水沼宏太

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水沼 宏太
名前
カタカナ ミズヌマ コウタ
ラテン文字 MIZUNUMA Kota
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1990-02-22) 1990年2月22日(34歳)
出身地 神奈川県横浜市青葉区
身長 176cm
体重 72kg
選手情報
在籍チーム 日本の旗 横浜F・マリノス
ポジション MF[1] / FW[2]
背番号 18
利き足 右足[1][3]
ユース
あざみ野FC
横浜F・マリノスジュニアユース
横浜F・マリノスユース
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2007-2012 横浜F・マリノス 29 (0)
2010-2011 栃木SC (loan) 50 (7)
2012 サガン鳥栖 (loan) 33 (5)
2013-2015 サガン鳥栖 91 (15)
2016-2017 FC東京 17 (1)
2017 セレッソ大阪 (loan) 24 (3)
2018-2019 セレッソ大阪 58 (8)
2020- 横浜F・マリノス 92 (13)
代表歴2
2005-2007  日本 U-17
2008-2009  日本 U-20
2010-2012  日本 U-23
2022  日本 2 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2022年11月7日現在。
2. 2022年7月27日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

水沼 宏太(みずぬま こうた、1990年2月22日 - )は、神奈川県横浜市青葉区出身[4]プロサッカー選手Jリーグ横浜F・マリノス所属。ポジションはミッドフィールダーフォワード。元日本代表

父は元日本代表で日産自動車、横浜Mで活躍した水沼貴史[3][5]。史上初の親子2代日本代表出場かつリーグ優勝達成者[6]

来歴[編集]

プロ入り前[編集]

1995年、5歳当時、木村和司の引退試合に父である貴史に連れられ、マリノスのユニフォームを着て三ツ沢球技場のピッチに立った[7]。小学2年時に地元クラブでサッカーを始める[8]。当時はFWで同期の金井貢史と2トップを組んでいた[9][4]。中学生の頃にインターネットで『水沼の息子』という括りで、たくさんの誹謗中傷が書かれているのを目にして、相当なショックを受けたが『実力で見返してやろう』と思った事を後のインタビューで明らかにしている[10]。金井と共に中学生時から加入した横浜F・マリノスのジュニアユースでは出場機会確保に苦しみ、一時はユース昇格を危ぶまれたが[11][4][12]、ユース時にポジションをFWからMFに下げ[13][14] 台頭。2007年には2種登録選手としてトップチームに帯同し、J1第30節甲府戦にて17歳にしてJリーグデビュー。

横浜F・マリノス[編集]

2008年よりトップチームに昇格した[2]2009年のナビスコカップ準決勝川崎戦の第2戦では、交代枠を使い切った状況でGK飯倉大樹が退場処分を受けたため[15]、不本意ながらも[注 1]代役GKを務めた。同年限りでの退団を考えていたが、監督の交代を受けて[17] 横浜FMに残留。

栃木SC[編集]

ロンドンオリンピック代表メンバー入りを見据え[18]、2010年7月にJ2の栃木SCに期限付き移籍[19]。右サイドハーフのレギュラーに据えられると、右のクロッサーという役割が明確になったことで[20]成長の切っ掛けを掴み、同年9月の第90回天皇杯2回戦岐阜戦でプロ初得点を挙げた。移籍期間満了により2011年限りで栃木を退団[1]。海外移籍を目指し[8]リーガ1(ルーマニア1部リーグ)のFCウニヴェルシタテア・クルジュにテスト参加したが[21][22] 合意に至らず断念[3]

サガン鳥栖[編集]

2012年2月、海外移籍の成否を待ってもらっていた[8] というサガン鳥栖に期限付き移籍[23][24]。3月24日のJ1第3節、古巣横浜FM戦でJ1初得点を挙げて[8][注 2]勝利。FW豊田陽平と好連携を築き、鳥栖躍進の原動力となった[26][27]2013年より鳥栖へ完全移籍[28][29]2015年はJ1随一の運動量[30] に加え、リーグ戦の7得点を含む[31]通年での二桁得点を達成。一時はゲームキャプテンを任されるなど[32] 主軸として[31]チームを牽引した。

