ダイムラー (自動車メーカー)

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ダイムラー
Daimler AG
Daimler AG.png
種類 AG
市場情報
FWB DAI
NYSE DAI
本社所在地 ドイツの旗 ドイツ
バーデン=ヴュルテンベルク州シュトゥットガルト、メルセデスシュトラーセ 137
設立 1998年5月6日
業種 製造業
事業内容 乗用車の製造・販売等
代表者 Dieter Zetsche(ディーター・ツェッチェ)
(取締役会会長)
資本金 41,337 Million Euro
(2011年12月31日時点)[1]
発行済株式総数 1,066 Million 株
(2011年12月31日時点)[2]
売上高 連結:106,540 Million Euro
(2011年12月期)[3]
営業利益 連結:8,449 Million Euro
(2011年12月期)[4]
純利益 連結:6,029 Million Euro
(2011年12月期)[5]
総資産 連結:148,132 Million Euro
(2011年12月末時点)[6]
従業員数 271,370人
(2011年12月末時点)[7]
決算期 12月末日
主要株主 クウェート投資庁 7.2%
ドイツ銀行 4.4%
(2007年12月31日現在)
関係する人物 ゴットリープ・ダイムラー
カール・ベンツ
ヴィルヘルム・マイバッハ
外部リンク www.daimler.com(英語)
www.mercedes-benz.co.jp(日本語)
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ダイムラーDaimler AG )は、乗用車及び商用車の世界的メーカーである。2006年の生産台数は204万台で世界13位。トラックの販売では世界最大手であり、三菱ふそうトラック・バスを傘下に持つ。

概要[編集]

アメリカ合衆国の自動車会社クライスラーとの関係解消(後述)に伴い、2007年10月4日(現地時間)に旧社名であるダイムラー・クライスラー・アーゲー(DaimlerChrysler AG )から現社名に変更した。

同社の乗用車はメルセデス・ベンツスマートマイバッハフレイトライナー、その他のブランドで販売されている。また、子会社として三菱ふそうトラック・バスなどを所有している。

2000年には航空宇宙産業部門のダイムラー・クライスラー・エアロスペース(DASA)は分離、合併しEADSとなった。日本三菱自動車工業韓国現代自動車とも提携していたが、巨額の損失による対アジア計画の見直しにより、2004年に現代自動車との提携を解消、2005年11月には、不祥事が次々に発覚し会社存続の危機に陥った三菱自動車工業との資本提携も解消した。2003年に三菱自動車工業から分離・独立した三菱ふそうトラック・バスとは資本提携を継続させ、後に連結子会社とした。

会社略歴[編集]

ダイムラー・ベンツ[編集]

1883年ドイツ人技術者カール・ベンツがベンツ社(Benz & Cie )を創立、1900年にはドイツ人技術者のゴットリープ・ダイムラーヴィルヘルム・マイバッハらによりダイムラー・モトーレン・ゲゼルシャフト社(Daimler Motoren Gesellschaft, DMG)が設立された。1926年両社は合併ダイムラー・ベンツとなる。同社は「メルセデス・ベンツ」ブランドの自動車や、戦車用、船舶用、航空用エンジンなどのメーカーとして発展をとげた。

クライスラーとの合弁[編集]

1998年、当時のダイムラーベンツ会長であるユルゲン・シュレンプの主導により、ドイツのダイムラーベンツ・アーゲーとアメリカ合衆国のクライスラー・コーポレーションの事業結合契約に基づきダイムラー・クライスラーが誕生した。乗用車で6大グループの一角で、グループ総合での世界販売実績第6位、商用車においては世界最大のメーカーであった。2007年のクライスラー部門売却まで、アメリカ・ミシガン州オーバーンヒルズとドイツ南部のシュトゥットガルトに本社を置いていた(登記上の本社はシュトゥットガルト)。

一部車種では部品共用や兄弟車関係が行われ、一例としてクライスラー・300にはメルセデス・ベンツ Eクラスのコンポーネンツが用いられ、メルセデス・ベンツ Rクラスクライスラー・パシフィカの兄弟車である。

