下田崇
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| 下田 崇 | ||
|---|---|---|
| 名前 | ||
| 愛称 | シモ | |
| カタカナ | シモダ タカシ | |
| ラテン文字 | SHIMODA Takashi | |
| 基本情報 | ||
| 国籍 | ||
| 生年月日 | 1975年11月28日(33歳) | |
| 出身地 | 広島県広島市南区 | |
| 身長 | 184cm | |
| 体重 | 81kg | |
| 血液型 | B型 | |
| 選手情報 | ||
| 在籍チーム | ||
| ポジション | GK | |
| 背番号 | 1[1] | |
| 利き足 | 右足 | |
| クラブチーム1 | ||
| 年 | クラブ | App (G) |
| 1994-現在 | 331 (0) | |
| 代表歴2 | ||
| 1999 | 1 (0) | |
| 1. 国内リーグ戦に限る。2008年12月13日現在。 2. 2007年12月24日現在。 ■Template(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
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下田 崇(しもだ たかし、1975年11月28日 - )は、日本のプロサッカー選手。Jリーグ・サンフレッチェ広島所属。ポジションはゴールキーパー。広島県広島市南区上東雲町出身。広島県立広島皆実高等学校卒業。
目次 |
[編集] プレースタイル
日本人のゴールキーパーの中でも1対1の場面には驚異的な強さを誇り神懸り的なスーパーセーブを連発する[2]。キック精度が唯一の弱点だったが、GKにもビルドアップを要求されるとそれにも対応[3]し、徐々にキック精度も向上している。
[編集] 来歴
実家は喫茶店を経営[4]。小さいころは野球少年で、リトルリーグで外野手やキャッチャーとしてレギュラーだった[5]。小学4年生からサッカーに転向しFW・MFとして活躍、中学で攻撃的なMFとしてプレー、広島皆実高校に入学[6]後、GKを本格的に始めた。3年次に国体選抜に選ばれる。
1994年、サンフレッチェ広島に入団[7][8]。同年にU-19日本代表、翌1995年にはU-20日本代表に選ばれ、ワールドユース・カタール大会に出場。同年にアトランタオリンピックU-23日本代表に選ばれ、川口能活の控えとして予選・本戦を通じて全試合にベンチ入りを果たす。
一方チームでは前川和也・河野和正の前に、なかなか出場機会が得られなかった。1997年に河野和正が名古屋グランパスエイトへ移籍、翌1998年に前川和也が肩を故障したことが転機となり、スタメンの地位を得た。エディ・トムソンにも評価され、それ以降広島の正ゴールキーパーとなり、歴代監督に信用され続けた。相当の負けず嫌いで[9]怪我には強い選手であり、1998年から2000年までリーグ戦全試合出場している。レギュラーを奪われたくないため指を骨折した状況で試合出場したこともある[10]。
フィリップ・トルシエにより日本代表に招集され、1999年3月の対ブラジル戦(国立)では先発に抜擢され初キャップを記録。しかし、この試合が唯一のA代表での出場となっている(2008年終了時点)。2000年にはアジアカップ・レバノン大会にA代表メンバーとして登録。
2002年、J1残留争いをしていた12月最終戦の対コンサドーレ札幌戦で、相川進也と接触し眼下底骨折により負傷退場、結果この試合でJ2降格が決定した。移籍が予想されたがチームに残留、また選手生命の危機にもさらされたが完治し、2003年のJ1昇格に貢献した。同年ジーコジャパン時代のA代表に唯一J2から招集された。
その後も正GKとして活躍していたが、2005年10月対FC東京戦にて味方DFの小村徳男と接触し右膝後十字靱帯損傷[11]、同年のシーズンを棒にふった。翌2006年2月、土肥洋一・曽ヶ端準の2人がケガで代表離脱したため約3年半振りに代表招集の声がかかった[12]。
2008年、古傷である膝の状態悪化により、ルーキーイヤー以来14年ぶりのシーズン出場ゼロに終わる。現在は再起を目指しリハビリに取り組んでいる。
[編集] 所属クラブ
- ユース経歴
- 1985年 - 1987年 : 比治山サッカー教室(広島市立比治山小学校)
- 1988年 - 1990年 : 広島市立段原中学校
- 1991年 - 1993年 : 広島県立広島皆実高等学校
- プロ経歴
- 1994年 - 現 在 : サンフレッチェ広島
[編集] 個人成績
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 1994 | 広島 | - | J | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
| 1995 | 広島 | - | J | 5 | 0 | - | 0 | 0 | 5 | 0 | |
| 1996 | 広島 | - | J | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 |