FC東京[編集]

鳥栖からは契約延長の打診を受けていたが[33]U-17代表で指導を受けた城福浩が監督を務めるFC東京からのオファーに応じ[31]2016年より同クラブへ完全移籍[34][35]。2016年5月17日、ACL決勝T1回戦で上海上港と対戦して、1stレグでは2得点をあげる活躍で勝利に貢献。だが成績不振により城福監督解任後は後任監督の構想から外れ、J3のFC東京U-23でのプレーが増えた。10月29日、2ndステージ第16節のベガルタ仙台で移籍後初のリーグ戦での得点を決めた。

セレッソ大阪[編集]

2017年1月8日、セレッソ大阪への期限付き移籍が発表された[36][37]。 同年2月25日に行われた開幕戦となるジュビロ磐田戦に出場。試合中に右ハムストリング筋損傷で全治4週間の診断を受けて[38]一時離脱するも復帰。 5月28日、第13節のヴィッセル神戸との神阪ダービーで移籍後初得点を決めた。その後清武弘嗣の負傷離脱もあり右サイドハーフに定着し、7月2日、第17節のFC東京戦では古巣と対戦し、2アシストの活躍を見せた。最終的には4得点、チーム2位の9アシストの成績を残した。ルヴァンカップ準決勝第2戦・G大阪との大阪ダービーでは、右サイドからのクロスで木本恭生のヘディング決勝弾をアシストした。天皇杯では、準決勝のヴィッセル神戸戦で先制された直後の後半アディショナルタイムに起死回生の同点ゴールを決めた[39] ほか、決勝の横浜F・マリノス戦では延長前半5分に決勝点を決めて優勝に貢献した[40]。同年12月、福岡のローカルタレントである平田たかこと結婚した[41]。 「プレーでも声でも引っ張れる存在というのは、チームに1人は絶対に必要。僕はその役割を担いたい」と話しており、それを有言実行[42]、クロッサーとしてアシストを量産しただけでなく、周囲を常に盛り立てるムードメーカーとしての役割を務めた[43]。「絶対にあきらめない」という姿勢を体現し、ユン・ジョンファン監督のもと、チームの肝として、不可欠な存在になっていった[44]。 

2018年よりセレッソ大阪に完全移籍し[45]、背番号を7番に変更した。

2019年、 ロティーナ監督のもとで、第2~9節までは控えメンバーとなった。この間、ルヴァンカップで好プレーを続けると、システムを4-4-2に変更して迎えた第10節・松本戦で先発し、勝利に貢献、以降は定位置を掴んだ[46]。ガンバ大阪との大阪ダービーでは、チームの3点目を決めてリーグ戦7年半ぶりの勝利に貢献(これ以来セレッソは対ガンバ戦の成績を大きく好転させた)[47]藤本康太の引退試合となった第33節・清水戦で、75分に逆転勝ちに繋がる同点ゴールを決めた[48]

10年振りの横浜F・マリノス復帰[編集]

2020年シーズン、10年ぶりとなる横浜F・マリノスに復帰を果たした[49][50]。10月17日、第23節のセレッソ大阪戦で古巣相手にマリノスでの初ゴールを決めた[51]。また第27節の浦和レッズ戦では3アシストを決め、リーグ戦年間、二桁アシストを初めて達成した[52]。12月4日、AFCチャンピオンズリーグ第6節のシドニーFC戦ではこのチームでは初めてのキャプテンマークを巻いた[53]

