長谷川健太
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
| 長谷川 健太 | ||
|---|---|---|
| 名前 | ||
| 愛称 | ケンタ | |
| カタカナ | ハセガワ ケンタ | |
| ラテン文字 | HASEGAWA Kenta | |
| 基本情報 | ||
| 国籍 | ||
| 生年月日 | 1965年9月25日(42歳) | |
| 出身地 | 静岡県静岡市清水区 | |
| 身長 | 177cm | |
| 体重 | 75kg | |
| 血液型 | A型 | |
| 選手情報 | ||
| ポジション | FW | |
| 利き足 | 右足 | |
| 代表歴 | ||
| 1989-1995 | 27 (4)
|
|
長谷川 健太(はせがわ けんた、1965年9月25日 - )は静岡県清水市(現静岡市清水区)出身の元サッカー選手・サッカー指導者・サッカー解説者。
現役時代はフォワードとして活躍し、右足から繰り出される正確なクロスボールは、「ケンタリング」とも呼ばれた。右45度から放つ豪快なシュートが売り物のFWだった。 現在は清水エスパルスで監督を務める。
目次 |
[編集] 来歴
小学6年次には清水FCの一員として全日本少年サッカー大会優勝、静岡県立清水東高等学校時代は小学生時代からの盟友大榎克己、堀池巧と共に清水東三羽烏としてに高校サッカーで活躍した。
筑波大学を経て1988年に日本サッカーリーグ1部の日産自動車サッカー部(現横浜F・マリノス)へ入部。同年からの2年連続三冠(リーグ、天皇杯、JSL杯)に貢献した。
1991年のJリーグ発足時に地元・清水に誕生した清水エスパルスに入団。1993年にはサッカーワールドカップアメリカ大会への出場をかけた最終予選に日本代表として出場。ドーハの悲劇を味わった。1999年にエスパルスのメンバーとしてJリーグセカンドステージ優勝に貢献。この年を最後に現役引退した。
引退後はNHKでのサッカーの解説者、サッカーの指導者として浜松大学サッカー部監督を務めた。
2005年シーズンから古巣の清水エスパルスの監督に就任。監督1年目の2005年は経験の無さを指摘され、チームも降格・入れ替え戦ラインを彷徨い低迷したが、2年目からは若手選手の活躍により4位と躍進を遂げた。タックル数が極端に少ない緻密なゾーンディフェンスを敷くとともに、サイド攻撃を徹底させる戦術も機能した。
[編集] エピソード
[編集] ブラジル留学
日産自動車サッカー部に入部した1988年、2ヶ月間のブラジル留学を経験した。 これは加茂周の計らいとオスカーの仲立ちにより実現したもので、長谷川はJSLカップ開幕を前に渡伯し、サンパウロFCの2軍の練習に参加した。ちなみに清水秀彦が帯同している。当初は練習のみに参加する予定であったが、監督のカルロス・アルベルト(後に読売クラブ監督)に実力を認められ、特別措置として、2軍の公式戦2試合に出場した。結果は上々で、長谷川はチームに残らないかと勧誘されたという。[1]
[編集] その他
- 1990年の北京・アジア大会終了後、練習中に右膝を痛めて手術を受けることになり、一から出直すつもりで、日産を退部。清水への移籍を決断した。
- 漫画家のさくらももことは同じ小学校で同期であり、代表作「ちびまる子ちゃん」には長谷川健太をモデルにしたサッカー好きの少年「ケンタ」が登場する。ただし同じクラスではなかったため長谷川自身はさくらももこの事を覚えていないらしい。
[編集] 所属クラブ
- 清水FC
- 1981年-1983年 静岡県立清水東高等学校
- 全国高校総体優勝(1981)
- 全国高校選手権大会 優勝(1982)、準優勝(1983)
- 1984年-1987年 筑波大学
- 関東大学リーグ 優勝(1987)
- 1988年-1991年 日産自動車
- 天皇杯優勝 2回(1988、1989)
- 1991年-1999年 清水エスパルス
- ヤマザキナビスコカップ 優勝(1996)
- J1リーグ 2ndステージ 優勝(1999)
