三越

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株式会社三越
Mitsukoshi, Limited
種類 株式会社
市場情報
東証1部 2779 2003年9月1日~2008年3月26日
大証1部 2779 2003年9月1日~2007年12月21日
名証1部 2779 2003年9月1日~2008年3月26日
東証1部 8231(旧法人) 1953年8月24日~2003年8月26日
本社所在地 Flag of Japan.svg 日本
〒103-8001
東京都中央区日本橋室町一丁目4番1号
電話番号 03-3241-3311
設立 2003年(平成15年)9月1日(1673年(延宝元年)創業)
業種 小売業
事業内容 百貨店業ほか
代表者 代表取締役会長・中村胤夫
代表取締役社長兼営業企画本部長・石塚邦雄
資本金 374億404万円(2008年2月28日現在)
売上高 単体7,293億円
連結7,739億円
(2008年2月期)
総資産 単体5,042億円
連結5,707億円
(2008年2月期)
従業員数 単体6,713人
連結9,405人
(2007年8月31日現在)
決算期 毎年2月末
主要株主 三越伊勢丹ホールディングス 100%
主要子会社 株式会社二幸 100%
株式会社スタジオアルタ
株式会社三越友の会
関係する人物 三井高利(越後屋創業)
日比翁助(三越百貨店創業)
外部リンク http://www.mitsukoshi.co.jp
特記事項:現在の法人は、2003年9月1日に旧三越と系列会社による新設合併で設立
  

株式会社三越(みつこし)は、老舗百貨店(デパートメントストア)であり、日本初の百貨店である。大手3社の一つ。戦前の三井財閥(現在の三井グループ)の礎を築いた企業である。2008年4月以降は、株式会社三越伊勢丹ホールディングス完全子会社となっている。

目次

[編集] 概説

1673年延宝元年)に呉服店「越後屋」として創業。現在の商号「三越」は、1904年に「合名会社三井呉服店」から「株式会社三越呉服店」へ改称した際からのもの。創業時の「越後屋」と三井家の「三井」からとったもので、この年に「デパートメントストア宣言」を行い、日本での百貨店の歴史が始まる。1928年には「株式会社三越」となった。

江戸時代に「店前現銀売り(たなさきげんきんうり)」や「現銀掛値無し(げんきんかけねなし)」「小裂何程にても売ります(切り売り)」など、当時では画期的な商法を次々と打ち出しで名をはせた呉服店「越後屋」(ゑちごや)がもとである。現在では当たり前になっている正札販売を世界で初めて実現し、当時富裕層だけのものだった呉服を、ひろく一般市民のものにした。

日本橋にある本店の現在の店舗は1935年の完成で、東京都選定歴史的建造物に指定されている。

現在の法人は、2003年(平成15年)9月1日に、当時の株式会社三越とグループ子会社4社(株式会社名古屋三越・株式会社千葉三越・株式会社鹿児島三越・株式会社福岡三越)の百貨店5社が、新設合併したことで設立された新「株式会社三越」である(同日以前の、会社としての旧株式会社三越は、この新設合併により消滅)。

売上高営業利益率は、グループ連結で1.09%、百貨店事業単独で0.799%と百貨店業界の中でも不振が続く。このため、2008年9月に百貨店4店舗・小売店2店舗の閉鎖を発表し、店舗の整理を始めた。

