大迫勇也

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大迫勇也 Football pictogram.svg
名前
愛称 サコ、迫ちゃん、ゆうや
カタカナ オオサコ ユウヤ
ラテン文字 OSAKO Yuya
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 1990年5月18日(23歳)
出身地 鹿児島県加世田市(現南さつま市
身長 182cm
体重 73kg
選手情報
在籍チーム ドイツの旗 TSV1860ミュンヘン
ポジション FW(CF, ST)
背番号 9
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2009-2013
2014-
日本の旗 鹿島アントラーズ
ドイツの旗 1860ミュンヘン
139 (40)
6 0(4)
代表歴2
2011
2012
2013-
日本の旗 日本 U-22
日本の旗 日本 U-23
日本の旗 日本
5 (1)
5 (1)
7 (3)
1. 国内リーグ戦に限る。2014年3月16日現在。
2. 2014年3月5日現在。
テンプレート(ノート 解説)サッカー選手pj

大迫 勇也(おおさこ ゆうや、1990年5月18日 - )は、鹿児島県加世田市(現南さつま市)出身のサッカー選手。ブンデスリーガ2部TSV1860ミュンヘン所属。ポジションはフォワード全国高等学校サッカー選手権大会における最多得点記録保持者。日本代表

来歴[編集]

幼少・小中時代[編集]

3歳から加世田市(現南さつま市)のスポーツ少年団でサッカーを始め、主にトップ下でプレーしていた。中学進学前にプロを目指すことを決意[1]鹿児島城西高校の提携校である鹿児島育英館中学校へ進学した。中学途中からFWに転向する。

高校時代[編集]

鹿児島城西高校では1年からレギュラーで活躍し、高校入学と同時にU-16日本代表にも選出された。

2007年の2年次にはJFAプリンスリーグU-18九州1部で個人得点ランキング5位の成績を残した。U-17代表候補には選ばれるものの最終選考で落選し、FIFA U-17ワールドカップの出場を逃す。

2008年、第61回鹿児島県高校総体サッカー競技大会の決勝で鹿児島実業高校を相手に5ゴールの活躍で優勝。更にJFAプリンスリーグU-18九州1部では8試合で10ゴールを記録し、得点ランキング1位に輝く活躍でチームを優勝へ導く。同年8月の埼玉総体では大会優秀選手の一人に選ばれた。同年9月の高円宮杯全日本ユース選手権準々決勝ガンバ大阪ユース戦ではハットトリックを達成した。同年秋の高校サッカー選手権鹿児島県大会では全5試合で11得点を挙げる活躍で、部史上初の鹿児島県大会3冠(新人戦・高校総体・選手権)の達成に貢献。

第87回全国高等学校サッカー選手権大会では初戦から大会史上初の4試合連続2得点を成し遂げる。準決勝でも1得点を挙げ、第78回大会の石黒智久富山第一)と第82回大会の平山相太国見)が持つ個人最多得点記録の9得点に並んだ。2009年1月12日に行われた広島皆実との決勝戦でも1大会最多得点記録を更新する10得点目となる先制点[2]を挙げながらも、チームは2-3で惜敗し、決勝戦で涙を呑む結果となった。最終的に10ゴール10アシストの成績を残しチームの準優勝に大きく貢献した。当時のチームメンバーには、大迫希鮫島晃太らがいる。

鹿島アントラーズ[編集]

Jリーグの6クラブが争奪戦を繰り広げたが、大迫自身が「チームの雰囲気が自分の成長に一番繋がる」[3]と判断し、鹿島アントラーズへ入団。鹿島の椎本邦一 スカウト担当部長は彼のプレースタイルや総合力の高さから柳沢敦以来の衝撃を受けたと評した[4]

2009年、開幕戦となったFUJI XEROX SUPER CUPガンバ大阪戦でベンチ入りし、後半44分から途中出場し公式戦デビュー。鹿島において高卒新人選手で同大会ベンチ入りは、中田浩二青木剛以来3人目、途中出場は青木以来2人目であった[5]AFCチャンピオンズリーグ2009のグループリーグ上海申花戦では、公式戦初先発でプロ初ゴールを記録した[6] 。同年4月12日の第5節FC東京戦でJリーグ初得点を挙げ、鹿島での高卒加入者では1996年の柳沢と並ぶ高卒加入選手のシーズン最多得点(6得点)を記録した。

