三越
日本橋三越本店
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| 種類 | 株式会社 | ||||||||||||
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| 市場情報 |
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| 本社所在地 | 〒103-8001 東京都中央区日本橋室町一丁目4番1号 |
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| 設立 | 2003年(平成15年)9月1日 創業は1673年(延宝元年) |
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| 業種 | 小売業 | ||||||||||||
| 事業内容 | 百貨店業ほか | ||||||||||||
| 代表者 | 代表取締役会長・中村胤夫 代表取締役社長兼営業企画本部長・石塚邦雄 |
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| 資本金 | 374億404万円(2008年2月28日現在) | ||||||||||||
| 売上高 | 単体7,293億円 連結7,739億円 (2008年2月期) |
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| 総資産 | 単体5,042億円 連結5,707億円 (2008年2月期) |
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| 従業員数 | 単体6,713人 連結9,405人 (2007年8月31日現在) |
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| 決算期 | 毎年2月末 | ||||||||||||
| 主要株主 | 三越伊勢丹ホールディングス 100% | ||||||||||||
| 主要子会社 | 株式会社二幸 100% 株式会社スタジオアルタ 株式会社三越友の会 |
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| 関係する人物 | 三井高利(越後屋創業) 日比翁助(三越百貨店創業) |
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| 外部リンク | http://www.mitsukoshi.co.jp | ||||||||||||
| 特記事項:現在の法人は、2003年9月1日に旧三越と系列会社による新設合併で設立 | |||||||||||||
三越(みつこし、英称:Mitsukoshi)は、株式会社三越伊勢丹ホールディングス傘下の株式会社三越伊勢丹が運営する日本の百貨店。 日本で初めて「デパートメントストア」を宣言[1]したことで有名で、その為日本初の百貨店(デパートメントストア)と見る向きもあるが、実際の店舗の百貨店化では必ずしも三越が最初ではなく、この点については議論が分かれている[2]。
三井財閥(現三井グループ)のルーツとなった「越後屋」の呉服店事業を引継いだ為、「三井財閥(現三井グループ)の礎を築いた企業である」とされることも多いが、企業としての三越としてみるならば、三井の事業から呉服店部門のみを「合名会社三井呉服店」として分離したのが始まりである。
目次 |
[編集] 概説
江戸時代の1673年(延宝元年)に「店前現銀売り(たなさきげんきんうり)」や「現銀掛値無し(げんきんかけねなし)」「小裂何程にても売ります(切り売り)」など、当時では画期的な商法を次々と打ち出して名をはせた、呉服店の「越後屋」(ゑちごや)として創業。現在では当たり前になっている正札販売を世界で初めて実現し、当時富裕層だけのものだった呉服を、ひろく一般市民のものにした。
現在の商号「三越」は、三井家の「三井」と創業時の「越後屋」からとったもので、1904年に「合名会社三井呉服店」から「株式会社三越呉服店」へ改称した際からのものである。この改称の案内の際に「デパートメントストア宣言」を行い、そのことを以て日本での百貨店の歴史が始まりすることが多い[3]。(実際の百貨店化の動きなどの日本の百貨店の始まりについての詳細は日本の百貨店の歴史参照)
1928年には「株式会社三越」となった。1935年に竣工した日本橋本店は、東京都選定歴史的建造物に選定されている。
2003年(平成15年)9月1日に、当時の「株式会社三越」とその子会社である「株式会社名古屋三越」「株式会社千葉三越」「株式会社鹿児島三越」「株式会社福岡三越」の百貨店5社が新設合併し、新「株式会社三越」が設立された。
売上高営業利益率は、グループ連結で1.09%、百貨店事業単独で0.799%と百貨店業界の中でも不振が続く。このため、2008年9月に百貨店4店舗・小売店2店舗の閉鎖を発表し、店舗の整理を始めた。また、経営統合後の再編方針により、2010年4月1日付で関東以外の店舗を分離した。
残った店舗については、2011年4月1日に伊勢丹と合併して発足した(存続会社は三越)「株式会社三越伊勢丹」の運営となった。また、同日には、札幌丸井今井と札幌三越の両社も統合し(存続会社は札幌丸井今井)、「株式会社札幌丸井三越」が発足している。
現在の同店のキャッチフレーズは、「飾る日も 飾らない日も 三越と」である。
[編集] 沿革
