パラリンピック

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パラリンピックとは、国際パラリンピック委員会(International Paralympic Committee、略称IPC)が主催する身体障害者を対象とした世界最高峰のスポーツ競技大会。オリンピックと同じ年に同じ場所で開催される。2004年アテネ大会から夏季オリンピックと共同の開催組織委員会が運営する。

戦争で負傷した兵士たちのリハビリとして「手術よりスポーツを」の理念で始まった。

もともと、IOCとは全く関係がなく、オリンピックとは開催地が異なっていたが、ソウルオリンピック以後、オリンピック開催後に同じ場所でパラリンピックを開催することが義務付けられるようになった。

「パラリンピック」の名称は、半身の不随(paraplegic)+オリンピック(Olympic)の造語だが、半身不随者以外も参加するようになったため、1985年から、平行(Parallel)+オリンピック(Olympic)で、「もう一つのオリンピック」と解釈することになった。

オリンピックと違いパラリンピックには障害の度合いに応じた階級が存在する。たとえば、肢体などの障害の場合は「LW」や「LC」等の競技ごとの記号+度合いを数字で表す。障害種は「運動機能障害」「脳性麻痺」「切断など」「視覚障害」「聴覚障害」がある。

シンボルカラーは赤・青・緑。

目次

[編集] 歴史

20世紀初頭から、散発的な障害者のスポーツ大会は記録されているが、パラリンピックの起源とされているのは、1948年7月28日ロンドンオリンピック開会式と同日に、イギリスストーク・マンデビル病院で行われたストーク・マンデビル競技大会とされる。

ストーク・マンデビル病院は、第二次世界大戦脊髄を損傷した軍人のリハビリのための科が専門にあり、ドイツから亡命したユダヤ系医師ルードウィッヒ・グットマン(Sir Ludwig Guttmann)の提唱により、この日、車椅子の入院患者によるアーチェリー競技会が行われた。この競技会は当初、純然たる入院患者のみの競技大会であったが、毎年開催され続け、1952年には国際大会となり、第1回国際ストーク・マンデビル競技大会が開催された(参加国はイギリスとオランダの2カ国)。

1960年には、グッドマンを会長とした国際ストーク・マンデビル大会委員会が組織され、この年のオリンピックが開催されたローマで、国際ストーク・マンデビル競技大会が開催された。この大会は現在、第1回パラリンピックと呼ばれている。

第2回のパラリンピックは、1964年に、この年の夏季オリンピックが開催された東京で、国際ストーク・マンデビル競技大会との2部構成で行われた。1部が国際ストーク・マンデビル競技大会として、第2部は国際身体障害者スポーツ大会という名称で行われた。第1部は車椅子競技者の大会で、第2部はそれ以外の障害を持つ者の大会として行われたが、実際の第2部は名称に反して、日本の国内大会に近いものとなった。これらの大会は現在、両者を合わせてパラリンピック東京大会と呼ばれている。

オリンピック開催年で、オリンピック開催地で行うという伝統は、東京大会でいったん中絶した。この後の国際大会は車椅子競技者のための国際ストーク・マンデビル競技大会のみが行われていた。しかし、1976年モントリオールオリンピックの年、国際ストーク・マンデビル競技連盟と国際身体障害者スポーツ機構との共催でトロント大会が開催され、オリンピックと同一地での開催という伝統が復活した。また、この年から冬季大会が始まった。この年からはオリンピック開催年ごとにこのような国際大会が行われている。

この間、国際オリンピック委員会は、これらの大会にオリンピック類似の名称を使うことに難色を示していたため、それぞれの大会で呼ばれていた「パラリンピック」という名称は、どれも愛称で正式名称ではなかった。しかし、1985年、国際オリンピック委員会は、パラリンピックという呼称を用いることを正式に認めた。開催時に既に「パラリンピック」と呼ばれていた大会は、この次の1988年ソウル大会からであり、この大会はオリンピック組織委員会がパラリンピックに直接かかわる初めての大会ともなった。

1989年には国際パラリンピック委員会が設立され、これ以後、継続した大会運営が行われるようになった。国際パラリンピック委員会の本部は、ドイツボンにおかれている。

2000年シドニーオリンピック時にIOCIPCとの間で正式に協定が結ばれた。オリンピック開催都市でオリンピックに続いてパラリンピックを行う。IPCからのIOC委員を選出する。これらのことが両者間で約束された。

[編集] 文化」か?「福祉」か?

日本では、JOC文部科学省管轄のスポーツ機関であるが、JPC厚生労働省管轄である。故に、パラリンピックは、オリンピックと同様の「スポーツ」であるとするより、リハビリテーションの延長上にある「医療」「福祉」により振興を図る大会であると見られてきた経緯がある。しかし、回を重ねるごとに「競技性」が高まり、選手の間から「競技」としての取り組みが行われている。国際的にはすでに競技スポーツとしてのレベルアップがすすんでおり、日本も、これに挑む選手および関係者を中心とし「競技スポーツ」としての強化が図られている。国際的には、競技の最高峰の祭典として、オリンピックとの統合に向けた取り組みが国際パラリンピック委員会と開催地のオリンピック、パラリンピック委員会の間で進行している。国際社会、国内での現状をかんがみ、パラリンピックにおける競技スポーツの振興は、福祉だけでなく「スポーツ文化」全体の発展につながる「文化」としての理解と支援が求められている。