現在の同社のキャッチフレーズは、「飾る日も 飾らない日も 三越と」である。

[編集] 沿革

ゑちご屋チラシ
ゑちご屋チラシ
越後屋 復元看板(三井越後屋ステーションにて撮影)
越後屋 復元看板(三井越後屋ステーションにて撮影)
名所江戸百景 駿河町(歌川広重)越後屋の暖簾を見ることができる。
名所江戸百景 駿河町(歌川広重
越後屋の暖簾を見ることができる。
三越絵葉書明治大正時代
三越絵葉書明治大正時代
日本橋三越本店新館
日本橋三越本店新館
  • 1673年 伊勢商人の代表格三井家伊勢国・松坂)の三井高利江戸本町一丁目(現在の日本銀行所在地辺り)の間口9尺(2.7m)の小さな借り店舗に、呉服店「越後屋」を開業。
  • 1683年 大火にあい、本町から駿河町に移転し、両替店(現在の三井住友銀行)を併置。
  • 1691年 大阪・高麗橋一丁目に越後屋大阪店と両替店を開設(現在の三井ガーデンホテル大阪高麗橋)。
  • 1837年 大塩平八郎の乱で大阪店が襲撃され全焼。
  • 1872年 三井大元方(三井家全事業の統括機関)から分離して、新たに名目上の一家「三越家」名義で経営。
  • 1875年 大阪店が規模を縮小し高麗橋三丁目に移転。
  • 1888年 駿河町に三越洋服店開店。
  • 1893年 越後屋を「合名会社三井呉服店」に改組。
  • 1894年 大阪店が高麗橋二丁目堺筋角に復帰。
  • 1895年 高橋義雄が理事に就任。経営の大改革に着手。
  • 1900年 座売りを全廃。全館を陳列場にして開場。開店から客が流れ込み午前10時には表戸を閉切りにする程の盛況。
  • 1904年 「株式会社三越呉服店」を設立。初代専務に日比翁助が就任。顧客や取引先に三井・三越の連名で、三越呉服店が三井呉服店の営業をすべて引き継いだ案内と、今後の方針として「今後一層其の種類を増加し(中略)米国に行わるるデパートメントストーアの一部を実現致すべく」と「デパートメントストア宣言」を行い、日本初の百貨店となる。
  • 1905年 年頭に新聞一面広告や雑誌などに掲載し広く「デパートメントストア宣言」を行う。「光琳遺品展覧会」を開催。
  • 1907年 日本橋本店内に食堂開設。鞄・履物・洋傘などの取扱品目が増加した。旧越後屋跡地に大阪店開店。「新美術部」を開設(大阪店9/15、日本橋店12/1)。
  • 1911年 大阪店に木造30mの飾り窓付き2階建新館落成。
  • 1913年 帝国劇場のパンフレットに広告。「今日は帝劇、明日は三越」(浜田四郎作)のコピーが生まれ、流行する。
  • 1914年 日本橋本店「ルネッサンス式新館」落成。鉄筋地上5階・地下1階建てで「スエズ運河以東最大の建築」と称され、建築史上に残る傑作といわれた。商品は呉服を中心に百貨全般にわたって取りそろえ、日本初のエスカレーター[1]が話題となったほか、エレベーター[2]スプリンクラー、全館暖房などの最新設備が備えられ近代百貨店としての形態を完成した。屋上庭園、茶室、音楽堂、正面玄関に「ライオン像」などが設置された。「第一回再興院展」を開催。
  • 1917年 大阪店新館が開店し地下1階地上7階の大阪最大のルネッサンス式建物となる。
  • 1920年 大阪店が東館完成により全館開店。
  • 1921年 大阪店、西日本の百貨店では初の下足預かり廃止。
  • 1923年 8月5日に日本橋店にて日本最初のデパートのバーゲンセールが開催された。関東大震災により日本橋本店と丸ノ内別館を焼失。
  • 1925年 大阪店屋上にて大阪放送局(JOBK、現NHK大阪放送局)が仮放送開始。
  • 1926年 神戸店開店(元町デパートを買収)。
  • 1927年 日本橋本店に三越ホール(現三越劇場)を開設。同年、日本初のファッションショー開催。
  • 1928年 「株式会社三越呉服店」の商号を「株式会社三越」へ改める。神戸店開店。
  • 1929年 新宿店開店。
