パラリンピック

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パラリンピック
Paralympic flag.png
開始年 1960
主催 国際パラリンピック委員会
サイト 国際パラリンピック委員会(英語)
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パラリンピック英語: Paralympic Games)とは、国際パラリンピック委員会英語: International Paralympic Committee、略称:IPC)が主催する障害者を対象とした世界最高峰のスポーツ競技大会。オリンピックと同じ年に同じ場所で開催される。2004年アテネ大会から夏季オリンピックと共同の開催組織委員会が運営する。

目次

概略[編集]

当大会には障害の度合いに応じた階級が存在する。たとえば、肢体不自由などの障害の場合は「LW」等の競技ごと・障害の種類ごとの記号+度合いを数字で表す。障害種は「運動機能障害」「脳性麻痺」「切断など」「視覚障害」「車いす」などがある。現在は聴覚障害者精神障害者の出場は不可であり、知的障害者に関しては参加可能となっている[1]

歴史[編集]

20世紀初頭から、散発的な障害者のスポーツ大会は記録されているが、当大会の起源とされているのは、1948年7月28日ロンドンオリンピック開会式と同日に、イギリスストーク・マンデビル病院で行われたストーク・マンデビル競技大会とされる。これは、戦争で負傷した兵士たちのリハビリテーションとして「手術よりスポーツを」の理念で始められたものである。

ストーク・マンデビル病院には、第二次世界大戦脊髄を損傷した軍人のリハビリのための科が専門にあり、ドイツから亡命したユダヤ系医師ルートヴィヒ・グットマンの提唱により、この日、車椅子の入院患者によるアーチェリー競技会が行われた。この競技会は当初、純然たる入院患者のみの競技大会であったが、毎年開催され続け、1952年には国際大会となり、第1回国際ストーク・マンデビル競技大会が開催された(参加国はイギリスとオランダの2カ国)。

1960年には、グットマンを会長とした国際ストーク・マンデビル大会委員会が組織され、この年のオリンピックが開催されたローマで、国際ストーク・マンデビル競技大会が開催された。この大会は現在、第1回パラリンピックと呼ばれている。

第2回大会は、1964年にこの年の夏季オリンピックが開催された東京で、国際ストーク・マンデビル競技大会との2部構成で行われた。1部が国際ストーク・マンデビル競技大会として、第2部は全ての身体障害を対象にした日本人選手だけの国内大会として行われた。現在これらの大会を合わせてパラリンピック東京大会と呼ばれている。

当大会をオリンピック開催都市と同一都市で行う方式は、東京大会後は定着せずいったん中断することとなり[2]1972年ハイデルベルク大会で復活する。

1976年、国際ストーク・マンデビル競技連盟と国際身体障害者スポーツ機構との初の共催でトロント大会が開催され、同年、第1回冬季大会、エーンシェルドスピーク大会も開催された。

1984年ニューヨーク・アイレスベリー大会は当初アメリカの2都市での開催予定であったが諸事情により2国開催となった。

1988年ソウル大会より正式名称が「パラリンピック」となった。また、IOCが当大会に直接関わる初めての大会ともなり、この大会からは再び夏季オリンピックと夏季パラリンピックの同一開催地が復活した。なお、冬季大会が冬季オリンピックと同一都市で開催されるようになるのは1992年アルベールビル冬季大会からである。

1989年には国際パラリンピック委員会(IPC)が設立され、これ以後、継続した大会運営が行われるようになった。IPC本部は、ドイツボンに置かれている。

2000年シドニーオリンピック時にIOCとIPCとの間で正式に協定が結ばれ、オリンピックに続いてパラリンピックを行うことと、IPCからのIOC委員を選出すること。これらのことが両者間で約束され、オリンピック開催都市でのパラリンピック開催は正式に義務化された。

2001年にはIPCとIOCは、スイスのローザンヌで合意文書に調印し、パラリンピックとオリンピックの連携を強化した。2008年夏季大会2010年冬季大会からIOCはパラリンピックについて運営・経済両面においてIPCを支援。また、パラリンピックの構成や保護を強化するとともに、パラリンピック競技大会の組織委員会はオリンピックの組織委員会に統合されることになった。

