古橋達弥

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古橋 達弥
名前
愛称 フル、ホセ
カタカナ フルハシ タツヤ
ラテン文字 FURUHASHI Tatsuya
基本情報
国籍 日本
生年月日 1980年11月7日(28歳)
出身地 静岡県浜松市
身長 172cm
体重 68kg
血液型 B型
選手情報
在籍チーム モンテディオ山形
ポジション MF,FW
利き足 右足
クラブチーム1
クラブ App (G)
1999-2004
2004-2008
2009
本田技研/Honda FC
セレッソ大阪
モンテディオ山形
119 (85)
146 (44)
1. 国内リーグ戦に限る。2008年12月8日現在。
Template(ノート 解説)サッカー選手pj

古橋 達弥(ふるはし たつや、1980年11月7日 - )は、日本のサッカー選手。ポジションはMFモンテディオ山形所属。静岡県浜松市出身。

目次

[編集] 来歴

磐田東高校から、1999年にJFL・本田技研工業サッカー部(現Honda FC)に入団。2年目以降は定位置をつかみ、2000年から2003年まで4年連続JFLベストイレブン、2003年には1試合1得点を越えるペースとなる、29試合出場31得点での得点王を獲得。2003年から2004年にかけては、未だにJFL記録となっている14試合連続得点を達成するなど、アマチュアを代表する選手として活躍した。

JFLで119試合85得点という圧倒的な実績を買われ、2004年の2ndステージから、J1・セレッソ大阪に完全移籍。日本のトップリーグでどこまで通用するのかが注目されたが、2ndステージだけで5得点を挙げ、C大阪でもあっという間に不動のレギュラーとなる。2005年には中心選手として、最終節まで優勝争いを繰り広げたチームの快進撃に貢献し、Jリーグベストイレブンを受賞した。

2006年からは、森島寛晃に代わりゲームキャプテンも務める。この年にC大阪はJ2に降格し、多くの主力選手が抜ける中で、いくつかのオファーを断りC大阪に残留。J2でもエースとして活躍したが、J1復帰には至らなかった。2009年より恩師・小林伸二のオファーを受けて、モンテディオ山形へ完全移籍。

[編集] プロフィール・プレースタイル

得点感覚に優れ、攻めの意識が高く、常にシュートを狙ってくる選手である。裏を狙う動きや二列目からの飛び出しも絶妙で、無尽蔵の体力で労を惜しまず走りきる姿は、元セレッソの森島寛晃を彷彿とさせる。また、プレースキックの技術も高く、フリーキックコーナーキックも任される。2006年はチームの事情により右サイドや右サイドバックといった不慣れな守備的なポジションを任されたものの、かなり高い守備能力を発揮していた。山形移籍後は完全にFWのポジションとなった。

[編集] エピソード

[編集] 所属クラブ

[編集] 個人タイトル

[編集] 個人成績

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
1999 本田 24 JFL 10 1 - - 10 1
2000 本田 15 JFL 21 14 - 3 2 24 16
2001 本田 7 JFL 28 11 - 1 0 29 11
2002 Honda 10 JFL 16 13 - 3 2 19 15
2003 Honda 10 JFL 29 31 - 3 4 32 35
2004 Honda 10 JFL 15 15 - - 15 15
2004 C大阪 9 J1 14 5 2 0 1 0 17 5
2005 C大阪 9 J1 28 8 8 4 4 3 40 15
2006 C大阪 9 J1 32 7 8 2 1 0 41 9
2007 C大阪 9 J2 47 18 - 1 0 48 18
2008 C大阪 9 J2 25 6 - 0 0 25 6
2009 山形 9 J1
通算 日本 J1 74 20 18 6 6 3 98 29
日本 J2 72 24 - 1 0 73 24
日本 JFL 119 85 - 10 8 129 93
総通算 265 129 18 6 17 11 300 146
先代:
山本正男/高山英樹
JFL得点王
2003
次代:
林威宏


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