寺田周平
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寺田 周平 |
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| 名前 |
| 愛称 |
シュウヘイ、テラコフ |
| カタカナ |
テラダ シュウヘイ |
| ラテン文字 |
TERADA Shuhei |
| 基本情報 |
| 国籍 |
日本 |
| 生年月日 |
1975年6月23日(36歳) |
| 出身地 |
神奈川県 |
| 身長 |
189cm |
| 体重 |
80kg |
| 選手情報 |
| ポジション |
DF |
| 利き足 |
右足 |
| クラブチーム1 |
| 年 |
クラブ |
出場 (得点) |
| 1999-2010 |
川崎フロンターレ |
191 (8) |
|
| 代表歴 2 |
| 2008-2009 |
日本 |
6 (0) |
|
1. 国内リーグ戦に限る。現在。
2. 2010年6月29日現在。
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寺田 周平(てらだ しゅうへい、1975年6月23日 - )は、日本の元プロサッカー選手。ポジションはディフェンダー。神奈川県横須賀市出身。
[編集] 来歴
日産自動車サッカー部の下部組織で本格的にサッカーを始める。その後、神奈川県立横須賀高等学校から東海大学へ進学。在学中はサッカー部自体は関東2部や神奈川県リーグに所属していたが、1995年に開催されたユニバーシアード福岡大会でサッカー競技代表の中心選手として日本の大会初優勝に貢献し、プロからも注目を浴びる。卒業後は日産サッカー部の後身、Jリーグの横浜マリノス(現在の横浜F・マリノス)への入団が内定していたが、メディカルチェックで頸椎に問題が発見されて不合格となり、1年間の浪人生活を過ごした。
1999年、Jリーグ2部(J2)の川崎フロンターレに入団。日本には珍しい長身のボランチとして大きな期待を集め、背番号「6」を与えられて開幕戦から先発メンバーとして出場した。シーズン途中は負傷により離脱したが、終盤戦に復帰してチームの優勝に貢献した。
チームがJ1に昇格した2000年にもレギュラーとなったが、5月の練習中に膝の靱帯を損傷し離脱。5月3日の磐田戦でJリーグ初ゴールと初退場を記録した直後の負傷で、さらに他の負傷なども重なって、公式戦復帰には約2年半を要した。以降、運動量が比較的少なくて済み、屈強な身体を活かせるディフェンダー(センターバック)に転向したが、度重なる怪我に悩まされ、ほとんど公式戦に出場できない日々が続いた。しかし2004年に復活を遂げ、伊藤宏樹、箕輪義信と組んだ長身3バック(通称・川崎山脈)は守備の安定に大きく貢献した。
Jリーグ選手協会では2004年に川崎支部の会長、2005-06年には副会長を務めた。
2008年5月27日のキリンカップ・パラグアイ戦で、32歳339日で日本代表初出場(歴代4番目の年長記録、Jリーグ発足後では最年長)。
2010年は両ひざを手術した影響もあり公式戦13試合の出場に止まる。シーズン終了後、現役引退を発表した。
[編集] エピソード
- ルーキーイヤーだった1999年、当時の松本育夫監督をして「将来間違いなく代表に入る選手」と言わしめた。その言葉は、度重なる怪我による低迷期を経て9年後の2008年に現実のものとなった。
- ゴルゴ13を愛読している。(スーパーサッカー2009年2月21日放送より) また、背番号13もそれが由来。
- 2009年6月に横須賀市長となった吉田雄人とは県立横須賀高校での同級生である。吉田は横須賀市議時代の2008年4月に寺田が日本代表候補に選ばれた際に自分のブログで祝辞を送り[1]、寺田は吉田が市長選挙で当選した際に共通の知人を通じてメールを送っている[2]。
[編集] 所属クラブ
[編集] 個人成績
| 国内大会個人成績 |
| 年度 |
クラブ |
背番号 |
リーグ |
リーグ戦 |
リーグ杯 |
オープン杯 |
期間通算 |
| 出場 |
得点 |
出場 |
得点 |
出場 |
得点 |
出場 |
得点 |
| 日本 |
リーグ戦 |
ナビスコ杯 |
天皇杯 |
期間通算 |
| 1999 |
川崎 |
6 |
J2 |
12 |
0 |
2 |
0 |
4 |
0 |
18 |
0 |
| 2000 |
J1 |
8 |
1 |
2 |
0 |
0 |
0 |
10 |
1 |
| 2001 |
J2 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
| 2002 |
4 |
1 |
- |
0 |
0 |
4 |
1 |
| 2003 |
13 |
3 |
0 |
- |
4 |
0 |
7 |
0 |
| 2004 |
33 |
2 |
- |
3 |
1 |
36 |
3 |
| 2005 |
J1 |
26 |
2 |
6 |
3 |
2 |
0 |
35 |
5 |
| 2006 |
22 |
0 |
7 |
0 |
2 |
0 |
31 |
0 |
| 2007 |
29 |
1 |
4 |
0 |
4 |
0 |
37 |
1 |
| 2008 |
21 |
1 |
3 |
1 |
1 |
0 |
25 |
2 |
| 2009 |
23 |
0 |
4 |
0 |
3 |
0 |
30 |
0 |
| 2010 |
10 |
0 |
0 |
0 |
1 |
1 |
11 |
1 |
| 通算 |
日本 |
J1 |
139 |
5 |
26 |
4 |
13 |
1 |
178 |
10 |
| 日本 |
J2 |
52 |
3 |
2 |
0 |
11 |
1 |
65 |
4 |
| 総通算 |
191 |
8 |
28 |
4 |
24 |
2 |
243 |
14 |
[編集] 経歴
[編集] 代表歴
- 国際Aマッチ 5試合 0得点 (2008年 - 2009年)
[編集] 指導歴
[編集] 脚注
- ^ 横須賀市長吉田雄人のユーティング・ブログ!2008年4月18日付記事「寺田周平という英雄」 [1]
- ^ サンケイスポーツ2009年7月4日付記事 [2]
[編集] 関連項目