合併から解消へ至る経緯[編集]

ダイムラー・ベンツとクライスラーの経営方針や技術思想にあまりにも違いがあったため、協業開始時から「ドイツとアメリカが手を組めるはずがない」などと陰口も叩かれており、互いに相手との違いを尊重しあう両社の姿勢が協業を継続させる鍵と見られていた。結局両部門が揃って好業績をあげたのは初年度だけで、クライスラー部門の北米不振はついに解消されず、2007年5月14日、ダイムラー・クライスラーはクライスラー部門を米投資会社サーベラスへ売却することを発表、同年8月3日、ダイムラー・クライスラーは、クライスラー部門の資産管理を行う持株会社「クライスラーChrysler LLC )」を設立し、その株式の80.1%を55億ユーロでサーベラスに売却、かつては「世紀の合併」といわれたダイムラーとクライスラーの協業体制は約9年で解消されることとなった。イギリスBBCは、「不幸な結婚は終了することになった」と報じた。同年10月4日の株主総会によって、社名をダイムラー・クライスラーから現社名に変更した。なお、協業解消後もダイムラーからクライスラーへの出資(所有比率19.9%)、および業務上の提携関係は継続した。2009年4月27日、残りの株式をサーベラスに譲渡するとともにクライスラー向け債権15億ドルを放棄すること、3年間にわたり年間2億ドル(計6億ドル)をクライスラーの年金基金に拠出することで、サーベラスおよびアメリカ年金給付保証公社(PBGC)と合意した。2009年4月30日、クライスラーは連邦倒産法第11章の適用を申請して倒産。クライスラーは、アメリカとカナダ両政府から総額100億ドルの公的資金と、フィアットからの技術支援・人材支援を得て経営再建を目指すことになった。

“ダイムラーベンツ”から“ダイムラー”へ[編集]

2007年のクライスラー部門パージの際、ダイムラー・クライスラーはかつての社名である“ダイムラーベンツ”では無く“ダイムラー”と改名した。同時に高級車部門は“メルセデス・ベンツ・カーズ”、バン部門は“メルセデス・ベンツ・バンズ”、系列企業であるダイムラークライスラー銀行は“メルセデス・ベンツ銀行”に改名され、ベンツの名前を尊重する意思は示しているものの、投資家やベンツファンからは歴史と伝統のある“ベンツ”を社名から除いた事への不満も多い。

株主構成[編集]

2012年8月31日時点で、ダイムラーの筆頭株主はクウェート7.6%、ルノー日産自動車3.1%、アラブ首長国連邦のファンドAaber Investmentsが3.1%保有している[8]

地域別の保有割合(2012年8月31日時点)[8]

  • 35.0% ヨーロッパ諸国(ドイツ以外)
  • 32.8% ドイツ
  • 18.1% アメリカ
  • 7.6% クウェート
  • 3.1% アラブ首長国連邦
  • 3.1% アジア諸国
  • 0.3% その他

ブランド一覧[編集]

  • Daimler Financial Services(ダイムラー・ファイナンシャル・サービス)
    • Mercedes-Benz Bank(メルセデス・ベンツ銀行)
    • Mercedes-Benz Financial(メルセデス・ベンツ・ファイナンシャル)
    • Daimler Truck Financial(ダイムラー・トラック・ファイナンシャル)

日本法人[編集]

完全子会社であるダイムラー日本株式会社(ダイムラーJ)及びメルセデス・ベンツ日本株式会社(MBJ)は、ダイムラーJが持ち株会社として事業経営・財務管理を担当、MBJが実務(自動車輸入・販売およびサービス)を担当している。所在地は東京都港区六本木。現代表者はニコラス・スピークス(代表取締役兼CEO)[9]。 輸入拠点は茨城県日立市茨城港日立港区であり、常磐自動車道日立南太田ICそばに新車整備センター(VPC)がある。車両はここで品質検査、納車整備などを経て出荷されている。 2010年3月までは愛知県豊橋市にもVPCを設けていたが、日立に集約・統合した。その後、東日本大震災の影響により、一時的ではあるが再び愛知県豊橋市でのVPC業務を復活させた。現在、旧豊橋VPCはフィアット・クライスラージャパンが使用しているが、2014年8月頃に再び豊橋に新VPCを設置する事を表明した。前述の東日本大震災において日立VPCが壊滅的な被害を受けた事により、リスク分散という効果が期待できる。

