斉藤大介

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斉藤 大介 Football pictogram.svg
名前
愛称 ダイスケ、ダケ、サイクン、サイ
カタカナ サイトウ ダイスケ
ラテン文字 SAITO Daisuke
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 1980年8月29日(33歳)
出身地 大阪府高槻市
身長 179cm
体重 74kg
選手情報
在籍チーム 徳島ヴォルティス
ポジション MFDF
背番号 16
利き足 右足
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

斉藤 大介(さいとう だいすけ、1980年8月29日 - )は、大阪府高槻市出身のサッカー選手。ポジションはMF(ボランチ)、DF(センターバック)。

高校時代、大阪選抜で稲本潤一とダブルボランチを組んでいたことがある。林卓人は高校の2年後輩にあたる。

来歴[編集]

1999年-2002年[編集]

京都入団1年目(1999年)は出場機会はなし。2年目(2000年)はリーグ戦7試合・カップ戦2試合に出場。チームがJ2に降格した3年目(2001年)はリーグ戦、カップ戦ともに出場機会がなかった。

J1復帰した翌年(2002年)も序盤は途中出場の1試合のみ(その試合も本来はベンチ外で、当日に他の選手の負傷によって急遽ベンチ入りしたもの)と出場機会に恵まれなかったが、転機が訪れたのはリーグ戦中断中に行われたこの年のナビスコカップ予選リーグであった。当時、ボランチのレギュラーであった朴智星日韓ワールドカップで韓国代表に合流するためチームを離れたことによりレギュラーに抜擢され、展開力と正確なロングパスで彼の穴を埋める活躍を見せる。ワールドカップ終了後に朴が合流した後は、黒部光昭松井大輔らと組む3トップの一角として起用され、京都のチーム力アップに貢献した。この年チームは過去最高の年間5位、天皇杯初制覇を達成する。

2003年以降[編集]

背番号を16に変えて迎えた2003年であったが、移籍した朴智星の穴やケガ人の続出などで京都は低迷、再びJ2に降格した。このシーズンは、途中から監督に就任したピム・ファーベーク監督の下ではセンターバックで起用されることも多かった。2度目のJ2となった2004年、シーズン当初はレギュラーとして起用されていたが第2クール以降はポジションを失い、サブにすら入れないことも多かった。J1昇格も逃し苦いシーズンとなったが、シーズン終盤に調子を取り戻したことで翌年への期待を感じさせた。

副キャプテンに就任し迎えた2005年は石井俊也米田兼一郎らボランチの選手が新加入し、チーム内での争いも激しくなったが、開幕からまさに大黒柱といえる活躍で不動のレギュラーを獲得。この年、J1昇格を達成した京都の躍進を支えた。2006年も攻守の要として奮闘したが、チームは1年で降格してしまった。この年はキャプテンマークを巻く事も多かった。

J2降格で去就が注目されたが2007年も京都でプレー。キャプテンにも任命された。48試合全てに出場し、1年でのJ1復帰に大きく貢献した。

2008年は一転して戦力構想から外れ出場機会がほとんど無かった。2008年7月、ベガルタ仙台期限付き移籍。高校の2年後輩に当たるGK林卓人コンサドーレ札幌より期限付き移籍)とチームメイトに。同年シーズン終了後、仙台への完全移籍が発表された。

2009年夏頃から調子を崩し、長く試合に出られない日々が続いた。 2010年8月22日大宮アルディージャ戦で千葉直樹の負傷により先発出場の機会を得ると、八面六臂の活躍を見せ、リーグ戦15試合ぶりの勝利に大いに貢献、レギュラーに復帰。

2011年シーズン途中の7月5日徳島ヴォルティスに完全移籍。移籍以後の全リーグ戦に出場し活躍した。2012年、最終ラインに怪我人が続出したシーズン途中よりセンターバックにコンバートされ出場していたが、8月22日の湘南ベルマーレ戦でアキレス腱断裂の大怪我を負い[1]、以降試合には出られなかった。 2013年シーズンはキャプテンに就任。シーズン2試合目からスタメンに復帰し、四国初のJ1昇格を成し遂げたチームを牽引した。

