永井謙佑

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永井 謙佑
名前
愛称 謙ちゃん[1]、永ちゃん、ハヤブサ
カタカナ ナガイ ケンスケ
ラテン文字 NAGAI Kensuke
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1989-03-05) 1989年3月5日(35歳)
出身地 広島県福山市
身長 177cm
体重 72kg
選手情報
在籍チーム 日本の旗 名古屋グランパス
ポジション FW / MF
背番号 18
利き足 右足[2][3]
ユース
2004-2006 九州国際大学付属高等学校
2007-2010 福岡大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2009 日本の旗 アビスパ福岡特別指定 5 (0)
2010 日本の旗 ヴィッセル神戸(特別指定) 3 (0)
2011-2012 日本の旗 名古屋グランパス 57 (13)
2013-2014 ベルギーの旗 スタンダール・リエージュ 11 (0)
2013-2014 日本の旗 名古屋グランパス(loan) 42 (12)
2015-2016 日本の旗 名古屋グランパス 62 (17)
2017-2022 日本の旗 FC東京 179 (21)
2022- 日本の旗 名古屋グランパス 79 (12)
代表歴2
2007-2009  日本 U-20 11 (6)
2010-2012  日本 U-23 31 (13)
2010-2019 日本の旗 日本 12 (3)
1. 国内リーグ戦に限る。2024年1月5日現在。
2. 2019年11月19日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

永井 謙佑(ながい けんすけ、1989年3月5日 - )は、広島県福山市出身のプロサッカー選手[4]Jリーグ名古屋グランパス所属。ポジションはフォワード[5]ミッドフィールダー。元日本代表

来歴[編集]

生い立ち[編集]

父親の仕事の都合で3歳の頃から家族と共にブラジルイパチンガに移住[2][3]。兄の影響を受け、近所の道端にて裸足で現地の子供達とストリートサッカーをしており[6][7][2]ポルトガル語も喋れたという[8]

8歳の時に帰国[8][2][3]福岡県北九州市八幡西区の中学校を卒業後、兄と同じく[7]九州国際大学付属高校に進学。入学時には小柄だったが[8]在学中に「背が伸びて急に脚が速くなった」と抜群の脚力と得点力が開花[2][9]杉山公一監督の下、3年時に全国高校サッカー選手権に出場し[3]、強豪・富山第一高校相手に2得点を挙げて1回戦を突破するも、2回戦では桐光学園高校に0-1で敗退。

福岡大学[編集]

福岡大学監督の乾眞寛が杉山の師に当たることもあり[10][11]、2007年に同大学へ進学。トップスピードに至るまでの初速に強みを見出され[6]1年時から背番号10を着け主力としてプレー[12]

2009年の総理大臣杯では全4試合連続得点の計5得点を挙げ、福岡大学の大会初優勝に貢献[3]。また同年の天皇杯では2回戦水戸ホーリーホック戦、3回戦ガンバ大阪戦でJリーグ勢から得点を記録した。2010年の九州大学リーグでは多田高行清武功暉中原秀人大山直哉らを大きく引き離してアシスト王を獲得[13]。4年間の通算では43試合28得点。大学の卒業論文は「2010 FIFAワールドカップの得点傾向に対する一考察」。

また、2009年にはJ2アビスパ福岡の特別指定選手として登録され[14]篠田善之監督の下でプレー。5月30日に行われた岐阜戦でJリーグ公式戦初出場を果たし、通年でJ2計5試合に出場した。翌2010年はJ1ヴィッセル神戸の特別指定選手に登録された[15][16]

入学時には大学限りでサッカーを終えるつもりでいたが[17]、2010年には10以上のJリーグクラブが獲得に動いていると報じられ[18][19][20]、7月末から8月中旬にかけて練習参加先として選んだ浦和レッズFC東京名古屋グランパスの3クラブと[21][22]、特別指定先だった福岡・神戸の2クラブとの交渉を経て[23]、同年末に名古屋入団を決めた[5]

名古屋グランパス[編集]

