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土肥 洋一 |
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| 名前 |
| 愛称 |
どいさん |
| カタカナ |
ドイ ヨウイチ |
| ラテン文字 |
DOI Yoichi |
| 基本情報 |
| 国籍 |
日本 |
| 生年月日 |
1973年7月25日(38歳) |
| 出身地 |
熊本県 |
| 身長 |
184cm |
| 体重 |
84kg |
| 選手情報 |
| 在籍チーム |
東京ヴェルディ |
| ポジション |
GK |
| 背番号 |
1 |
| 利き足 |
右足 |
| クラブチーム1 |
|
|
| 代表歴 2 |
| 2004-2005 |
日本 |
4 (0) |
|
1. 国内リーグ戦に限る。2011年12月12日現在。
2. 2007年12月23日現在。
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土肥 洋一(どい よういち、1973年7月25日 - )は熊本県出身のプロサッカー選手。Jリーグ2部(J2)の東京ヴェルディ所属、ポジションはゴールキーパー。
[編集] 来歴
サッカーを始めたのは中学生の時と、プロ選手の中では極めて遅かった。1992年、熊本県立大津高等学校を卒業後にプロ契約が内定していたものの、怪我により契約が認められなかった。
しかし、プロ選手への夢を諦めきれずに日本テレビ『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』の番組内企画「GENKI FC」(コーチはセルジオ越後)に出演。Jリーグクラブへのアピールを行い、当時ジャパンフットボールリーグの日立製作所(現柏レイソル) との契約を果たした。
柏では正GKの地位を掴み、1996年にはJOMOカップに出場するなど活躍したが、1998年以降は南雄太にレギュラーポジションを奪われ出場機会が減った。
2000年には出場機会を求め、J1に昇格したFC東京に完全移籍で加入。大熊清監督の標榜する全員守備の要として、開幕からレギュラーポジションを維持した。2002年に原博実監督が就任してからもその信頼は揺るぎなく、2004年2nd第11節対広島戦で、146試合連続出場というJリーグ新記録を達成[1](以前の記録は元清水GK真田雅則の145試合)。その後も記録を伸ばし、2006年第33節対浦和戦の不出場に至るまで、2000年開幕戦から延べ216試合連続出場のをJリーグ新記録した。
2003年には日本代表に初選出され、2004年には初出場を記録した。同年のナビスコカップ決勝では、退場者を出す不利な状況の中浦和の猛攻を耐えしのぎ、優勝に貢献するとともに自らもMVPを獲得した[2]。以後も安定したプレーを続け、第3GKの立場ながら日本代表にも定着。出場機会を得た東アジア選手権第3戦の韓国戦では好セーブを連発し、日本の勝利に貢献した。2006年1月、太ももの肉離れのため代表キャンプから離脱。リーグ戦連続出場記録の更新も危ぶまれたが、FC東京に戻って調整を続け、開幕戦からリーグ第32節までフル出場した。
2003年頃までは足元の技術、特にキックの精度に問題があり、バックパスが土肥の方向へ行くとスタジアムが不安でどよめくほどだったが、徐々に改善された。至近距離のシュートに対する反応は日本人の中では群を抜いて鋭い[要出典]。2002年頃からはチームに若い選手も増え、普段から「ボス」と呼ばれるなどチーム内の精神的リーダーとなるなどFC東京のJ1定着に貢献した。原博実がFC東京監督(第1期)在任中「客観的に見て日本で一番のキーパーだと思う」と異例とも思える個人を褒める発言をするなど、キレのある好守を連発。日本代表へも招集されるようになった。2006年ドイツW杯には怪我を乗り越え第3GKとして選出され、試合出場は無かったが、対ブラジル戦のハーフタイムでは出場していた川口能活を励ます様子が見られた。日本代表の紅白戦では攻撃的なポジションを任されることが多く、得点を上げることもあった。
