明石花火大会歩道橋事故

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明石花火大会歩道橋事故
JR West Asagiri Station Bridge.JPG
事故があった歩道橋
日付 2001年7月21日
時間 20時30分ごろ(JST)
場所 兵庫県明石市/西日本旅客鉄道朝霧駅南側の歩道橋
北緯34度38分38.16秒 東経135度1分2.69秒 / 北緯34.6439333度 東経135.0174139度 / 34.6439333; 135.0174139座標: 北緯34度38分38.16秒 東経135度1分2.69秒 / 北緯34.6439333度 東経135.0174139度 / 34.6439333; 135.0174139
死者・負傷者
11人死亡
重軽傷者247人
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明石花火大会歩道橋事故(あかしはなびたいかいほどうきょうじこ)は2001年7月21日に発生した群集事故。死傷者258人の大惨事であり、加えて、兵庫県警察警備体制の不備、事故後の対応が問題となり、マスコミで大々的に報じられた。

概要[編集]

2001年7月20日より明石市大蔵海岸にて第32回明石市民夏まつり花火大会が行われた。同催しの日程で2日目となる21日の午後8時半頃、西日本旅客鉄道(JR西日本)山陽本線JR神戸線朝霧駅南側の歩道橋において、駅方面からの見物客と会場方面からの見物客とが合流する南端で1m²あたり13人から15人という異常な混雑となったことから「群衆雪崩」が発生。死者11名(内訳:10歳未満9名・70歳以上2名)と重軽傷者247名を出す大惨事となった。歩道橋の屋根上にまで上る人も続出した。

原因[編集]

会場の大蔵海岸と朝霧駅との間には国道2号線が走っており、歩道橋以外の連絡がなかった。もっともこの歩道橋の他に、朝霧駅東側の踏切・西側の跨線橋に加え、山陽電気鉄道本線大蔵谷駅西舞子駅といったアクセス経路があったものの、どれも会場から遠いか遠回りになるという難点がある。加えて、暴走族との衝突が発生しても警備がしやすいという理由から、歩道橋から続く市道に180店の夜店を配置した。

この結果、事故現場の歩道橋がボトルネックとなり、歩道橋上で駅から会場に向かう人の流れと会場から駅に向かう人の流れが衝突し、滞留が発生した。主催者側も迂回手段についてのアナウンスを行わず、さらに当日は蒸し暑く歩道橋が透明なプラスチックの側壁に覆われた構造のため蒸し風呂状態となり、心理的に焦りが発生したことも事故発生の要因の一つとなっている。

警備上の問題[編集]

事故後、警察の対応や警備計画の問題点が次々と浮き彫りになった。

この花火大会にあたっては、明石市兵庫県警察本部明石警察署)、警備会社のニシカン(現エヌ・ケイ・セキュリティ)との間で事前の警備計画の協議が不十分だったことから、7ヶ月前の2000年12月31日に行われた世紀越えカウントダウン花火大会の警備計画書がほとんど丸写しにされていたことが浮き彫りになった。その計画書もコンサートなどのイベント用に設計されたものを流用し、しかも、その世紀越えカウントダウン花火大会の時(約5万5000人が参加)にも同様の滞留が起きて軽傷者が出ていたにも関わらず、約15万人から20万人の参加者が予想されていた花火大会には、この問題点が全く生かされていなかった。

また警察が暴走族対策を重視し、前述したように夜店の配置を集中させたり警備要員を292名配備していた。その一方、雑踏対策には36名しか配備されず、雑踏対策が軽視されてしまった。

ニシカンは、事故直後の新聞に「茶髪の青年が無理に押したので群衆なだれが発生した」「茶髪の青年達が歩道橋の天井によじ登って騒ぎ不安を煽り立てた」と証言。これで責任逃れを図ろうとした上に、この証言を元とした評論も報道で見受けられた。ところが後日調査によれば、実際はその茶髪の青年たちが歩道橋中央での惨事を通報するためプラスチック壁を破壊して屋根にのぼり、歩道橋への群衆流入を阻止しようと惨事を皆に伝え、救急を要請していたことが判明した(警察への携帯電話による通報は群衆の通話回線への殺到により、これもまた通話不能の状態にあった)[1]

裁判[編集]

民事訴訟[編集]

9遺族が明石市・兵庫県警察・ニシカンを相手に民事訴訟を起こし、2005年6月28日神戸地方裁判所は3者に計約5億6800万円の賠償を命じた。原告被告ともに控訴せず判決は確定。

刑事訴訟[編集]

検察官による訴追[編集]

刑事裁判では兵庫県警察が計画策定と当日警備の両方の業務上過失致死傷容疑で、明石署・明石市・ニシカンの当時の担当者ら計12人を書類送検し、うち当日警備の5人を神戸地検在宅起訴

神戸地裁2004年12月17日、警察1名、ニシカン1名に禁錮2年6月の実刑、市3名に禁錮2年6月・執行猶予5年の有罪判決が言い渡された。

全員が控訴したが、明石市の次長はその後2005年2月に控訴を取り下げている。

2007年4月6日、大阪高裁は1審の判決を支持し、4被告人の控訴を棄却した。

検察審査会による訴追[編集]

一方、書類送検されながら不起訴になった明石署の署長・副署長について、神戸検察審査会に申し立て、3度起訴相当と議決をしたが、神戸地検は3回とも不起訴とした。起訴相当を3回受けて3回とも不起訴としたケースは、岡山市短大生交通死亡事故(この事件は不起訴不当議決3回)などがあるが極めて異例。