名称[編集]

 「パラ」+「リンピック」=「パラリンピック」という語呂合わせは日本人の発案で、1964年の第13回国際ストーク・マンデビル車いす競技大会を東京で開催した際の「愛称」として初めて使用したものである[3][4]。これは、パラプレジアParaplegia脊髄損傷等による下半身麻痺者)+オリンピック(Olympic Games)の造語であった。

 1985年IOCは、パラリンピックという呼称を用いることを正式に認めるとともに、半身不随者以外も参加するようになったことから、パラレルParallel平行)+オリンピック(Olympic Games)で、「もう一つのオリンピック」として再解釈することとした。

 1988年ソウル大会からIOCが直接関わることとなり、「パラリンピック」が正式名称となった(従来は愛称の扱いであった)[5]

 なお、「パラリンピック」は、国際パラリンピック委員会の登録商標である。各国にパラリンピック委員会を設け、商標の保全を義務付けている。日本においては、元厚生労働省所管であった公益財団法人日本障害者スポーツ協会の下に日本パラリンピック委員会が設立され、商標保護に務めるとともに、日本選手団の派遣事業を行っている。日本国内において「パラリンピック」という文言を使用するためには、日本障害者スポーツ協会の承認を必要とし、オフィシャルサポーターと呼ばれるスポンサー契約を結ぶ必要がある。なお、パラリンピックを『パラ五輪』と記載するメディアも存在する[要出典]

シンボル[編集]

パラリンピックの旗

パラリンピックの象徴であるマーク(パラリンピックシンボル)は、人間の最も大切な3つの構成要素『心(スピリット)・肉体(ボディ)・魂(マインド)』を赤・青・緑の三色で表している。詳細はこちらへ。

1988年のソウルパラリンピックで初めてこの旗が使われたときには、青・赤・黒・緑・黄の5色であったが、オリンピック旗と区別するために、1994年のリレハンメルパラリンピックから3色の旗に変更された。そして、2004年のアテネパラリンピックから3代目となるロゴに変更され、現在に至っている。ちなみに、北京パラリンピックでは、シンボルの形・色は同じであるが、3色の意味を中国式に赤を天、青を地、緑を人としていた[6]

シンボルの変遷

開催地一覧[編集]

夏季大会[編集]

※第1回大会から第10回大会までの参加国数及び参加人数は、厚生労働省の発表による数値[7](日本障害者スポーツ協会の発表数値とは異なる)、第11回大会以降は日本障害者スポーツ協会の発表による数値[8]

開催年 開催都市 開催国 参加国数 参加人数 開催時名称
第1回 1960年 ローマ イタリアイタリア 23カ国 400人 第9回ストーク・マンデビル競技大会
第2回 1964年 東京 日本日本 22カ国 567人 第13回ストーク・マンデビル競技大会
第3回 1968年 テルアビブ イスラエルイスラエル 29カ国 1,047人 第17回ストーク・マンデビル競技大会
第4回 1972年 ハイデルベルク 西ドイツ西ドイツ 41カ国 1,346人 第21回ストーク・マンデビル競技大会
第5回 1976年 トロント カナダカナダ 40カ国 1,000人 第25回ストーク・マンデビル競技大会
第6回 1980年 アーヘン オランダオランダ 42カ国 2,556人 身体障害者オリンピックアーヘン大会
第7回 1984年 ニューヨーク アメリカ合衆国アメリカ 45カ国 1,800人 第7回世界車椅子競技大会
アイトスベリー イギリスイギリス 40カ国 600人
第8回 1988年 ソウル 大韓民国韓国 61カ国 4,220人 第8回大会以降はパラリンピックと呼称される
第9回 1992年 バルセロナ スペインスペイン 83カ国 4,200人
第10回 1996年 アトランタ アメリカ合衆国アメリカ 103カ国 3,259人
第11回 2000年 シドニー オーストラリアオーストラリア 122カ国 3,881人
第12回 2004年 アテネ ギリシャギリシャ 135カ国 3,808人
第13回 2008年 北京 中華人民共和国中国 146カ国 3,951人
第14回 2012年 ロンドン イギリスイギリス 164カ国 4,310人
第15回 2016年 リオデジャネイロ ブラジルブラジル