  • 1930年 銀座店開店。金沢店開店。本店食堂に「お子様洋食」登場。現在の「お子様ランチ」の始まり。三越京城支店(現・ソウル新世界百貨店)開店。
  • 1931年 高松店開店。
  • 1932年 三越が建設資金を負担し東京地下鉄道(現・東京メトロ銀座線)の「三越前駅」が開業。日本橋本店地下売場と連絡。札幌店開店。
  • 1933年 仙台店開店。
  • 1935年 日本橋本館の増築改修工事が完了し、中央ホールが完成。地上7階地下2階建て。完成した中央ホールにパイプオルガンが設置される。
  • 1937年 大阪店改修工事が完成し新式冷房装置を新設。
  • 1946年 戦後初の出店となる松山店開店。
  • 1947年 財団法人三越診療所(現・三越厚生事業団)設立。
  • 1950年 日本橋本店で、戦後初のファッションショー開催。同年、《マッカーサー元帥胸像》の除幕式を行う。
  • 1951年
    • 猪熊弦一郎のデザインによる包装紙「華ひらく」を全店で使用開始。mitsukoshiの文字は当時宣伝部の社員であったやなせたかしの作。
    • 12月、労働組合が解雇の撤回などの要求を掲げ、東京の3店舗で二度にわたるストライキを決行。「三越にはストもございます」と話題になる。ストを含めた争議の結果、会社は解雇を撤回し、組合側は要求を勝ち取った[3]
  • 1954年 「第一回無形文化財日本伝統工芸展」を開催。
  • 1956年 日本橋本店で、パリー展開催。
  • 1957年 池袋店開店。
  • 1958年 日本橋本店の第2期増改築工事が完成、全国一の規模となる。
  • 1960年 三越創立50周年を記念して、4月19日、日本橋本店中央ホールに、佐藤玄々製作の「天女像(まごころ)」が設置された。当日は、各界名士、報道関係者など500人を招いて除幕式が行われた。
  • 1967年 高松店が戦災による改築のため一時閉店。
  • 1968年 銀座店新築開店。枚方店開店。高松店が営業再開。
  • 1970年 沖縄県の「大越百貨店」を傘下に収め、会社名を沖縄三越に変更(三越傘下の百貨店で別会社として存続しているのは沖縄三越のみ)。
  • 1971年 海外第一号店、パリ三越開店。銀座店内にマクドナルドの日本1号店が開店。札幌店新築オープン。千葉の奈良屋デパートを傘下に収め「ニューナラヤ」を開店。鹿児島の「丸屋」(1892年開業)を傘下に収める。
  • 1973年 広島店・横浜店開店。
  • 1974年 大阪店新館増築完成。
  • 1975年 名古屋の「オリエンタル中村百貨店」(1954年開業)を傘下に収める。ローマ三越開店。
  • 1976年 大阪店全館改装オープン。
  • 1978年 新潟の「小林百貨店」(1907年開業)を傘下に。
  • 1979年 ロンドン三越開店。デュッセルドルフ三越開店。ニューヨーク三越開店。ハワイ三越開店。
  • 1980年 倉敷店開店。傘下の「オリエンタル中村百貨店」を「名古屋三越百貨店」へ改称(後に「名古屋三越」に改称) 、「小林百貨店」を「新潟三越百貨店」へ改称(後に「名古屋三越」と合併)。
  • 1981年 香港三越開店。フランクフルト三越開店。サンシャインシティ三越開店。
  • 1982年 三越事件発生。取締役会で岡田社長(当時)の代表取締役および社長解任を決定。フロリダ・ディズニーワールド三越開店。
  • 1983年 テレビショッピング新番組「レディス4」開始。
  • 1984年 傘下の「ニューナラヤ」を「千葉三越」に、鹿児島の「丸屋」を「鹿児島三越」へ改称。 神戸店閉店。代替の小型売店である神戸元町店が開店(2004年1月閉店)。香港三越九龍店開店。
  • 1986年 英国のチャールズ皇太子・ダイアナ妃(当時)が日本橋本店に来店。
  • 1988年 三越洋服100年記念舞踏会開催。
  • 1989年 東京メトロ半蔵門線「三越前」駅が開業。
  • 1991年 台湾の新光集団と新光三越百貨株式有限会社を設立。第一号店が台北に開店。
  • 1992年 パリ三越エトワール美術館を開館。