[編集] パラリンピックの問題点

ソウル大会より、オリンピックと同一の開催地になってからパラリンピックが注目されだした。パラリンピックが注目されることによって、障害者スポーツが広く認知されたり、メダルをいくつも取るスター選手が現れたりするなど障害者スポーツの発展には貢献したが、同時に問題も発生し始めた。

問題が発生する主な原因は、オリンピックと同様に、パラリンピックもメダルを取れるかどうかで注目度が全く違うことにある。つまり、メダルを取ればその選手や所属する国の名誉となることは当然であり、そしてさらに選手にスポンサーがつきやすくなったり、報奨金がもらえたりするなど選手の競技環境や生活環境が大きく向上する。競技スポーツとしての発展の経緯であると同時に、オリンピックが抱える諸問題を障害者スポーツも抱えることになる。

以下に代表的な問題点をいくつか挙げる。

  • ドーピング問題:オリンピックと同様、パラリンピックでも発生している。ドーピング検査も行われている。パラリンピック選手には障害に応じて薬を使用する必要のある選手が多くこれらの薬の中にドーピング検査に反応するものがあるため開催期間中は薬が使用できず障害の様子が変化して苦しむ選手もいる。
  • 機具に関する問題:パラリンピックでは、車椅子義足などの機具を使う競技がある。最先端の機具はスポーツ医学人間工学機械工学材料工学などを駆使してオーダーメード製作がなされていて、軽く、扱いやすく、体にフィットするようになっている。そして、このような機具は100万円以上の値段になってしまう。このような機具を買えるのは先進国の選手のみであり、貧しい国の選手は持てないので、必然的に先進国の選手が有利になってしまう。
  • クラス分けに関する問題:パラリンピックでは、障害の度合いに応じて階級を分ける。障害のクラス分けがあるために、100メートル走の金メダルは男女合わせて10個以上にもなる。このため、メダルの価値が1個のみと比べて低くなってしまうという見方がある。そこでメダルを少なくするために、近い障害部位の間で階級を統廃合するという動きがある。しかし、階級を統廃合すると障害部位で有利不利が出来てしまう(例:水泳においては、両足麻痺者と両足切断者が競ったら、両足切断者は両足が無い分だけ水の抵抗が軽減されたり体重が軽くなって有利になってしまう)。「競技の公平」と「メダルの価値」、パラリンピックは難しい選択を突きつけられているともいえる。2006年トリノ大会では、メダルの数を減らすため、障害の度合いによってポイントが加算された選手が競い、総合得点で競うルールが採用された。
  • 障害偽装問題:2000年シドニー大会男子バスケットボール知的障害クラス金メダルスペインチームに障害者を装った健常者がいた事が発覚し、2002年ソルトレーク大会から知的障害者クラス※1を実施しない事になった。これは、IPC加盟団体である、INAS-FID国際知的障害者スポーツ連盟が障害の選手資格の基準を再度明らかにし、各国のNPC(国内パラリンピック委員会)とも調整を行わなければ、パラリンピックへの復帰は難しいという状況を明らかにした。これから先の大会で実施するかどうかは、その都度、各国NPCの競技運営のモラル次第という厳しい結果となった。

また、貧しい国にとっては、選手がパラリンピックに参加することの意義が見出せない。貧しい国は、1人の選手を強化して派遣するお金があるなら、そのお金で1つの病院を建てた方がいいという考えが主流である(この考えには、当該国の障害者に対する人権意識の低さも影響している)。積極的な先進国途上国への経済援助が望まれる。

※1 知的障害者の競技は、IPC加盟団体である、INAS-FID国際知的障害者スポーツ連盟によるワールドカップが競技ごとに開催されているほか、日本国内の大会では、知的障害のクラスも一緒に大会が行われている。このほか、INAS-FIDとは別に、知的発達障害の競技大会としてスペシャルオリンピックスが実施されている。

[編集] 実施競技

[編集] 夏季

[編集] 冬季

[編集] 過去の大会

[編集] 夏季

  • 第1回(1960年) ローマ(イタリア)
  • 第2回(1964年) 東京(日本)
  • 第3回(1968年) ラマットガン(イスラエル)
  • 第4回(1972年) ハイデンベルグ(西ドイツ)
  • 第5回(1976年) トロント(カナダ)
  • 第6回(1980年) アーヘン(オランダ)
  • 第7回(1984年) ニューヨーク(アメリカ)/ アイレスベリー(イギリス)
  • 第8回(1988年) ソウル(韓国)
  • 第9回(1992年) バルセロナ(スペイン)
  • 第10回(1996年) アトランタ(アメリカ)
  • 第11回(2000年) シドニー(オーストラリア)
  • 第12回(2004年9月17日-28日) アテネ(ギリシャ)、参加国45ヶ国
  • 第13回(2008年) 北京(中国)
  • 第14回(2012年) ロンドン(イギリス)

[編集] 冬季

  • 第1回(1976年) エーンシェルドスピーク(スウェーデン)
  • 第2回(1980年) ヤイロ(ノルウェー)
  • 第3回(1984年) インスブルック(オーストリア)
  • 第4回(1988年) インスブルック(オーストリア)
  • 第5回(1992年) アルベールヴィル(フランス)
  • 第6回(1994年) リレハンメル(ノルウェー)
  • 第7回(1998年) 長野(日本)
  • 第8回(2002年) ソルトレーク(アメリカ)
  • 第9回(2006年) トリノ(イタリア)
  • 第10回(2010年) バンクーバー(カナダ)

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク