倉貫一毅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

倉貫一毅
名前
カタカナ クラヌキ カズキ
ラテン文字 KURANUKI Kazuki
基本情報
国籍 日本
生年月日 1978年11月10日(30歳)
出身地 滋賀県
身長 172cm
体重 61kg
血液型 O型
選手情報
在籍チーム 徳島ヴォルティス
ポジション MF
背番号 8
利き足 右足
Template(ノート 解説)サッカー選手pj

倉貫一毅(くらぬき かずき、1978年11月10日 - )は、滋賀県出身のサッカー選手。ポジションはMF徳島ヴォルティス所属。

目次

[編集] プレースタイル

静岡学園時代から音に聞こえたテクニシャン。甲府所属時は豊富な運動量とスタミナとキャプテンシーで攻撃を支えた。甲府の攻撃サッカーの原動力として認知され、サッカー専門誌でも、藤田健バレーとともに甲府の代表的な選手の一人に数えられていた。

[編集] 略歴

滋賀県大津市立南郷中学校卒業。中学時代は地元のクラブチーム・セゾンFCでプレーしていた。静岡学園卒業後、1997年ジュビロ磐田に入団したが、磐田在籍中の公式戦の出場は無かった。

出場機会を求め1999年ヴァンフォーレ甲府に移籍。しかしチームはリーグ戦25連敗(引き分け含め)を喫するなど成績は低迷中、観客動員も伸びず99年末にはクラブが存続危機に陥いるなど、甲府に移籍してからは苦闘も多かった。しかし挫けずキャプテンとしてチームを牽引し続け、2005年に見事悲願のJ1昇格を成し遂げた。Jリーグに所属する選手の中においても苦労人の部類に入る。

2006年4月30日の古巣・磐田戦で左膝前十字靱帯損傷で全治約6ヵ月の重傷を負ったが、同年12月9日の天皇杯5回戦・川崎戦で先発出場し、戦列復帰を果たした。しかしそのシーズンオフに京都サンガF.C.へ移籍。チームを支えるキャプテンの移籍はサポーターの間で物議を醸したが、決して甲府側の待遇に不満を持っていた訳ではなく、家族や将来のことを考えた上で実家に近い京都でのプレーを選んだ、と本人はコメントを残している。 2007年は京都のJ1昇格を果たすのに多大な貢献をしたが、翌2008年のJ1での戦いに向けて京都が大幅に戦力を補強したこともあり、倉貫は出場機会を失った。2008年6月11日付で出場機会を求め、京都との契約を解除し、6月23日にJ2徳島ヴォルティスへの完全移籍が発表。徳島への合流直後から試合に出場し、J2で苦戦が続いていたチームを牽引し続けている。チームに合流してからの初勝利は2008年9月27日の四国ダービー

坂本紘司湘南)とは、セゾン、静学、磐田でのチームメイトであり、現在でも親交は厚い。試合後には「紘司には顔では負けるがプレーで勝ちたい」とコメントしている(2007年第2ターム対戦にて)。

[編集] 所属クラブ

ユース経歴

プロ経歴

[編集] 個人成績

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
1997 磐田 30 J 0 0 0 0 0 0 0 0
1998 磐田 30 J 0 0 0 0 0 0 0 0
1999 磐田 30 J1 0 0 0 0 0 0 0 0
2000 甲府 20 J2 39 3 2 0 4 0 45 3
2001 甲府 10 J2 25 0 1 0 1 0 27 0
2002 甲府 8 J2 44 1 - 3 0 47 1
2003 甲府 8 J2 44 0 - 3 0 47 0
2004 甲府 8 J2 41 1 - 1 0 42 1
2005 甲府 8 J2 43 4 - 2 0 45 4
2006 甲府 8 J1 10 3 3 0 2 1 15 4
2007 京都 20 J2 35 5 - 0 0 35 5
2008 京都 8 J1 0 0 0 0 - 0 0
徳島 35 J2 21 3 - 1 0 22 3
2009 徳島 8 J2 -
通算 日本 J1 10 3 3 0 2 1 15 4
日本 J2 292 17 3 0 15 0 300 17
総通算 302 20 6 0 17 1 325 21

[編集] 関連項目


他の言語