ミス日本

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ミス日本
本選の会場である京王プラザホテル
東京都新宿区
受賞対象 15歳から25歳の未婚の女性
主催 ミス日本コンテスト事務局
日本の旗 日本
授賞式会場 京王プラザホテル
報酬 賞金100万円と海外旅行
初回 1950年昭和25年)
最新回 2014年平成26年)
最新受賞者 沼田萌花(グランプリ)
公式サイト www.sponichi.co.jp/miss_nippon/
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ミス日本(ミスにっぽん、Miss Nippon ミスにほん、Miss Japan)は、1950年昭和25年)から美容研究団体の和田研究所によって毎年開催されている、日本のミス・コンテストである。ミス・ユニバース世界大会の日本代表である、『ミス・ジャパン』とは異なる。

概要[編集]

第1回(1950年度)ミス日本・山本富士子

第二次世界大戦敗戦後の日本に対する救援活動「ララ物資」への感謝と日米の友好親善を行う女性親善大使の選出を目的に、読売新聞社と、当時業務提携関係にあった中部日本新聞社西日本新聞社ブロック紙3社が共催で[1]1950年(昭和25年)に創設された。第一回は、後に昭和時代の日本を代表する映画女優の一人となった山本富士子が受賞者となった。

一時の中断を経て、1967年(昭和42年)からは和田研究所(旧 和田牛乳)を主催団体として再開、今日に至っている。

応募資格[編集]

  • 日本国籍を持つ15歳から25歳の未婚の女性であって、身長152cm以上

現在の表彰項目[編集]

  • ミス日本グランプリ
  • ミス日本ミス着物(復活第1回より)
  • ミス日本「海の日」(1996年度新設)
  • ミス日本ネイチャー(2003年度新設)
  • ミス日本「水の天使」(2012年新設)
  • 準ミス日本
・ミス日本コンテストにおける準ミス日本とは、複数選ばれるミス日本に次ぐ賞として取り扱われている。つまり、ミス日本グランプリ>ミス日本各賞>準ミス日本、という序列である。
  • 過去にはミス日本「フォトジェニック」、ミス日本「空の日」、ミス日本「国際親善」、ミス日本「ミス水着」などの賞もあった
  • その他、決勝大会の出場者にもミス日本の称号が与えられた時期もあった[2]。又、ミス日本の称号を得られると、慈善活動団体「ハートフル」のメンバーにも登録される特典がある他、過去の受賞者の親睦団体「やまとなでしこ会」があり、それを通して各地での講演・社会運動や慈善活動にも参加している。[3]2013年元日より、「ミス日本ボランティア協会」が設立され、ミス日本の歴代受賞者が中心となって国内外での福祉・ボランティア活動の企画・推進を行うようになった[4]
  • 更に2003年平成15年)度からスポーツニッポン新聞社のインターネットサイト「スポニチ・アネックス」の利用者を対象にした投票による「スポニチ特別賞」が制定され、受賞者である2003年度の相沢礼子、2004年度の嵯峨百合子と2007年度の萩美香、2013年度の鈴木恵梨佳はミス日本グランプリとの2冠を受賞した。

歴代ミス日本グランプリ[編集]