逸話[編集]

  • 金光第一高等学校時代は練習が終わった後も、ひとりで真っ暗のグランドで自主練をしていた努力家。プロ入り後も、高校時代の同級生で卒業後も親交有る勝山慎司田畑智子が芸能界で活躍する姿に刺激を受けていた。
  • 高校時代、斉藤自身が3年の時にキャプテンを部員による多数決で決め、斉藤が圧倒的に票を集めたが「人気票でキャプテンを決めるのはおかしい!」と反論。しかし、結果監督からも支持されキャプテンになった。
  • 高校時代のニックネームは「さい」
  • とにかく真面目な性格で、斉藤のことを扱った記事では必ずと言っていい程、「真面目」というフレーズが出る。インタビュー等でも、その真面目で朴訥な性格が窺える。また、試合前アップ時のコールに対して、サポーター席を向いて一旦直立不動の姿勢をとった後、深々と一礼して答える。
  • 三浦知良が京都在籍時代に他の当時若手だった遠藤保仁松井大輔がカズの部屋に遊びに出入りしていたのに対し、斉藤はカズが部屋に入れと言うまで直立不動で入り口で固まって待っているほどの真面目である。
  • 自身のJリーグ初ゴールは京都のJ1通算200ゴールでもあった。
  • 2007年にキャプテンに初めて抜擢され、尊敬する三浦知良に報告の電話をいれている。そしてカズから「特別な事をするんじゃなくてお前なりに頑張ってやれ!!悩み事があればいつでも相談にこい」と励まされている。
  • 仙台では同名のテレビドラマ地元の有名お天気キャスター(現・衆議院議員)の影響か、ファンから「斉藤さん」と呼ばれることが多い。また、ベテランであるにもかかわらずチーム内では完全にいじられ役。三浦知良からの電話で「30歳にもなってまだいじられてるのか」と呆れられたらしい。
  • ベガルタ仙台時代、終了後に得点できなかった選手に対して罵声を浴びせたサポーターに対して、ピッチから「がんばってんねんから応援したってや!!」と怒鳴った。

試合以外では温厚なキャラだった彼の言動にサポーターたちは驚き、「よく言った」と拍手が送られた。

  • 持ち歌は「筋肉マン」
  • 京都サンガ・ベガルタ仙台・徳島ヴォルティスと、在籍したすべてのチームを、J2からJ1に導いている。
  • 移籍するたびに、キャプテンもしくは副キャプテンを任されているように、チームからの人望がとても厚い選手。
  • ベガルタを去る際には、ファンからの「ありがとう」と「行かないで」のカキコミが提示版にあふれた。代表選手でもない選手に対しては、異例の数であった。そのベガルタのサポーター達からは未だにとても愛されており、徳島が昇格した際には多くのベガルタサポーターからもお祝いのカキコミが寄せられた。天性の「愛されキャラである。」

所属クラブ[編集]

ユース経歴
プロ経歴

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
1999 京都 25 J1 0 0 0 0 0 0 0 0
2000 7 0 2 0 0 0 9 0
2001 22 J2 0 0 0 0 0 0 0 0
2002 J1 22 1 5 0 4 0 31 1
2003 16 27 1 4 0 1 0 32 1
2004 J2 21 0 - 2 0 23 0
2005 42 2 - 1 0 43 2
2006 J1 33 1 5 0 1 0 39 1
2007 J2 48 2 - 0 0 48 2
2008 J1 2 0 1 0 - 3 0
仙台 31 J2 16 1 - 1 0 17 1
2009 36 0 - 1 0 37 0
2010 J1 16 0 4 0 0 0 20 0
2011 3 0 0 0 - 3 0
徳島 16 J2 23 0 - 1 0 24 0
2012 22 0 - 0 0 22 0
2013 31 0 - 0 0 31 0
2014 J1
通算 日本 J1 110 3 21 0 6 0 137 3
日本 J2 239 5 0 0 6 0 245 5
総通算 349 8 21 0 12 0 382 8

その他の公式戦

経歴[編集]

タイトル[編集]

参考・出典[編集]

関連項目[編集]