  • 2004年4月23日に検察審査会が1回目の起訴相当の議決。2004年9月、署長と副署長を2回目の不起訴。
  • 2005年12月22日に検察審査会が2回目の起訴相当を議決。2006年6月、署長と副署長を3回目の不起訴。
  • 2009年7月30日に検察審査会が3回目の起訴相当の議決。2009年10月、副署長を4回目の不起訴(署長は2007年7月に死亡)。

2006年11月、3回目の不起訴に対して遺族側は元署長らに対して3度目の審査申し立てを行う方針を決めた。これは2004年5月に公布され、2009年5月までに施行予定の改正検察審査会法により、「同一の事件について起訴相当と2回議決された場合には、起訴議決として必ず起訴され、裁判所が指名した弁護士検察官となる」と定められたためである。業務上過失致死罪については2006年7月21日公訴時効成立の期限であるが、刑事訴訟法254条によると、共犯者の公判中は公訴時効が停止するとの規定があり、公判中の明石署の担当者との共犯関係があると解釈されれば起訴できると遺族側は見ており、改正検察審査会法の施行当日である2009年5月21日に審査申し立てを行った。ただし、2007年7月に元署長が死亡したため、元副署長についてのみ申し立てをしている。ただ、故意犯の共犯と比較して過失犯の共犯が成立する範囲は狭く[2]、この事故において起訴された者と副署長との間に共犯関係を肯定できるかは意見が分かれた。

3回目の検察審査会による起訴相当議決を受けて再捜査をした検察は4回目の不起訴とした。理由に、遺族への説明会において、当時の警察官20人を事情聴取や事故当日の無線記録を再捜査した結果、副署長は計画段階では歩道橋周辺に警察官を固定配置し、必要があれば機動隊などを投入する権限を現場指揮官だった同署地域官に与えて事故防止に必要な一応の措置は講じており、雑踏警備の計画策定段階での注意義務違反や警備当日に事故を予見できたことを裏付ける証拠が出ず、公判を維持して有罪に持ち込めないとし、法と証拠に基づいて適切に判断した結果だとした。

2010年1月27日に改正検察審査会法に基づき、検察審査会が副署長に対する起訴議決を行い、起訴されることが決定した。同法において強制起訴となった初のケースになった[3]

2012年2月22日、元副署長の公判が開始[4]2013年2月20日に出された判決では、上記の共犯関係を否定し、起訴時点の2010年4月には公訴時効である5年を過ぎているとして、裁判の手続きを打ち切る免訴求刑・禁錮3年6月)を言い渡した[5]。同年2月22日、免訴を不服として検察側指定弁護士は控訴[6]

影響[編集]

  • この事故を受けて明石市民夏まつりは翌2002年から一旦中止、2004年から明石公園に場所を移して再開されたものの花火大会は開催されなくなった。近隣の神戸市垂水区海神社でも毎年7月に奉納花火大会が開催されていたが、2007年から花火大会が中止された。同様に同年または以降の多くの花火大会が中止となり、警備上の問題があるイベントについても中止、縮小などを余儀なくされた。また、土日開催を避ける花火大会もみられる[7]
  • この事故の日に放送されていたフジテレビの『FNS ALLSTARS27時間笑いの夢列島』では、深夜の「さんま・中居の今年も眠れない」の喘ぎ声対決・CMの後にこの件のニュースを放送。この後、内村光良によるドミノ倒し企画が放送されることになっていたが、明石の事故の発生のニュースが報じられた後、「ドミノ倒しが事故を連想させてしまう」ということで、事故の犠牲者及び被害者・負傷者の心情に配慮し、尚且つ視聴者への悪影響を考慮してフジテレビはこの企画を急遽取り止めた。また、テレビ朝日の「全英オープンゴルフ」の放送内に緊急報道特番を放送した。
  • 事故発生当時の明石市長だった岡田進裕は、この事故と、同年12月に発生した大蔵海岸での砂浜陥没死亡事故の責任を取って、任期途中の2003年統一地方選挙前に辞職した。
  • 翌年に開催されたワールドカップ日韓大会では開催地周辺で臨時列車が多く運行されたが、このうち、総武・横須賀線からの直通電車は、当初鹿島線鹿島サッカースタジアム駅まで乗り入れる予定であったが、この事故を教訓として小さな駅における混乱を未然に防ぐ目的で鹿島神宮駅に短縮された。
  • この事故をマスコミが報道したときに「将棋倒し」と表現したことについて、日本将棋連盟が「将棋倒し」の表現を利用しないようマスコミに要望した。
  • かかる非常事態において、面識の無い市民同士での助け合いにより幼い命が助けられたことが報道された。
  • この事故をきっかけに2005年(平成17年)11月、警備業法国家公安委員会規則が改正され、従来の常駐警備、交通誘導警備等警備業務検定雑踏警備が新設された。

脚注[編集]

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  1. ^ 明石・歩道橋事故 誤解された屋根の上の「真実」 神戸新聞 2001年8月5日
  2. ^ 花火大会事故 市民感覚が一石 産経関西 2010年1月28日
  3. ^ 検察審査会、初の起訴議決=元副署長、刑事裁判に-明石歩道橋事故 時事通信社 2010年1月27日
  4. ^ 当時の署長調書、法廷証言と食い違い 明石歩道橋事故 朝日新聞 2012年2月22日
  5. ^ 歩道橋事故:元副署長過失なし 時効成立、免訴 神戸地裁毎日新聞 2013年2月20日
  6. ^ 免訴判決を不服、指定弁護士が控訴 明石歩道橋事故裁判”. 朝日新聞 (2013年2月22日). 2013年2月22日閲覧。
  7. ^ “車進入防止策を強化、厳戒態勢へ8日びわ湖大花火大会で滋賀県警 - ◆来年は8月7日開催”. 京都新聞. (2008年8月7日). http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?area=S00&genre=I1&mid=P2008080700060 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]