[編集] 越後屋・三井呉服店時代
- 1673年 伊勢商人の代表格三井家(伊勢国・松阪)の三井高利が江戸本町一丁目(現在の日本銀行所在地辺り)の間口9尺(2.7m)の小さな借り店舗に、呉服店「越後屋」を開業。
- 1683年 大火にあい、本町から駿河町に移転し、両替店(現在の三井住友銀行)を併置。
- 1691年 大阪・高麗橋一丁目に越後屋大阪店と両替店を開設(現在の三井ガーデンホテル大阪高麗橋)。
- 1837年 大塩平八郎の乱で大阪店が襲撃され全焼。
- 1872年 三井大元方(三井家全事業の統括機関)から分離して、新たに名目上の一家「三越家」名義で経営。
- 1875年 大阪店が規模を縮小し高麗橋三丁目に移転。
- 1888年 駿河町に三越洋服店開店。
- 1893年 越後屋を「合名会社三井呉服店」に改組。
- 1894年 大阪店が高麗橋二丁目堺筋角に復帰。
- 1895年 高橋義雄が理事に就任。経営の大改革に着手。
- 1900年 座売りを全廃。全館を陳列場にして開場。開店から客が流れ込み午前10時には表戸を閉切りにする程の盛況。女子社員の採用開始。
[編集] 株式会社三越呉服店時代
- 1904年 「株式会社三越呉服店」を設立。初代専務に日比翁助が就任。顧客や取引先に三井・三越の連名で、三越呉服店が三井呉服店の営業をすべて引き継いだ案内と、今後の方針として「今後一層其の種類を増加し(中略)米国に行わるるデパートメントストーアの一部を実現致すべく」と「デパートメントストア宣言」を行い、日本初の百貨店となる。
- 1905年 年頭に新聞一面広告や雑誌などに掲載し広く「デパートメントストア宣言」を行う。日本初の自動車(配達用)を導入。店頭には大イルミネーションが設置され、化粧品・帽子の販売を開始。「光琳遺品展覧会」を開催。
- 1907年 日本橋本店内に食堂と写真室を開設。鞄・履物・洋傘などの取扱品目が増加する。旧越後屋跡地に大阪店開店。「新美術部」を開設(大阪店9/15、日本橋店12/1)。
- 1909年 少年音楽隊、メッセンジャーボーイが編成される。
- 1911年 ポスターの図案を公募し1等賞金は1000円。写真室にカラー写真導入。電話による販売開始。大阪店では木造30mの飾り窓付き2階建新館が落成。
- 1913年 帝国劇場のパンフレットに広告。「今日は帝劇、明日は三越」(浜田四郎作)のコピーが生まれ、流行する。
- 1914年 日本橋本店「ルネッサンス式新館」落成。鉄筋地上5階・地下1階建てで「スエズ運河以東最大の建築」と称され、建築史上に残る傑作といわれた。商品は呉服を中心に百貨全般にわたって取りそろえ、日本初のエスカレーター[4]が話題となったほか、エレベーター[5]、スプリンクラー、全館暖房などの最新設備が備えられ近代百貨店としての形態を完成した。屋上庭園、茶室、音楽堂、正面玄関に「ライオン像」などが設置された。「第一回再興院展」を開催。
- 1916年 金字塔に天気予報信号旗を掲揚。テレスコープ設置。
- 1917年 大阪店新館が開店し地下1階地上7階の大阪最大のルネッサンス式建物となる。日本橋本店の中央ホールに巨大扇風機が設置される。
- 1920年 大阪店が東館完成により全館開店。
- 1921年 大阪店、西日本の百貨店では初の下足預かり廃止。
- 1923年 8月5日に日本橋店にて日本最初のデパートのバーゲンセールが開催された。関東大震災により日本橋本店と丸ノ内別館を焼失。
- 1925年 大阪店屋上にて大阪放送局(JOBK、現NHK大阪放送局)が仮放送開始。
- 1926年 神戸店開店(元町デパートを買収)。
- 1927年 日本橋本店に三越ホール(現三越劇場)を開設。同年、日本初のファッションショー開催。美容室設置。
[編集] (初代)株式会社三越時代
- 1928年 「株式会社三越呉服店」の商号を「株式会社三越」に改める。神戸店開店。
- 1929年 新宿店開店。
- 1930年 銀座店開店。金沢店開店。本店食堂に「お子様洋食」登場。現在の「お子様ランチ」の始まり。三越京城支店(現・ソウル・新世界百貨店)開店。
- 1931年 高松店開店。
- 1932年 三越が建設資金を負担し東京地下鉄道(現・東京メトロ銀座線)の「三越前駅」が開業。日本橋本店地下売場と連絡。札幌店開店。
- 1933年 仙台店開店。
- 1935年 日本橋本館の増築改修工事が完了し、中央ホールが完成。地上7階地下2階建て。完成した中央ホールにパイプオルガンが設置される。
- 1937年 大阪店改修工事が完成し新式冷房装置を新設。
- 1944年 本店に結婚式場開設。
- 1946年 戦後初の出店となる松山店開店。
- 1947年 財団法人三越診療所(現・三越厚生事業団)設立。
- 1950年 日本橋本店で、戦後初のファッションショー開催。同年、《マッカーサー元帥胸像》の除幕式を行う。
- 1951年
- 1954年 「第一回無形文化財日本伝統工芸展」を開催。
- 1956年 日本橋本店で、パリー展開催。
- 1957年 池袋店開店。
- 1958年 日本橋本店の第2期増改築工事が完成、全国一の規模となる。
- 1960年 三越創立50周年を記念して、4月19日、日本橋本店中央ホールに、佐藤玄々製作の「天女像(まごころ)」が設置された。当日は、各界名士、報道関係者など500人を招いて除幕式が行われた。
- 1967年 高松店が戦災による改築のため一時閉店。
- 1968年 銀座店新築開店。枚方店開店。高松店が営業再開。
- 1970年 沖縄県の「大越百貨店」を傘下に収め、会社名を沖縄三越に変更(三越傘下の百貨店で別会社として存続しているのは沖縄三越のみ)。
