風間八宏
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| 名前 | |||||||
| カタカナ | カザマ ヤヒロ | ||||||
| ラテン文字 | KAZAMA Yahiro | ||||||
| 基本情報 | |||||||
| 国籍 | |||||||
| 生年月日 | 1961年10月16日(50歳) | ||||||
| 出身地 | 静岡県静岡市清水区 | ||||||
| 身長 | 173cm[1] | ||||||
| 体重 | 67kg[1] | ||||||
| 選手情報 | |||||||
| ポジション | MF | ||||||
| 利き足 | 右足 | ||||||
| クラブチーム1 | |||||||
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| 代表歴 2 | |||||||
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| 監督歴 | |||||||
| 1997-2004 2006-現在 2008-現在 |
桐蔭横浜大学監督 日本サッカー協会特任理事 筑波大学監督 |
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| 1. 国内リーグ戦に限る。2007年10月5日現在。 2. 2007年10月5日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
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風間 八宏(かざま やひろ、1961年10月16日 - )は、静岡県清水市(現静岡市清水区)出身の元サッカー日本代表選手(MF)、指導者(JFA 公認S級コーチ)。
現サッカー解説者、日本サッカー協会理事、筑波大学蹴球部監督。元Jリーガーとしては初めてJリーグ理事に就任した。
目次 |
[編集] 来歴
清水市商高時代、大滝雅良監督をして「教える事は何もない」と言わしめるほどの選手で、大滝がこれまでの指導法を変えるほどの影響を与える。3年連続で静岡県高校ベストイレブンに選出される。
1979年日本開催のFIFAワールドユース選手権日本代表に高校生ながら選出。仙台向山高の鈴木淳、帝京高の名取篤とともに高校生トリオとして名前を馳せる。
筑波大学在学中の1980年に日本代表に選出され同年に香港で行われたスペインW杯アジア1次予選にレギュラーとして出場。卒業後は海外でのプレーを希望し、日本サッカーリーグには所属せず、茨城県リーグ4部のジョイフル本田に所属していた。ロサンゼルスオリンピック予選終了後の1984年、ドイツのバイヤー・レバークーゼンに入団。日本人3人目のプロ契約を結んだ。その後もドイツの2部リーグのクラブを転々とし5年間に渡って活躍した。
1989年、ドイツから帰国すると日本サッカーリーグ2部のマツダSCに入部。翌1990-91シーズンに1部復帰を果たす。1992年、Jリーグ発足に伴ってサンフレッチェ広島として新たなスタートを切ると、Jリーグ開幕戦、開始1分でチーム第1号ゴールと日本人選手Jリーグ初ゴールを決めると広島スタジアムはチアホーンのけたたましいファンファーレに包まれた。同年、NICOSシリーズの第1節においても、リーグ戦で日本人初めての直接FKによるゴールを決めた。以降も多彩なパスで中盤を操り、またキャプテンとしてチームの精神的支柱となり活躍。1994年のサントリーシリーズ優勝にも貢献した。
その後、1995年にサンフレッチェ広島を退団。再びドイツに渡り、レムシャイトに復帰するが1年で退団。
また監督ライセンスを取得して、1997年から桐蔭横浜大学サッカー部の監督を務めていた。2004年にJFA公認S級コーチライセンスを取得する。2008年より筑波大学蹴球部監督。
2006年8月には日本サッカー協会特任理事に就任。その後2008年7月の役員改選で「特任」が取れ正式な理事となった。
[編集] エピソード
- マツダSCがJSL2部にいた時代に日本代表入りを打診されたが、チームが1部に復帰するまでと断っていた。
- 帰国直後は、スポーツ・アイ ESPN(J sports ESPNの前身)で倉敷保雄とコンビを組んでいたこともあり、このコンビで実況・解説を担当したサッカーゲームもある。ちなみに、倉敷は「アハト(acht=ドイツ語で「8」)さん」と呼んでいたこともある(おそらくドイツ時代のニックネームと思われるが詳細は不明)。
