林卓人
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| 林 卓人 | ||
|---|---|---|
| 名前 | ||
| カタカナ | ハヤシ タクト | |
| ラテン文字 | HAYASHI Takuto | |
| 基本情報 | ||
| 国籍 | ||
| 生年月日 | 1982年8月9日(26歳) | |
| 出身地 | 大阪府 | |
| 身長 | 187cm | |
| 体重 | 82kg | |
| 血液型 | A型 | |
| 選手情報 | ||
| 在籍チーム | ベガルタ仙台 | |
| ポジション | GK | |
| 背番号 | 16 | |
| 利き足 | 右足 | |
| クラブチーム1 | ||
| 年 | クラブ | App (G) |
| 2001-2004 2005-2007 2007-現在 |
サンフレッチェ広島 コンサドーレ札幌 ベガルタ仙台 |
2 (0) 72 (0) 19 (0) |
| 1. 国内リーグ戦に限る。2007年12月25日現在。 ■Template(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
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林 卓人(はやし たくと、1982年8月9日 - )は、大阪府出身のサッカー選手(GK)。現在、コンサドーレ札幌からベガルタ仙台へ期限付き移籍中。
目次 |
[編集] プレースタイル
味方選手へのコーチングやディフェンスラインのコントロールに定評があり、ゴール前で大きな存在感を見せるGK。相手プレーヤーとの接触を恐れない積極果敢な飛び出しも魅力のひとつである。
[編集] 来歴
金光大阪高等学校[1]を経て、2001年にサンフレッチェ広島へ加入[2]。2002年にはJ1残留争いの中、最終戦コンサドーレ札幌戦に下田崇の負傷により途中出場。しかし守りきれずその試合でJ2降格が決定した(下田負傷時の激突の相手である相川進也と林が激突して、今度は相川が負傷退場したが、その相川と交代した森秀昭のアシストにより曽田雄志のVゴールを許した。Jリーグでは翌年からこの制度が廃止されたため、彼のこのゴールが最後のVゴールである)。
同年の天皇杯にはレギュラーとして出場。安定したセービングを連発し、広島を準決勝まで進出させる原動力となった。2003年は下田崇が日本代表に招集されて欠場した際に1試合出場[3]。
林はプロ入り以来、各年代の日本代表に選ばれた。2004年アテネオリンピック最終予選では全6試合に出場し、日本チームをオリンピック出場へと導いた。しかし、山本昌邦監督は本番のオリンピックではGKにオーバーエイジ枠を使うと明言したため、控えが確実となる。さらに腰痛のため控えの座も黒河貴矢に奪われ、結局バックアッパーとなり大舞台への出場はかなわなかった。
2005年にコンサドーレ札幌へ完全移籍し、正GKの座を獲得した。2006年の終盤には持病の腰痛が悪化したため佐藤優也にポジションを明け渡した。2007年6月、シュナイダー潤之介の負傷による戦線離脱に伴い、ベガルタ仙台へ期限付き移籍。当初、移籍期間は2008年1月末までであったが、2007年シーズン終了後に移籍期間を1年延長。さらに、2008年シーズン終了後にも移籍期間を再延長(当初、札幌側から復帰要請を受けていたが、林自身が残留を熱望。札幌側も彼の希望を受け入れた。林は移籍期間再延長の経緯について「今年(2008年)、ベガルタ仙台で最後に悔しい思いを味わい、それはベガルタ仙台でしか晴らせないと感じました。もう一度、この悔しさをみんなで晴らしたいと思い残ろうと決めました。あれだけのサポーターの前でプレーできる喜び、入れ替え戦の声援を含め一年間応援してくれるサポーターの前でプレーできる喜びを知ってしまったので、今年の悔しさをみんなで晴らしたいと思います」とコメントを残した)。2009年も引き続き仙台でプレーすることになり、現在に至る。
[編集] エピソード
- 2005年11月23日のヴァンフォーレ甲府戦で、試合終了間際にペナルティエリア内で放ったキックが池内友彦に当たって後方へ跳ね返ってしまい、詰めていた須藤大輔にゴールへ押し込まれるという大失態を演じてしまった。この試合、チームは後半ロスタイムに3点を失う大逆転負けを喫し、J1昇格を賭けた入れ替え戦の可能性がこの試合で消滅してしまった。この他にも、広島時代の2002年最終節を始め、「この試合を落とすと来年はJ2で戦うことが決まる」という試合との相性はめっぽう悪い。
[編集] 所属クラブ
[編集] 個人成績
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 2001 | 広島 | 21 | J1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
| 2002 | 広島 | 21 | J1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | 5 | 0 |
| 2003 | 広島 | 21 | J2 | 1 | 0 | - | 0 | 0 | 1 | 0 | |
| 2004 | 広島 | 21 | J1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 |
| 2005 | 札幌 | 1 | J2 | 33 | 0 | - | 0 | 0 | 33 | 0 | |
| 2006 | 札幌 | 1 | J2 | 38 | 0 | - | 1 | 0 | 39 | 0 | |
| 2007 | 札幌 | 1 | J2 | 0 | 0 | - | - | 0 | 0 | ||
| 仙台 | 16 | J2 | 19 | 0 | - | 0 | 0 | 19 | 0 | ||
| 2008 | 仙台 | 16 | J2 | 41 | 0 | - | 1 | 0 | 42 | 0 | |
| 2009 | 仙台 | 16 | J2 | - | |||||||
| 通算 | 日本 | J1 | 1 | 0 | 1 | 0 | 4 | 0 | 6 | 0 | |
| 日本 | J2 | 132 | 0 | - | 2 | 0 | 134 | 0 | |||
| 総通算 | 133 | 0 | 1 | 0 | 6 | 0 | 140 | 0 | |||
[編集] 経歴
- プロ初出場 2002年11月30日 J1・2nd第15節 対コンサドーレ札幌(札幌ドーム)
- 76分下田崇の負傷退場により途中出場、3失点
- プロ初先発・初勝利・初完封 2002年12月15日 天皇杯3回戦 対アルビレックス新潟(広島スタジアム)
- 先発フル出場
- リーグ戦初完封 2005年5月14日 J2第12節 対水戸ホーリーホック(札幌厚別公園競技場)
- 先発フル出場
[編集] 代表歴
- 2001年 U-20日本代表
- 2002年 U-21日本代表
- 2003年 U-22日本代表
- 2004年 U-23日本代表
- 2004年10月10日 日本選抜(東京オリンピック40年記念イベント)
[編集] 脚注
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 高校時代のサッカー部の先輩のブログ生きることは知るコト 運も実力のうち
http://tenjohiroki.com/2008/12/post_633.html
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