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手倉森 誠 |
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| 名前 |
| カタカナ |
テグラモリ マコト |
| ラテン文字 |
TEGURAMORI Makoto |
| 基本情報 |
| 国籍 |
日本 |
| 生年月日 |
1967年11月14日(45歳) |
| 出身地 |
青森県三戸郡五戸町 |
| 身長 |
172cm[1] |
| 体重 |
74kg[1] |
| 選手情報 |
| ポジション |
MF |
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| 監督歴 |
| 2008-現 在 |
ベガルタ仙台 |
| ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
手倉森 誠(てぐらもり まこと 1967年11月14日 - )は、青森県五戸町出身の元サッカー選手、サッカー指導者(S級指導者ライセンス所持)で、現在はJリーグのベガルタ仙台監督。
来歴 [編集]
五戸高校在籍時に全国高校サッカー選手権で活躍しユース日本代表に選出される。卒業後、日本サッカーリーグの住友金属(現鹿島アントラーズ)に入団。名称がアントラーズとなった1992年まで在籍、1993年にNEC山形(現モンテディオ山形)に移籍、1995年に引退した。Jリーグでの試合出場はない。
1996年からは指導者となり、モンテディオ山形や大分トリニータのコーチを歴任。2004年からベガルタ仙台のコーチを務め、2007年にヘッドコーチに昇格。また同年からは双子の弟である手倉森浩が仙台のスタッフに加わった。
2008年、前任・望月達也の監督辞任を受け、監督に昇格(望月の推薦による)。この年は3位となり、J1・J2入れ替え戦に回ったが、その入れ替え戦でジュビロ磐田に1分1敗。J1昇格はならなかった。
就任2年目の2009年は開幕時から好調を維持し、チームをJ2初優勝という形で7シーズンぶりのJ1復帰、さらに初の天皇杯ベスト4へと導いた。
チームがJ1に昇格した2010年も引き続き仙台を指揮。14戦連続非勝利(5分9敗)など、J2時代には経験したことがない苦戦を強いられたが、最終的には14位でJ1残留。
2011年は開幕直後に東日本大震災に伴う約1ヵ月半の中断期間があったが、開幕から12戦連続不敗(6勝6分)を記録。震災後初戦となった4月23日の川崎戦で逆転勝ちした際、試合後のインタビューで感極まり、涙を流した。最終的にはチーム最高の4位に導いた。
2012年は開幕時から好調を維持。初のJ1優勝こそ逃したものの、前年を上回る2位に終わり、チームを初のAFCチャンピオンズリーグ出場権獲得に導いた。
2013年も引き続き仙台を指揮。監督就任6年目を迎える。
所属クラブ [編集]
指導歴 [編集]
- 1996年-2000年 : モンテディオ山形 コーチ
- 2001年-2003年 : 大分トリニータ
- 2001年 : フィジカルコーチ
- 2002年-2003年 : ヘッドコーチ
- 2004年-現在 : ベガルタ仙台
- 2004年-2006年 : コーチ
- 2007年 : ヘッドコーチ
- 2008年-現在 : 監督
出場大会 [編集]
個人成績 [編集]
監督成績 [編集]
| 年度 |
所属 |
クラブ |
リーグ戦 |
カップ戦 |
国際大会 |
| 順位 |
試合 |
勝点 |
勝 |
分 |
敗 |
ナビスコ杯 |
天皇杯 |
| 2008 |
J2 |
仙台 |
3位 |
42 |
70 |
18 |
16 |
8 |
- |
4回戦敗退 |
- |
| 2009 |
優勝 |
51 |
106 |
32 |
10 |
9 |
- |
ベスト4 |
| 2010 |
J1 |
14位 |
34 |
39 |
10 |
9 |
15 |
ベスト8 |
2回戦敗退 |
- |
| 2011 |
4位 |
34 |
56 |
14 |
14 |
6 |
2回戦敗退[2] |
ベスト16 |
- |
| 2012 |
2位 |
34 |
57 |
15 |
12 |
7 |
ベスト8 |
3回戦敗退 |
- |
| J1通算 |
- |
102 |
152 |
39 |
35 |
28 |
- |
- |
- |
| J2通算 |
- |
93 |
176 |
50 |
26 |
17 |
- |
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参考文献 [編集]
脚注 [編集]
- ^ a b 『Jリーグオフィシャルガイド1992-1993』p29
- ^ 東日本大震災発生によるスケジュールの逼迫化に伴い、トーナメント戦に。
関連項目 [編集]
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ベガルタ仙台及びその前身チーム歴代監督 |
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ブランメル仙台
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ベガルタ仙台
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