ヨジップ・クゼ

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ヨジップ・クゼ
名前
ラテン文字 Josip Kuže
基本情報
国籍 クロアチア
生年月日 1952年11月13日(56歳)
出身地 Vranje
選手情報
ポジション DF
Template(ノート 解説)サッカー選手pj

ヨジップ・クゼ、ヨシップ・クジェ(Josip Kuže1952年11月13日 - )は、クロアチア出身のサッカー選手、サッカー指導者。日本ではガンバ大阪ジェフユナイテッド市原・千葉で指揮を執った。

目次

[編集] 略歴・人物

現役時代はDFとしてユーゴスラビアU-21代表に選出。ユーゴスラビアリーグでは382試合に出場した。主にクロアチアの名門ディナモ・ザグレブでプレーし、名選手であり、代表監督にもなったズラトコ・クラニチャールらと共にプレーした。引退後、ユーゴスラビアやドイツでコーチや監督を歴任。

[編集] ガンバ大阪コーチ・監督時代

その後、知人であったジークフリート・ヘルトの依頼で1995年にガンバ大阪のトップコーチに就任。96年に監督に昇格。それまでの戦術を切り替え,宮本恒靖や当時高校生だった稲本潤一ら若手を抜擢して先発起用した。 97年の2ndにはパトリック・エムボマの活躍でそれまでの最高順位である2位を獲得。この年、エムボマ効果という言葉を生んだ。エムボマを戦術の中心にしたことでこの順位を得たがエムボマや司令塔であった ネボイシャ・クルプニコビッチを抑えられたり、欠いたりするととたんに強さを失ってしまうため批判も多かった。

同年、ガンバ大阪を退団し、クロアチアに帰国。ガンバ大阪とは2002年までアドバイザリーとして契約をしていた。

[編集] クロアチア帰国後

帰国後、古巣のディナモ・ザグレブ監督等に就任するが、様々な要因からギャンブルに明け暮れる生活を送るようになり、財産のほとんどを失ってしまった。

その後も借金を原因とするトラブルに見舞われ、ガンバとのアドバイザリー契約の打ち切りなどもあったが、2003年に復帰しクロアチアのクラブで監督を歴任する。2005年・06年シーズンにはディナモ・ザグレブを率いてキャリア初の優勝を果たし、UEFAチャンピオンズリーグに出場した。2007年シーズンはヴァルテクス・ヴァラジディンの監督に就任するも開幕4連敗の責任を取り、辞任している。

2007年10月には一旦ルワンダ代表監督に就任したが、2008年1月のクリスマス・正月休暇中にオファーを受けたジェフユナイテッド市原・千葉の監督に就任した。

クロアチアでは解任されても依頼の絶えない人気の監督である。

[編集] ジェフ千葉監督時代

ルワンダ代表監督を辞任し、2008年シーズンから千葉の監督に就任。攻撃サッカーを掲げたものの、オフに羽生直剛山岸智ら日本代表メンバーの主力が5人も移籍した影響は大きく、リーグ11節を終えて0勝2分9敗の勝ち点2、得点8(J1ワースト)、失点25(J1ワースト)という、大差での最下位に低迷した。

チーム浮上のため試行錯誤し、フォーメーションやスタメンを試合毎に変更しつつも、浮上の鍵はつかめないまま、第11節(5月6日)の浦和レッズ戦を3-0で敗戦後、チーム幹部を交えて緊急会談。翌5月7日に解任が発表された。[1]

クゼは監督就任時に、オフシーズンの主力大量流出危機を千葉側から知らされ、来日するとクラブハウスに直行し、自ら主力選手の慰留に努めた。しかし巻誠一郎の引留めには成功したものの、佐藤勇人、羽生直剛らを翻意させることは適わなかった。雑誌のインタビューの席において、記者から説得した選手たちの移籍を初めて教えられ、「それは本当か? 頭が痛くなってきた……」と困惑するコメントを残している[2]。敗戦後の記者会見でも、「主力5人が抜けたこと」をずっと低迷の理由に挙げ続けるなど、就任前の目算が根底から崩れた末の解任劇だった。

[編集] 選手経歴

[編集] 指導経歴

[編集] 脚注

  1. ^ ヨジップ・クゼ監督の契約解除について(2008年5月7日)
  2. ^週刊サッカーダイジェスト」2008年1月22日号

[編集] 関連項目