| 1997 | 広島 | 16 | J | 9 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 11 | 0 |
| 1998 | 広島 | 16 | J | 34 | 0 | 4 | 0 | 3 | 0 | 41 | 0 |
| 1999 | 広島 | 16 | J1 | 30 | 0 | 2 | 0 | 5 | 0 | 37 | 0 |
| 2000 | 広島 | 1 | J1 | 30 | 0 | 4 | 0 | 2 | 0 | 36 | 0 |
| 2001 | 広島 | 1 | J1 | 29 | 0 | 6 | 0 | 2 | 0 | 37 | 0 |
| 2002 | 広島 | 1 | J1 | 29 | 0 | 6 | 0 | 0 | 0 | 35 | 0 |
| 2003 | 広島 | 1 | J2 | 43 | 0 | - | 4 | 0 | 47 | 0 | |
| 2004 | 広島 | 1 | J1 | 30 | 0 | 5 | 0 | 1 | 0 | 36 | 0 |
| 2005 | 広島 | 1 | J1 | 27 | 0 | 6 | 0 | 0 | 0 | 33 | 0 |
| 2006 | 広島 | 1 | J1 | 33 | 0 | 5 | 0 | 2 | 0 | 40 | 0 |
| 2007 | 広島 | 1 | J1 | 31 | 0 | 8 | 0 | 5 | 0 | 44 | 0 |
| 2008 | 広島 | 1 | J2 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | 0 | 0 | |
| 2009 | 広島 | 1 | J1 | ||||||||
| 通算 | 日本 | J1 | 288 | 0 | 46 | 0 | 22 | 0 | 356 | 0 | |
| 日本 | J2 | 43 | 0 | - | 4 | 0 | 47 | 0 | |||
| 総通算 | 331 | 0 | 46 | 0 | 26 | 0 | 403 | 0 | |||
- 2007年 : 入れ替え戦2試合0得点
[編集] 出場歴・タイトル
[編集] 個人タイトル
- Jリーグアウォーズフェアプレイ個人賞(2004年)
- オールスター出場(2001年)
[編集] クラブチーム
- 高校
- 国民体育大会広島県代表 (1993年)
- クラブチーム
- 初出場 1995年7月8日 J・第22節 対浦和レッドダイヤモンズ戦(さいたま市大宮公園サッカー場)
[編集] 代表
- アンダーカテゴリー
- ワールドユース・カタール大会U-20日本代表(1995年)
- アトランタオリンピックサッカー日本代表(1996年)
- A代表
- 初出場 1999年3月31日対ブラジル戦(国立霞ヶ丘陸上競技場)
- アジアカップレバノン大会日本代表(2000年)
- 日本代表 (1998年 - 2000年・2003年・2006年)
[編集] 代表歴
[編集] 試合数
- 国際Aマッチ 1試合 0得点(1999)
| 日本代表 | 国際Aマッチ | |
|---|---|---|
| 年 | 出場 | 得点 |
| 1999 | 1 | 0 |
| 通算 | 1 | 0 |
[編集] 関連情報
- CM
[編集] 関連項目
[編集] 脚注
- ^ 1997年から背番号固定番号制になったが、1番を1997年~1999年は前川和也、2000年以降下田が付けている。
- ^ 2003年、J2でPK阻止率100パーセントという実績も持つ。
- ^ 2006年4月29日横浜F・マリノス戦でロングフィードから佐藤寿人の得点をアシストしている。
- ^ 近所に張本勲の実家がある。
- ^ そのこともあり、現在も広島東洋カープファン。
- ^ 高校の1学年後輩に、山根巌・TBSアナウンサーの久保田智子、2学年後輩に金本圭太、3学年後輩に梅田直哉・陸上の為末大がいる。
- ^ 同期入団は、大西貴、桑原裕義。(大木勉は同い年だが、彼の入団年度は翌年の1995年。)
- ^ 現在、広島在籍選手の中では唯一1994年のサンフレッチェの1stステージ優勝を知る現役選手となる。ただ下田はルーキーイヤーで当然ながら優勝に貢献してはいない。(他チームでも2009年現在桑原裕義のみ。)
- ^ 森崎浩司曰く、「今でも話すときは(チーム内)で一番緊張する。話しかけても酒の席では饒舌だが、普段は一言か二言でしか返さない。相当の負けず嫌いで、同じポジションの選手とはほとんど口を利かない。」(J's GOALのインタビューより)
- ^ 紫熊倶楽部より。正GKを奪ったのも前川の怪我によるものであったため。
- ^ J'sGOAL (2005-10-17). "下田崇選手の負傷について". 2009-02-26 閲覧。
- ^ J'sGOAL (2006-02-03). "日本代表アメリカ遠征メンバーに下田崇選手 追加招集のお知らせ". 2009-02-26 閲覧。
[編集] 外部リンク
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