- 1971年 日本の小売業として初めて売上高が1000億円を突破する快挙を成し遂げる。海外第一号店、パリ三越開店。銀座店内にマクドナルドの日本1号店が開店。札幌店新築オープン。千葉の奈良屋デパートを傘下に収め「ニューナラヤ」を開店。鹿児島の「丸屋」(1892年開業)を傘下に収める。
- 1973年 広島店・横浜店開店。
- 1974年 大阪店新館増築完成。
- 1975年 名古屋の「オリエンタル中村百貨店」(1954年開業)を傘下に収める。ローマ三越開店。
- 1976年 大阪店全館改装オープン。
- 1978年 新潟の「小林百貨店」(1907年開業)を傘下に。
- 1979年 ロンドン三越開店。デュッセルドルフ三越開店。ニューヨーク三越開店。ハワイ三越開店。
- 1980年 倉敷店開店。傘下の「オリエンタル中村百貨店」を「名古屋三越百貨店」へ改称(後に「名古屋三越」に改称) 、「小林百貨店」を「新潟三越百貨店」へ改称(後に「名古屋三越」と合併)。
- 1981年 香港三越開店。フランクフルト三越開店。サンシャインシティ三越開店。
- 1982年 三越事件発生。取締役会で岡田社長(当時)の代表取締役および社長解任を決定。フロリダ・ディズニーワールド三越開店。
- 1983年 テレビショッピング新番組「レディス4」開始。
- 1984年 傘下の「ニューナラヤ」を「千葉三越」に、鹿児島の「丸屋」を「鹿児島三越」へ改称。 神戸店閉店。代替の小型売店である神戸元町店が開店(2004年1月閉店)。香港三越九龍店開店。
- 1986年 英国のチャールズ皇太子・ダイアナ妃(当時)が日本橋本店に来店。
- 1988年 三越洋服100年記念舞踏会開催。
- 1989年 東京メトロ半蔵門線「三越前」駅が開業。
- 1991年 台湾の新光集団と新光三越百貨株式有限会社を設立。第一号店が台北に開店。
- 1992年 パリ三越エトワール美術館を開館。
- 1994年 恵比寿店が恵比寿ガーデンプレイスの核商業施設として開店。
- 1995年 大阪店が阪神・淡路大震災により被災。被災した旧館部分を取り壊す。
- 1996年 三井住友カードとの提携により「三越カード」(旧・三越カード)誕生。インターネット上に三越のホームページを開設。阪神大震災で被災した旧館跡地に新館をオープン。
- 1997年 福岡三越開店。
- 1998年 「顧客第一主義」の実現をめざし、営業本部制を導入。
- 1999年 新宿店南館が閉店。1991年の開業当時は最上階に美術館を備えて話題を集め、南館閉館セールは本館と合同に開催し大盛況に終わった。閉店後は大塚家具に賃貸。金沢店閉店。
- 2000年 読売ジャイアンツ優勝記念セールを初めて全店で開催。大塚家具との共同出店で多摩センター店開店(そごう閉店跡地)。
- 2001年 大塚家具との共同出店で吉祥寺店開店(近鉄百貨店跡地)。
- 2002年 札幌アルタと恵比寿店「グラススクエア」が開店。
[編集] (2代目)株式会社三越時代
- 2003年
- (初代)株式会社三越と、その子会社である・株式会社名古屋三越・株式会社千葉三越・株式会社鹿児島三越・株式会社福岡三越の百貨店5社による合併(新設合併)により、(2代目)株式会社三越が誕生。
- 小型店舗の花見川・習志野台・上大岡・神戸元町・明石を閉鎖。
- 2004年
- デパートメントストア宣言から100年。日本橋本店に新・新館が完成。
- 小型売店の丸の内・高松YOU三越・成田空港第一ビル売店・お台場・長野を閉鎖。
- 2005年
- 2006年
- 吉祥寺店が閉店。
- 初の郊外型店舗、武蔵村山店がダイヤモンドシティ・ミュー(現・イオンモールむさし村山)内に開店。
- 日本郵政公社と各種物流における業務提携等及び新商品の共同開発を締結。
- 「三越ゆめカード」店頭取扱終了。
- 2007年
- 2008年
- 伊勢丹との共同持株会社「三越伊勢丹ホールディングス」を設立。同社の完全子会社となる。
- 2011年の大阪駅ビルへの出店計画について、当初の直営店形態から、JR西日本と三越伊勢丹ホールディングスとの合弁による「JR大阪三越伊勢丹(発表時点では仮称)」として出店する予定と発表。
- 11月24日 8月24日に閉店した仙台店隣の旧ファッションドーム141跡地の改装を行い、新たに定禅寺通り館としてオープン。これにより仙台店は仙台本館へと名称を変更。
- そして、永年三越全店で使用されてきた猪熊弦一郎画伯デザインの紙袋が、一部のサイズで使用終了。
- 2009年
- 3月1日 武蔵村山店・名取店と小型売店の鎌倉・盛岡を閉鎖。
- 5月6日 池袋店・鹿児島店を閉鎖。
- 前年に発表した、JR大阪駅ビル(大阪ステーションシティ)内の百貨店の出店について、運営は「株式会社ジェイアール西日本伊勢丹」が担当し、店名は「JR大阪三越伊勢丹」に正式決定したと発表。
- 猪熊弦一郎画伯デザインの紙袋が全店で使用終了し、新デザインへ移行完了。
- 2010年
- 1月-3月 アウトレットのニューヨークランウェイ神戸三田プレミアム・アウトレット店及び、小型売店の苫小牧(閉鎖後は外商出張所に転換)、秋田、君津、銚子、四街道、成田空港第二ビル、小田原、柏崎、伊予三島、宇和島、外商出張所の長岡、大洲を順次閉鎖。
- 4月1日 直営店の大半を分社化(法人設立は2009年10月1日)。ただし、名古屋三越・福岡三越は法人格としては2代目となる(初代法人が2003年に本体と統合されているため)。新潟地区については、三越・伊勢丹の両店を運営する「株式会社新潟三越伊勢丹」として発足。
- 4月 エムアイカード発行の「三越 M CARD」、「MI CARD」(新・三越カード)が誕生。