2011年より名古屋でプレー。アジア大会出場により、新人ながらA契約を締結した[24]。同年3月1日、AFCチャンピオンズリーグ(ACL)開幕戦の杭州緑城(中国)戦で後半から途中出場しプロデビュー。同月5日、Jリーグ開幕戦の横浜FM戦に途中出場し、自身の突破によりPKを獲得する活躍でJリーグデビューを飾った[24]。翌4月6日にはACL第2節FCソウル(韓国)戦でプロ初得点。J1第20節[注 1]磐田戦でJリーグ初得点。リーグ戦後半からスーパーサブとしての起用が続いた[26][25]

2012年は先発出場を続けチーム最多となる10得点を達成[27]

スタンダール・リエージュ[編集]

名古屋とは2013年末までの契約を結んでいたが[28]オリンピックでの活躍を目に留めた[29]ジュピラーリーグ(ベルギー1部リーグ)スタンダール・リエージュから設定額を上回る移籍金を提示され、2013年1月に同クラブへ完全移籍[30]。契約期間は2017年6月までの4年半[31][29]

2月10日のリーグ第26節モンス戦で移籍後初出場を果たしたが、同地での筋力トレーニングを続ける中で長所のスピードを失ってしまい[32]、レギュラーに定着できないまま2012-13シーズンを終えた。翌2013-14シーズンに際して状況の好転が見込まれない中、古巣名古屋から復帰オファーを受けた[33][34]

名古屋グランパス(第2期)[編集]

2013年8月、名古屋へ期限付き移籍[35]。登録完了直後のJ1第21節広島から出場を続けたものの[36]、ベルギーで崩していたフィジカルは本調子には戻らなかった[32]

2014年夏場にかけて復調し、期限付き移籍期間を延長[37]。得点を量産し通年では自己最多の12得点を記録した。また同年の天皇杯では宇佐美貴史と並んで6得点を挙げ大会得点王に輝いた。

2015年1月、完全移籍へ移行し[38] 退団した玉田圭司に代わって背番号を11に変更。同年はサイドハーフやウイングバックといった[39] 不慣れなポジションでの起用にも応え[40]、爆発的なスプリント力を活かして[32]守備では相手に食らいつき[39]、攻撃でも長距離を加速して相手ゴールを脅かした[41]。通年では2年連続の二桁得点を達成。

2016年は、小倉隆史新体制下で局面ごとの判断に戸惑い精彩を欠いていたが[42]、小倉解任後の2nd第14節福岡戦で自身初のハットトリックを達成した[43]

2017シーズン開始前、グランパスがJ2へと降格したことを受けFC東京への移籍を発表。永井はグランパスに残留する意向だったが、グランパス側は永井にわずかな半年契約を提示。永井はこれに唖然とし延長を拒否していた[44]

FC東京[編集]

複数クラブの争奪を経て[45]、2017年より福岡でも師事した篠田が率いるFC東京へ完全移籍[46][47]。5月3日、ルヴァンカップ第3節の北海道コンサドーレ札幌戦で移籍後初得点を決めた。2018年4月28日、第11節の名古屋グランパス戦では古巣相手に3試合連続得点を決めた[48]

2019年3月17日、第4節の名古屋グランパス戦では古巣相手に再び得点を決めて首位浮上に貢献した[49]。4月14日、第7節の鹿島アントラーズ戦ではJ1通算50得点を決めた[50]。6月29日、第17節の横浜F・マリノス戦では1得点1アシストの活躍で前半戦首位に貢献した[51]

名古屋グランパス(第3期)[編集]

2022年7月11日、完全移籍という形で約5年半ぶりに名古屋グランパスへの復帰が発表された[52]。7月30日の札幌戦でアシストを記録[53]。8月6日の浦和戦ではJリーグ通算350試合出場を達成し[54]、自身は2アシストおよび1ゴールと全ての得点に関わった[55]

日本代表[編集]

高校選手権での活躍から[17]、大学進学後すぐにU-18日本代表メンバー入り。2008年の大学2年次にAFC U-19選手権に出場。チームは準々決勝韓国戦で敗れたものの、柿谷曜一朗の控えという立場ながら[56]イラン戦のハットトリックを含む4得点を挙げ[57]、得点王となった[7]。同大会敗退の悔しさからプロ入り及びオリンピック出場を決意[7][17]