2年目となる2010年は、新人ながらコンスタントに試合に出場し3連覇に貢献したことや、9番を付けていた田代有三モンテディオ山形期限付き移籍したこともあり、背番号を34から9に変更。新人が2年目でレギュラーナンバー(11番以内)を付けるのは内田篤人(20→2)に続いて、チーム史上2人目であった[7]

2013年8月7日、スルガ銀行チャンピオンシップサンパウロFC戦で、プロ入り初のハットトリックを達成。また、同月のリーグ戦で6試合6得点の活躍を見せ、初の月間MVPを受賞。さらに、自己新記録の19得点を挙げる活躍を見せ、Jリーグベストイレブンを受賞した。なおこの年、リーグ戦最終節の広島戦で、プロ入り初の1試合2枚の警告を受け退場した。

TSV1860ミュンヘン[編集]

2014年1月6日、ドイツ2部TSV1860ミュンヘンへの完全移籍が鹿島から発表され[8]、2017年7月までの3年半の契約を結んだ[9]。移籍後リーグ戦初出場となった2014年2月10日のデュッセルドルフ戦で初得点を決めた。

日本代表[編集]

2013年7月、東アジアカップ2013のメンバーに選出され、21日の中国戦で代表初出場果たし、25日のオーストラリア戦で初ゴール含む2得点を記録。11月の欧州遠征では、16日のオランダ戦で1得点1アシストを記録した。

選手としての評価・プレースタイル[編集]

高校サッカーでの評価[編集]

正確な技術と冷静な判断から多くのゴールに絡むオールラウンドな超高校級FW。身体の入れ方や手の使い方などが上手く[10]、裏への抜け出し、反転や足の振りなども速い[11]選手である。ヘディングはあまり得意ではない[12]

尚且つ視野も広くパスセンスにも優れているので、くさびの部分から様々な展開が期待でき、所謂ポストプレーからの柔軟性[13]も兼ね備えている。得点後に飛行機ポーズ[14]をとりチームメイトを呼び寄せる。

人物[編集]

エピソード[編集]

  • 2007年6月までU-17日本代表のレギュラーを確保していたが、同8月のU-17W杯への選考で代表から外れた。この挫折から決定力に対する強い意識を持つようになり、徹底的にシュート精度を高める練習を積んだ[22]
  • 2008年の埼玉総体では鹿児島県選手団の旗手を務めた[23]
  • 第87回全国高等学校サッカー選手権大会準々決勝で対戦し、大迫の2ゴールなど計6点を許し敗れた滝川第二高校のDFが試合後に「大迫半端ないって」と発言した映像がテレビで放送されたことからその発言が有名になり、2013年10月にある会社が、その映像と発言をプリントしたTシャツを発売したところ、大迫が日本代表メンバーとして出場した2013年11月16日のオランダ戦直後から注文が殺到する事態となった[24]

所属クラブ[編集]

ユース経歴
プロ経歴

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
2009 鹿島 34 J1 22 3 1 0 2 0 25 3
2010 9 27 4 0 0 5 3 32 7
2011 25 5 3 3 3 1 31 9
2012 32 9 9 7 3 1 44 17
2013 33 19 7 2 1 0 41 21
ドイツ リーグ戦 リーグ杯 DFBポカール 期間通算
2013-14 ミュンヘン 9 ブンデス2部 - -
通算 日本 J1 139 40 20 12 14 5 173 57
ドイツ ブンデス2部 - -
総通算 139 40 20 12 14 5 173 57

その他の公式戦

国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFC ACL
2009 鹿島 34 5 3
2010 9 5 1
2011 4 1
通算 AFC 14 5

その他の国際公式戦

経歴[編集]

タイトル[編集]

クラブ[編集]

日本の旗 鹿児島城西高校
  • 第29回鹿児島県高等学校新人サッカー大会
  • 第61回鹿児島県高校総体サッカー競技大会
  • 第60回全九州高等学校サッカー大会(九州高校総体)
  • JFAプリンスリーグU-18九州2008
  • 第87回全国高校サッカー選手権鹿児島県大会
日本の旗 鹿島アントラーズ

代表[編集]

個人[編集]