- 9月11日 銀座店増床オープン。
- 10月1日 福岡三越と岩田屋が経営統合し、「株式会社岩田屋三越」が発足。
[編集] 株式会社三越伊勢丹時代
- 2011年
- 4月1日 運営会社の株式会社三越が、株式会社伊勢丹を吸収合併し、「株式会社三越伊勢丹」となる。
- 4月1日 札幌三越と札幌丸井今井が経営統合し、両店を運営する「株式会社札幌丸井三越」が発足。
- 5月4日 JR大阪駅の大阪ステーションシティ(ノースゲートビルディング)に「JR大阪三越伊勢丹」が開業。
- 2012年
[編集] エピソード
[編集] 三井高利と越後屋
三井家(三井財閥)の元祖である三井高利によって1673年(延宝元年)江戸本町一丁目の借店(かりだな)に「越後屋三井八郎右衛門」を創業。1683年(天和3年)には、駿河町(現在の日本橋三越本店所在地)へさらに営業を拡大させ移転。同時に両替店を開設し、この両替店は現在の「三井住友銀行」へと発展することになる。 そして駿河町に店を構えると江戸中に札(広告)を配り、下記のような当時では画期的な商法を次々と打ち出し、当時富裕層だけのものだった呉服を、ひろく一般市民のものにした。
- 店前現銀売り(たなさきげんきんうり)
- 現金をたてまえとした店頭販売の実現。当時、あらゆる商売は、得意先に行って注文を聞き、あとから品物を持って行く「見世物商い(みせものあきない)」か、直接商品を得意先に持って行く「屋敷売り」が普通だった。得意先は大名、武家、大きな商家で、支払いは年に一度の「極月払い」か、年に二回の「節季払い」だった。資金の回転がなく、回収不能など危険負担が大変大きかった。
- 現銀掛値無し(げんきんかけねなし)
- 当時、客によって値段を上げ下げするのが慣習だったが「正札販売」値段を札に書いて商品につけて販売。「正札付き現銀掛値なし」として定価販売を世界で初めて実現した。
- 小裂何程にても売ります(切り売り)
- 呉服屋では、反物単位の販売しか行なわなかったが、客の需要に応じての切り売りは一般庶民から大好評を博し「日本永代蔵」で「ビロウド一寸四方でも売っている〜一寸四方も商売の種〜」と描写される。
[編集] ライオン像
1914年に本店玄関に設置されたライオン像は、戦火を逃れ現在も日本橋本店正面玄関に設置されている。ロンドンのトラファルガー広場にあるネルソン提督像を囲むライオン像がモデルとされ、英国の彫刻家メリフィールドが型どり、バルトンが鋳造したもので青銅製。完成まで3年の歳月を要し、イギリスの彫刻界でも相当な話題となる。なお、全国各地の三越主要店舗にも日本橋本店のものを模したライオン像が設置されている。受験生が誰も見ていないときにライオン像に触ると志望校に合格するという噂があった。閉店した店舗の像は倉庫に保管されているが、池袋三越(2009年閉店)の像は、三越と縁の深い三囲神社に奉納された。
[編集] 包装紙と紙袋
三越では明治43年ころから、店章や新館完成予想図、支店・分店や取り扱い商品などをあしらった包装紙を使用してきた。百貨店の包装紙は、どこも地味なもので紙質も良いものではなかった。そこで昭和25年(1950年)に「クリスマス用に明るい包装紙を」と猪熊弦一郎にデザインを依頼して誕生したのが、現在の包装紙「華ひらく」と「三色」の紙袋である。当時、三越の社員で宣伝部に所属していたやなせたかしが猪熊から作品を受け取り、社へ持ち帰って「mitsukoshi」のレタリングを入れ完成した。当時、破格の報酬でも話題となった。 この画期的な包装紙「華ひらく」と「三色」の紙袋は大変好評となり、翌年の中元からは三越全店で使用されるようになった。紙袋は平成20年(2008年)に伊勢丹との経営統合を機にデザインが変更されたが、「華ひらく」は現在でも全国の三越で使用されている。
[編集] 御子様洋食
昭和5年1930年日本橋三越本店の大食堂に、子供の好きなメニューをひとつの皿に盛った「御子様洋食」が登場した。そのメニューは富士山に型どったライスにイチゴジャムと卵のサンドイッチ、スパゲティー、ハム、コロッケ、金平糖であった。御子様ランチの象徴でもある三越の旗を立てたのも日本橋三越本店の大食堂が最初であった。現在でも日本橋三越本店の新館5階にある大食堂「ランドマーク」で「お子様ランチ」として提供されている。また、三越本店が発祥のため三越「ランドマーク」では年齢制限は設定されておらず、誰でも注文することができる。
[編集] パイプオルガン
現在、日本橋三越本店の中央ホール2階バルコニーにあるパイプオルガンは、1930年 昭和5年に米国マイテー・ウェルリッツァー社製の最新式を輸入し7階ギャラリーに設置されていたものである。電力によって奏する大仕掛けなものでメインとソロの2種からなり、全体の間口は8.2m。 日本で唯一現存する演奏可能な昭和初期製造のシアターオルガンでもあり、貴重な歴史資料として2009年には中央区民有形文化財に登録された。
このパイプオルガンは、教会に設置されているものとは異なり、主に無声映画や演劇の伴奏などに使用されたシアターオルガンという種類に属するもので、ポピュラーでもクラシックでも幅広いジャンルの音楽を弾くことができるのを特徴としている。 1930年当時の金額で350,000ドル、今の貨幣価値に換算すると約2億円。まだ本格的なパイプオルガンが日本に数台しかない時代だったため大変な評判となり、NHKでは演奏を聞かせるレギュラー番組が組まれ、NHKと三越の間には専用回線まで引かれたという。1935年昭和10年の本館全館完成時に、現在の中央ホール2階バルコニーに移設された。パイプボックスには、パイプ以外の音源も装備されており、チューブラ、ベルや鈴、ウッドブロック、大太鼓や小太鼓、さらには鳥の声なども出る。オルガンやパイプには、元々美しい金属装飾が施されていたが、太平洋戦争中に供出されてしまった。
