マルコ・ペッツァイオリ
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| 名前 | ||||||
| ラテン文字 | Marco Pezzaiuoli | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 | ||||||
| 生年月日 | 1968年11月16日(44歳) | |||||
| 出身地 | バーデン=ヴュルテンベルク州マンハイム | |||||
| 監督歴 | ||||||
| 2006 2007-2008 2008-2009 2008-2009 2009-2010 2011 |
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| ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||||||
マルコ・ペッツァイオリ(Marco Pezzaiuoli、1968年11月16日 - )は、ドイツバーデン=ヴュルテンベルク州マンハイム出身のサッカー指導者・元選手。前TSG1899ホッフェンハイム監督。
目次 |
経歴 [編集]
選手時代 [編集]
フェアバンツリーガ・バーデン(バーデン=ヴュルテンベルク州の地域リーグ、ブンデスリーガ5部にあたる)のSV98シュヴェッツィンゲンでプロ選手となるも怪我のため1991年に23歳で引退。最終所属クラブはVfRマンハイム。
指導者時代 [編集]
クラブチームでのキャリア [編集]
1991年からカールスルーエSCでユースコーチに就任。1999-00シーズンにはヨアヒム・レーヴ監督のもとでユースコーディネーターとして働く。戦術コーチを務めていた2002-03シーズン時にロート・ヴァイス・アーレン戦で引き分けたことにより、シュテファン・クンツ監督より暫定的解雇を言い渡されるが直後に監督が退陣。新しく就任したローレンツ=ギュンター・ケストナーによってアシスタントコーチへと格上げされる。だが一連の内部の問題により2003年3月に辞任する。
2003年夏にブンデスリーガで活躍していた車範根が新監督に就任した水原三星ブルーウィングスにアシスタントコーチとして就任。初年度にKリーグ優勝、2006年は準優勝という結果を出す。2006年9月にレギオナルリーガのSVアイントラハト・トリーアの監督となるが、就任して4試合目のアイントラハト・バート・クロイツナハ戦で敗北しそのまま解雇される。
ユース代表監督 [編集]
2006 FIFAワールドカップ後にサッカードイツ代表のアシスタントコーチに志願するもハンス=ディーター・フリックに決まり落選。2007年にU-16ドイツ代表監督に就任。U-17代表監督をしていた2008-09シーズンにUEFA U-17欧州選手権2009で優勝、その成功により翌シーズンはU-18代表監督を務める。
TSG1899ホッフェンハイム [編集]
2010年7月1日にラルフ・ラングニック監督の下でアシスタントコーチとしてTSG1899ホッフェンハイムへ。2011年1月2日、ラングニックがクラブ首脳陣と衝突し監督を辞任、持ち上がりで指揮を執ることになる。2011年2月4日に2013年までの正式な契約が交わされ監督に就任するが、就任後8試合中1試合しか勝利することができないなど成績が芳しくなく、2010-2011シーズン終了のかなり前に解雇が決定。後任はFCザンクトパウリの監督を務めていたホルガー・スタニスラウスキ。監督交代後はアシスタントコーチとして残留することもなくチームから離れている。
プライベート [編集]
イタリア人レストランオーナーの父とオランダ人の母の間に生まれる。妻は韓国人ファッションデザイナーで2人の子供がいる。
ペッツァイオリという苗字はイタリア系でドイツ語圏では読み難く、ニュースや実況などで読み間違えられることが多い。
所属 [編集]
- 選手時代
- 指導者時代
カールスルーエSC ユースコーチ 1991-1999
カールスルーエSC ユースコーディネーター 1999-2000
カールスルーエSC アシスタントコーチ 2000-2002
カールスルーエSC 戦術コーチ 2002
カールスルーエSC アシスタントコーチ 2002-2003
水原三星ブルーウィングス アシスタントコーチ 2003-2006
U-16ドイツ代表 監督 2007-2008
U-15ドイツ代表 監督 2008-2009
U-17ドイツ代表 監督 2008-2009
U-18ドイツ代表 監督 2009-2010
TSG1899ホッフェンハイム アシスタントコーチ 2010
TSG1899ホッフェンハイム 監督 2011
獲得タイトル [編集]
- Kリーグ優勝(2004)
- 韓国スーパーカップ優勝(2005)
- Kリーグカップ優勝(2005)
- A3チャンピオンズカップ優勝(2005)
- UEFA U-17欧州選手権2009優勝(2009)