大会回次・年度 優勝者 後の職業など
創設当初
第01回 1950年 山本富士子 女優(大映専属→フリー)
復活後の大会
復活第01回 1968年 鈴木紀子
第02回 1969年 鈴木紀子
第03回 1970年 竹内幸子
第04回 1971年 吉村由美子
第05回 1972年 坂本千桃 受賞時現役女優
→引退し神奈川県で別荘レストラン経営
第06回 1973年 長谷川みつ美 テレビキャスター・作詞家・エッセイスト
第07回 1974年 田窪佐和子
第08回 1976年 浅井孝美
第09回 1977年 手塚圭子 医学博士・美容研究家
第10回 1978年 榎本安江
第11回 1979年 村田知嘉子
第12回 1980年 桑原順子
第13回 1981年 桑原順子
第14回 1982年 峰岸房子
第15回 1983年 山口裕美
第16回 1984年 常岡昭子
第17回 1985年 根本里美
第18回 1986年 中村麻美 キャスター・画家
第19回 1987年 伊比恵子 映画監督(1999年アカデミー賞短編ドキュメンタリー部門監督賞受賞
第20回 1988年 玉井美香(叶美香) タレント(叶姉妹の一員として)
第21回 1989年 澤本礼江
第22回 1990年 相馬知実 受賞時静岡放送の現役アナウンサー
→後退社
第23回 1991年 岡本恵美
第24回 1992年 藤原紀香 女優・社会運動家
第25回 1993年 小岩井陽子
第26回 1994年 松田直子 通産省入省
第27回 1995年 長井千尋
第28回 1996年 近澤美歩 タレント・歌手→引退後栃木県で和風料亭女将
第29回 1997年 田村桂子
第30回 1998年 和田淑子
第31回 1999年 小松田有理
第32回 2000年 出川紗織(天川紗織) タレント
第33回 2001年 野手るりこ
第34回 2002年 佐野公美
第35回 2003年 相沢礼子 タレント・キャスター
第36回 2004年 嵯峨百合子(さがゆりこ) タレント
第37回 2005年 久米里紗 静岡県の企業で秘書として勤務
第38回 2006年 小久保利恵 受賞時現役タレント・モデル
第39回 2007年 萩美香 タレント・「みえの国観光大使
第40回 2008年 鈴木恵理 航空会社キャビンアテンダント
第41回 2009年 宮田麻里乃 大学生
第42回 2010年 林史乃
第43回 2011年 谷中麻里衣 タレント・キャスター・受賞時大学生
第44回 2012年 新井貴子 フライングディスク選手。父は元プロ野球選手・新井宏昌
実姉に2011年ミス着物・新井寿枝
第45回 2013年 鈴木恵梨佳 2010年ミス日本大学(ミスキャンパス)受賞
第46回 2014年 沼田萌花

備考

  • 鈴木紀子と桑原順子は2年連続での受賞

グランプリ以外の著名な受賞者・出場者[編集]

1980年代[編集]

1990年代[編集]

2000年代[編集]

2010年代[編集]

放送番組[編集]