  • 1994年 恵比寿店が恵比寿ガーデンプレイスの核商業施設として開店。
  • 1995年 大阪店が阪神・淡路大震災により被災。被災した旧館部分を取り壊す。
  • 1996年 「三越カード」誕生。インターネット上に三越のホームページを開設。阪神大震災で被災した旧館跡地に新館をオープン。
  • 1997年 福岡三越開店。
  • 1998年 「顧客第一主義」の実現をめざし、営業本部制を導入。
  • 1999年 新宿店南館が閉店。1991年の開業当時は最上階に美術館を備えて話題を集め、南館閉館セールは本館と合同に開催し大盛況に終わった。閉店後は大塚家具へと賃貸。金沢店閉店。
  • 2000年 読売ジャイアンツ優勝記念セールを初めて全店で開催。大塚家具との共同出店で多摩センター店開店(そごう閉店跡地)。
  • 2001年 大塚家具との共同出店で吉祥寺店開店(近鉄百貨店跡地)。
  • 2002年 札幌アルタと恵比寿店「グラススクエア」が開店。
  • 2003年 (初代)株式会社三越と、その子会社である・株式会社名古屋三越・株式会社千葉三越・株式会社鹿児島三越・株式会社福岡三越の百貨店5社による合併(新設合併)により(2代目)株式会社三越が誕生。小型店舗の花見川・習志野台・上大岡・神戸元町・明石を閉鎖。
  • 2004年 デパートメントストア宣言から100年。日本橋本店に新・新館が完成。小型売店の丸の内・高松YOU三越・成田空港第一ビル売店・お台場・長野を閉鎖。
  • 2005年 名古屋栄店の隣接地に専門館「ラシック」開店。新宿店を業態転換し、雑貨専門館「新宿三越アルコット」として全館リニューアルオープン。大阪店、横浜店、倉敷店、枚方店が閉店。小型売店の函館・羽田空港・洗足・三田・小豆島・枕崎を閉鎖。5月、「メセナアワード2005」メセナ大賞を受賞。
  • 2006年 吉祥寺店が閉店。初の郊外型店舗、武蔵村山店がダイヤモンドシティ・ミュー(現・イオンモールむさし村山ミュー)内に開店。日本郵政公社と各種物流における業務提携等及び新商品の共同開発を締結。
  • 2007年 名取店が、ダイヤモンドシティ・エアリ(現・イオンモール名取エアリ)の核店舗として開店。鹿児島店ナムコとの共同プロデュースで百貨店初のフードテーマパーク「三越スイーツ庭園 in Kagoshima」を7階にオープン。2011年の大阪駅ビル内の出店に向けて、新梅田シティに「新店準備室大阪事務所」と「大阪ギフトサロン」が開店。小型売店の長野・秦野・栃木・昭島・飯能・狭山を閉鎖し、新たに羽生・春日部を開店。株式会社伊勢丹と共同持株会社による経営統合を発表。
  • 2008年 伊勢丹との共同持株会社三越伊勢丹ホールディングス」を設立。同社の完全子会社となる。2011年の大阪駅ビルへの出店計画について、当初の直営店形態から、JR西日本と三越伊勢丹ホールディングスとの合弁による「JR大阪三越伊勢丹(発表時点では仮称)」として出店する予定と発表。永年、三越全店で使用されてきた猪熊弦一郎画伯デザインの紙袋が、一部のサイズで使用終了。
  • 2009年 3月1日に武蔵村山店・名取店と小型売店の鎌倉・盛岡を閉鎖。5月6日に池袋店・鹿児島店を閉鎖。前年に発表した、2011年のJR大阪駅ビルの百貨店の運営を「株式会社ジェイアール西日本伊勢丹」が担当し、店名を「JR大阪三越伊勢丹」に正式決定したと発表。猪熊弦一郎画伯デザインの紙袋が全店で使用終了し、新デザインへ移行完了。
  • 2010年1月-3月 アウトレットのニューヨークランウェイ神戸三田プレミアム・アウトレット店及び、小型売店の苫小牧(閉鎖後は外商出張所に転換予定)、秋田、君津、銚子、四街道、成田空港第二ビル、小田原、柏崎、伊予三島、宇和島、外商出張所の長岡、大洲を順次閉鎖予定。
  • 2010年4月1日 直営店の大半を分社化(予定・法人設立は2009年10月1日)。ただし、名古屋三越・福岡三越は法人格としては2代目となる(初代法人が2003年に本体と統合されているため)。