冬季大会[編集]

※第1回大会から第7回大会までの参加国数及び参加人数は、厚生労働省の発表による数値[9](日本障害者スポーツ協会の発表数値とは異なる)、第8回大会以降は日本障害者スポーツ協会の発表による数値[10]

開催年 開催都市 開催国 参加国数 参加人数
第1回 1976年 エーンシェルドスピーク スウェーデンスウェーデン 21カ国 400人
第2回 1980年 ヤイロ ノルウェーノルウェー 15カ国 369人
第3回 1984年 インスブルック オーストリアオーストリア 22カ国 1,000人
第4回 1988年 インスブルック オーストリアオーストリア 22カ国 800人
第5回 1992年 アルベールヴィル フランスフランス 24カ国 900人
第6回 1994年 リレハンメル ノルウェーノルウェー 31カ国 1,013人
第7回 1998年 長野 日本日本 32カ国 1,146人
第8回 2002年 ソルトレイクシティ アメリカ合衆国アメリカ 36カ国 416人
第9回 2006年 トリノ イタリアイタリア 39カ国 477人
第10回 2010年 バンクーバー カナダカナダ 44カ国 502人
第11回 2014年 ソチ ロシアロシア
第12回 2018年 平昌 大韓民国韓国

実施競技一覧[編集]

夏季公式競技[編集]

競技名 第1回 第2回 第3回 第4回 第5回 第6回 第7回 第8回 第9回 第10回 第11回 第12回 第13回 第14回
1960年 1964年 1968年 1972年 1976年 1980年 1984年 1988年 1992年 1996年 2000年 2004年 2008年 2012年
Archery - Paralympic pictogram.svg アーチェリー
Wheelchair rugby - Paralympic pictogram.svg ウィルチェアーラグビー 公開
Wheelchair fencing - Paralympic pictogram.svg 車いすフェンシング
Wheelchair tennis - Paralympic pictogram.svg 車いすテニス 公開
Wheelchair basketball - Paralympic pictogram.svg 車いすバスケットボール
Goalball - Paralympic pictogram.svg ゴールボール 公開
Football 5-a-side - Paralympic pictogram.svg 視覚障害者5人制サッカー
Football 7-a-side - Paralympic pictogram.svg 脳性麻痺7人制サッカー
Volleyball - Paralympic pictogram.svg シッティングバレーボール
Cycling - Paralympic pictogram.svg 自転車競技
Judo - Paralympic pictogram.svg 柔道
Swimming - Paralympic pictogram.svg 水泳
Sailing - Paralympic pictogram.svg セーリング
Table tennis - Paralympic pictogram.svg 卓球
Shooting - Paralympic pictogram.svg 射撃
Equestrian - Paralympic pictogram.svg 馬術
Powerlifting - Paralympic pictogram.svg パワーリフティング
Rowing - Paralympic pictogram.svg ボート
Boccia - Paralympic pictogram.svg ボッチャ
Athletics - Paralympic pictogram.svg 陸上競技

冬季公式競技[編集]

競技名 第1回 第2回 第3回 第4回 第5回 第6回 第7回 第8回 第9回 第10回
1976年 1980年 1984年 1988年 1992年 1994年 1998年 2002年 2006年 2010年
Ice sledge hockey - Paralympic pictogram.png アイススレッジホッケー
Alpine skiing - Paralympic pictogram.png アルペンスキー
Wheelchair curling - Paralympic pictogram.png 車いすカーリング
Cross-country skiing - Paralympic pictogram.png クロスカントリースキー
Biathlon - Paralympic pictogram.png バイアスロン
Ice sledge speed racing - Paralympic pictogram.png アイススレッジスピードレース

クラス分け[編集]

パラリンピックの各競技種目は、同一レベルの選手同士で競いあえるようにするため、障がいの種類、部位、程度によってクラス分けが行われている。クラス分けは競技種目によって異なるが、陸上競技であれば視覚障がい、肢体不自由、知的障がいなどに大別され、肢体不自由でも原因が脳性麻痺であるか手足の切断であるかなどで区分され、さらに障がいの軽重により種目ごとに及ぼす影響で階級化される。

