長谷川健太

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長谷川 健太 Football pictogram.svg
名前
愛称 ケンタ
カタカナ ハセガワ ケンタ
ラテン文字 HASEGAWA Kenta
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 1965年9月25日(46歳)
出身地 静岡県静岡市清水区
身長 177cm
体重 75kg
選手情報
ポジション FW
利き足 右足
代表歴
1989-1995 日本の旗 日本 27 (4)
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長谷川 健太(はせがわ けんた、1965年9月25日 - )は、日本の元サッカー選手・サッカー指導者・サッカー解説者静岡県清水市(現静岡市清水区)出身。

現役時代はフォワードとして活躍し、右足から繰り出される正確なクロスボールは、「ケンタリング」とも呼ばれたエースストライカー。右45度から放つ豪快なシュートが売り物のFWだった。

清水エスパルス監督。2011年NHK BS1サッカー解説者に復帰。

目次

[編集] 来歴

小学6年次には清水FCの一員として全日本少年サッカー大会優勝、静岡県立清水東高等学校時代は小学生時代からの盟友大榎克己堀池巧と共に清水東三羽烏としてに高校サッカーで活躍した。

筑波大学を経て1988年に日本サッカーリーグ1部の日産自動車サッカー部(現横浜F・マリノス)へ入部。同年からの2年連続三冠(リーグ、天皇杯JSL杯)に貢献した。

引退後はNHKでのサッカーの解説者、サッカーの指導者として浜松大学サッカー部監督を務めた。

2005年シーズンから古巣の清水エスパルスの監督に就任。監督1年目の2005年は経験の無さを指摘され、チームも降格・入れ替え戦ラインを彷徨い低迷したが、2年目の2006年シーズンからは若手選手の積極的に活躍することでチームの世代交代を成功させ4位と躍進を遂げた。その後も上位クラスをキープし、優勝経験がありながらも経営難時代から低迷が続いたエスパルスを見事復活させた。タックル数が極端に少ない緻密なゾーンディフェンスを敷くとともに市川大祐太田宏介児玉新らのサイドバックの攻撃参加を最大限に生かすサイド攻撃を徹底させる戦術も機能した。

2009年シーズンは第28節の広島戦を終了した時点で10年ぶりにリーグ首位に立ったものの、次の第29節で最下位の大分に敗れ、その後5連敗を喫するなど1勝もできず結局シーズン7位に終わる。

2010年シーズンは、新加入のベテラン小野伸二や身長191cmのDFボスナー(ジェフユナイテッド千葉から移籍)、エースストライカーへと成長した岡崎慎司を上手く起用することで、開幕から12試合負けなし(8勝4分)と好発進。W杯前の前半戦をリーグ首位で折り返すも、第18節の横浜F・マリノスに敗れてからは2勝2分け6敗、ナビスコ杯も準決勝で敗退するなど昨年に次ぐ失速を喫してしまっている。

開幕前には徹底した走り込み・フィジカルトレーニングを課すことで知られており、2008年までは体力の差が勝敗に反映されやすい夏場の成績が際立って良い傾向にあったが、ここ2年は逆に夏以降の大事な時期に勝つことができず優勝争いから脱落してしまった。これは岡崎慎司の豊富な運動量を生かすためにはチーム全体もかなりのスタミナを要求されるため、シーズン後半にスタミナ切れを起こしてしまうからだと言われ、岡崎の成長がチームのスタミナ切れを引き起こすという皮肉な結果になった。

2010年シーズンの第90回天皇杯全日本サッカー選手権大会決勝戦の対鹿島戦を最後に清水エスパルス監督を退任。2011年からはサッカー解説者に復帰し、NHK BS1(同3月までNHK衛星第1テレビジョン)「Jリーグ中継」を始め、プレミアリーグセリエAのテレビ中継解説者等を務める。

[編集] エピソード

[編集] ブラジル留学

日産自動車サッカー部に入部した1988年、2ヶ月間のブラジル留学を経験した。これは加茂周の計らいとオスカーの仲立ちにより実現したもので、長谷川はJSLカップ開幕を前に渡伯し、サンパウロFCの2軍の練習に参加した。ちなみに清水秀彦が帯同している。当初は練習のみに参加する予定であったが、監督のカルロス・アルベルト(後に読売クラブ監督)に実力を認められ、特別措置として、2軍の公式戦2試合に出場した。結果は上々で、長谷川はチームに残らないかと勧誘されたという。[1]