2021年8月21日、リーグ第25節のベガルタ仙台戦でJ1リーグ通算300試合出場を達成。28日、第27節の鹿島アントラーズ戦の試合前にセレモニーが行われ、父親である貴史がプレゼンターを務めた[54]。先発出場は1試合(総プレータイムは667分)だったがリーグ2位の9アシストを記録した[55]。2年連続でチーム内アシスト王だった。

複数のクラブからオファーを受ける中、2022シーズンも横浜に残留。クラブの歴史や父への思いを込め、ユニフォームの名前表記をこれまでの「KOTA」から「MIZUNUMA」に変更した[56]ケヴィン・マスカット監督の指揮下で主力として活躍。6月には2試合連続ゴールを挙げ、J1リーグの月間MVPに選出された[57][58]。第31節では前半に先制点を含む2ゴールを決めて、チームは3年振りのリーグ優勝に大きく前進させた[59]。リーグ優勝をかけて行われた、最終節のヴィッセル神戸戦ではチームの全3ゴールに関与して勝利に貢献[60]、自身初のJ1優勝を果たした。また、父・貴史とのJリーグ史上初の親子揃ってのリーグ優勝を達成したこととなった[61]。2022年のリーグ戦においては、自己最多記録と並ぶ7得点、またアシストは7を記録した。

2023年のJリーグでは、33試合で1得点7アシストを記録、1月には契約を更新し、2024年もマリノスでプレーすることとなった[62]

代表経歴[編集]

2005年、横浜FMユースでは主力に入れない状況ながら、早生まれであったことと[63]、たまたま出来が良かった(本人談)時のプレーが代表スタッフの目に留まり[12]2007年のU-17ワールドカップを目指す代表メンバーに選出される。

代表での生き残りのために運動量で貢献するプレースタイルを身に付ける中で[64]城福監督から精神面の強さを認められ[65][63]2006年のAFC U-17選手権でキャプテンに指名された。大会を通じては韓国代表戦での2得点を含む[66] 4得点を挙げ、日本の同大会12年ぶりの優勝及び3大会ぶりのFIFA U-17ワールドカップ出場権獲得に貢献した。2007年のU-17ワールドカップにもキャプテンとして[31]3試合に出場。

2010年には、U-21日本代表の背番号10としてアジア競技大会の全7試合に出場。準決勝イラン代表戦では東慶悟との連携で同点ゴールを挙げ、続く決勝UAE代表戦では實藤友紀の決勝点をアシスト[67][20]金メダルを獲得した。

2012年にはU-23日本代表としてトゥーロン国際大会に出場し[68]、ロンドンオリンピック代表の予備登録にも選出[69]。好調を維持し、オリンピック本大会メンバー入りを目指したが[70][71] 選外となった。

2022年7月13日、EAFF E-1サッカー選手権2022に臨む26人として国内組(Jリーグ)のみで構成される日本代表に初選出され[72]、初戦の香港戦で先発出場してA代表デビューを果たし、第3戦の韓国戦でも先発起用され、大会の優勝に貢献したが[73]、日本代表のドイツ遠征、2022 FIFAワールドカップのメンバーには選出されなかった。

人物[編集]

  • 2018年1月、2017年12月にタレントの平田たかこと入籍したことを発表[41]。2020年6月、第一子の長女が誕生した[74]
  • 渡り歩いた全てのクラブで自然と明るく振る舞い、集団の雰囲気を明るくする明朗な人柄である[75]
  • 史上初の親子2代天皇杯優勝者でもあり、お互いゴールを決めている[76]
  • セレッソ大阪では、加入初年度から2つのタイトル獲得に貢献した上に、その振る舞いがチームやサポーターに好影響を与えており、退団後もサポーターから愛されている。新監督の尹晶煥とサガン鳥栖時代の共闘経験をもとに、監督が求める献身さと自己犠牲の精神をピッチで体現、厳しさの裏にある指揮官の本当の思いを、仲間たちへ伝えた。そして自身のイズムをチームに浸透させ、淡泊さが目立ったセレッソの選手たちを戦う集団へ変える一助を担った。監督は「この1年間が順調だったのは、水沼がいたからだと言っても過言ではない。サッカーのスタイルも含めてだが、いろいろな面で私にはできない仕事を、見えないところでよくやってくれた」と話した。また当時の社長は「おとなしい選手がウチには多いなかで周囲を鼓舞するし、率先して誰よりも走る。セレッソを大きく変えてくれたと思います」と話した[77]

