、砥川村、小池村、島田村の4村をあわせて飯野村が、広崎村、古閑村、福富村、惣領村、馬水村、安永村の6村をあわせて広安村が、寺迫村、宮園村、木山町の1町2村で木山町が、福原村、平田村の2村をあわせて福田村が、上陳村、下陳村、寺中村、田原村、小谷村、杉堂村の6村をあわせて津森村となった。1954年(昭和29年)にこの1町4村が合併し、益城町として現在に至っている。
[編集] 熊本市との合併・政令市について
熊本市との合併に関して、賛成派・反対派の対立が激しい。これまでの経緯を以下に示す。
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2003年8月、熊本市との合併を視野に入れた合併協議会の設置の是非を問う住民投票が行われたが、反対票が多数を占めたためこの時点では合併協議会は設置されなかった。 (反対票が、賛成票を約2500票、上回った)
その後、2006年の町長選挙で合併に断固反対する(当時の)現職町長(注:この町長は合併に賛成したかったが、町議会の反発を受けて合併反対に回ったとの説もある)を、合併に対して中立だとする現町長が破って当選。 すぐに合併問題が俎上に上がることはなかったが、2007年末に政令指定都市について熊本市と検討する勉強会を開きたいという意向を示し、「合併・政令市に関する研究会」が立ち上げられた。この研究会自体は合併を前提としたものではなかったが、熊本市と共に政令市になった場合、町にどんなメリットがあるかなどを検討した(例えば、現状では熊本空港へつながる県道(通称・第2空港線)沿線は開発が制限される市街化調整区域であり、政令市になった場合に課題を解決できるのか、など)。 町長はこの研究会の結果報告を踏まえ2008年4月、熊本市との任意合併協議会を設置することを表明し、議論をもう一歩進めることを決めた。町民に向けて合併に関する情報をより多く提供していくと共に、政令市移行後の「益城区」設置なども検討していくとした。また、以前は単独町制維持を公言していた益城町商工会が熊本市との合併政令市実現賛成に回ることを表明し、熊本市商工会と一緒に「熊本都市圏経済研究会」を設置している。
任意合併協議会終了後の2008年9月、町議会は熊本市との合併について協議する法定合併協議会の設置を可決し、翌10月、熊本市との法定合併協議会が設置された。(なお、町議会での票数は賛否同数で、議長採決での可決であった)
この2008年9月の町議会での議決の直前には、益城町内には合併賛成派(=町長派)・合併反対派とも、激しい中傷合戦を展開した。 反対派は、町長とその親族企業への批判、また、益城町の方が熊本市より財政は健全だと批判するビラを町内の各家庭に配った。 これに対して合併賛成派は、「合併に反対する議員は、町議のイスを失いたくないだけ」と批判するビラを配った。 上記以外にも、合併の賛成派・反対派が互いを中傷するビラを多数、町内に配っている。また、反対派が小学校を訪問し、合併すると学校がなくなるなどの発言も行っていることが確認されている。(当然、合併しても学校がなくなることは有り得ない。)
2008年12月の時点で、熊本市との合併推進派と反合併派の内部対立が議会や住民の間で激しくなっており、町長は「法定合併協議会の終了後、町民にデータを示した上で住民投票を実施したい」との考えを表明した。
実際、2008年12月の町議会で、法定合併協議会の後、町議会における廃置分合の決議前に、合併の賛否を問う住民投票を行うことが可決された。 この可決においては、「議会は、住民投票結果を重要視する」旨の文言が記された。 合併賛成派は、「住民投票には、判断材料が必要」として、法定合併協議会の後に住民投票を行うこととした町長・町議会を評価した。
しかし合併反対派は「町長は、住民投票で反対多数となっても、合併を中止する旨の約束をしなかった」として反発している。 合併反対派は「住民投票の判断材料は、任意合併協議会で既に出ている」として、早急の住民投票実施を訴えて、住民投票を早期に行うための署名を集めて町選挙管理委員会に提出した。有効数は「535人分以上」だが、これを大幅に上回る9000人分以上もの署名が集まった。 有効な署名は8500人分を超えることが確認され、住民投票を行うか否かを問う臨時の町議会が、2009年1月26日に召集され、住民投票を新たに行うことが賛成多数で可決された。
この時点で、法定合併協議会の途中(2009年4月12日)と法定合併協議会の終了後(2009年6月末ごろ)の2度、熊本市との合併の賛否を問う住民投票が行われることが決定した。
「1回目」の住民投票が2009年4月12日に行われ、反対票が賛成を4300票、上回った。 益城町長は「法定合併協議会の途中での住民投票であり、町民に正確なデータを提示できなかった」として法定合併協議会の継続を表明した。
