神戸清雄

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神戸 清雄
名前
カタカナ カンベ スガオ
ラテン文字 KAMBE Sugao
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1961-08-02) 1961年8月2日(62歳)[1]
出身地 静岡県
選手情報
ポジション MF
背番号 19[2][3]、17[4][5][6][7]
監督歴
チーム
2000 ジェフユナイテッド市原 (代行)
2001 ジェフユナイテッド市原 (代行)
2002-2003 フィリピン代表
2003-2004 グアム代表
2005 名古屋グランパス U-18
2009 北マリアナ諸島代表
2011 ジェフユナイテッド千葉
2013-2016 ナコーンラーチャシーマー・マツダFC
2016-2017 チエンマイFC
2018 ウボンUMTユナイテッド
2019 ノーンブワ・ピッチャヤFC
2020-2021 コーンケン・ユナイテッドFC
2021 ラヨーンFC
2023- スコータイFC
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

神戸 清雄(かんべ すがお、1961年8月2日 - )は、静岡県出身のサッカー選手、サッカー指導者。

来歴[編集]

選手時代は本田技研サッカー部(現・Honda FC)でプレー。引退後は本田技研サッカースクールコーチを経て、1991年から2001年までジェフユナイテッド市原(現・ジェフユナイテッド市原・千葉)で各年代コーチを歴任[1]2000年2001年には監督代行も経験した[1]

2002年からは日本サッカー協会強化スタッフとしてフィリピングアムに派遣されて代表監督を務める。

2005年からは名古屋グランパスエイトでユース年代の指導にあたり、2008年からはトップチームのコーチに就任し、シーズン終了後退団。

2009年、日本サッカー協会から北マリアナ諸島サッカー代表監督として派遣される。

2010年1月1日J2に降格したジェフ千葉のテクニカルダイレクターに就任。翌2011年、前半戦は首位にも立っていたチームが夏場以降に失速すると、10月21日に監督のドワイト・ローデヴェーヘスが解任されたのを受けて後任となり、初めて「監督」として指揮を執ることになった。しかし、ドワイト体制末期からの得点力不足を解消させることが出来ず(神部が指揮を執ったリーグ戦8試合で4得点)、20チーム中6位[1]に食い下がったもののチームをJ1に導くことはできなかった。

2012年より千葉のテクニカルダイレクターに復帰。

タイでの指導[編集]

2013年、タイに渡り、当時ディビジョン1ナコーンラーチャシーマー・マツダFCの監督に就任。滝雅美に続いてタイ・リーグ2人目の日本人監督となる。翌2014年シーズンにリーグ優勝を果たしてタイ・プレミアリーグ昇格を決める[8]。2016年にナコーンラーチャシーマー監督を退任してからはチエンマイFCウボンUMTユナイテッド英語版ノーンブワ・ピッチャヤFC[9]コーンケン・ユナイテッドFCで指揮を執った[8]。コーンケン・ユナイテッドでは2020-21シーズンのタイ・リーグ2で昇格争いに絡んでいたがシーズン終盤に未勝利が続き解任された[10]

2021-22シーズンはラヨーンFCの監督を務める[10]

所属クラブ[編集]

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 JSL杯 天皇杯 期間通算
1984 本田 15 JSL1部 6 1 3 1
1985 9 0
1986-87 17 1
1987-88 12 0
1988-89 16 0 1 0
1989-90 0 0 0 0
通算 日本 JSL1部 60 2
総通算 60 2

1989 FIFAフットサル世界選手権[編集]

神戸は1989年フットサル日本代表としてオランダ1989 FIFAフットサル世界選手権にMFとして出場した[12]

指導歴[編集]

監督成績[編集]

年度 所属 クラブ リーグ戦 カップ戦
順位 試合 勝点 ナビスコ杯 天皇杯
2000 J1 市原 - 2 1 0 1 - -
2001 - - - - - - - 準々決勝
2011 J2 千葉 6位 8 8 2 2 4 - 4回戦
  • 2000年はコーチとして指揮[1]
  • 2001年は天皇杯のみ指揮。
  • 2011年はJ2-第32節(31試合目)から指揮。順位は最終順位[1]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h 選手・監督・審判 > 神戸清雄”. J.League Data Site. 2019年3月24日閲覧。
  2. ^ a b チーム情報 > 1984年 選手一覧 (19)”. 2016年12月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年3月24日閲覧。
  3. ^ a b チーム情報 > 1985年 選手一覧 (19)”. 2016年12月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年3月24日閲覧。
  4. ^ a b チーム情報 > 1986年 選手一覧 (17)”. 2016年12月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年3月24日閲覧。
  5. ^ a b チーム情報 > 1987年 選手一覧 (17)”. 2016年12月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年3月24日閲覧。
  6. ^ a b チーム情報 > 1988年 選手一覧 (17)”. 2016年12月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年3月24日閲覧。
  7. ^ a b チーム情報 > 1989年 選手一覧 (17)”. 2016年12月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年3月24日閲覧。
  8. ^ a b 本多辰成 (2020年9月3日). “タイリーグ8年目の日本人監督…神戸清雄氏「関わった選手が伸びていくのが楽しみ」”. サッカーキング. 2021年5月22日閲覧。
  9. ^ a b 神戸清雄氏がタイリーグ2部ノーンブア・ピチャヤFCの監督に就任! タイリーグ7シーズン目、通算4クラブ目の指揮へ”. targma.jp (2019年2月4日). 2019年3月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年3月24日閲覧。
  10. ^ a b 本多辰成 (2020年5月12日). “【アジア最前線:タイ #11】日本人監督のニーズが高まる一方、長期政権を阻害する要因も”. サッカーキング. 2021年5月22日閲覧。
  11. ^ チーム情報 > 1990年 選手一覧 (事務局)”. 2016年5月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年3月24日閲覧。
  12. ^ 神戸清雄FIFA主催大会成績
  13. ^ 金銭面・親日国だけが理由ではない。近年急増、なぜタイリーグは日本人を求めているのか?”. フットボールチャンネル (2014年3月31日). 2017年3月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年3月24日閲覧。
  14. ^ 「タイのメッシ」速くてうまい油断禁物! タイ2部神戸監督分析”. スポーツニッポン新聞社 (2016年9月3日). 2016年9月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年3月24日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]