所属クラブ[編集]

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2007 横浜FM 38 J1 3 0 0 0 0 0 3 0
2008 20 10 0 4 0 0 0 14 0
2009 12 0 5 0 1 0 18 0
2010 4 0 2 0 - 6 0
栃木 38 J2 13 2 - 2 1 15 3
2011 14 37 5 - 2 0 39 5
2012 鳥栖 8 J1 33 5 4 2 1 0 38 7
2013 27 4 4 0 4 1 35 5
2014 32 4 3 1 2 0 37 5
2015 32 7 4 1 4 3 40 11
2016 FC東京 48 17 1 2 0 2 0 19 1
2017 C大阪 16 24 3 7 2 3 3 34 8
2018 7 27 1 0 0 2 1 29 2
2019 31 7 6 2 3 0 40 9
2020 横浜FM 18 25 3 1 0 - 26 3
2021 36 3 7 3 0 0 43 6
2022 31 7 2 0 2 0 35 7
2023 33 1 9 2 2 0 44 3
2024
通算 日本 J1 377 46 60 13 26 8 463 67
日本 J2 50 7 - 4 1 54 8
総通算 427 53 60 13 30 9 517 75
  • 2007年はユース所属
その他の公式戦
国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 期間通算
出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 期間通算
2016 F東23 48 J3 9 3 9 3
通算 日本 J3 9 3 9 3
総通算 9 3 9 3
国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFCACL
2016 FC東京 48 8 2
2018 C大阪 7 3 1
2020 横浜FM 18 6 0
通算 AFC 17 3
その他の国際公式戦
出場歴

代表歴[編集]

出場大会[編集]

試合数[編集]

  • 国際Aマッチ 2試合 0得点(2022年)


日本代表国際Aマッチ
出場得点
2022 2 0
通算 2 0

出場[編集]

No. 開催日 開催都市 スタジアム 対戦国 結果 監督 大会
1. 2022年7月19日 日本の旗 鹿嶋 茨城県立カシマサッカースタジアム 香港の旗 香港 ○6-0 森保一 EAFF E-1サッカー選手権2022
2. 2022年7月27日 日本の旗 豊田 豊田スタジアム 大韓民国の旗 韓国 ○3-0

タイトル[編集]

クラブ[編集]

セレッソ大阪
横浜F・マリノス

代表[編集]

個人[編集]

脚注[編集]