現在でも毎日午前10時・正午・午後3時の3回、オルガン奏者による生演奏が行われ、その荘重な調べは日本橋三越本店独自の雰囲気をつくるうえで欠くことのできない重要な役割を果たしている。
[編集] お江戸日本橋
日本橋三越本店のパイプオルガンで、開店時に「お江戸日本橋」が演奏されており、三越のテーマ曲のような存在となっている。かつては同曲のオーケストラによるアレンジ版が、テレビCMなどで流れていたこともある。このオーケストラ版は1951年12月31日、ラジオ東京(現・TBSラジオ)で開始された番組『三越文学サロン』の宣伝用に制作されたもので、地方では1954年7月13日より、聴取エリア内に仙台店がある東北放送ラジオの『朝の百貨店案内』の中で流され、それ以来1989年12月末までの約35年間、同番組内で流れ続けた。三越広報資料室によると、これは同曲のテレビ・ラジオにおける使用期間としては最長記録である[8]。
[編集] 三越前駅
詳細は「三越前駅#駅名と三越」を参照
元々は新橋への延伸中に資金難に陥っていた東京地下鉄道に対し、日本橋に本店を構える三越が、直通出入口を設ける事などを条件に、駅の建設資金を全額負担して開業させた駅である。
[編集] 越後屋と悪代官
時代劇において、悪徳商人が悪代官に賄賂を渡すシーンで「越後屋、お主も悪よのう」 「いえいえ、お代官様ほどでは」と言う台詞は、代名詞として広くに知られており、この越後屋とはまさに三越のことである。ただし、越後屋が江戸時代に悪徳商人であったというわけではなく、単に知名度の高い屋号として当時から芝居などで使われていたものが、特定のTVドラマや時代劇コントの影響で「悪徳商人=越後屋」というイメージが生まれてしまったと考えられている。実際にはTVドラマを含む時代劇では悪徳商人としてさまざまな屋号が使用されており、三越の前身として有名な越後屋の名前が使われることはほとんどない。
また三越とは関係が無いが、銀座越後屋の主人がTVの取材を受けた際には「悪い越後屋は退治されて、今いる越後屋は良い越後屋です」と絶妙な答えをしている。
[編集] 三越事件
詳細は「三越事件」を参照
[編集] その他
- 1999年暮れのお歳暮シーズンからコンビニエンスストア「ファミリーマート」と提携して、お中元とお歳暮のギフト商品のカタログ販売をファミリーマート各店舗で受け付けている。
- 新宿店は専門店形式に業態転換し、看板が変わったために「新宿三越は無くなった」と勘違いする人もいるが、正式な店名は「新宿三越アルコット」である。専門店形式ではあるものの日本百貨店協会の会員条件は充たしているため会員店舗。しかし、上記の通り2012年3月に「本当に無くなる」ことになった。
- 恵比寿店は日本橋本店に属しているために日本百貨店協会の会員店舗ではないが、需要があるためか「百貨店WORLD」では他の会員店舗とともに情報が提供されている。ただし銀座店内のものとともに、郵便貯金ATMは廃止されている。
- 多摩センター店はそごうの閉鎖店舗跡地である。提携している大塚家具との共同出店で、地下1階から地上2階までのフロアーで営業をしていたが、2010年12月に大塚家具は立川高島屋に移転のため閉店し、2011年4月よりココリア多摩センターというショッピングセンターの核店舗という位置づけとなっている。
- 武蔵村山三越は、三越では初となる郊外型SC(イオンモールむさし村山ミュー)への核店舗開発であった。郊外型SCへ中長期に亘り継続して出店可能な新しいビジネスモデルの百貨店を検討していた三越にとって、連携により両社ともに店舗の早期決定や誘致時間の短縮になるなどコスト面でも利点が多かったが、2008年の百貨店業界全体の売上不振のあおりを受け、同様にオープンした名取店(イオンモール名取エアリ内)とともに2009年3月に閉鎖することになった。ただ、この2店舗はイオンと長期契約を結んでいて、撤退となると三越はイオンに対して莫大な違約金を支払うことになるとイオンの岡田元也社長は2008年10月2日の会見で語っていたが、イオンは後に方針を改め、当初契約期間中の賃貸料と原状回復費用の支払いで折り合いがついた。
- 福岡三越は、出店先の駅の主である西日本鉄道との合弁によって開業した。三越としては初のターミナルデパートである。旧大規模小売店舗法に基づく店舗設置者は西日本鉄道株式会社と表示されている。
- 最近はエレベーターガールを常時配置している百貨店は減ってしまったが、日本橋本店本館では現在も常時配置している。なお、台湾の「新光三越」では、現在でも全店でエレベーターガールがいる。
- 2008年に高級観光バス「三越プレミアムクルーザー」を導入し(実際の車両管理・運行は東京ヤサカ観光バスが担当。ナンバープレートは希望ナンバーで「三越」である32-54)、自社主催の旅行などで使用する。この車両は2007年に開催された東京モーターショーで日野自動車が展示した参考出品車、セレガプレミアムを営業に供しているものである。個別にテレビモニターも備えた革張りのリクライニングシートを備え、前後5列・横2席、乗客定員わずか10名、さらに後部にはトイレ・洗面所も備える、贅沢なつくりの車である。
- 日本橋三越の屋上には、三井家の守り神である三囲神社が祀られている。
[編集] 店舗
- 2008年2月期・店別売上高[9]も付記。
[編集] 直営店
[編集] 日本国内店舗
- 2010年度から直営は関東だけになった。さらに2011年4月1日には、株式会社三越が株式会社伊勢丹を吸収合併して発足した、「株式会社三越伊勢丹」の運営になった。※印の店舗は、日本百貨店協会の会員店舗ではない。
