山西尊裕
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
| 山西尊裕 | ||
|---|---|---|
| 名前 | ||
| 愛称 | ヤマ ヤマさん | |
| カタカナ | ヤマニシ タカヒロ | |
| ラテン文字 | YAMANISHI Takahiro | |
| 基本情報 | ||
| 国籍 | ||
| 生年月日 | 1976年4月2日 | |
| 出身地 | 静岡県静岡市 | |
| 身長 | 173cm | |
| 体重 | 70kg | |
| 血液型 | O型 | |
| 選手情報 | ||
| 在籍チーム | 清水エスパルス | |
| ポジション | DF | |
| 背番号 | 3 | |
| 利き足 | 左足
|
|
山西尊裕(やまにし たかひろ、1976年4月2日-)は、静岡県静岡市出身で清水エスパルス所属のサッカー選手。ポジションはDF。
目次 |
[編集] プレースタイル
キックの精度に優れ、守備と攻撃のバランスに優れた左サイドバックである。ジュビロ磐田時代は小柄ながらも3バックの一角としてストッパーでレギュラーを務めるなど、ここ一番の局面での頑張りを見せる粘り強い守備には定評がある。またクロスボール以外にも、フリーキックを任される(Jリーグ公式戦での彼の得点は、どちらも直接FKを決めたものである)だけの精度を持つロングボールによって、攻撃の基点になるプレーもできる。
[編集] 経歴
1995年にジュビロ磐田に入団。名波浩や福西崇史、清水範久らと同期である。U-19代表の経験があったが、なかなか出番がなかった。しかし3年目の1997年、シーズン前のキャンプでフェリペ監督にその粘り強い守備が認められ、開幕からレギュラーポジションをつかむとそのままトップチームに定着した。とはいえその後も服部年宏とのレギュラー争いではなかなか優位に立てず、左利きなのに右サイドバックで起用されたことも1度や2度ではなかった。
磐田が3バックになってからは、攻撃力を磨いて左ウィングとして活路を見いだそうとしたが首脳陣の信頼を得るプレーはできず、守備を生かしたストッパーとしてならチャンスがあるだろうと研鑽。ここでスピード面に難のある大岩剛に代わってレギュラーをつかむことに成功し、2002年のリーグ完全制覇や2004年元旦の天皇杯制覇などには、ハイボールへの対応には難があるものの、持ち前の粘り強い守備と精度の高いロングボールを生かした攻撃の基点として活躍した。
2004年シーズンオフ、磐田が茶野隆行や金珍圭を補強したこと、また清水エスパルス監督に就任した長谷川健太から左サイドバックとして熱心な誘いがあったこと受けて清水へ移籍した。攻守に安定した左サイドバックとしてスタメンに定着し、移籍2年目にして早くもキャプテンに指名されるなど周囲の信頼も厚い。
2007年は、新加入した同じ左サイドバックの児玉新にレギュラーポジションを奪われたため、出場機会がなかった。
[編集] エピソード
- 明るくまじめな性格で知られており、磐田でも清水でもファンや関係者からの人望が厚い。特に磐田ではジュニアユース世代の子供達からも慕われていたという。
- 清水への移籍が決まった直後、磐田の応援番組に別れの挨拶をするため登場したが、相手のアナウンサーが涙でコメントが詰まってしまい、送られる方の山西が慰めるという一幕もあった。
- 小学校から高校までずっとキャプテン、清水エスパルスでもキャプテンを務める。清水のキャプテンになった際には「ドゥンガからは怒られ役だった俺がキャプテンとは」と冗談めかしていたが、そのドゥンガは山西の向上心の高さを褒めるコメントを何度も残している。
- まじめな反面サービス精神も旺盛で、サッカー教室では「命リフティング」という技を披露しては会場の笑いを誘っていた。
[編集] 所属クラブ
- 1992年 - 1994年 - 静岡県立清水東高等学校
- 1995年 - 2004年 - ジュビロ磐田
- 2005年 - 現 在 - 清水エスパルス
[編集] 経歴
[編集] 個人成績
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 1995 | 磐田 | - | J | 0 | 0 | - | 0 | 0 | 0 | 0 | |
| 1996 | 磐田 | - | J | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
| 1997 | 磐田 | 14 | J | 26 | 1 | 12 | 0 | 4 | 0 | 42 | 1 |
| 1998 | 磐田 | 14 | J | 13 | 0 | 6 | 0 | 3 | 0 | 22 | 0 |
| 1999 | 磐田 | 14 | J1 | 11 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 14 | 0 |
| 2000 | 磐田 | 14 | J1 | 18 | 0 | 3 | 0 | 3 | 1 | 24 | 1 |
| 2001 | 磐田 | 14 | J1 | 13 | 0 | 4 | 0 | 1 | 0 | 18 | 0 |
| 2002 | 磐田 | 14 | J1 | 24 | 1 | 7 | 0 | 3 | 0 | 34 | 1 |
| 2003 | 磐田 | 14 | J1 | 25 | 0 | 9 | 0 | 5 | 0 | 39 | 0 |
| 2004 | 磐田 | 14 | J1 | 18 | 0 | 5 | 0 | 2 | 0 | 25 | 0 |
| 2005 | 清水 | 3 | J1 | 34 | 0 | 7 | 0 | 5 | 0 | 46 | 0 |
| 2006 | 清水 | 3 | J1 | 32 | 0 | 5 | 0 | 3 | 0 | 40 | 0 |
| 2007 | 清水 | 3 | J1 | 1 | 0 | ||||||
| 2008 | 清水 | 3 | J1 | ||||||||
| 通算 | 日本 | J1 | 214 | 2 | 58 | 0 | 32 | 1 | 304 | 3 | |
| 総通算 | 214 | 2 | 58 | 0 | 32 | 1 | 304 | 3 | |||
| 国際大会個人成績 | ||||
|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 |
| AFC | ACL | |||
| 2004 | 磐田 | 14 | 4 | 0 |
| 通算 | AFC | 4 | 0 | |
[編集] 代表歴
- U-20日本代表
- 1995年FIFAワールドユース
| GK |
|---|
| 1 掛川誠|21 西部洋平|29 山本海人|30 武田洋平 |
| DF |
| 2 児玉新|3 山西尊裕|4 高木和道|5 岩下敬輔|15 辻尾真二|25 市川大祐|26 青山直晃|27 廣井友信|32 佐野克彦 |
| MF |
| 6 マルコス・パウロ|7 伊東輝悦|8 枝村匠馬|10 藤本淳吾|13 兵働昭弘|14 高木純平|16 本田拓也|17 フェルナンジーニョ|24 永畑祐樹|28 山本真希 |
| FW |
| 9 矢島卓郎|11 戸田光洋|18 マルコス・アウレリオ|19 原一樹|20 西澤明訓|22 大前元紀|23 岡崎慎司|31 長沢駿|33 キム・ドンソプ |
| スタッフ |
| 監督 長谷川健太|コーチ 田坂和昭|GKコーチ 浦上壮史|フィジカルコーチ 杉本龍勇|マスコット パルちゃん |