[編集] 個人成績
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 日本 | リーグ戦 | JSL杯/ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 1988-89 | 日産 | JSL1部 | 18 | 4 | |||||||
| 1989-90 | 日産 | JSL1部 | 11 | 5 | |||||||
| 1990-91 | 日産 | JSL1部 | 4 | 0 | |||||||
| 1992 | 清水 | - | J | - | |||||||
| 1993 | 清水 | - | J | 36 | 10 | ||||||
| 1994 | 清水 | - | J | 44 | 9 | ||||||
| 1995 | 清水 | - | J | 21 | 3 | - | |||||
| 1996 | 清水 | - | J | 24 | 7 | ||||||
| 1997 | 清水 | 9 | J | 30 | 5 | ||||||
| 1998 | 清水 | 9 | J | 31 | 9 | ||||||
| 1999 | 清水 | 9 | J | 21 | 2 | ||||||
| 通算 | 日本 | J1 | 207 | 45 | |||||||
| 日本 | JSL1部 | 33 | 9 | ||||||||
| 総通算 | 240 | 54 | |||||||||
[編集] 代表歴
[編集] 試合数
- 国際Aマッチ 27試合 4得点(1989-1995)
| 日本代表 | 国際Aマッチ | |
|---|---|---|
| 年 | 出場 | 得点 |
| 1989 | 11 | 2 |
| 1990 | 6 | 1 |
| 1991 | 0 | 0 |
| 1992 | 0 | 0 |
| 1993 | 5 | 0 |
| 1994 | 2 | 0 |
| 1995 | 3 | 1 |
| 通算 | 27 | 4 |
[編集] 指導者としてのキャリア
- 2000年-2001年 - 常葉学園系列の浜松大学と富士常葉大学のサッカー総監督
- 2002年 - 浜松大学サッカー部監督として東海大学リーグ戦1部リーグ、天皇杯静岡県予選大会優勝
- 2004年 - 日本サッカー協会S級指導者ライセンス(Jリーグの監督取得に必須)を取得
- 2005年-現 在 - 清水エスパルスの監督
| 年度 | 所属リーグ | 大会名 | 試合数 | 勝利 | 敗戦 | 引分 | 勝ち点 | 順位 | チーム |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2005年 | J1 | - | 34 | 9 | 13 | 12 | 39 | 15位 | 清水エスパルス |
| 2006年 | J1 | - | 34 | 18 | 10 | 6 | 60 | 4位 | |
| 2007年 | J1 | - | 34 | 18 | 9 | 7 | 61 | 4位 |
[編集] 脚注
- ^ 加茂周「モダンサッカーへの挑戦」(講談社)
| GK |
|---|
| 1 掛川誠|21 西部洋平|29 山本海人|30 武田洋平 |
| DF |
| 2 児玉新|3 山西尊裕|4 高木和道|5 岩下敬輔|15 辻尾真二|25 市川大祐|26 青山直晃|27 廣井友信|32 佐野克彦 |
| MF |
| 6 マルコス・パウロ|7 伊東輝悦|8 枝村匠馬|10 藤本淳吾|13 兵働昭弘|14 高木純平|16 本田拓也|24 永畑祐樹|28 山本真希 |
| FW |
| 9 矢島卓郎|11 戸田光洋|18 マルコス・アウレリオ|19 原一樹|20 西澤明訓|22 大前元紀|23 岡崎慎司|31 長沢駿|33 キム・ドンソプ |
| スタッフ |
| 監督 長谷川健太|コーチ 田坂和昭|GKコーチ 浦上壮史|フィジカルコーチ 杉本龍勇|マスコット パルちゃん |
|
|