- 2012年現在、長男(風間宏希)、次男(風間宏矢)共にプロサッカー選手としてドイツでプレーしている。
[編集] 所属クラブ
- 1977年 - 1979年 :
清水市立商業高等学校 - 1980年 - 1983年 :
筑波大学 - 1983年 - 1983年 :
ジョイフル本田 - 1984年 - 1985年 :
バイヤー・レバークーゼン・アマチュア - 1985年 - 1988年 :
レムシャイト - 1988年 - 1989年 :
アイントラハト・ブラウンシュヴァイク - 1989年 - 1995年 :
マツダSC/サンフレッチェ広島 - 1996年 - 1997年 :
レムシャイト
[編集] 引退後
- 1997年 - 2004年 : 桐蔭横浜大学サッカー部監督
- 2004年 : JFA 公認S級コーチライセンス習得
- 2006年8月 - 現在 : 日本サッカー協会役員
- 2006年8月 - 2008年7月 : 特任理事
- 2008年7月 - 現在 : 理事
- 2008年1月 - 現在 : 筑波大学サッカー部監督
[編集] 経歴
- 日本代表初出場(国際Aマッチ):1980年12月22日 対シンガポール戦(香港)
- 日本代表初出場:1980年5月25日 対アルヘンチノス・ジュニアーズ戦(国立競技場)
- Jリーグ初出場 1993年5月16日 対ジェフユナイテッド市原戦(広島スタジアム)
- Jリーグ初得点 1993年5月16日 対ジェフユナイテッド市原戦(広島スタジアム)
- JSL(1部)初出場:1991年9月15日 対日産戦(三ツ沢球技場)
- JSL(2部)初出場:1989年8月12日 対東チタ戦(綾瀬市民スポーツセンター)
- JSL(2部)初得点:1989年10月28日 対帝人戦(東予運動公園球技場)
[編集] 個人成績
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 西ドイツ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
| 1984-85 | レバークーゼンII | ブンデス3部 | |||||||||
| 1985-86 | レムシャイト | ブンデス3部 | |||||||||
| 1986-87 | レムシャイト | ブンデス3部 | |||||||||
| 1987-88 | レムシャイト | ブンデス2部 | 26 | 0 | |||||||
| 1988-89 | ブラウンシュヴァイク | ブンデス2部 | 15 | 0 | 1 | 0 | 16 | 0 | |||
| 日本 | リーグ戦 | JSL杯/ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 1989-90 | マツダ | JSL2部 | 27 | 3 | 1 | 0 | |||||
| 1990-91 | マツダ | 8 | JSL2部 | 21 | 4 | 3 | 0 | ||||
| 1991-92 | マツダ | 8 | JSL1部 | 15 | 0 | 4 | 0 | ||||
| 1992 | 広島 | - | J | - | 6 | 0 | 1 | 0 | 7 | 0 | |
| 1993 | 広島 | - | J | 35 | 6 | 0 | 0 | 4 | 0 | 39 | 6 |
| 1994 | 広島 | - | J | 43 | 0 | 1 | 0 | 3 | 0 | 47 | 0 |
| 1995 | 広島 | - | J | 25 | 0 | - | 1 | 0 | 26 | 0 | |
| ドイツ | リーグ戦 | リーグ杯 | DFBポカール | 期間通算 | |||||||
| 1995-96 | レムシャイト | 0 | 0 | ||||||||
| 1996-97 | レムシャイト | レギオナル | 0 | 0 | |||||||
| 通算 | 西ドイツ | ブンデス2部 | 41 | 0 | 1 | 0 | 42 | 0 | |||
| 西ドイツ | ブンデス3部 | ||||||||||
| ドイツ | レギオナル | ||||||||||
| ドイツ | |||||||||||
| 日本 | J | 103 | 6 | 7 | 0 | 9 | 0 | 119 | 0 | ||