[編集] エピソード

ライオン像(写真は日本橋本店正面入口のもの)

[編集] ライオン像

1914年に本店玄関に設置されたライオン像は、戦火を逃れ現在も日本橋本店正面玄関に設置されている。ロンドントラファルガー広場にあるネルソン提督像を囲むライオン像がモデルとされ、英国の彫刻家メリフィールドが型どり、バルトンが鋳造したもので青銅製。完成まで3年の歳月を要し、イギリスの彫刻界でも相当な話題となる。なお、全国各地の三越主要店舗にも日本橋本店のものを模したライオン像が設置されている。受験生が誰も見ていないときにライオン像に触ると志望校に合格するという噂があった。

[編集] 包装紙

戦前、百貨店の包装紙は地味なハトロン紙が主流。三越でも新築予定の新館や干支のデザインなど、その時々の話題を取り入れた包装紙であった。定番の包装紙と言うのは無く、戦後間もない1950年に「クリスマス用に百貨店のシンボルとなるようなオリジナルの包装紙を作ろう」という話が持ち上がり、「戦後の暗い世相に光を」との考えのもと、日本で初めての試みとなった。包装紙のデザインを手がけたのは、猪熊弦一郎画伯。「華ひらく」と名づけられたデザインは、画伯が千葉の犬吠埼を散策中、海岸で波に洗われる石を見て、「波にも負けずに頑固で強く」をテーマにしようと考えたことから生まれる。包装紙のデザインを画伯に依頼し、出来上がった作品を受け取りにいったのは、当時三越宣伝部の社員だった漫画家やなせたかし。抽象的なデザインの赤い切り抜きが白い紙にテープで仮止めされただけのデザイン画には、驚いたものの、商品を包んでみるとそれこそ花が開いたようにぱっと明るくなるのを見て「さすが猪熊画伯」と感心したと語った。その後、やなせの手で「mitsukoshi」のロゴが書き入れられ、現在に至るまで半世紀以上もの間、三越のシンボルとして使用されている。他の百貨店がそれぞれオリジナルデザインの包装紙を使い始めたのも、三越がこの包装紙を使い始めてからのことで、斬新でありながらシンプルで、包むものを引き立てるデザインは、今や三越の代名詞的存在。当時としては破格の報酬でも話題となった。

[編集] パイプオルガン

現在、日本橋三越本店の中央ホール2階バルコニーにあるパイプオルガンは、1930年 昭和5年に世界的に定評のある米国マイテー・ウェルリッツァー社製の最新式を輸入し7階ギャラリーに設置されていたものである。電力によって奏する大仕掛けなものでメインとソロの2種からなり、全体の間口は8.2m。 日本で唯一現存する演奏可能な昭和初期製造のシアターオルガンでもあり、貴重な歴史資料として2009年には中央区民有形文化財に指定された。

このパイプオルガンは、教会に設置されているものとは異なり、主に無声映画や演劇の伴奏などに使用されたシアターオルガンという種類に属するもので、ポピュラーでもクラシックでも幅広いジャンルの音楽を弾くことができるのを特徴としている。 1930年当時の金額で350,000ドル、今の貨幣価値に換算すると約2億円。まだ本格的なパイプオルガンが日本に数台しかない時代だったため大変な評判となり、NHKでは演奏を聞かせるレギュラー番組が組まれ、NHKと三越の間には専用回線まで引かれたという。1935年昭和10年の本館全館完成時に、現在の中央ホール2階バルコニーに移設された。パイプボックスには、パイプ以外の音源も装備されており、チューブラ、ベルや鈴、ウッドブロック、大太鼓や小太鼓、さらには鳥の声なども出る。オルガンやパイプには、元々美しい金属装飾が施されていたが、太平洋戦争中に供出されてしまった。

現在でも毎日午前10時・正午・午後3時の3回、オルガン奏者による生演奏が行われ、その荘重な調べは日本橋三越本店独自の雰囲気をつくるうえで欠くことのできない重要な役割を果たしている。

[編集] お江戸日本橋

日本橋三越本店のパイプオルガンで、開店時に「お江戸日本橋」が演奏されており、三越のテーマ曲のような存在となっている。かつては同曲のオーケストラによるアレンジ版が、テレビCMなどで流れていたこともある。このオーケストラ版は1951年12月31日、ラジオ東京(現・TBSラジオ)で開始された番組『三越文学サロン』の宣伝用に制作されたもので、地方では1954年7月13日より、聴取エリア内に仙台店がある東北放送ラジオの『朝の百貨店案内』の中で流され、それ以来1989年12月末までの約35年間、同番組内で流れ続けた。三越広報資料室によると、これは同曲のテレビ・ラジオにおける使用期間としては最長記録である[4]

