コスモ石油四日市FC
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| コスモ石油四日市FC | |
|---|---|
| 原語表記 | コスモ四日市FC |
| 創設年 | 年 |
| 所属リーグ | ジャパンフットボールリーグ |
| ホームタウン | 四日市市 |
| ホームスタジアム | 四日市市中央緑地陸上競技場 |
| 収容人数 | 10,000 |
コスモ石油四日市FC(こすもせきゆよっかいちえふしー)は、日本サッカーリーグ(JSL)、旧JFLにかつて在籍していた社会人サッカークラブ。
目次 |
[編集] 概要
元々大協石油四日市サッカー部として三重県四日市市で活動していたが、1986年に丸善石油と合併しコスモ石油となったのに伴い、チーム名もコスモ石油サッカー部に変更された。
1980年に大協石油として1シーズン、コスモ石油に改名後の1986年からJSLが終了する1991年までJSL2部に在籍した。 1981年東海リーグからJSL2部への早期昇格を目指し、鎌田光夫(メキシコオリンピック日本代表)を監督として招聘したが、昇格まで5年を要した。鎌田は1991年まで監督を務め、以降は総監督としてチームをサポートした。
1996年に将来のJリーグ参戦を念頭とし、チーム名に本拠地四日市市を被せ「コスモ石油四日市FC」(通称・コスモ四日市)と改めた。同年の天皇杯では前年度覇者である名古屋グランパスエイトを1-0で破り存在感を示したが、四日市市がJリーグ支援に難色を示した上、スタジアムの整備も充分にできなかったことから同年を最後にチームは解散している。
現在、同好会として三重県リーグ4部に存在はしているが強化の予定はまったくない。
- 本拠地
- 四日市中央緑地公園陸上競技場、三重県鈴鹿スポーツガーデン球技場。
[編集] 過去の成績
| 年度 | カテゴリ | 順位 | 勝点 | 勝 | 分 | 敗 | 得点 | 失点 | 監督 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1980 | JSL2部 | 10位 | 10 | 5 | 0 | 13 | 27 | 46 | |
| 1981 | 東海 | 鎌田光夫 | |||||||
| 1982 | 東海 | ||||||||
| 1983 | 東海 | ||||||||
| 1984 | 東海 | ||||||||
| 1985 | 東海 | ||||||||
| 1986 | JSL2部・東 | _ | 14 | 5 | 4 | 5 | 17 | 15 | |
| JSL2部・上位 | 8位 | 10 | 3 | 4 | 7 | 8 | 21 | ||
| 1987 | JSL2部・西 | 18 | 7 | 4 | 3 | 24 | 15 | ||
| JSL2部・上位 | 7位 | 5 | 2 | 1 | 11 | 7 | 21 | ||
| 1988-89 | JSL2部・東下位 | 11位 | 17 | 6 | 5 | 9 | 25 | 30 | |
| 1989-90 | JSL2部 | 10位 | 32 | 8 | 8 | 14 | 38 | 39 | |
| 1990-91 | JSL2部 | 11位 | 34 | 9 | 7 | 14 | 26 | 39 | |
| 1991-92 | JSL2部 | 11位 | 29 | 8 | 5 | 17 | 27 | 53 | |
| 1992 | JFL2部 | 4位 | 30 | 9 | 3 | 6 | 26 | 21 | 杉本真 |
| 1993 | JFL2部 | 4位 | _ | 11(1延長 1PK) | _ | 7(0延長 0PK) | 30 | 26 | |
| 1994 | JFL | 15位 | _ | 7(1延長 0PK) | _ | 23(1延長 1PK) | 33 | 37 | 九鬼慎次 |
| 1995 | JFL | 11位 | 36 | 11(2延長 2PK) | _ | 19(0延長 3PK) | 27 | 47 | 山本好彦 |
| 1996 | JFL | 12位 | 33 | 11(5延長 0PK) | _ | 19(1延長 0PK) | 31 | 59 |

