米山篤志
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| 米山 篤志 | ||
|---|---|---|
| 名前 | ||
| 愛称 | ヨネ | |
| カタカナ | ヨネヤマ アツシ | |
| ラテン文字 | YONEYAMA Atsushi | |
| 基本情報 | ||
| 国籍 | ||
| 生年月日 | 1976年11月20日(32歳) | |
| 出身地 | 栃木県宇都宮市 | |
| 身長 | 180cm | |
| 体重 | 74kg | |
| 血液型 | AB型 | |
| 選手情報 | ||
| 在籍チーム | 栃木SC | |
| ポジション | DF | |
| 背番号 | 23 | |
| 利き足 | 右足 | |
| クラブチーム1 | ||
| 年 | クラブ | App (G) |
| 1998-2000 2001-2005 2006 2007-2008 2009-現 在 |
ヴェルディ川崎 東京ヴェルディ 川崎フロンターレ 名古屋グランパス 栃木SC |
44 (3) 124 (10) 7 (0) 39 (1) () |
| 代表歴 | ||
| 2000 | 1 (0) | |
| 1. 国内リーグ戦に限る。2009年1月26日現在。 ■Template(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
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米山 篤志(よねやま あつし、1976年11月20日 - ) は栃木県宇都宮市出身のプロサッカー選手。J2・栃木SC所属。ポジションはディフェンダー。
2005年10月8日、元タレントで1999年度ミス日本ミス水着に選ばれた小谷亜希子と入籍。
目次 |
[編集] プレースタイル
クレバーかつクリーンなディフェンスが特徴で、2000年には反則が不可避とも言えるDFというポジションでありながらフェアプレー個人賞を獲得した。また右足から放たれるFKも強力。本職はDFだが、名古屋ではボランチとしてのプレーもあった。
[編集] 経歴
桐蔭学園高校時代、スランプに陥った時期に李国秀の勧めでミッドフィールダーからディフェンダーへと転向した[1]。駒澤大学では2度の全日本大学選手権優勝やユニバーシアード日本代表選出などの輝かしい実績を引っさげ、在学中の1998年にヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)に入団。同年2ndステージにはレギュラーポジションを獲得した。
トルシエ監督時代には日本代表にも選出され、2000年2月26日のAFCアジアカップ予選・ブルネイ戦で国際Aマッチのキャップを記録した[2]。 以後東京ヴェルディの主力として順調とも思えるサッカー人生を歩んでいたが、2005年にヴェルディのJ2降格が決定すると、クラブの方針から戦力外通告を受けてしまった。このときの米山と、林健太郎があっさりと戦力外通告をされた件は、高校・大学とプロ入り前からチームメイトだった山田卓也や、クラブ後輩の小林大悟がヴェルディを去る決断をする要因ともなった。
2006年は川崎フロンターレに移籍。第6節の千葉戦に途中出場し、J1リーグ通算200試合出場を達成した。シーズン終了後には「川崎Fは来期に向けての契約非継続選手はゼロ」との報道もされていたが、2007年1月にJリーグ合同トライアウトに米山が参加していたことから、実際には戦力外通告を受けていた事が明らかになった。2007Jリーグ開幕直前に名古屋の練習に参加し、正式に入団が決定した。2008年11月末にシーズン限りでの退団が明らかになったが、その直後のホーム最終戦・対コンサドーレ札幌の試合終了直前に「無回転ボール」での強烈な直接フリーキックをゴールに叩き込み、結果的に逆転優勝は成らなかったものの名古屋に歓喜の置き土産を残した。
2009年、この年からJ2に昇格した故郷のクラブ・栃木SCに完全移籍。
[編集] 所属クラブ
- 1992年 - 1994年 桐蔭学園高校
- 1995年 - 1997年 駒澤大学
- 1998年 - 2005年 ヴェルディ川崎/東京ヴェルディ1969
- 2006年 川崎フロンターレ
- 2007年 - 2008年 名古屋グランパス
- 2009年 - 現在 栃木SC
[編集] 個人成績
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 1998 | V川崎 | 23 | J | 15 | 0 | 2 | 1 | 3 | 0 | 20 | 1 |
| 1999 | V川崎 | 5 | J1 | 29 | 2 | 4 | 0 | 4 | 1 | 37 | 3 |
| 2000 | V川崎 | 5 | J1 | 30 | 1 | 6 | 0 | 2 | 0 | 38 | 1 |
| 2001 | 東京V | 5 | J1 | 21 | 1 | 2 | 0 | 3 | 1 | 26 | 2 |
| 2002 | 東京V | 23 | J1 | 28 | 2 | 6 | 0 | 1 | 0 | 35 | 2 |
| 2003 | 東京V | 23 | J1 | 23 | 3 | 3 | 0 | 2 | 0 | 28 | 3 |
| 2004 | 東京V | 5 | J1 | 29 | 3 | 8 | 1 | 5 | 1 | 42 | 5 |
| 2005 | 東京V | 5 | J1 | 23 | 1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 25 | 1 |
| 2006 | 川崎 | 8 | J1 | 7 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 8 | 0 |
| 2007 | 名古屋 | 5 | J1 | 21 | 0 | 2 | 0 | 1 | 0 | 24 | 0 |
| 2008 | 名古屋 | 5 | J1 | 18 | 1 | 6 | 0 | 1 | 0 | 25 | 1 |
| 2009 | 栃木 | 23 | J2 | - | |||||||
| 通算 | 日本 | J1 | 226 | 10 | 42 | 2 | 22 | 3 | 290 | 15 | |
| 日本 | J2 | - | |||||||||
| 総通算 | 226 | 10 | 42 | 2 | 22 | 3 | 290 | 15 | |||
[編集] 個人タイトル
- 2000年 - Jリーグフェアプレー個人賞
[編集] 代表歴
[編集] 試合数
- 国際Aマッチ 1試合 0得点(2000)
| 日本代表 | 国際Aマッチ | |
|---|---|---|
| 年 | 出場 | 得点 |
| 2000 | 1 | 0 |
| 通算 | 1 | 0 |
[編集] 出典
- ^ ウイークリー・インタビュー VOICE!『週刊サッカーマガジン』 1999年9月15日号 No.728、ベースボール・マガジン社、61-63頁。
- ^ "日本代表 試合別出場記録" (pdf). 日本サッカー協会. 2009-03-12 閲覧。
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