- 百貨店
- 日本橋本店(通称:日本橋三越本店。東京都中央区)2729億円 139,155㎡(いずれも恵比寿店や外商等の数字も含む)本店単体の面積は本館49,000㎡+新館15,000㎡=64,000㎡
- 銀座店(通称:銀座三越。東京都中央区)537億円 81,476㎡(2010年9月に43,111㎡から増床リニューアルオープン)
- 千葉店(通称:千葉三越。千葉市中央区)283億円 27,177㎡
- 専門店(専門館事業部)
- 小型売店 ※店名表記は「三越○○」(○○に地域名が入る。)
中小都市や空港などで営業。おもにアパレル、ギフトを扱う。外商機能も有する。
- (単独の外商部、ブランドショップ、デパート・ホテル付属店舗をのぞく)
- (☆印は外商出張所)
- 福島県 - いわき
- 茨城県 - 牛久、古河、水戸、鹿島(神栖市)、つくば
- 栃木県 - 小山
- 群馬県 - 高崎、伊勢崎、館林、桐生
- 埼玉県 - 川越、新所沢(所沢市)、春日部、深谷、浦和(さいたま市浦和区)、久喜、羽生、川口
- 千葉県 - 成田、茂原、旭、東金、五井(市原市)、臼井(佐倉市)、館山、ユーカリが丘(佐倉市)、木更津
- 東京都 - 馬事公苑(世田谷区)
- 神奈川県 - 厚木
[編集] 日本国外店舗
[編集] 関連会社の店舗
- 持株会社傘下の企業運営分を含む(三越に限る)。
- 百貨店
- 札幌三越(札幌市中央区)390億円 31,336㎡
- 仙台三越(仙台市青葉区)388億円 33,582㎡
- 新潟三越(新潟市中央区)198億円 24,007㎡
- 2010年4月1日より、新潟伊勢丹とともに「株式会社新潟三越伊勢丹」が運営。
- 名古屋三越
- 広島三越(広島市中区)176億円 15,851㎡
- 高松三越(香川県高松市)267億円 27,085㎡
- 松山三越(愛媛県松山市)226億円 22,045㎡
- 福岡三越(福岡市中央区)447億円 38,031㎡
- プランタン銀座(中央区銀座) 旧親会社のダイエーが読売新聞東京本社に全株を売却ののち、旧三越に30%が売却された。
- JR大阪三越伊勢丹(大阪市北区)
- 2011年5月4日、JR大阪駅ビル(大阪ステーションシティ・ノースゲートビルディング)内に開店。運営はJR西日本グループとの合弁であるジェイアール西日本伊勢丹(1997年、JR京都駅ビルに「ジェイアール京都伊勢丹」を開店)が担当。
- 専門店
- 小型売店
- 記号凡例は直営に同じ。
- 札幌三越(北海道)- 新千歳空港、帯広☆、釧路☆、北見☆ 、苫小牧☆、
- 仙台三越(宮城県)- 石巻、大河原
- 高松三越(香川県)- 高松空港、坂出、丸亀、観音寺、三本松(東かがわ市)
- 松山三越(愛媛県)- 西条、今治
[編集] 提携している会社
- 沖縄三越(那覇市)91億円 11,784㎡ ※提携はしているが三越伊勢丹HDSの企業ではない。
- うすい百貨店(郡山市)
- さいか屋(川崎市、横須賀市、藤沢市)
- 岡島百貨店(甲府市)
- 一畑百貨店(松江市、出雲市)
- まるみつ百貨店(諏訪市) - 資本関係はなく、商品供給や共同催事の実施などを行っている。
[編集] 過去に存在した三越の店舗
- (出店予定だった店舗も含む)
[編集] 日本国内旧店舗
- 百貨店形態
- 新宿三越・南館 - 1999年閉店(現・大塚家具新宿ショールーム)。
- 池袋三越(東京都豊島区) - 2009年5月6日閉店。シンプレクス・リート投資法人へ約750億円で売却。後にヤマダ電機の店舗として賃貸され、現在はLABI1日本総本店池袋となっている。
- 吉祥寺三越(東京都武蔵野市) - 旧・近鉄百貨店東京店の営業権を継承。2001年6月に大塚家具とともに開店。2006年5月7日に閉店し、営業期間はわずか5年。名取、武蔵村山に次いで3番目の三越短命店舗となった。[10]その後、ヨドバシ建物に譲渡され、改修を経て現在のヨドバシ吉祥寺となる。なお、三越伊勢丹HD傘下の伊勢丹吉祥寺店も2010年3月14日で閉店し、これで三越・伊勢丹ともに吉祥寺から撤退した。
- 武蔵村山三越(東京都武蔵村山市) - 2006年11月18日、武蔵村山市に完成した郊外型の超大型ショッピングセンター「ダイヤモンドシティ・ミュー(現・イオンモールむさし村山)」内に開店。
- 横浜三越(横浜市西区) - 2005年5月5日閉店(現・ヨドバシ横浜)。
- 上大岡三越(横浜市港南区) - 2003年12月31日閉店(現・リストガーデンスクエア(専門店ビル))[11]
- 名取三越(宮城県名取市) - 2007年2月28日、名取市のショッピングセンター「ダイヤモンドシティ・エアリ」(現・イオンモール名取)内に開店。2009年3月1日閉店。営業期間わずか2年という三越最短命店舗となってしまった。跡地は専門店街として再オープン。
- 金沢三越 - 1999年10月31日閉店(現・東進衛星予備校など)。
- 1930年、武蔵ヶ辻に開店した三越金沢店は1935年に撤退。この建物を利用して地元資本の「丸越」が開店。現在の金沢名鉄丸越百貨店(めいてつエムザ)のルーツとなった。
- 1990年、金沢駅前の再開発ビル「ヴィサージュ」の1、2階に開店。しかし、小規模店舗であったため売り上げが伸び悩み1999年に撤退した。撤退直後、BOOK OFFとTSUTAYAがテナントとして入居したが、TSUTAYAへ入店するためにはBOOK OFF店内を通る必要があったため、売り上げが伸び悩み、テナントが東進衛星予備校に交代した。その後、2007年8月19日にBOOK OFFも野々市町(現野々市市)へ移転するために閉店している。