両社の略史

1986年 メルセデス・ベンツ日本株式会社が設立。(当時はまだクライスラーとの合併前)
1999年 ダイムラー・クライスラー誕生に合わせ、ダイムラー・クライスラー日本ホールディングス株式会社が設立。Mベンツ日本はクライスラージャパンセールス株式会社と統合、ダイムラー・クライスラー日本株式会社(略称DCJ)が誕生する。

*ダイムラー・クライスラー時代に輸入・販売していたブランドは、AMGを含むメルセデス・ベンツ、マイバッハ、スマート、クライスラー、ダッジ[10]、ジープのみであり、それぞれの販売車には、専用のステッカーが貼られていた。[11]

2007年 ダイムラー・クライスラー本社が会社分割を実施した事を受け、ダイムラー・クライスラー日本ホールディングスがダイムラー日本株式会社に、ダイムラー・クライスラー日本がメルセデス・ベンツ日本株式会社に改名した。

*この改名により、DCJ社は合併前の旧社名(MBJ)を9年ぶりに復活させることとなった。社長及び所在地は継続され、MBJ社となった現在に至る。

※補足 2007年に分割されたクライスラーの日本法人は、MBJの子会社という形でクライスラー日本(現・フィアット・クライスラージャパン)株式会社として分離設立された。設立当時の社長は旧DCJクライスラーブランドの責任者であったクリストファー・エリス[12] 所在地は東京都港区台場[13]

日本での主な関連会社[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Daimler>Investor Relations>Daimler Annual Report 2011>180page>Consolidated Statement of Financial Position>Total Equity
  2. ^ Daimler>Investor Relations>Daimler Annual Report 2011>210Page>7.40 Development of shares issued>Shares outstanding on December 31
  3. ^ Daimler>Investor Relations>Daimler Annual Report 2011>178Page>Consolidated Statement of Income>Revenue
  4. ^ Daimler>Investor Relations>Daimler Annual Report 2011>178Page>Consolidated Statement of Income>Profit before income taxes
  5. ^ Daimler>Investor Relations>Daimler Annual Report 2011>178Page>Consolidated Statement of Income>Net profit
  6. ^ Daimler>Investor Relations>Daimler Annual Report 2011>180Page>Consolidated Statement of Financial Position>Total assets
  7. ^ Daimler>Investor Relations>Daimler Annual Report 2011>152Page>Human Resources>Employees>Daimler Group
  8. ^ a b Shareholder Structure”. Daimler AG. 2012年9月14日閲覧。
  9. ^ DCJから社長兼CEOを担当していたハンス・テンペルは2010年4月1日付でオーストラリアにある「メルセデス・ベンツ オーストラリア・パシフィック」の社長に就任した。
  10. ^ この頃はダッジブランドのバイパーも輸入していた。(現在は輸入していない)
  11. ^ 一例として、スマートのリアウインドの左下には灰色地「DaimlerChrysler Japan」と書かれたステッカーが貼られていた。
  12. ^ 2009年7月にMBJからの出向社員として七五三木敏幸が新社長に就任。エリスはジープラングラーチェロキー商品開発責任者として就任する為に米国に帰国した。
  13. ^ その後は2013年7月1日にフィアット・クライスラージャパンの設立に伴い、所在地を東京都港区芝に移転し、社長並びにCEOはフィアットからの出向社員としてポンタス・ヘグストロムが就任。七五三木は営業本部長を経験した後にライバルでもあるポルシェジャパンの代表取締役社長に就任した。ちなみに現在の本社は、クライスラーのかつての提携先でもあった三菱自動車本社の近くに所在している。

外部リンク[編集]