2009年には日本代表として第25回ユニバーシアードに参加。持ち前のスピードを活かすべく相手が体力を消耗した時間帯に途中投入され[58]、ブラジル戦及びタイ戦のハットトリックを含む大会通算7得点を記録。得点王を獲得し[3][7]日本の銅メダル獲得に貢献した。同年12月21日、2010年1月6日開催AFCアジアカップ最終予選イエメン戦に臨む日本代表に選出された[59]流通経済大学山村和也も選出され、大学生のA代表入りは18年ぶりのことであった[60]

さらに、2010年6月開催のFIFAワールドカップ日本代表メンバー発表前の最後の公式戦であるセルビア戦に招集されるなど[3] 現役大学生初のワールドカップ出場に期待を寄せられたが[18]、本大会にはサポートメンバーとして帯同するに留まった[61]

同年、ロンドンオリンピックに向けた日本代表の発足メンバーとして広州アジア大会に招集されると、俊足を活かして[26]5得点を挙げて得点王となり[7][62] チームの優勝に貢献。オリンピック予選では、2011年2月のシリア戦の1得点のみで控えに回り、同年のトゥーロン国際大会も名古屋のACL参加によって招集されなかった[26]

2012年Jリーグ前半戦の好調ぶりもあってオリンピック本大会のメンバーに選出されると[63]、ボール保持者へのチェイシングや球際で怯まない姿勢[64] で相手守備陣を混乱させ[1]、グループリーグ第2戦モロッコ[26] での決勝点及び準々決勝エジプト戦での先制点を記録。俊敏さと勤勉さ、縦への推進力で[65] エースとしてチームを牽引した[26]。大会後、アルベルト・ザッケローニA代表監督からの招集は無かったものの[32]、ザッケローニは、もし(規定の23名ではなく)25名を(2014年の)ワールドカップに招集できるなら永井のような選手を選んでいた、と能力を認められていた[66]

2015年3月、ヴァイッド・ハリルホジッチ新体制となったA代表に選出[32]ワールドカップ予選[67] 及び東アジアカップ[68] を戦った。

2019年6月、内転筋を負傷した鈴木武蔵に替わって森保一体制になって初めて代表に招集された。9日に行われたエルサルバドル代表戦で4年ぶりの代表戦出場を果たし、代表初ゴールを含む2得点の活躍で勝利に貢献[69]。また、前半19分に決めた得点は日本代表にとって令和での初ゴールとなった[70]。同年にはJリーグベストイレブンに選出された[71][72]

所属クラブ[編集]

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2009 福岡大 10 - - - 3 3 3 3
2009 福岡 29 J2 5 0 - - 5 0
2010 神戸 35 J1 3 0 0 0 - 3 0
2011 名古屋 18 27 3 2 2 4 2 33 7
2012 30 10 0 0 3 2 33 12
ベルギー リーグ戦 リーグ杯ベルギー杯 期間通算
2012-13 リエージュ 13 ジュピラー 3 0 - - 3 0
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2013 名古屋 18 J1 14 0 - 1 0 15 0
2014 28 12 6 1 4 6 38 19
2015 11 31 10 4 1 0 0 35 11
2016 31 7 3 0 0 0 34 7
2017 FC東京 15 30 1 8 1 1 0 39 2
2018 11 32 5 2 0 1 0 35 5
2019 33 9 4 1 2 0 39 11
2020 26 4 2 0 - 28 4
2021 38 2 10 2 1 1 49 5
2022 20 0 1 0 2 0 23 0
名古屋 45 13 4 2 0 - 15 4
2023 18 33 4 7 2 3 0 43 6
通算 日本 J1 389 71 51 10 22 11 462 92
日本 J2 5 0 - - 5 0
日本 - - 3 3 3 3
ベルギー ジュピラー 3 0 - - 3 0
総通算 397 71 51 10 25 14 473 95
  • 2009、2010年は特別指定選手として出場。

その他の公式戦

  • 2013年
    • ジュピラーリーグ プレーオフ 8試合0得点
国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFCACL
2011 名古屋 18 7 2
2012 7 1
2020 FC東京 11 4 1
通算 AFC 18 4