主要な放送番組(特記のないものは全国ネット)で放送された、ミス日本を題材にして特集した番組は以下のとおりである。

  • 上岡龍太郎がズバリ!TBSテレビ
    放送時期不明。歴代のミス日本受賞者50人を迎えてのスタジオ討論。玉井(叶)が会社社長の肩書きで参加していた。
  • ザ・ワイド讀賣テレビ放送日本テレビ放送網
    1999年ごろ放送。受賞者の近況などを特集したもの。佐野(美)(当時八王子市議会議員)がたすきを着用してインタビューに答えた。
  • サンデージャングルテレビ朝日
    1999年ごろ放送。ザ・ワイドと同様に受賞者の近況が紹介。佐野(美)、松田、大高、和田、西川、菱沼良江(1995年・1996年連続出場し、95年はミス水着、96年はミス着物をそれぞれ受賞→後に秋田県聾学校勤務 現姓:大友)がインタビューに応えていた。佐野(美)については、1999年統一地方選挙で行われた八王子市議会選挙の遊説の模様[5]、西川については当時健康情報キャスターとしてレギュラー出演していたTBSテレビ「エクスプレス」の生放送の模様が紹介されていた。
  • 快感MAP(テレビ朝日)
    2007年ごろ放送。「ミス日本が営む店」と銘打って、1996年度の同大会でグランプリを受賞し、結婚後栃木市で料亭の女将を営む近澤を同窓生の西川が訪問した番組が放送されている。
  • モクスペ(日本テレビ)
    2008年5月22日放送において吉野ゆりえ1990年ファイナリスト。社交ダンサー)のがん闘病に密着したドキュメンタリー「5年後、私は生きていますか」が放送された。
  • スッキリ!!(日本テレビ)
    2009年6月15日放送。過去のミス日本受賞者の中から放送当時40代の3人(長坂靖子<1985年ファイナリスト→1989年ミス・ワールド準日本代表を経てウォーキングアドバイザー>、後藤慶子<1981年ファイナリスト→フラメンコダンサー・講師>、赤須知美<1985年ミス日本ミススマイル>)を取り上げ、その若さと美容を保つためのコツを紹介した。[6]
  • 映像体験!イッキ見シアター関西テレビ放送
    2011年5月1日放映。2011年の谷中をスタートとして1950年の山本まで遡りながらミス日本グランプリ受賞者の歴史を振り返った。
    この中で谷中、萩、近澤、中村、坂本(以上出演順)の各受賞者へのインタビューが行われ、受賞時の写真[7]との比較や当時のたすきとティアラを付けてもらって、受賞当時について、また近況報告などを語っている。(他に林、嵯峨<さが>、相沢、出川<天川>、常岡も受賞時のたすきとティアラを付けてインタビューに応えているが、時間の都合上割愛されている[8]ものの、インタビュー収録に際して撮影された静止画は一覧写真で放送されている)また宮田、鈴木(恵理)、佐野(公)、藤原、伊比、山本についても写真資料のみであるが詳しく触れている。
    インタビューは谷中はカフェ、萩はヘアサロンとそれぞれ行きつけの店で、他のメンバーは現在の活動の拠点となる店やアトリエなどで行った。
    なおこの特集では放送当時の「歴代ミス日本全43人」として紹介されている。これは2011年が第43回大会に当たるためであるが、本来であればこの当時のミス日本グランプリの受賞者は44人になるところが、2人の2年連続グランプリ受賞者(鈴木(紀)と桑原)がいたことから、実際には42人ということになる。
    このうち桑原は「第12・13代グランプリ受賞者」としてのくくりで連覇達成者として扱われているが、鈴木(紀)については第2期の初代・2代目の連覇を達成していながら「第2代グランプリ受賞者」のみとされ、連覇達成者として扱われていない。
    また、第20代グランプリ受賞者の玉井(叶)については写真を含め紹介されなかったため、実際にインタビューや資料などで登場したミス日本受賞者は41人であった。
    また、現役メンバーに限らず、過去のミス日本OGもミス日本としての公式行事(慈善活動や自治体・国営機関表敬訪問他)で出席する場合にもミス日本のたすきやティアラを付ける場合がある。[2] [9]今回インタビューを行った受賞者のうち、放送時現役ミス日本の谷中以外は、久しぶりに公式の場でミス日本のたすきやティアラをつけたメンバーばかりだった。
  • Dream Theaterエフエム東京 東京ローカル)
    2011年5月に谷中をゲストに迎えて2週間にわたって放送された。そのうちの前編で、ミス日本が決定されるまでの過程、研修会、コンテスト決定大会の流れについて、自ら説明している
  • ズバリお悩み解決!雨上がりよろず堂(讀賣テレビ放送 関西ローカル)
    2014年4月6日放送。この番組では2014年ミス着物受賞者である尾崎優子が、将来の進路に悩んでいるということで、司会の雨上がり決死隊のもとに相談に訪れたという設定で出演し、それに併せる形で過去のミス日本受賞者のその後について取材したものを放送した。取材では「松竹梅」の3つのコースから尾崎の自らの進路について「松=芸能界で活躍するミス日本」(資料のみで玉井(叶)、友利、藤原の3人を例に挙げて紹介)「竹=意外な進路を取ったミス日本」(取材インタビューに答えたのは近澤、中村、坂本(伊藤)。その他資料のみで伊比、金子、柴田恵理<2008年準ミス日本 現・お好み焼き店経営>)、「梅=西川(インタビュー取材でのアドバイス)」の3つの選択肢を選んでもらうという形で紹介した。(出演順)
  • 私の何がイケないの?TBSテレビ
    2014年8月18日(TBS基準)放送。この番組は西川と友利が専門家としてレギュラー出演しているが、この回ではミス日本受賞者のその後について特集を行う(友利は2014年6月以後産休中であるため、この回は出演せず)。この回では「ミス日本の因縁のライバル完全決着」と題し、近澤と西川が2007年の「快感MAP」以来となる競演(両名とも当時のたすきを着用)を果たした他、近澤・西川と同世代のミス日本の中から菱沼(大友)、前田里恵子(現姓・森)、森下美奈子の3人を取り上げ、それぞれ西川と彼女たちを比べて、自分は「勝ち組か・負け組か」というアンケートを取った。
    その他、2014年グランプリの沼田(沼田もたすきと受賞時のガウン・ティアラを着用して出演)、1990年ファイナリストの吉野、1992年ファイナリストの竹山亜紀子(主婦モデル)、1994年ファイナリストの五月女圭紀パチンコライター)などにも密着したものを放送。沼田は自宅を訪問したほか、両親をスタジオに招いていたことを紹介した。