ロンドンパラリンピックにおいては、陸上競技トラック種目(T)の階級は、T11~T13は視覚障がい、T32~T38は脳原性麻痺、T42~T46は切断・機能障がい、T51~T54は脳原性麻痺以外の車いす使用者となっていた。さらに、T11及びT12の選手は伴走車(ガイドランナー)と競技を行うことができるなど細かいルールが定められている。一方、視覚障がい者のみによる競技である柔道は障がいによるクラス分けはなく、オリンピックと同様に体重別クラス分けのみとなっている。

「福祉」から「スポーツ」へ[編集]

 障害者の社会復帰を進める目的で発生したため、福祉的側面から捉えられることが多かったが、近年は「競技性」が高まり、日本においても陸上競技[11]や車いすテニス[12]等でプロ選手が誕生しており、競技スポーツとしての側面がクローズアップされてきている。また競技性が高まるに従い、福祉ではなく「スポーツ文化」としての理解と支援を求める声が強まっている[13]

パラリンピック切手[編集]

西ドイツ発行のパラリンピック切手

パラリンピックの切手は、これまで多くの国々から発行され、障害者スポーツへの社会の理解と認識を深めとともにパラリンピックの周知が図られている。最初のパラリンピック切手は、1964年にアルゼンチンから発行された東京パラリンピック記念切手である[14]

日本から発行された最初のパラリンピック切手は、1998年2月に発行された長野パラリンピックの記念切手で、アイススレッジホッケーが描かれている[15]。ちなみに、2002年8月には世界車椅子バスケットボール選手権大会の記念切手が発行されている[16]。2012年のロンドンパラリンピックでは、イギリスは自国のパラリンピックチームが金メダル獲得すると、24時間以内に記念切手を発行するという企画を実施した[17]

パラリンピックの問題点[編集]

ソウル大会より、オリンピックと同一の開催地になってからパラリンピックへの注目が増し、障害者スポーツの認知が拡大したことにより、メダルをいくつも取るスター選手が現れ、一般紙やスポーツ新聞、(いわゆる福祉番組のみではなく)バラエティ番組などで報道される機会も増え、障害者スポーツの発展には貢献したが、同時に問題も発生し始めた。

問題が発生する主な原因は、オリンピックと同様に、パラリンピックもメダルを取れるかどうかで注目度が全く違うことにある。つまり、メダルを取ればその選手や所属する国の名誉となることは当然であり、そしてさらに選手にスポンサーが付きやすくなったり、報奨金が貰えたりするなど、選手の競技環境や生活環境が大きく向上する。競技スポーツとしての発展の経緯であると同時に、オリンピックが抱える諸問題を障害者スポーツも抱えることになる。