| 日本 | JSL1部 | 15 | 0 | 4 | 0 | ||||||
| 日本 | JSL2部 | 48 | 7 | 4 | 0 | ||||||
| 総通算 | |||||||||||
その他の公式戦
- 1991年
- コニカカップ 4試合0得点
- 1994年
- Jリーグチャンピオンシップ 2試合0得点
[編集] 代表歴
[編集] 出場大会など
- FIFAワールドユース選手権
- 日本大会 (1979)
- FIFAワールドカップ予選
- スペイン大会予選 (1980)
- アジア競技大会
- ニューデリー大会 (1982)
- オリンピック予選
- ロサンゼルスオリンピック予選 (1983-84)
[編集] 試合数
- 国際Aマッチ 19試合 0得点(1980-1983)
| 日本代表 | 国際Aマッチ | その他 | 期間通算 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 年 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
| 1980 | 4 | 0 | 3 | 0 | 7 | 0 |
| 1981 | 8 | 0 | 9 | 0 | 17 | 0 |
| 1982 | 4 | 0 | 2 | 0 | 6 | 0 |
| 1983 | 3 | 0 | 8 | 0 | 11 | 0 |
| 1984 | 0 | 0 | 4 | 0 | 4 | 0 |
| 通算 | 19 | 0 | 26 | 0 | 45 | 0 |
[編集] 関連情報
[編集] 著書
- 「プロフェッショナルサッカー 終わりなき挑戦」 1998年4月 勁文社発行 ISBN 4766929403
- 「うまくなるサッカー」 2001年1月 大泉書店発行 ISBN 4278046588
- 「サッカーゴール前の攻防」 2003年1月 大泉書店発行 ISBN 4278046774
- 「ビジュアル版 図解コーチ サッカー」 2005年10月 成美堂出版発行 ISBN 4415030254
- 「ワールドサッカー4大スターの技術」 2007年6月 ベースボール・マガジン社発行 ISBN 4583614705
[編集] ゲーム
- リベログランデ2 解説(プレイステーション 、ナムコ(現・バンダイナムコゲームス))
- フットボールキングダムトライアルエディション 解説(プレイステーション2、ナムコ(現・バンダイナムコゲームス))
[編集] 参考文献
- 『1990-1991JSLイヤーブック』日本サッカーリーグ編、南雲堂、1990 ISBN 4-523-31032-7
- 『1991-1992JSLイヤーブック』日本サッカーリーグ編、南雲堂、1991 ISBN 4-523-31033-5
- 『日本サッカーリーグ全史』日本サッカーリーグ、1993
- 『Jリーグオフィシャルガイド1992-1993』、小学館、1992 ISBN 4-09-102301-0
- 『Jリーグオフィシャルガイド1993・サントリーシリーズ』、小学館、1993 ISBN 4-09-102303-7
- 『Jリーグオフィシャルガイド1993・ニコスシリーズ ヤマザキナビスコカップ』、小学館、1993 ISBN 4-09-102305-3
- 『Jリーグオフィシャルガイド1994・サントリーシリーズ』、小学館、1994 ISBN 4-09-102310-X
- 『Jリーグオフィシャルガイド1994・ニコスシリーズ』、小学館、1994 ISBN 4-09-102314-2
- 『Jリーグオフィシャルガイド1995・サントリーシリーズ』、小学館、1995 ISBN 4-09-102318-5
- 『Jリーグオフィシャルガイド1995・NICOSシリーズ』、小学館、1995 ISBN 4-09-102321-5
- 『Jリーグオフィシャルレコード&データ1994』、小学館、1994 ISBN 4-09-102309-6
- 『Jリーグオフィシャルレコード&データ1995』、小学館、1995 ISBN 4-09-102317-7
- 『Jリーグオフィシャルレコード&データ1996』、小学館、1996 ISBN 4-09-102323-1
- 『J.LEAGUE YEARBOOK 1999』、トランスアート、1999 ISBN 4-88752-099-9
[編集] 脚注
[編集] 関連項目
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