その他の国際公式戦

代表歴[編集]

出場大会[編集]

試合数[編集]

  • 国際Aマッチ 12試合 3得点(2010年 - 2019年)


日本代表国際Aマッチ
出場得点
2010 1 0
2015 5 0
2019 6 3
通算 12 3

出場[編集]

No. 開催日 開催都市 スタジアム 対戦国 結果 監督 大会
1. 2010年1月5日 イエメンの旗 サナア アル・サウラ・スポーツ・シティ・スタジアム イエメンの旗 イエメン ○3-2 岡田武史 AFCアジアカップ2011予選
2. 2015年3月27日 日本の旗 大分 大分スポーツ公園総合競技場 チュニジアの旗 チュニジア ○2-0 ヴァイッド・ハリルホジッチ キリンチャレンジカップ2015
3. 2015年6月11日 日本の旗 横浜 日産スタジアム イラクの旗 イラク ○4-0
4. 2015年8月2日 中華人民共和国の旗 武漢 武漢体育中心 朝鮮民主主義人民共和国の旗 朝鮮民主主義人民共和国 ●1-2 EAFF東アジアカップ2015
5. 2015年8月5日 大韓民国の旗 韓国 △1-1
6. 2015年8月9日 中華人民共和国の旗 中国 △1-1
7. 2019年6月9日 日本の旗 利府 ひとめぼれスタジアム宮城 エルサルバドルの旗 エルサルバドル ○2-0 森保一 キリンチャレンジカップ2019
8. 2019年9月5日 日本の旗 鹿嶋 茨城県立カシマサッカースタジアム パラグアイの旗 パラグアイ ○2-0
9. 2019年10月10日 日本の旗 さいたま 埼玉スタジアム2002 モンゴルの旗 モンゴル ○6-0 2022 FIFAワールドカップ・アジア2次予選
AFCアジアカップ2023予選
10. 2019年10月15日 タジキスタンの旗 ドゥシャンベ ドゥシャンベ・セントラル・スタジアム タジキスタンの旗 タジキスタン ○3-0
11. 2019年11月14日 キルギスの旗 ビシュケク ドレン・オムルザコフ・スタジアム キルギスの旗 キルギス ○2-0
12. 2019年11月19日 日本の旗 吹田 パナソニックスタジアム吹田 ベネズエラの旗 ベネズエラ ●1-4 キリンチャレンジカップ2019

ゴール[編集]

# 開催年月日 開催地 対戦国 勝敗 試合概要
1. 2019年6月9日 日本の旗 利府  エルサルバドル ○2-0 キリンチャレンジカップ2019
2.
3. 2019年10月10日 日本の旗 さいたま モンゴルの旗 モンゴル ○6-0 2022 FIFAワールドカップ・アジア2次予選

タイトル[編集]

チーム[編集]

福岡大学
名古屋グランパス
FC東京

代表[編集]

個人[編集]

脚注[編集]

