服部年宏

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服部 年宏
名前
愛称 ハット
カタカナ ハットリ トシヒロ
ラテン文字 HATTORI Toshihiro
基本情報
国籍 日本
生年月日 1973年9月23日(35歳)
出身地 静岡県静岡市清水区
身長 178cm
体重 73kg
血液型 AB型
選手情報
在籍チーム 日本の旗 東京ヴェルディ
ポジション MF
背番号 22
利き足 左足
代表歴
1996-2003 日本 44 (2)
Template(ノート 解説)サッカー選手pj

服部 年宏(はっとり としひろ、1973年9月23日 - )は、静岡県清水市(現静岡市清水区)出身のサッカー選手である。ポジションディフェンダーミッドフィールダーJリーグ東京ヴェルディに所属。

目次

[編集] 来歴

東海大学2年修了時にジュビロ磐田に練習生として参加し、そのままプロ契約。1年目から左のサイドバック・ウイングバックとしてレギュラーを獲得。アトランタオリンピック時は、後に日韓W杯でも活躍したブラジル代表ジュニーニョ・パウリスタのマンマーク役として中盤の底でプレーした。その後磐田でも1999年第2ステージに名波浩ヴェネチアに移籍し、中盤構成に苦しむなかで同ポジションを務めるようになり、左サイドバックの他、中盤の底やストッパーを務めることができるなどポリバレントな選手である。

10代から日本代表に選ばれており、2002年ワールドカップにも出場した。監督がトルシエからジーコに変わってからはしばらく左サイドバックとして起用されていたが、世代交代やシステム変更もあり、代表からはずされた。

2003年に結婚した朋子夫人は、地元のジュビロ磐田応援テレビ番組を担当していた元アナウンサー。

2006年12月に磐田を退団、東京ヴェルディ1969への移籍が決定した。2007年は出場停止の1試合を除く47試合全てにスタメンフル出場。セットプレイのキッカーも務めシーズン最多の15アシストを記録するなどJ1昇格に大きく貢献した。

2008年はキャプテンに就任。主力として起用されたものの、クラブの経営悪化の影響で退団が発表された。しかし、ラモス瑠偉常務や高木琢也新監督の意向により、東京Vと再契約を結んだ。

[編集] 人物

磐田時代はドゥンガのプレーを間近に見てきており、ゲームキャプテンを2005年まで務め、ドゥンガのように味方を叱咤する存在でもあった。 2007年は所属する東京Vでは主将のMF大野が不在の場合、ゲームキャプテンを務め、2008年は監督から主将に選任される。

体のケアを大事にしており、練習後のマッサージにはかなり時間をかける。

[編集] プレースタイル

対人守備に強く、攻撃力よりも守備力に長けている守備のスペシャリストとしての印象が強い。マンマークやゾーンディフェンスなどあらゆる守備に対応する。

攻撃面でも豊富な運動量を生かし、ロングパスを放ったり攻撃参加をしてラストパスを出したりと、守備に攻撃へとコート内では幅広く活躍している。ジュビロ黄金時代は元々本職ではなかったボランチで大活躍したが、2002年シーズン前に腹膜炎を患って以降パスの精度はやや落ちている。ただジュビロ時代は左サイドの動きを一番よく理解している選手であり、左利きのMF名波浩とのコンビネーションプレーは相手守備陣への脅威となった。

2007年、本人にとって初めての移籍であったが、すぐにチームにフィットし、FKやCKからの正確なクロスでアシストを量産した。

2008年、チームキャプテンに指名され、チーム全体を引っ張るとともに、衰えを見せぬ左足から正確かつ力強いクロスを上げ、プレーでも大きくチームに貢献している。

[編集] エピソード

  • 高校時代、同じクラスのサッカー部員に、現清水エスパルスU-15監督の岩下潤がいた。授業中、他に比べ居眠りの多い両名に、熱血派でフェンシングの国体選手でもあった担任教員の大きな理解があった。高校卒業とともに清水に入団した岩下、東海大学体育学部に進学し、体育会サッカー部に入部した服部と道は一度は分かれたが、その後在学2年で服部も磐田へ入団し日本代表の中心的な選手となった。
  • 服部の派手さのないルックスをしばしば話題にされるが、2000年3月の対横浜F・マリノス戦で、突然金髪にして登場しファンの度肝を抜いたことがある。また、その金髪で臨んだ同年のアジアクラブ選手権で、対戦相手の監督から名指で「あの金髪は強かった」と対人プレーの強さを絶賛されたことがある。
  • 東京Vに移籍後、長年親しんだ6番は菅原智が着けており、心機一転の意味を込めて空いていた22番を選んだ。
  • 2007年水戸に破れ7連敗となった試合後のサポーターへの挨拶時には、ガックリ肩を落とし暫く動けなかった。

[編集] 所属クラブ

ユース経歴

プロ経歴

[編集] 個人成績

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
1994 磐田 - J 25 0 4 0 1 0 30 0
1995 磐田 - J 40 3 - 2 1 42 4
1996 磐田 - J 15 3 11 1 1 0 27 4
1997 磐田 6 J 18 2 4 0 4 0 26 2
1998 磐田 6 J 32 1 2 0 3 0 37 1
1999 磐田 6 J1 29 0 4 0 3 0 36 0
2000 磐田 6 J1 25 2 1 1 3 1 29 4
2001 磐田 6 J1 27 5 9 0 1 0 37 5
2002 磐田 6 J1 26 2 1 0 0 0 27 2
2003 磐田 6 J1 26 1 8 0 4 0 38 1
2004 磐田 6 J1 29 0 5 1 5 0 39 1
2005 磐田 6 J1 28 0 2 0 2 0 32 0
2006 磐田 6 J1 30 0 7 0 2 0 39 0
2007 東京V 22 J2 47 0 - 0 0 47 0
2008 東京V 22 J1 31 0 4 0 1 0 36 0
2009 東京V 22 J2 -
通算 日本 J1 381 19 62 3 32 2 475 24
日本 J2 47 0 - 0 0 47 0
総通算 428 19 62 3 32 2 522 24
国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFC ACL
2004 磐田 6 4 1
2005 磐田 6 3 0
通算 AFC 7 1

[編集] 代表歴

[編集] 出場大会など

[編集] 試合数

  • 国際Aマッチ 44試合 2得点(1996-2003)


日本代表 国際Aマッチ
出場 得点
1996 1 0
1997 1 0
1998 5 0
1999 5 0
2000 12 1
2001 11 1
2002 5 0
2003 4 0
通算 44 2

[編集] 関連項目

[編集] タイトル

  • 1998年、1999年、2001年、2002年 J1 1stステージ優勝
  • 1997年、2002年 J1 2ndステージ優勝
  • 1997年、1999年、2002年 J1年間優勝
  • 1998年、ナビスコ杯優勝
  • 1998-1999年 アジアクラブ選手権優勝
  • 2001年 Jリーグベストイレブン

[編集] 外部リンク

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