[編集] その他

  • 1990年北京アジア大会終了後、練習中に右膝を痛めて手術を受けることになり、一から出直すつもりで、日産を退部。清水への移籍を決断した。
  • 漫画家のさくらももことは同じ小学校で同期であり、代表作『ちびまる子ちゃん』には長谷川健太をモデルにしたサッカー好きの少年「ケンタ」が登場する。ただし、長谷川はさくらと3年生の時同じクラスだったわけではなかったが、5~6年生の時は同じクラスであった。[2]しかし、さくらが漫画家として有名になるまで長谷川はさくらのことを全く覚えていなかったという。なお、作中では小柄な少年として描かれているが実際の長谷川は他の同級生よりも大柄な体格だったとのこと。
  • 引退して間もない2000年12月にテレビ番組の取材でスペインのRCDエスパニョールに移籍することが決まっていた西澤明訓に対し、「一番好きなFW」「やわらかくポスト(プレー)できるし、シュート巧いし、好きなんだよオレ」と褒めちぎり、「帰国後はエスパルスでやるんでしょ? 3年後くらいに監督やってるからエスパルスに来い」と声を掛けた。これは見事に実現し、西澤は2007年1月にエスパルスに加入した。

[編集] 所属クラブ

清水FC
1981年-1983年 静岡県立清水東高等学校
全国高校総体優勝(1981)
全国高校選手権大会 優勝(1982)、準優勝(1983)
1984年-1987年 筑波大学
関東大学リーグ 優勝(1987)
1988年-1991年 日産自動車
天皇杯優勝 2回(1988、1989)
1991年-1999年 清水エスパルス
ヤマザキナビスコカップ 優勝(1996)
J1リーグ 2ndステージ 優勝(1999)

[編集] 個人成績

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 JSL杯/ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
1988-89 日産 JSL1部 18 4
1989-90 日産 13 JSL1部 11 5 3 0
1990-91 日産 9 JSL1部 4 0 4 0
1992 清水 - J - 10 2
1993 清水 - J 36 10 1 0 4 1 41 11
1994 清水 - J 44 9 1 0 1 1 46 10
1995 清水 - J 21 3 - 0 0 21 3
1996 清水 - J 24 7 16 7 3 2 43 16
1997 清水 9 J 30 5 6 2 1 0 37 7
1998 清水 9 J 31 9 5 0 5 2 41 11
1999 清水 9 J1 21 2 2 1 2 1 25 4
通算 日本 J1 207 45 41 12
日本 JSL1部 33 9
総通算 240 54

その他の公式戦

[編集] 代表歴

[編集] 試合数

  • 国際Aマッチ 27試合 4得点(1989-1995)


日本代表 国際Aマッチ
出場 得点
1989 11 2
1990 6 1
1991 0 0
1992 0 0
1993 5 0
1994 2 0
1995 3 1
通算 27 4

[編集] 得点数

# 年月日 開催地 対戦国 スコア 結果 試合概要
1 1989年6月11日 日本東京 インドネシアの旗 インドネシア 5-0 勝利 1990 FIFAワールドカップ予選
2 1990年9月26日 中華人民共和国北京 バングラデシュの旗 バングラデシュ 3-0 勝利 アジア競技大会
3 1990年9月26日 中華人民共和国、北京 バングラデシュの旗 バングラデシュ 3-0 勝利 アジア競技大会
4 1995年2月25日 オーストリアシドニー オーストラリアの旗 オーストラリア 1-2 敗戦 親善試合

[編集] 指導歴

[編集] 監督成績

年度 所属 クラブ リーグ戦 カップ戦
順位 試合 勝点 勝利 引分 敗戦 ナビスコ杯 天皇杯
2002 浜松大 - - - - - - - 2回戦敗退
2005 J1 清水 15位 34 39 9 12 13 ベスト8 準優勝
2006 J1 清水 4位 34 60 18 6 10 予選リーグ敗退 ベスト8
2007 J1 清水 4位 34 61 18 7 9 予選リーグ敗退 ベスト8
2008 J1 清水 5位 34 55 16 7 11 準優勝 ベスト8
2009 J1 清水 7位 34 51 13 12 9 ベスト4 ベスト4
2010 J1 清水 6位 34 54 15 9 10 ベスト4 準優勝
J1通算 - 170 - 74 44 52 - -

[編集] 関連項目

[編集] 脚注

  1. ^ 加茂周『モダンサッカーへの挑戦』(講談社)
  2. ^ さくらももこ「ももこのしゃべりことば」ニッポン放送出版 1992年
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