米山篤志
|
||||||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 名前 | ||||||
| 愛称 | ヨネ | |||||
| カタカナ | ヨネヤマ アツシ | |||||
| ラテン文字 | YONEYAMA Atsushi | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 | ||||||
| 生年月日 | 1976年11月20日(36歳) | |||||
| 出身地 | 栃木県宇都宮市 | |||||
| 身長 | 180cm | |||||
| 体重 | 74kg | |||||
| 選手情報 | ||||||
| ポジション | DF | |||||
| 利き足 | 右足 | |||||
| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 (得点) | ||||
| 1998-2000 2001-2005 2006 2007-2008 2009-2010 |
ヴェルディ川崎 東京ヴェルディ 川崎フロンターレ 名古屋グランパスエイト/名古屋グランパス 栃木SC |
44 (3) 124 (10) 7 (0) 39 (1) 54 (0) |
||||
| 代表歴 | ||||||
| 2000 | 1 (0) | |||||
| 監督歴 | ||||||
| 2012- | 東京23FC | |||||
| 1. 国内リーグ戦に限る。2009年12月15日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
||||||
米山 篤志(よねやま あつし、1976年11月20日 - ) は栃木県宇都宮市出身の元プロサッカー選手。ポジションはディフェンダー。短期間ながら日本代表に選出されたこともある。また、中田英、宮本、戸田らとU-17日本代表に選出され、1993年U-17W杯でのベスト8に貢献した。
目次 |
来歴[編集]
桐蔭学園高校時代、スランプに陥った時期に李国秀の勧めでミッドフィールダーからディフェンダーへと転向した[1]。駒澤大学では2度の全日本大学選手権優勝やユニバーシアード日本代表選出などの輝かしい実績を引っさげ、在学中の1998年にヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)に入団。同年2ndステージにはレギュラーポジションを獲得した。2000年には反則が不可避とも言えるDFというポジションでありながらフェアプレー個人賞を獲得した。
トルシエ監督時代には日本代表にも選出され、2000年2月26日のAFCアジアカップ予選・ブルネイ戦で国際Aマッチのキャップを記録した[2]。 以後も主力として東京ヴェルディのレギュラーを務めていたが、2005年に東京VのJ2降格が決定するとクラブの方針から戦力外通告を受けた。この時米山と林健太郎が早々に戦力外通告を受けた事は、高校・大学とプロ入り前からチームメイトだった山田卓也やクラブ後輩の小林大悟が東京Vを去る決断をする要因となった。
2005年10月8日、元タレントで1999年度ミス日本ミス水着に選ばれた小谷亜希子と入籍。
2006年は川崎フロンターレに移籍。第6節の千葉戦に途中出場し、J1リーグ通算200試合出場を達成した。シーズン終了後には「川崎は来期に向けての契約非継続選手はゼロ」との報道もされていたが、2007年1月にJリーグ合同トライアウトに米山が参加していたことから、実際には戦力外通告を受けていた事が明らかになった。2007Jリーグ開幕直前に名古屋グランパスの練習に参加し、正式に入団が決定した。2008年11月末にシーズン限りでの退団が明らかになったが、その直後のホーム最終戦・対札幌の試合終了直前に「無回転ボール」での強烈な直接フリーキックをゴールに叩き込み、結果的に逆転優勝は成らなかったものの名古屋に歓喜の置き土産を残した。
2009年、この年からJ2に昇格した故郷のクラブ・栃木SCに完全移籍。2010年は佐藤悠介とダブルボランチを組み、4連勝を含む11戦負け無しとチームの好調を支えたが、終盤は出場機会が減り、2010年シーズンを持って契約満了となり退団した。
2011年は、タンパペイFC(アメリカ)や、深圳紅鑽(中国)、愛媛FC、さらにはオーストラリア、ベトナムと、各国でプレーできるクラブを模索するも契約に至らず[3]、11月8日に所属元の栃木から現役引退が発表された[4]。
2012年より、ファンルーツアカデミーコーチングスタッフ、東京23FC監督に就任[5]。これと平行して中日スポーツ紙上でのサッカー評論も行う。
所属クラブ[編集]
- 1992年 - 1994年 桐蔭学園高校
- 1995年 - 1997年 駒澤大学
- 1998年 - 2005年 ヴェルディ川崎/東京ヴェルディ1969
- 2006年 川崎フロンターレ
- 2007年 - 2008年 名古屋グランパスエイト/名古屋グランパス
- 2009年 - 2010年 栃木SC
個人成績[編集]
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 1998 | V川崎 | 23 | J | 15 | 0 | 2 | 1 | 3 | 0 | 20 | 1 |
| 1999 | 5 | J1 | 29 | 2 | 4 | 0 | 4 | 1 | 37 | 3 | |
| 2000 | 30 | 1 | 6 | 0 | 2 | 0 | 38 | 1 | |||
| 2001 | 東京V | 21 | 1 | 2 | 0 | 3 | 1 | 26 | 2 | ||
| 2002 | 23 | 28 | 2 | 6 | 0 | 1 | 0 | 35 | 2 | ||
| 2003 | 23 | 3 | 3 | 0 | 2 | 0 | 28 | 3 | |||
| 2004 | 5 | 29 | 3 | 8 | 1 | 5 | 1 | 42 | 5 | ||
| 2005 | 23 | 1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 25 | 1 | |||
| 2006 | 川崎 | 8 | 7 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 8 | 0 | |
| 2007 | 名古屋 | 5 | 21 | 0 | 2 | 0 | 1 | 0 | 24 | 0 | |
| 2008 | 18 | 1 | 6 | 0 | 1 | 0 | 25 | 1 | |||
| 2009 | 栃木 | 23 | J2 | 37 | 0 | - | 1 | 0 | 38 | 0 | |
| 2010 | 17 | 0 | - | 0 | 0 | 17 | 0 | ||||
| 通算 | 日本 | J1 | 244 | 14 | 42 | 2 | 22 | 3 | 308 | 19 | |
| 日本 | J2 | 54 | 0 | - | 1 | 0 | 55 | 0 | |||
| 総通算 | 298 | 14 | 42 | 2 | 23 | 3 | 363 | 19 | |||
個人タイトル[編集]
- 2000年 - Jリーグフェアプレー個人賞
代表歴[編集]
試合数[編集]
- 国際Aマッチ 1試合 0得点(2000)
| 日本代表 | 国際Aマッチ | |
|---|---|---|
| 年 | 出場 | 得点 |
| 2000 | 1 | 0 |
| 通算 | 1 | 0 |
指導経歴[編集]
- 2012年 - 東京23FC
- 2012年 - 監督
出演[編集]
ラジオ[編集]
- SC_FM『ヨネラジ』(RADIO BERRY 2010年8月3日~2011年1月25日終了、火曜日20:55~21:00)
出典[編集]
- ^ ウイークリー・インタビュー VOICE!『週刊サッカーマガジン』 1999年9月15日号 No.728、ベースボール・マガジン社、61-63頁。
- ^ “日本代表 試合別出場記録 (pdf)”. 日本サッカー協会. 2009年3月12日閲覧。
- ^ 週刊サッカーマガジン No.1386 38-40頁
- ^ “米山篤志選手 現役引退のお知らせ”. 栃木サッカークラブ公式サイト. 2011年11月8日閲覧。
- ^ 今季の監督就任のお知らせ 東京23FC 2012.01.27
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|||||