[編集] 越後屋と悪代官

時代劇において、商人が悪代官に賄賂を渡すシーンで「越後屋、お主も悪よのう」 「いえいえ、お代官様ほどでは」と言う台詞は、代名詞として広くに知られており、この越後屋とはまさに三越のことである。ただし、越後屋が江戸時代に悪徳商人であったというわけではなく、単に知名度の高い屋号として当時から芝居などで使われていたものが、特定のTVドラマの影響で「悪徳商人=越後屋」というイメージが生まれてしまったと考えられている。現実にTVドラマを含む時代劇では悪徳商人としてさまざまな屋号が使用されており、越後屋だけが特別多く使われていたという事実はない。

また三越とは関係が無いが、銀座越後屋の主人がTVの取材を受けた際には「悪い越後屋は退治されて、今いる越後屋は良い越後屋です」と絶妙な答えをしている。

[編集] 三越事件

詳細は「三越事件」を参照

[編集] その他

  • 1999年暮れのお歳暮シーズンからコンビニエンスストアファミリーマート」と提携して、お中元とお歳暮のギフト商品のカタログ販売をファミリーマート各店舗で受け付けている。
  • 新宿店は専門店形式に業態転換し、看板が変わったために「新宿三越は無くなった」と勘違いする人もいるが、正式な店名は「新宿三越アルコット」である。専門店形式ではあるものの日本百貨店協会の会員条件は充たしているため会員店舗。
  • 恵比寿店は日本橋本店に属しているために日本百貨店協会の会員店舗ではないが、需要があるためか「百貨店WORLD」では他の会員店舗とともに情報が提供されている。ただし池袋店内、銀座店内のものとともに、郵便貯金ATMは廃止されている。
  • 多摩センター店はそごうの閉鎖店舗跡地である。提携している大塚家具との共同出店で、地下1階から地上2階までのフロアーで営業をしている。
  • 武蔵村山三越は、三越では初となる郊外型SC(イオンモールむさし村山ミュー)への核店舗開発であった。郊外型SCへ中長期に亘り継続して出店可能な新しいビジネスモデルの百貨店を検討していた三越にとって、連携により両社ともに店舗の早期決定や誘致時間の短縮になるなどコスト面でも利点が多かったが、2008年の百貨店業界全体の売上不振のあおりを受け、同様にオープンした名取店(イオンモール名取エアリ内)とともに2009年3月に閉鎖することになった。ただ、この2店舗はイオンと長期契約を結んでいて、撤退となると三越はイオンに対して莫大な違約金を支払うことになるとイオンの岡田元也社長は2008年10月2日の会見で語っていたが、イオンは後に方針を改め、当初契約期間中の賃貸料と原状回復費用の支払いで折り合いがついた。
  • 福岡店は、出店先の駅の主である西日本鉄道との合弁によって開業。三越としては初のターミナルデパートである。旧大規模小売店舗法に基づく店舗設置者はにしてつ
  • 最近はエレベーターガールを常時配置している百貨店は減ってしまったが、日本橋本店本館では現在も常時配置している。なお、台湾の「新光三越」では、現在でも全店でエレベーターガールがいる。
  • 2008年に高級観光バス「三越プレミアムクルーザー」を導入し(実際の車両管理・運行は東京ヤサカ観光バスが担当。ナンバープレートは希望ナンバーで「三越」である32-54)、自社主催の旅行などで使用する。この車両は2007年に開催された東京モーターショー日野自動車が展示した参考出品車、セレガプレミアムを営業に供しているものである。個別にテレビモニターも備えた革張りのリクライニングシートを備え、前後5列・横2席、乗客定員わずか10名、さらに後部にはトイレ・洗面所も備える、贅沢なつくりの車である。
  • 日本橋三越の屋上には、三井家の守り神である三囲神社が祀られている。