注釈
  1. ^ 横浜FMは第1戦で敗れており第2戦では攻勢を強めなければならない状況であったため、水沼も得点を狙っていた[16]
  2. ^ これは、J1では初の「父子ゴール」であった[25]
出典
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  8. ^ a b c d サガン鳥栖・水沼宏太選手にインタビュー 鳥栖市 (2012年5月31日)
  9. ^ 水沼宏太(サガン鳥栖)| 息子が父親を凌駕する瞬間 -父から息子へ継承されるもの- (1/4) サッカーキング (2015年3月30日)
  10. ^ 先発たった1試合で3得点9アシスト。水沼宏太は横浜F・マリノスの「陰の功労者」だ”. Sportiva. 2022年2月22日閲覧。
  11. ^ 水沼宏太(サガン鳥栖)| 息子が父親を凌駕する瞬間 -父から息子へ継承されるもの- (2/4) サッカーキング (2015年3月30日)
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  13. ^ 小宮,110頁
  14. ^ 2008年度、新加入選手決定のお知らせ - ウェイバックマシン(2007年10月11日アーカイブ分)
  15. ^ 2009Jリーグヤマザキナビスコカップ 準決勝 第2戦 Jリーグ (2009年9月6日)
  16. ^ 小宮,106頁
  17. ^ 小宮,107頁
  18. ^ 水沼宏太選手(栃木SC)僕は身近な目標と大きな目標を立てる。チャレンジすることが大事 (後編) サカイク (2011年9月11日)
  19. ^ 横浜F・マリノス所属 水沼宏太選手 期限付き移籍加入のお知らせ 栃木SC (2010年7月1日)
  20. ^ a b 小宮,109頁
  21. ^ 水沼長男・宏太、ルーマニア1部の入団テスト…栃木 - ウェイバックマシン(2012年1月16日アーカイブ分)スポーツ報知 (2012年1月13日)
  22. ^ J2栃木 水沼宏太がルーマニア1部の練習参加へ! スポーツニッポン (2012年1月12日)
  23. ^ 水沼宏太選手 サガン鳥栖へ期限付き移籍のお知らせ 横浜F・マリノス (2012年2月2日)
  24. ^ 水沼宏太選手 横浜F・マリノスより期限付き移籍加入のお知らせ - ウェイバックマシン(2012年2月5日アーカイブ分) サガン鳥栖 (2012年2月2日)
  25. ^ “横浜FC MF安永が決勝弾!父は元横浜M・聡太郎氏、Jで4組目の親子得点”. スポーツニッポン. (2020年11月9日). https://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2020/11/09/kiji/20201109s00002179156000c.html 2020年11月9日閲覧。 
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  27. ^ 小宮,98頁
  28. ^ 水沼宏太選手 サガン鳥栖へ完全移籍のお知らせ 横浜F・マリノス (2013年1月9日)
  29. ^ 水沼宏太選手 横浜F・マリノスより完全移籍加入のお知らせ - ウェイバックマシン(2014年5月8日アーカイブ分) サガン鳥栖 (2013年1月9日)
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  32. ^ 鳥栖 藤田主将の代役・水沼が4得点演出「満足せずにやりたい」 スポーツニッポン (2015年11月15日)
  33. ^ 鳥栖MF水沼は東京移籍へ、起爆剤として期待 日刊スポーツ (2015年12月17日)
  34. ^ 水沼宏太選手 FC東京へ完全移籍のお知らせ サガン鳥栖 (2016年1月4日)
  35. ^ 水沼宏太選手 完全移籍加入のお知らせ FC東京 (2016年1月4日)
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  73. ^ 「代表入りで『父と肩を並べられた』と言ったが…」E-1選手権で初選出、水沼宏太32歳に芽生えた日の丸への執念「この場所にずっと居続けたい」”. Number. 2022年11月5日閲覧。
  74. ^ 水沼宏太選手に第一子(女児)誕生のお知らせ』(プレスリリース)横浜F・マリノス、2020年6月30日https://www.f-marinos.com/news/category/5/70342021年11月24日閲覧 
  75. ^ 先発たった1試合で3得点9アシスト。水沼宏太は横浜F・マリノスの「陰の功労者」だ”. Sportiva. 2022年2月22日閲覧。
  76. ^ セレッソ大阪の水沼が史上初の親子天皇杯制覇”. 2023年12月21日閲覧。
  77. ^ セレッソ大阪の水沼が史上初の親子天皇杯制覇”. 2023年12月21日閲覧。

書籍[編集]

関連書籍[編集]

  • 寺野典子『15歳の選択 僕らはこうしてJリーガーになった』河出書房新社、2008年。
  • 川本梅花『俺にはサッカーがある 不屈のフットボーラー16人』出版芸術社、2012年。
  • 小宮良之『グロリアス・デイズ 終わりなきサッカー人生』集英社、2013年。 
  • いとうやまね『プロフットボーラーの家族の肖像』カンゼン、2013年。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]