注釈
出典
  1. ^ a b <関塚ジャパン、躍進の原動力> 永井謙佑&清武弘嗣「世界を震撼させたカウンター」(1/2) Number Web (2012年8月23日)
  2. ^ a b c d e 九州国際大付に韋駄天 / 高校サッカー - ウェイバックマシン(2007年1月3日アーカイブ分)日刊スポーツ (2006年12月17日)
  3. ^ a b c d e f g 岡田監督、平山より寿人より福岡大・永井! スーパーサブは快足FW - ウェイバックマシン(2010年4月9日アーカイブ分)スポーツ報知 (2010年3月29日)
  4. ^ 【郷土勢】「謙佑やった」サッカー男子永井選手の祖父母、笠岡・神島で応援 - ウェイバックマシン(2012年10月20日アーカイブ分)中国新聞 (2012年8月5日)
  5. ^ a b c d 永井謙佑選手、来季新加入内定のお知らせ - ウェイバックマシン(2010年12月12日アーカイブ分) 名古屋グランパス (2010年12月10日)
  6. ^ a b ハリルJAPANのスター候補生、永井謙佑が持つ風変わりなルーツと指導 SOCCERKING (2015年4月3日)
  7. ^ a b c d e f 【ロンドンの残光】ロンドン五輪サッカー日本代表の真実「Episode 6 メンバーに選ばれた永井謙佑の重責」 SOCCERKING (2014年12月31日)
  8. ^ a b c d 第1回 幼少時代に過ごしたサッカー王国・ブラジル ジュニアサッカーを応援しよう! 2015年5月27日閲覧
  9. ^ 第4回 高校3年生で一気にブレイク! ジュニアサッカーを応援しよう!
  10. ^ 「“速さ”の質が違っていた」永井謙佑のルーツを探る (1/6) ライブドアニュース (2012年7月31日)
  11. ^ 「こいつは、化けなくてはいけない」永井謙佑のルーツを探る (2/6) ライブドアニュース (2012年8月1日)
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  13. ^ 九州大学リーグ 2010 アシストランキング 九州大学リーグ (2010年11月21日)
  14. ^ 登録選手 追加・変更・抹消のお知らせ Jリーグ (2009年3月13日)
  15. ^ a b c d 福岡大学FW永井謙佑選手、JFA・Jリーグ特別指定選手承認のお知らせ - ウェイバックマシン(2010年3月6日アーカイブ分)ヴィッセル神戸 (2010年3月2日)
  16. ^ 登録選手 追加・変更・抹消のお知らせ Jリーグ (2010年3月5日)
  17. ^ a b c 【インタビュー】名古屋グランパス 永井謙佑選手 モアイ (2015年9月10日)
  18. ^ a b 福岡大FW永井、代表選出に「びっくり」 日刊スポーツ (2010年3月30日)
  19. ^ ヒデ以来の争奪戦! 福岡大・永井に11クラブ スポーツニッポン (2010年1月7日)
  20. ^ 代表FWの福岡大・永井に正式オファー…神戸”. スポーツ報知 (2010年2月25日). 2010年2月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年2月26日閲覧。
  21. ^ 福岡大永井プロ入り3クラブへ進路絞った 日刊スポーツ (2010年7月31日)
  22. ^ 永井 平山と2トップ? 相性に好感触 スポーツニッポン、2010年8月8日
  23. ^ アビ総動員 永井獲得へ 交渉に社長ら三役&監督&強化統括 西日本スポーツ、2010年12月2日
  24. ^ a b 永井と長い5年契約を準備! エースの海外流出防止…名古屋 - ウェイバックマシン(2011年4月20日アーカイブ分)スポーツ報知
  25. ^ a b 選手出場記録 (2/2) Jリーグ (2011年12月3日)
  26. ^ a b c d e 持ち前の快足を遺憾なく発揮した永井謙佑 J SPORTS (2012年7月30日)
  27. ^ 選手出場記録 (1/2) Jリーグ (2012年12月1日)
  28. ^ 永井ベルギー移籍 川島在籍スタンダール 日刊スポーツ (2013年1月16日)
  29. ^ a b <ベルギーから始まる挑戦> 永井謙佑×小野裕二「リエージュが日本人アタッカーを欲しがる理由」 Number Web (2013年3月1日)
  30. ^ 永井謙佑選手、スタンダール・リエージュへ完全移籍のお知らせ - ウェイバックマシン(2013年1月22日アーカイブ分) 名古屋グランパス (2013年1月20日)
  31. ^ EEN 2E JAPANNER BIJ DE ROUCHES! スタンダール・リエージュ (2013年1月16日)(オランダ語)