[編集] 店舗

日本橋三越本店本館
日本橋三越本店本館
銀座三越
銀座三越
札幌三越
札幌三越
仙台三越
仙台三越
名古屋栄三越
名古屋栄三越
広島三越
広島三越
松山三越
松山三越
福岡三越
福岡三越
三越パリ店
三越パリ店
Okinawa mitsukoshi.jpg
沖縄三越
旧「池袋三越」(現:ヤマダ電機LAB1日本総本店池袋)
旧「池袋三越」(現:ヤマダ電機LAB1日本総本店池袋)
旧「吉祥寺三越」(現:ヨドバシカメラマルチメディア吉祥寺)
旧「吉祥寺三越」(現:ヨドバシカメラマルチメディア吉祥寺
旧「大連三越」(現:秋林百貨)
旧「大連三越」(現:秋林百貨)

[編集] 直営店

2008年2月期・店別売上高[5]も付記。

[編集] 日本国内店舗

※印の店舗は、日本百貨店協会の会員店舗ではない。

[編集] 百貨店
[編集] 専門館
[編集] 小型売店

中小都市や空港などで営業。おもにアパレル、ギフトを扱う。外商機能も有する。

(単独の外商部、ブランドショップ、デパート・ホテル付属店舗をのぞく)
(☆印の小型売店は、外商出張所)
[編集] アウトレットストア

[編集] 日本国外店舗

[編集] 関連会社の店舗

[編集] 開店予定の関連会社の店舗

2011年にJR大阪駅ビル内に開店予定。運営はJR西日本グループとの合弁である、「ジェイアール西日本伊勢丹」(1997年、JR京都駅ビルに「ジェイアール京都伊勢丹」を開店)が担当。

[編集] 提携している会社

[編集] 過去に存在した三越の店舗

(出店予定だった店舗も含む)

[編集] 日本国内旧店舗

[編集] 日本国外旧店舗

[編集] POSシステム

[編集] テレビショッピングを放送している放送局

[編集] 関連項目

以下は、三越と業務面で提携している百貨店。

  • 近鉄百貨店 - かつては商品券の相互利用や、中元歳暮等の贈答品の共同配送を行うなどの関係があった。近年は、関西地区での読売ジャイアンツ優勝記念セールを担当する、と言う関係がある。
  • 井筒屋北九州市) - 三越と経営統合した伊勢丹とともに資本参加しており、三越・伊勢丹両社とも業務面でのつながりがある。
  • ちまきや山口市) - 上記の井筒屋傘下として、山口市内で百貨店を経営していた。2008年8月末に同店が閉店後、同年10月に「山口井筒屋」本店として再開店した(宇部市に支店(旧宇部井筒屋)がある)。

[編集] 補足

  1. ^ 常設として建物内に初めて設置される。同年3月の大正博覧会では屋外で有料展示物として初めて国内で紹介されている。
  2. ^ 白木屋がデパートとしては日本初。
  3. ^ 日本労働年鑑第25集「三越の争議」 法政大学大原社会問題研究所。なお、やなせたかしはこのストを機に三越を退社した。
  4. ^ 出典:「懐かしのせんだいCM大百科」付属ブックレット
  5. ^ 決算情報(三越伊勢丹ホールディングス)
  6. ^ 千葉県内店舗は旧千葉三越出張所で、ギフトハウス名義。
    • 習志野台(小型売店) - 2002年秋閉店(跡地にはスーパーマーケット新鮮館魚次が入居)。
    • 花見川(小型売店) - 閉店時期不明。
  7. ^ *昭島三越(小型売店) - 2007年1月21日閉店。*三越シルバーハウス(東京都世田谷区) - 1999年駒澤大学に売却。
  8. ^ 元々東急ストアが入っていたビルに「三越エレガンス」として出店。後に「三越サンプラザ」に改名。1996年に新ビル移転時に「三越ガーデンスクエア」となった。移転後も旧ビルは数年間残された後に駐車場部分を残して解体。現在は駐車場も解体され、跡地に複合施設建設中。
  9. ^ 同館にあった大塚家具が増床する計画だったが建物所有者の近鉄百貨店に拒絶され白紙撤回、全館閉館。

[編集] 外部リンク

ウィキメディア・コモンズ