高校サッカー
プロ

代表歴[編集]

試合数[編集]

  • 国際Aマッチ 7試合 3得点 (2013年 - )


日本代表 国際Aマッチ
出場 得点
2013 6 3
2014 1 0
通算 7 3

ゴール[編集]

# 開催年月日 開催地 対戦国 勝敗 試合概要
1. 2013年7月25日 韓国華城 オーストラリアの旗 オーストラリア ○3-2 東アジアカップ2013
2.
3. 2013年11月16日 ベルギーヘンク オランダの旗 オランダ △2-2 国際親善試合

脚注[編集]

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  1. ^ 12歳のときに「サッカーで勝負したい」と母に意志を伝え、指導者から練習環境までを自分の力でリサーチし、鹿児島育英館中学校への進学を決めた。スポーツ報知 2009年1月6日 参考
  2. ^ 第75回大会の北嶋秀朗(市立船橋)以来となる6試合連続得点も記録。中日スポーツ 2009年1月13日 参考
  3. ^ スポーツニッポン 2008年12月28日 参考
  4. ^ スポーツニッポン 2008年12月28日 参考
  5. ^ 鹿島・大迫、高卒新人FWで高原以来のベンチ入り, サンスポ, 2009年2月28日
  6. ^ 【AFCチャンピオンズリーグ 鹿島 vs 上海】レポート J's GOALニュース
  7. ^ スポーツ報知 2010年1月18日 参考
  8. ^ 大迫選手がTSV 1860 Munchenに移籍 2014年1月6日 参考
  9. ^ TSV 1860ミュンヘン公式サイト 2014年1月7日 参考
  10. ^ 第87回全国高等学校サッカー選手権大会で解説者の武田修宏が手の使い方の上手さを評価していた
  11. ^ 。テレビで彼のプレーを見た当時の日本代表監督の岡田武史は足の振りの速さと反転の速さについて高く評価した。スポーツニッポン 2009年1月7日 参考
  12. ^ 自己分析からヘディングが不得意であるという見解を示し、プロでの課題の一つに挙げている。スポーツニッポン2009年1月13日 参考
  13. ^ 鹿児島城西高等学校の小久保監督は自分自身の現役時代のプレー(FW)と比較して、ポストプレーからの柔軟性があるという表現を用い、技術の高さを説明した。MBCラジオ2008年12月28日 参考、鹿島アントラーズ オフィシャルサイト 参考
  14. ^ 元日本代表である森島寛晃が好んで使っていたポーズ。西日本新聞2009年1月3日 参考
  15. ^ スポーツニッポン 2009年1月11日、新体制発表会見において「アンリのような何でもできるFWになりたい」と語っている。スポーツ報知 2009年1月11日 参考
  16. ^ 高原のヘディングやポストプレーから連想される強靭な身体に理想を求め、そして彼のような決定力のあるFWを目標としている。西日本新聞 2008年3月8日 参考
  17. ^ スポーツ報知 2009年1月26日 参考
  18. ^ スポーツ報知 2009年1月11日 参考
  19. ^ 第87回全国高等学校サッカー選手権大会の一回戦(対青森山田)の試合開始前にロッカー室で父と母からの激励メッセージを含んだビデオレターが流され、それが選手権大会で飛躍する大きな原動力となった。試合後のコメントで「あのおかげで緊張がほぐれた。いい雰囲気になった。」と家族に対する感謝の意を示している。スポーツ報知 2009年1月1日 参考
  20. ^ 同校の小久保監督は彼の性格を負けず嫌いの一言で表現した。西日本新聞 2008年12月4日 サッカー以外のスポーツでさえも勝たないと気が済まない。スポーツ報知 2008年1月11日 参考
  21. ^ 大迫 モデル・三輪麻未と5日に入籍, デイリースポーツ, 2014年3月10日
  22. ^ 「結果を残さなかった自分が悪い。点を決める意識が高まった」と当時を振り返る。西日本新聞 2008年3月8日 参考
  23. ^ 鹿児島城西高等学校homepage 参考
  24. ^ “大迫弾で人気急上昇!「半端ないってTシャツ」の注文が殺到”. SponichiAnnex. (2013年11月18日). http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2013/11/18/kiji/K20131118007031870.html 2013年11月20日閲覧。 

関連項目[編集]