コマーシャル起用[編集]

一時期であるが「車検のコバック」で知られる株式会社コバックが特別協賛スポンサーとして付いていたため、それぞれグランプリを受賞した2004年の嵯峨(さが)と2005年の久米がそれぞれ全国放送されたテレビコマーシャル(CM)に出演したことがあった。

  • 嵯峨は受賞時のたすき・ティアラを付けて大統領の演説風のもの
  • 久米はローカルヒーローである「整備戦隊シャケンジャー」とともに、コールセンタースタッフという設定で出演(これとは別に、ポスター用のスチールでたすき・ティアラを付けたバージョンがある)

また、コバック本部(愛知県)やそのフランチャイズ店が主催するイベントに、受賞者が訪問したことがあった。2005年を最後にコバック本部は特別協賛から撤退したが、2006年以後、同社の千葉県でのフランチャイズ店「鈴木自工株式会社」(スズキ株式会社とは別会社)が独自に協賛しており、同年グランプリの小久保が起用されたテレビCMが千葉テレビ放送などで放映されていた。現在も鈴木自工は協賛を続けており、受賞者が同社関連のイベントに出席することがある。[10]

他に各官公庁のCMやポスターモデル(ミス海の日の海上保安庁、ミス空の日の防衛省国土交通省、ミス日本ネイチャーの環境省のイメージモデルなど)、その他一般各企業のCMモデルに登用されることもあり、OGでも過去のミス日本受賞の肩書きを添えてCM出演する場合もある。

脚注[編集]

  1. ^ 讀賣新聞1950年4月23日記事、及び讀賣新聞2002年1月8日誌面コラム「解説」に掲載
  2. ^ a b 実際、1990年代初めごろまでは、グランプリ決定大会に参加した方々全員はステージ登壇時に赤地・白の文字と縁取りの「ミス日本」と書かれたたすきを掛けてグランプリ決定大会に出席していた。現在は決定大会審査中はたすきを掛けていないが、各賞の受賞者が決定後、その受賞した賞が書かれたたすきを審査員から掛ける(したがって1990年代初めごろまでは「ミス日本」のタスキと、各賞のタスキの2枚をかけてもらっていた)。
    各賞受賞者のうち、「海の日」と「水の天使」は白地・青の文字と縁取り、「空の日」は青地・白の文字と縁取り。グランプリを含めその他の賞受賞者は赤地・白の文字と縁取りでそれぞれの賞のたすきが掛けられる(国外でのプロモーションである場合はローマ字の「MISS JAPAN」など、その表敬先の国・地域の言語に沿ったタスキをつける場合もある)。
    ミス日本出席の公式行事においては受賞した賞のタスキを掛けて参列する
  3. ^ ミス日本・やまとなでしこ会(2003年グランプリを受賞した相沢礼子<現・キャスター>の2010年3月14日付ブログより)
  4. ^ 謹賀新年☆ご挨拶とご報告(新井寿枝・2013年1月2日付ブログ)
  5. ^ 遊説の時、当時のミス日本受賞者が応援に駆けつけた。この選挙では再選されている
  6. ^ スッキリ!!ホームページ・あのミスは今!?元ミス日本の(秘) 美容術
  7. ^ 谷中と萩についてはビデオ映像
  8. ^ イッキ見シアター(同・相沢の2011年4月24日付のブログ)
  9. ^ 代表例(いずれも相沢のブログ 実際2003年のグランプリ受賞時のたすき・ティアラを付けて出席した行事で写真が掲載されている)
    ありがとうございました(2011年5月5日 成田空港での東日本大震災募金活動)
    ミス日本のお仕事(2011年6月21日 自衛隊・防衛省慰問)
  10. ^ 鈴木自工株式会社・ミス日本

外部リンク[編集]