  32. ^ a b c d e 日本代表の新たな武器へ…復活した“スピードスター”永井謙佑の可能性 SOCCERKING (2015年3月24日)
  33. ^ 永井 名古屋復帰へ! Sリエージュから期限付き移籍 スポーツニッポン (2013年8月11日)
  34. ^ 永井謙佑 名古屋復帰内定 日刊スポーツ (2013年8月11日)
  35. ^ 永井謙佑選手、期限付き移籍加入のお知らせ - ウェイバックマシン(2013年8月16日アーカイブ分)名古屋グランパス (2013年8月12日)
  36. ^ 選手出場記録 (2/2) Jリーグ (2013年)
  37. ^ 永井謙佑選手、期限付き移籍延長のお知らせ - ウェイバックマシン(2014年7月12日アーカイブ分) 名古屋グランパス (2014年7月9日)
  38. ^ 永井謙佑選手、名古屋グランパスへ完全移籍のお知らせ - ウェイバックマシン(2015年1月16日アーカイブ分)名古屋グランパス (2015年1月16日)
  39. ^ a b 【名古屋】守備でも魅せる―永井謙佑が放った新たな輝き (1/2) サッカーダイジェストweb (2015年4月13日)
  40. ^ 永井謙佑は日本代表の“飛び道具”になる―。突然のコンバートで見えた、J最強スピードスターの新たな可能性 (2/4) フットボールチャンネル (2015年5月8日)
  41. ^ 永井謙佑は日本代表の“飛び道具”になる―。突然のコンバートで見えた、J最強スピードスターの新たな可能性 (3/4) フットボールチャンネル (2015年5月8日)
  42. ^ 【名古屋】救世主は闘莉王だけじゃない!? 韋駄天・永井が醸し出す復活の予感 - サッカーダイジェストweb (2016年10月3日)
  43. ^ 名古屋が3か月ぶりに降格圏脱出!!「生きるか死ぬか」残り3戦へ - ゲキサカ (2016年10月1日)
  44. ^ 中日スポーツ 2016年11月20日
  45. ^ 永井、FC東京移籍が決定的 近日中にも合意発表 中日スポーツ (2016年12月5日)
  46. ^ 永井 謙佑選手、FC東京へ完全移籍のお知らせ 名古屋グランパス (2016年12月19日)
  47. ^ 永井謙佑選手 完全移籍加入のお知らせ FC東京 (2016年12月19日)
  48. ^ 痛烈1G1A!!3戦連発絶好調の永井謙佑、名古屋サポのブーイングは「仕方がない」 ゲキサカ(2018年4月18日)
  49. ^ FC東京が4年ぶり首位浮上!!決勝点のFW永井謙佑は古巣戦3戦連発に「気まずい」 - ゲキサカ(2019年3月17日)
  50. ^ 永井謙佑がJ1通算50得点達成「ディエゴと2人で取れたらいいねと」 - ゲキサカ(2019年4月14日)
  51. ^ FC東京が首位ターン!永井1G1AやD・オリヴェイラ2G含む4発で2位横浜FMを粉砕 - サンケイスポーツ(2019年6月30日)
  52. ^ 永井 謙佑選手、移籍加入のお知らせ - 名古屋グランパス (2022年7月11日)
  53. ^ 新戦力FW永井がアシスト記録も…名古屋は札幌MF青木の“恩返し弾”で追いつかれドロー - ゲキサカ (2022年7月30日)
  54. ^ 名古屋FW永井謙佑、移籍後初ゴール&2アシスト 5年半ぶりの古巣復帰で見せた「成長」 - スポーツ報知 (2022年8月7日)
  55. ^ 【名古屋】長谷川健太監督、全得点にからんだFW永井謙佑を称賛「非常にFWらしい仕事を」 - 日刊スポーツ (2022年8月6日)
  56. ^ 「香川と同室にしたら、落ち込んで帰ってきた」永井謙佑のルーツを探る (4/6) ライブドアニュース (2012年8月3日)
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  71. ^ 2019Jリーグ 各賞発表のお知らせ 最優秀選手賞は仲川 輝人選手(横浜F・マリノス)が初受賞~横浜F・マリノスからの受賞は3人目、得点王とダブル受賞~』(プレスリリース)日本プロサッカーリーグ、2019年12月8日https://www.jleague.jp/release/post-62206/2019年12月8日閲覧 
  72. ^ 「2019Jリーグベストイレブン」を6選手が受賞!』(プレスリリース)FC東京、2019年12月8日https://www.fctokyo.co.jp/news/108312019年12月8日閲覧 
  73. ^ Standard Liège vs. Mons 0-1 SOCCERWAY(英語)
  74. ^ アジア杯予備登録50人にアギーレJ未招集の14人が入る ゲキサカ (2014年12月8日)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]