2006年の終盤戦から塩田仁史にレギュラーを奪われるようになり、2007年限りでFC東京から戦力外通告を受け退団。福西崇史と共に、J1へ復帰した同じ東京のライバル・東京ヴェルディへ完全移籍。移籍後は高木義成を抑えて正GKの座を獲得し、リーグ戦全試合出場と奮闘したが、チームは17位となりJ2降格。クラブの経営悪化により一度は契約非更新が発表されたが[3]、2009年1月19日に東京Vとの再契約が発表され[4]、2010年も引き続き正GKの地位を守った。2011年J2第10節FC東京戦の試合中に負傷。左アキレス腱断裂と発表され、全治6ヶ月と診断された[5]。
[編集] 所属クラブ
[編集] アマ
[編集] プロ
[編集] 個人成績
| 国内大会個人成績 |
| 年度 |
クラブ |
背番号 |
リーグ |
リーグ戦 |
リーグ杯 |
オープン杯 |
期間通算 |
| 出場 |
得点 |
出場 |
得点 |
出場 |
得点 |
出場 |
得点 |
| 日本 |
リーグ戦 |
ナビスコ杯 |
天皇杯 |
期間通算 |
| 1992 |
日立 |
|
旧JFL1部 |
0 |
0 |
- |
|
|
|
|
| 1993 |
柏 |
31 |
0 |
0 |
- |
0 |
0 |
0 |
0 |
| 1994 |
旧JFL |
15 |
0 |
1 |
0 |
0 |
0 |
16 |
0 |
| 1995 |
- |
J |
17 |
0 |
- |
2 |
0 |
19 |
0 |
| 1996 |
- |
30 |
0 |
15 |
0 |
2 |
0 |
47 |
0 |
| 1997 |
1 |
19 |
0 |
8 |
0 |
3 |
0 |
30 |
0 |
| 1998 |
8 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
9 |
0 |
| 1999 |
J1 |
3 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
3 |
0 |
| 2000 |
FC東京 |
20 |
30 |
0 |
2 |
0 |
0 |
0 |
32 |
0 |
| 2001 |
1 |
30 |
0 |
3 |
0 |
1 |
0 |
34 |
0 |
| 2002 |
30 |
0 |
7 |
0 |
1 |
0 |
38 |
0 |
| 2003 |
30 |
0 |
6 |
0 |
2 |
0 |
38 |
0 |
| 2004 |
30 |
0 |
1 |
0 |
3 |
0 |
34 |
0 |
| 2005 |
34 |
0 |
0 |
0 |
2 |
0 |
36 |
0 |
| 2006 |
32 |
0 |
2 |
0 |
0 |
0 |
34 |
0 |
| 2007 |
14 |
0 |
4 |
0 |
0 |
0 |
18 |
0 |
| 2008 |
東京V |
34 |
0 |
4 |
0 |
0 |
0 |
38 |
0 |
| 2009 |
J2 |
43 |
0 |
- |
1 |
0 |
44 |
0 |
| 2010 |
34 |
0 |
- |
1 |
0 |
35 |
0 |
| 2011 |
2 |
0 |
- |
0 |
0 |
2 |
0 |
| 2012 |
|
|
- |
|
|
|
|
| 通算 |
日本 |
J1 |
341 |
0 |
52 |
0 |
17 |
0 |
410 |
0 |
| 日本 |
J2 |
79 |
0 |
- |
2 |
0 |
81 |
0 |
| 日本 |
旧JFL1部 |
15 |
0 |
1 |
0 |
|
|
|
|
| 総通算 |
435 |
0 |
53 |
0 |
|
|
|
|
[編集] 代表歴
[編集] 出場大会など
[編集] 試合数
- 国際Aマッチ 4試合 0得点 (2004-2005)
| 日本代表 |
国際Aマッチ |
| 年 |
出場 |
得点 |
| 2003 |
0 |
0 |
| 2004 |
2 |
0 |
| 2005 |
2 |
0 |
| 2006 |
0 |
0 |
| 通算 |
4 |
0 |
[編集] 個人タイトル・記録
[編集] 脚注
[編集] 外部リンク