これに対して、合併に反対するグループが「住民無視」として町長のリコールに向けて動き出した。
また、「1回目」の住民投票の1週間後に町内のある地区で行われた、(合併問題とは無関係の)町内会の会合に「来賓」として招かれた合併賛成派の町議が、来賓の挨拶で「合併反対が多数を占めたのは共産党の組織的な活動のせい」と町内会とは関係ない話をした(上述の学校がなくなる云々の話にも触れた)。
このように、「1回目」の住民投票の後も町政の混乱が続くことを避けるため、賛成派・反対派、双方の町議を中心とした話し合いが行われ、「合併の断念」「反対派による、町長のリコールは行わない」を着地点とする方向でまとまりつつある。
その後、2009年4月末になって益城町長は法定合併協議会からの離脱と、「2回目の住民投票」の中止を表明した。
ただし、法定合併協議会からの離脱には、熊本市議会・益城町議会の議決など法律に基いた手続きが必要であり、法定合併協議会からの離脱が正式決定したわけではない。
なお、合併に反対するグループは、「法定合併協議会からの離脱が法的にも確定するまでは、町長のリコールに向けて動く」としている。
住民投票前に合併の賛成・反対それぞれのスローガンを掲げた旗が、町内のあちこちに立てられていた。 合併賛成派は 「みんなでつくろう政令市」 「政令市は益城を変える!」 「子どもたちのために勇気ある一歩を!」 「ここは熊本市益城区○○番地!」 などのスローガンを書いた旗を立てていた。これに対して反対派は、法定合併協議会の設置が決まった後の2008年10月ごろから 「住民の声が届く町づくりを」(緑色) 「住民無視の、熊本市への吸収合併反対」(赤色) 「住民投票を1日も早く実現させましょう」(青色) と書かれた各色の旗をそれぞれ立てていた。
現在はこれらの旗は賛成反対の別にかかわらず撤去されている。
[編集] 行政
- 町長 - 住永 幸三郎(すみなが こうざぶろう)
[編集] 産業・特産品
[編集] 産業
[編集] 特産品
[編集] 交通
町内には鉄道路線は無い。
高速バスストップ
[編集] 道路
[編集] 高速道路
[編集] 一般国道
[編集] 県道・主要地方道
[編集] 空港
[編集] 路線バス
[編集] 施設
[編集] 国の機関
[編集] 県の機関
- 熊本県警察
- 熊本東警察署(熊本市)の空港警備派出所
- 御船警察署 - 隣の御船町にある。
- 県警航空隊 - 熊本空港内
- 熊本県防災消防航空隊
- 熊本県消防学校
[編集] その他
[編集] 地域
[編集] 人口
| 益城町と全国の年齢別人口分布図(比較) | 益城町の年齢・男女別人口分布図 | ||||||||||||||||||
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■紫色は益城町
■緑色は日本全国 |
■青色は男性
■赤色は女性 |
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| 総務省統計局 / 国勢調査(2005年) | |||||||||||||||||||
[編集] 教育
[編集] 公立中学校
- 木山中学校
- 益城中学校
- 袴野中学校
[編集] 公立小学校
- 飯野小学校
- 広安小学校
- 広安西小学校
- 益城中央小学校
- 津森小学校
- 袴野小学校
[編集] 幼稚園
- あじさい幼稚園
- 益城町立 益城幼稚園
- 益城町立 益城第二幼稚園
[編集] 保育園
- ひろやす保育園
- ひろやすにし保育園
- 益城町立 第一保育所
- 益城町立 第二保育所
- 益城町立 第三保育所
- 益城町立 第四保育所
- 益城町立 第五保育所
[編集] 名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
- 蘇峰生誕の家記念館(旧矢嶋家)
- 飯田山常楽寺
- 潮井水源
- そうめん滝
- 左の目八幡宮
- 鬼の窟古墳
- 城の本古墳
- 城の本2号墳
- 城山銅山(金山銅山)
- 赤井城跡
- 大楠山安養寺跡
- 潮井神社
- 津森城
- 津森神宮
- 砥川城
- 道安寺跡
- 猫伏石
- 飯田城(田口平城)
- 尾峰山福田寺跡
- 富田茂七翁彰徳碑
- 木山城跡
- 柳水石橋
- 津森の神楽
- 砥川の獅子
- 南の獅子
- 木崎の獅子
- 木山の神楽
[編集] 益城町出身の有名人
- 竹崎順子 - 教育家、熊本女学校(現・熊本フェイス学院高等学校)元校長
- 矢嶋楫子 - 教育者、婦人活動家、女子学院初代院長:肥後国益城郡津森村出身
- 増村益城 - 工芸家
- 吉永雅弘 - 元・陸上自衛隊東部方面音楽隊隊長
- 永野竜太郎 - ゴルファー
[編集] 外部リンク
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