以下に代表的な問題点をいくつか挙げる。

ドーピング
ドーピング検査はオリンピックと同様厳格に実施されているが、選手が常用する医薬品に禁止物質が含まれている場合、禁止物質を含まない医薬品を処方してもらうか、治療目的使用に係る除外措置(TUE)[18]を申請する等の対応が必要となる。
機具
パラリンピックでは、車椅子義足などの機具を使う競技がある。最先端の機具はスポーツ医学人間工学機械工学材料工学などを駆使してオーダーメード製作がなされていて、軽く、扱いやすく、体にフィットするようになっている。このため、これらの機具は高額になってしまうが、このような機具を買えるのは経済的に豊かな選手のみであり、結果的に途上国よりも先進国の選手が有利になってしまいがちである。
クラス分け
パラリンピックでは、障害の度合いに応じて階級を分ける。障害のクラス分けがあるために、100メートル競走の金メダルは男女合わせて10個以上にもなる。このため、メダルの価値が1個のみと比べて低くなってしまうという見方がある。
そこでメダルを少なくするために、近い障害部位の間で階級を統廃合するという動きがある。しかし、階級を統廃合すると障害部位で有利不利が出来てしまう(例:水泳においては、両足麻痺者と両足切断者が競ったら、両足切断者は両足が無い分だけ水の抵抗が軽減されたり体重が軽くなって有利になってしまう)。「競技の公平」と「メダルの価値」、パラリンピックは難しい選択を突き付けられているとも言える。2006年トリノ大会では、メダルの数を減らすため、障害の度合いによってポイントが加算された選手が競い、総合得点で競うルールが採用された。
障害偽装
2000年シドニー大会男子バスケットボール知的障害クラス金メダルスペインチームに障害者を装った健常者がいた事が発覚し、2002年ソルトレイク大会から知的障害者クラス[19]を実施しないことになった。これは、IPC加盟団体である、INAS-FID国際知的障害者スポーツ連盟が障害の選手資格の基準を再度明らかにし、各国の国内パラリンピック委員会(NPC)とも調整を行わなければ、パラリンピックへの復帰は難しいという状況を明らかにした。これから先の大会で実施するかどうかは、その都度、各国NPCの競技運営のモラル次第という厳しい結果となった。しかし、2012年開催のロンドンパラリンピックは、知的障害者クラスは障害認定の厳格化等の条件を満たしたとIPCから承認を受けたいくつかの競技・種目が再び実施された。

出典・脚注[編集]

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  1. ^ 1996年開催のアトランタパラリンピックから参加が認められたが、2000年のシドニーパラリンピックにおいて健常者が知的障害者だと偽って出場したことが発覚したことを契機に、2012年のロンドンパラリンピック開催まで知的障害者選手がパラリンピックに参加することはできなくなっていた。
  2. ^ この大会で実現した「全ての身体障害者の大会」も定着せず、この後も国際大会は車椅子競技者のための国際ストーク・マンデビル競技大会のみが行われた。
  3. ^ http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/prdl/jsrd/norma/n197/n197_026.html
  4. ^ http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/resource/handicap/jsad/z16003/z1600303.html#13
  5. ^ IOCやオリンピックとは全く無関係な当大会にオリンピック類似の名称を使うことに対し難色を示していたため、それぞれの大会における「パラリンピック」という名称は、どれも愛称で正式名称ではなかった。
  6. ^ 北京パラリンピック・シンボルマーク”. 人民中国 2008年1月29日. 2012年9月25日閲覧。
  7. ^ パラリンピック競技大会(夏季大会)の開催状況”. 厚生労働省. 2012年9月27日閲覧。
  8. ^ 年表”. 公益財団法人日本障害者スポーツ協会. 2012年9月27日閲覧。
  9. ^ パラリンピック競技大会(夏季大会)の開催状況”. 厚生労働省. 2012年9月27日閲覧。
  10. ^ 年表”. 公益財団法人日本障害者スポーツ協会. 2012年9月27日閲覧。
  11. ^ http://www.challengers.tv/seijun/2012/05/1393.html
  12. ^ http://www.ninomiyasports.com/sc/modules/bulletin02/article.php?storyid=2679
  13. ^ なお、日本では日本オリンピック委員会(JOC)は文部科学省が所管し、日本パラリンピック委員会(JPC)は厚生労働省の所管とされている
  14. ^ Olympic Games”. colnect.com. 2012年9月25日閲覧。
  15. ^ 長野オリンピック冬季競技大会・長野パラリンピック冬季競技大会”. 日本郵便. 2012年9月25日閲覧。
  16. ^ 世界車椅子バスケットボール選手権大会記念80円郵便切手”. 日本郵便. 2012年9月25日閲覧。
  17. ^ ロンドン・パラリンピック関連切手発行情報”. livedoorニュース 2012年8月30日. 2012年9月25日閲覧。
  18. ^ 公益財団法人日本アンチドーピング機構TEU
  19. ^ 知的障害者の競技は、IPC加盟団体である、INAS-FID国際知的障害者スポーツ連盟によるワールドカップが競技ごとに開催されているほか、日本国内 の大会では、知的障害のクラスも一緒に大会が行われている。この他、INAS-FIDとは別に、知的発達障害の競技大会としてスペシャルオリンピックスが実施されている。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]