パウロ・アウトゥオリ(Pauro Autuori De Mello、1956年8月25日-)は、ブラジル・リオデジャネイロ州出身のサッカー指導者。
[編集] 来歴
現役時代は国内リーグでプレーし、1986年の引退後はブラジルとポルトガルで指導者経験を積む。監督としての才能が本格的に開花し出したのは40歳を過ぎてからで、1997年にクルゼイロECでコパ・リベルタドーレスを獲得する。2001年と2002年にはアリアンサ・リマとスポルティング・クリスタルでペルー選手権を自身2連覇し、その実績を買われて2003年にはペルー代表監督を務めた。その後、2005年にはサンパウロFCで2度目のコパ・リベルタドーレスを獲得。この年から6大陸王者の対抗戦になったFIFAクラブワールドカップも、決勝戦で欧州王者のリヴァプールFCを破って優勝した。
こうした実績に目を付けたのが、ジーコ以来ブラジルスタイルが主流の鹿島アントラーズである。鹿島はこの年の10月に6年間監督を務めたトニーニョ・セレーゾが勇退を発表したことを受け、早くからサンパウロとの契約が切れるアウトゥオリに目を付けていたが、最終的にアウトゥオリで一本化し、トヨタカップ終了後に契約交渉を開始して、12月30日に就任決定となった。
鹿島においては高卒新人の内田篤人を開幕戦から登用するなど、若手を積極的に起用しつつチームの再構築を図った。リーグ戦においてはやや苦戦したが、ナビスコカップでは決勝にまで駒を進めた。シーズン終盤に至って、攻守に素晴らしいコンビネーションを見せるサッカーを作り上げたが、しかし11月30日に鹿島は契約非更新を発表。最後の大会となった天皇杯では準決勝で敗退し、タイトル獲得はならなかった。主力選手の放出や、優勝を狙う為の補強などでチームと意見が衝突し、1年で契約終了。しかし彼の撒いた種が見事花開き翌年以降の快進撃へとつながった。[独自研究?]なお、前任者と同様、夏の試合には背番号42のプラクティスシャツを着用していた。
[編集] 指導歴
[編集] タイトル
- ボタフォゴ
- クルゼイロ
- アリアンサ・リマ
- スポルティング・クリスタル
- サンパウロ
- アル・ラーヤンSC
[編集] 関連項目