寺田周平
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| 寺田 周平 | ||
|---|---|---|
| 名前 | ||
| 愛称 | シュウヘイ、テラコフ | |
| カタカナ | テラダ シュウヘイ | |
| ラテン文字 | TERADA Shuhei | |
| 基本情報 | ||
| 国籍 | ||
| 生年月日 | 1975年6月23日(34歳) | |
| 出身地 | 神奈川県 | |
| 身長 | 189cm | |
| 体重 | 80kg | |
| 血液型 | O型 | |
| 選手情報 | ||
| 在籍チーム | 川崎フロンターレ | |
| ポジション | DF | |
| 背番号 | 13 | |
| 利き足 | 右足 | |
| クラブチーム1 | ||
| 年 | クラブ | App (G) |
| 1999- | 川崎フロンターレ | 158 (8) |
| 代表歴2 | ||
| 2008- | 5 (0) | |
| 1. 国内リーグ戦に限る。2008年12月30日現在。 2. 2009年1月28日現在。 ■Template(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
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寺田 周平(てらだ しゅうへい、1975年6月23日 - )は、日本のプロサッカー選手。Jリーグディビジョン1(J1)・川崎フロンターレ所属。ポジションはディフェンダー。神奈川県横須賀市出身。
目次 |
[編集] 来歴
日本サッカーリーグ(JSL)・日産自動車サッカー部の下部組織で本格的にサッカーを始める。その後、神奈川県立横須賀高等学校から東海大学へ進学。在学中はサッカー部自体は関東2部や神奈川県リーグに所属していたが、1995年に開催されたユニバーシアード福岡大会でサッカー競技代表の中心選手として日本の大会初優勝に貢献し、プロからも注目を浴びる。卒業後は日産サッカー部の後身、Jリーグの横浜マリノス(現在の横浜F・マリノス)への入団が内定していたが、メディカルチェックで頸椎に問題が発見されて不合格となり、1年間の浪人生活を過ごした。
1999年、Jリーグ2部(J2)の川崎フロンターレに入団。日本には珍しい長身のボランチとして大きな期待を集め、背番号「6」を与えられて開幕戦から先発メンバーとしてで出場した。シーズン途中は負傷により離脱したが、終盤戦に復帰してチームの優勝に貢献した。
チームがJ1に昇格した2000年にもレギュラーとなったが、5月の練習中に膝の靱帯を損傷し離脱。5月3日のジュビロ磐田戦でJリーグ初ゴールと初退場を記録した直後の負傷で、さらに他の負傷なども重なって、公式戦復帰には約2年半を要した。以降、運動量が比較的少なくて済み、屈強な身体を活かせるディフェンダー(センターバック)に転向したが、度重なる怪我に悩まされ、ほとんど公式戦に出場できない日々が続いた。しかし2004年に復活を遂げ、伊藤宏樹、箕輪義信と組んだ長身3バック(通称・川崎山脈)は守備の安定に大きく貢献した。
2008年5月27日のキリンカップ・パラグアイ戦で、32歳339日で日本代表初出場(歴代4番目の年長記録、Jリーグ発足後では最年長)。
[編集] プレースタイル
長身を生かしたヘディングが得意で、セットプレーからの得点も多い。また、川崎に在籍していたアウグストが「日本で一番巧いディフェンダー」と称したように、足下の技術も確かで、現在の本職のセンターバックだけではなく、入団時のポジションだったボランチもこなせる器用さも兼ね備える。アビリティにも長けており、所属する川崎でも30メートル走はジュニーニョ、黒津勝に次ぐ3番目の3秒9。2004年以降は負傷時を除いたほぼ全ての試合で先発メンバーに入っている。川崎の同僚である北朝鮮代表FW鄭大世が「日本で一番嫌なDF」と称したようにプレー面、または人間性においてもチームの同僚からも信望が厚く、Jリーグ選手協会では2004年に川崎支部の会長、2005-06年には副会長を務めた。
[編集] エピソード
- ルーキーイヤーだった1999年、当時の松本育夫監督をして「将来間違いなく代表に入る選手」と言わしめた。その言葉は、度重なる怪我による低迷期を経て9年後の2008年に現実のものとなった。
- ゴルゴ13を愛読している。(スーパーサッカー2009年2月21日放送より)
[編集] 所属クラブ
- 1988年 - 1990年 日産FCジュニアユース
- 1991年 - 1993年 神奈川県立横須賀高等学校
- 1994年 - 1997年 東海大学
- 1999年 - 現 在 川崎フロンターレ
[編集] 個人成績
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 1999 | 川崎 | 6 | J2 | 12 | 0 | 2 | 0 | 4 | 0 | 18 | 0 |
| 2000 | 川崎 | 6 | J1 | 8 | 1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 10 | 1 |
| 2001 | 川崎 | 6 | J2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
| 2002 | 川崎 | 6 | J2 | 4 | 1 | - | 0 | 0 | 4 | 1 | |
| 2003 | 川崎 | 13 | J2 | 3 | 0 | - | 4 | 0 | 7 | 0 | |
| 2004 | 川崎 | 13 | J2 | 33 | 2 | - | 3 | 1 | 36 | 3 | |
| 2005 | 川崎 | 13 | J1 | 26 | 2 | 6 | 3 | 2 | 0 | 35 | 5 |
| 2006 | 川崎 | 13 | J1 | 22 | 0 | 7 | 0 | 1 | 0 | 30 | 0 |
| 2007 | 川崎 | 13 | J1 | 29 | 1 | 4 | 0 | 4 | 0 | 37 | 1 |
| 2008 | 川崎 | 13 | J1 | 21 | 1 | 3 | 1 | 1 | 0 | 25 | 2 |
| 2009 | 川崎 | 13 | J1 | ||||||||
| 通算 | 日本 | J1 | 106 | 5 | 22 | 4 | 8 | 0 | 136 | 9 | |
| 日本 | J2 | 52 | 3 | 2 | 0 | 11 | 1 | 65 | 4 | ||
| 総通算 | 158 | 8 | 24 | 4 | 19 | 1 | 201 | 13 | |||
| 国際大会個人成績 | ||||
|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 |
| AFC | ACL | |||
| 2007 | 川崎 | 13 | 7 | 0 |
| 2009 | 川崎 | 13 | ||
| 通算 | AFC | 7 | 0 | |
[編集] 経歴
[編集] 代表歴
- 国際Aマッチ 5試合 0得点(2008年 - )
| 日本代表 | 国際Aマッチ | |
|---|---|---|
| 年 | 出場 | 得点 |
| 2008 | 4 | 0 |
| 2009 | 1 | 0 |
| 通算 | 5 | 0 |
|
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