- 大阪三越(大阪市中央区) - 2005年5月5日閉店(跡地には、長谷工コーポレーションが主体となって日本一高い(2009年3月現在)約209mの超高層マンションThe Kitahamaを建設した)。
- 枚方三越 - 2005年5月5日閉店(現・TSUTAYAなど)。
- 神戸三越 - かつて西元町駅横にあった。廃止後も元町商店街に「パルパローレ三越」として存在。のち撤退。旧神戸三越跡はホテルシェレナとなったものの、阪神淡路大震災(兵庫県南部地震)で全壊。
- 倉敷三越 - 2005年5月5日閉店(現・天満屋倉敷店)。テナント店舗は撤退後も営業していたが2006年中に一旦撤退した。
- 福岡天神三越 - 2000年ごろ(現・シダックス福岡天神クラブ)。西鉄福岡天神駅に福岡三越出店後は三越ティファニー館として暫く営業していた。B1階~7階まであったが末期は4フロアのみの営業。
- 鹿児島三越 - 2009年5月6日閉店(池袋店と同日閉店)。現在は、新しい商業施設「マルヤガーデンズ」となった。
- 専門店
- 小型売店・出張所形態
- 三越シルバーハウス(東京都世田谷区)- 1999年駒澤大学に売却。
- 滝山三越(東京都東久留米市)- 2001年閉店。東久留米市の商店街に20年ほど出店。現在跡地はマツモトキヨシとなっている。
- 習志野台三越 - 2002年秋閉店。跡地にはスーパーマーケット新鮮館魚次が入居。
- 花見川三越 - 2003年閉店。
- 神戸元町 - 2003年閉店。
- 明石 - 2003年閉店。
- 丸の内 - 2004年閉店。
- 高松YOU三越 - 2004年閉店。
- 成田空港第一ビル売店 - 2004年閉店。
- お台場 - 2004年閉店。
- 長野 - 2004年閉店。
- 函館 - 2005年閉店。
- 羽田空港 - 2005年閉店。
- 洗足 - 2005年閉店。
- 三田 - 2005年閉店。
- 小豆島 - 2005年閉店。
- 枕崎 - 2005年閉店。
- 三越長野 - 2007年1月14日閉店[12]。長野駅から右へ500メートルほどの新正和ビルに出店。集客を試みるも善光寺表参道の大通りから離れているため困難だった。2004年にも閉店しており2度目の閉店。
- 三越秦野 - 2007年1月14日閉店。
- 三越栃木 - 2007年1月21日閉店。
- 三越昭島 - 2007年1月21日閉店。
- 三越飯能 - 2007年1月28日閉店。
- 三越狭山 - 2007年1月28日閉店。
- 鎌倉三越(神奈川県鎌倉市)- 2009年3月1日閉店[13]。2000年に閉鎖された松竹大船撮影所に隣接する「松竹ショッピングセンター(松竹所有)」の一角を構成していた。閉店後はブックオフの大型店舗が入居。
- 三越盛岡 - 2009年3月1日閉店。
- 三越苫小牧 - 2010年2月21日外商出張所へ転換[14]。
- 三越秋田 - 2010年3月1日閉店。
- 三越柏崎 - 2010年2月28日閉店。
- 長岡出張所 - 2010年3月13日閉鎖。
- 三越小田原 - 2010年3月22日閉店。
- 三越君津 - 2010年3月22日閉店。
- 三越銚子 - 2010年3月22日閉店。
- 三越四街道 - 2010年3月22日閉店。
- 三越成田空港第二ビル - 2010年3月22日閉店。
- 三越宇和島 - 2010年3月24日閉店。
- 三越伊予三島(四国中央市) - 2010年3月27日閉店。
- 大洲出張所 - 2010年3月31日閉鎖。
- 三越大阪ギフトサロン(大阪市北区・新梅田シティ)- 2011年1月10日閉店。旧三越大阪店の顧客管理・JR大阪三越伊勢丹の情報発信や出店準備を目的とした。開設期間も約3年半と限定的だった。
- アウトレットストア形態
- ニューヨークランウェイ バイ ミツコシ 神戸三田プレミアム・アウトレット店 - 2010年1月31日閉店。
[編集] 計画段階で断念
- 北千住三越 - 北千住駅西口再開発事業(現・千住ミルディス)の核テナントとして出店表明。北千住を創業地とする東武鉄道子会社の東武百貨店,そごう,イトーヨーカ堂系のロビンソン百貨店と地元を巻き込んで激しく争ったが、深刻な亀裂を恐れた地域の最終判断により丸井に決着した。
- 岐阜三越 - 1990年出店表明するものの、1992年バブル崩壊の影響で出店辞退。その後、岐阜シティ・タワー43が2007年完成。
- 奈良三越 - 2001年、奈良そごう跡地に、多摩センターと同様に大塚家具と共同での出店を表明したが、同年中に撤回。2003年7月イトーヨーカドーが出店。
[編集] 日本国外旧店舗
- 京城三越 - 日本統治時代の京城(現在のソウル特別市)に出店したが、第二次世界大戦敗戦により撤退(現・新世界百貨店本店)。
- 大連三越(旧満州国大連) - 満州国時代に出店したが、第二次世界大戦敗戦により撤退(現・秋林百貨)。
- ハワイ三越(アメリカ) - 2006年に閉鎖。
- 香港三越銅鑼湾店(中国) - 2006年に閉鎖。
- 香港三越尖沙咀店(中国)-Sun Plaza,28 Canton Road
- ベルリン三越(ドイツ)- Kurfurstendamn 220
- バルセロナ三越(スペイン)- Rambla de Catalunya 8 y 10
- フランクフルト三越(ドイツ) - 2008年12月31日閉店
- ミュンヘン三越(ドイツ) - 2008年12月31日閉店
- デュッセルドルフ三越(ドイツ) - 2009年6月30日閉店
