アーノルド・パーマー

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アーノルド・パーマー
Arnold Palmer Golf pictogram.svg
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基本情報
生年月日 1929年9月10日(84歳)
出身地 アメリカペンシルベニア州ラトローブ
利き手
成績
優勝回数 メジャー:7勝
米国男子:62勝
初優勝 1955年カナディアン・オープン
賞金王 1958年・1960年・1962年・1963年
賞金ランク最高位 米国男子:1位(4度)
2009年2月23日現在
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アーノルド・ダニエル・パーマーArnold Daniel Palmer, 1929年9月10日 - )は、アメリカペンシルベニア州ラトローブ出身のプロゴルファー

彼の名前に由来するファッションブランド「アーノルド・パーマー」を指すこともある。ウェイクフォレスト大学中退。PGAツアー通算62勝は歴代5位。

概要[編集]

父はクラブプロ兼グリーンキーパーであり、5人兄弟の長男として1929年に誕生した。父の影響で7歳頃からゴルフを始めて、その素質を認められた。ウェイクフォレスト大学に進学し、1954年に全米アマゴルフでデビュー、そのタイトルを獲得すると間もなくプロ入りを表明した。翌1955年にツアーに参加してプロゴルファーとしてデビューした。同年にランク32位となる賞金を得た。1958年に最初のマスターズ優勝(第22回大会)、2年後の1960年に最終日の猛チャージで全米オープン唯一度の優勝(第60回大会、チェリーヒルズカントリークラブ)、翌1961年に全英オープン初優勝(第90回大会、ロイヤルバークデール)を果たした。全英オープン初優勝の時は、嵐の2日目に73(1オーバー)という驚異的なスコアを出したが、これには1打のペナルティが含まれていた。バンカーの中でボールが動いたと申告して、自ら1打罰を課した。本人以外は誰も確認していない。この誠実さは、2回の歴史的ミラクルショットで報われた。第3ラウンドの16番ホール(現在の17番ホール)の第3打と、最終ラウンドの15番ホール(現在の16番ホール)の第2打であり、いずれもグリーンをとらえた難しいリカバリーショットであった。当時、米国では全英オープン離れが進みつつあったが、パーマーは英国ゴルフ界にも貢献するため渡英して、刻むこと(レイアップ)を潔しとせず、果敢にピンを狙う攻撃的プレイで英国のゴルフを変え、さらに翌年トゥルーンで全英オープンを連覇して、全英オープンを世界の大舞台に復帰させたと評価する人もいる[1]

彼はテレビ時代の最初のスターゴルファーになり、競技スポーツとしてのゴルフを多くの人々に知らせた。熱心なファンが非常に多く、彼らの集団のことを“Arnie's Army”(アーニーズ・アーミー)と呼ばれるほどであった。

マスターズには、74歳の2004年まで出場を続行した。これは連続50回の最多連続出場記録となっている。

全米オープンでは不運が多かった。故郷に近いピッツバーグ郊外のオークモントカントリークラブ開催の1962年の第62回大会では、プロ転向間もないジャック・ニクラスとのプレイオフに敗れた。さらに翌1963年の第63回大会は、1913年フランシス・ウィメットによるアマチュア初の全米オープン制覇から50年後の記念すべき大会であり、ゴルフ場も同じボストン郊外のザ・カントリークラブで開催され、3人でのプレイオフとなり、今度は老練なジュリアス・ボロスに敗れた。さらに1966年、サンフランシスコの名門オリンピッククラブ・レイクコース開催の第66回大会では歴史的な崩壊により優勝を逃した。好調だったパーマーは、最終ラウンドの前半終了時点で2位のビリー・キャスパーに7打差の首位で折り返したが、当時ベン・ホーガンの保持していた全米オープン最小スコアの更新に挑み、無理なショットを続けてスコアを崩し、72ホール終了時点でキャスパーと首位タイに並んだ。翌日の18ホールのプレイオフも前日の再現となり、2打リードして前半を終えたが、後半に逆転され、キャスパー69対パーマー73の4打差での決着。

また、ライバルのジャック・ニクラスと並んで全米プロゴルフ選手権37回の最多出場記録を持ち、優勝争いも何度か演じたが、メジャー大会の中で唯一優勝できなかったため、グランドスラマーとなることはできなかった。

PGAツアーで歴代5位となる62勝をあげた。引退後、ジャック・ニクラスに「刻んだことはあるか?」と問われ、パーマーは「ない。刻んでいれば、もっと勝てた」と答えたという。日本でも、中嶋常幸が「刻んだことが無い」と発言したことがある。

1998年ペンシルバニアのロッジにてフリーメイソンに入会[2]

2004年ジョージ・W・ブッシュアメリカ大統領より、大統領自由勲章を授与された。

2012年9月12日にアメリカ合衆国議会により、議会名誉黄金勲章を授与された。

逸話[編集]

アーノルドにはウィニーという妻がいたが、ウィニーによるとアーノルドはプレイボーイだった。それでもウィニーはそんな夫を見守りながら、パーマー家を健気に支えていた。

またアーノルドはニクラスと同じドイツ系のプロゴルファーだったが、ニクラスには上流階級ゴルファーのイメージがあったのに対してアーノルドは中~下流階級のゴルファーのイメージがあり、そのことで多くの人々がニクラスよりもアーノルドに親近感を沸いていた[要出典]。 

宝塚記念有馬記念を勝ったメジロパーマーの馬名の由来はアーノルド・パーマーから取ったものである。

メジャー大会優勝[編集]

シニアメジャー大会優勝[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 大塚和徳「世界ゴルフ見聞録」日本経済新聞社(2008)、129頁
  2. ^ [1]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]