関塚隆
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| 関塚 隆 | ||
|---|---|---|
| 名前 | ||
| 愛称 | セッキー、関さん | |
| カタカナ | セキヅカ タカシ | |
| ラテン文字 | SEKIZUKA Takashi | |
| 基本情報 | ||
| 国籍 | ||
| 生年月日 | 1960年10月26日(48歳) | |
| 出身地 | 千葉県 | |
| 身長 | 176cm | |
| 体重 | 71kg | |
| 血液型 | A型 | |
| 選手情報 | ||
| ポジション | FW | |
| 利き足 | 右足 | |
| クラブチーム1 | ||
| 年 | クラブ | App (G) |
| 1984-1991 | 本田技研工業 | |
| 監督歴 | ||
| 1991-92 1998 1999 2004-08途 2009- |
早稲田大学ア式蹴球部 鹿島アントラーズ(代行) 鹿島アントラーズ(代行) 川崎フロンターレ 川崎フロンターレ |
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| 1. 国内リーグ戦に限る。現在。 ■Template(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
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関塚 隆(せきづか たかし、1960年10月26日 - )は、千葉県船橋市出身の元サッカー選手、指導者。JFA 公認S級コーチ。現役時代のポジションはフォワード。
目次 |
[編集] 来歴
千葉県立八千代高等学校から1年の浪人期間を経て一般入試で早稲田大学教育学部に進学。当時の早大蹴球部には3学年先輩に原博実がおり、また吉田靖、城福浩らともチームメイトだった。卒業後、JSL1部に昇格したばかりの本田技研工業(現Honda FC)に進み、チーム隆盛の礎を築いた。自身は1年目の1984年シーズンに得点ランキング2位となり、新人王・ベストイレブンのタイトルを獲得している。
1991年に現役を引退し、指導者へと転身。母校の早大ア式蹴球部監督を経て、1993年に鹿島アントラーズにコーチとして招かれ、そこで大学時代および本田技研時代の恩師である宮本征勝の薫陶を受けた。その後1995年に宮本の清水エスパルス監督就任に伴い清水に籍を移すが、翌年鹿島に復帰。ジーコ、ジョアン・カルロス、トニーニョ・セレーゾといったブラジル人指導者の下で「勝者のメンタリティー」を学んだ。1998年、1999年には鹿島の監督代行も務めた。
2004年に当時J2の川崎フロンターレ監督に就任。J2リーグ史上に残る圧倒的な独走劇でチームをJ1昇格に導くと、翌2005年もシーズン終盤まで上位争いに食い込み(最終順位は8位)、2006年にはW杯中断時点で首位、年間でも2位になるなどJ1に定着し、上位争いを繰り広げるチームを構築した。
我那覇和樹を日本代表にまで育て上げたように日本人フォワードの育成手腕には定評があり、また攻撃的ミッドフィールダーだった中村憲剛や左サイドバックだった相馬直樹をボランチで起用するなどのコンバートも成功させている。
2008年シーズン途中の4月、不整脈などの健康不安を理由に川崎F監督を一旦辞任した[1]。その後、スカパー!のサッカー中継などで解説者を務めつつ静養と体調回復に努め、2009年より川崎の監督に再任した。
[編集] 所属クラブ
- 千葉県立八千代高等学校
- 早稲田大学ア式蹴球部
- 1984年 - 1991年: 本田技研工業
[編集] 指導歴
- 1991年 - 1992年:早稲田大学ア式蹴球部 監督
- 1993年 - 1994年:鹿島アントラーズ コーチ
- 1995年:清水エスパルス コーチ
- 1996年 - 2003年:鹿島アントラーズ コーチ
- 1998年7月、1999年8月:鹿島アントラーズ 監督(代行)
- 2004年 - 2008年4月、2009年 - :川崎フロンターレ 監督
[編集] 監督成績
| 年度 | 所属 | クラブ | リーグ戦 | カップ戦 | ||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 順位 | 試合 | 勝点 | 勝利 | 引分 | 敗戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | |||
| 1998 | J | 鹿島(代行) | - | 6 | 12 | 4 | - | 2 | - | - |
| 1999 | J1 | 鹿島(代行) | - | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | - | - |
| 2004 | J2 | 川崎 | 1位 | 44 | 105 | 34 | 3 | 7 | - | 5回戦敗退 |
| 2005 | J1 | 川崎 | 8位 | 34 | 50 | 15 | 5 | 14 | 予選リーグ敗退 | ベスト8 |
| 2006 | J1 | 川崎 | 2位 | 34 | 67 | 20 | 7 | 7 | ベスト4 | 5回戦敗退 |
| 2007 | J1 | 川崎 | 5位 | 34 | 54 | 14 | 12 | 8 | 準優勝 | ベスト4 |
| 2008 | J1 | 川崎 | - | 5 | 7 | 2 | 1 | 2 | - | |
| 2009 | J1 | 川崎 | ||||||||
| J1通算 | - | 158 | - | 55 | 25 | 34 | ||||
| J2通算 | - | 44 | - | 34 | 3 | 7 | ||||
*2008年は5節終了後、療養のため退任。
[編集] エピソード
- 試合後の記者会見では、まずサポーターに対する感謝の言葉を述べるのが恒例。また対戦相手を「(チーム名)さん」と呼び、相手チームに敬意を払うことを忘れない。
- 普段は冷静だが、ひとたび試合が始まるとタッチライン際まで飛び出し大声でコーチングを行う熱血漢である。
- 激高しやすい性格であり、判定に対して不満がある場合はピッチ内に入り込まんばかりの勢いで審判に対し抗議する事で有名。2005年の浦和レッドダイヤモンズ戦後の記者会見では「我々を勝たせない何かが働いた」と審判を皮肉るコメントを残した。また、2006年のアウェー大分トリニータ戦では、判定に対しベンチを蹴り上げる等の行為を働いたとして、退席処分を命じられた。この2試合の主審はともに家本政明である。また、2007年もアウェー大分トリニータ戦で退席処分を命じられ、2年連続で九州石油ドームで退席という珍記録を作ってしまった。
- 2006年に行われたワールドカップドイツ大会では、NHKの解説者として起用された。
[編集] 脚注
- ^ J1川崎の関塚監督辞任 スポーツナビ 2008年4月24日閲覧
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- ピックアッププレイヤー 関塚隆 - 川崎フロンターレ公式サイト
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