- マドリード三越(スペイン) - 2009年12月31日閉店
- パリ三越(フランス)- 2010年9月30日閉店
[編集] POSシステム
- POSシステムは現在、大半は日本NCR製に切り替わっているが、一部で富士通製を併用。
- 2010年3月31日に通常よりも早く閉店したのは、POSシステムを富士通製からNCR製に入れ替える作業を全国一斉に行ったためである。
[編集] テレビショッピングを放送している放送局
| 放送エリア | 放送局 | 番組系列 | 放送時間(JST) |
|---|---|---|---|
| 宮城県 | 東北放送 | TBS系列 | 月 - 金曜日16:50 - 16:53[15] |
| 福島県 | テレビユー福島 | 月 - 金曜日15:53 - 15:57 | |
| 新潟県 | 新潟テレビ21 | テレビ朝日系列 | 月 - 金曜日11:57 - 12:00 |
| 関東広域圏 | テレビ東京 | テレビ東京系列 | 月 - 金曜日13:30 - 13:33[16] |
| 中京広域圏 | テレビ愛知 | 月・火・木・金曜日9:26 - 9:30 | |
| 愛媛県 | 南海放送 | 日本テレビ系列 | 月 - 金曜日15:50 - 15:53 |
| 熊本県 | 熊本放送 | TBS系列 | 月 - 金曜日14:55 - 15:00 |
| 鹿児島県 | 鹿児島放送 | テレビ朝日系列 | 月 - 金曜日13:55 - 13:58 |
[編集] 関連項目
- スタジオアルタ
- レディス4
- 午後のロードショー - 冒頭3分でテレビショッピングを放送。
- 三越前駅
- 読売ジャイアンツ - 応援セールを実施。
- 三越劇場
- 三越ゆめカード
- 一畑電気鉄道
- 日比翁助
- 大阪2011年問題
- ヤマト運輸 - 宅急便事業を開始する1970年代まで専属運送提携をしていた。
- 丸越
- ファミリーマート - ギフト(お中元等)の取り扱いで連携している。
- 山おんな壁おんな - ドラマ版で主人公達が勤めているデパートは『丸越』であり、三越銀座店において撮影している。
- ロイヤルホールディングス - 外食事業子会社「セントレスタ」を共同出資。なおロイヤルHDは伊勢丹グループの「アールアンドアイダイニング」にも出資している。
- 4M1T
以下は、三越と業務面で提携している百貨店。
- 近鉄百貨店 - かつては商品券の相互利用や、中元・歳暮等の贈答品の共同配送を行うなどの関係があった。近年は、関西地区での読売ジャイアンツ優勝記念セールを担当する、と言う関係がある。
- 井筒屋(北九州市) - かつて三越と経営統合した伊勢丹とともに資本参加しており、三越・伊勢丹両社とも業務面でのつながりがある。現在はA.D.O.での業務提携程度。
- ちまきや(山口市) - 上記の井筒屋傘下として、山口市内で百貨店を経営していた。2008年8月末に同店が閉店後、同年10月に「山口井筒屋」本店として再開店した(宇部市に支店(旧宇部井筒屋)がある)。
[編集] 補足
- ^ 1904年12月20日顧客らに送った書状。のちに「デパートメントストア宣言」と呼ばれるこの文書「米国に行はるるデパートメント・ストーアの一部を実現致すべく候」翌日の12月21日、三越呉服店は日本初のデパートとして営業を開始した。「あの日から 日本経済の転機」 1904年12月20日 デパートメントストア宣言 近代百貨店の産声 東京新聞2007年(平成19年)12月19日
- ^ 「近代的な洋館を建設して本格的な百貨店を開設する動きとしては、1903年(明治36年)に白木屋が和洋折衷でショーウィンドウや食堂のある店舗を造ったのが始まり」 詳細は日本の百貨店の歴史参照
- ^ 1904年12月20日顧客らに送った書状。のちに「デパートメントストア宣言」と呼ばれるこの文書「米国に行はるるデパートメント・ストーアの一部を実現致すべく候」翌日の12月21日、三越呉服店は日本初のデパートとして営業を開始した。「あの日から 日本経済の転機」 1904年12月20日 デパートメントストア宣言 近代百貨店の産声 東京新聞2007年(平成19年)12月19日
- ^ 常設として建物内に初めて設置される。同年3月の大正博覧会では屋外で有料展示物として初めて国内で紹介されている。
- ^ 白木屋がデパートとしては日本初。
- ^ 日本労働年鑑第25集「三越の争議」 法政大学大原社会問題研究所。
- ^ 新宿三越アルコット店の外部一括賃貸に関するお知らせ (PDF, 三越伊勢丹ホールディングス 2011年5月12日)
- ^ 出典:「懐かしのせんだいCM大百科」付属ブックレット
- ^ 決算情報(三越伊勢丹ホールディングス)
- ^ 同館にあった大塚家具が増床する計画だったが建物所有者の近鉄百貨店に拒絶され白紙撤回、全館閉館する。
- ^ 東急ストアが出店していた上大岡センターオサダビルに「三越エレガンス」として出店。後に「三越サンプラザ」に改名。1996年に新ビル移転時に「三越ガーデンスクエア」となった。移転後も旧ビルは数年間残された後に駐車場部分を残して解体。その後駐車場も解体され、現在は再開発ビル「mioka」。
- ^ 小型売店閉店のお知らせ
- ^ 武蔵村山三越、名取三越、鎌倉三越、三越盛岡 営業終了後のお問い合わせについて
- ^ 小型売店等営業終了のお知らせ
- ^ 『TBCニュース&三越テレショップ』として放送。
- ^ 『午後のロードショー』・『スペシャル傑作選』の直前に放送。
[編集] 外部リンク
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