興梠慎三
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| 興梠 慎三 | ||
|---|---|---|
| 名前 | ||
| カタカナ | コウロキ シンゾウ | |
| ラテン文字 | KOROKI Shinzo | |
| 基本情報 | ||
| 国籍 | ||
| 生年月日 | 1986年7月31日(22歳) | |
| 出身地 | 宮崎県宮崎市 | |
| 身長 | 175cm | |
| 体重 | 67kg | |
| 血液型 | O型 | |
| 選手情報 | ||
| 在籍チーム | 鹿島アントラーズ | |
| ポジション | FW | |
| 背番号 | 13 | |
| 利き足 | 右足 | |
| クラブチーム1 | ||
| 年 | クラブ | App (G) |
| 2005-現 在 | 鹿島アントラーズ | 69 (14) |
| 代表歴2 | ||
| 2008- | 7 (0) | |
| 1. 国内リーグ戦に限る。2008年12月6日現在。 2. 2009年6月17日現在。 ■Template(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
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興梠 慎三(こうろき しんぞう、1986年7月31日 - )は、宮崎県宮崎市出身のサッカー選手。鹿島アントラーズ所属。ポジションはフォワード。
同クラブMFの増田誓志は、鵬翔高校の1つ上の先輩にあたる。日本代表選手。
目次 |
[編集] 経歴
高校時代から年代別代表に何度も招集され、鵬翔高校卒業と同時に鹿島アントラーズに入団、徐々に出場機会を増やすと、2008年シーズン後半より完全にレギュラーに定着を果たしJリーグ連覇に貢献する。同年日本代表にも招集され、2008年10月9日新潟スタジアムで開催された国際親善試合UAE代表戦で日本代表デビューを果たした。
[編集] タイトル
- 鹿島アントラーズ
- Jリーグ:2 (2007,2008)
- 天皇杯全日本サッカー選手権大会:1 (2007)
[編集] プレースタイル
抜群のスピードに乗ったドリブル突破を得意とするストライカー。相手DFの裏を取る動きは元チームメイトの柳沢敦と肩を並べるほどである。事実、2009年2月28日に行われたゼロックス・スーパーカップでは、相手DF山口智を一瞬で振り切ってゴールをアシストしている。またパスやボールコントロールなど足元の技術も高い。相手DFの密集地帯に切れ込んで足裏を使ってのノールックパスでのアシストなどその真骨頂といえる。基本的にセカンドトップ型の選手であるが、ポストプレーやヘディングシュートも上手い。
以前はフィニッシュの精度には難も見られたが2007年の初得点を皮切りにゴールを量産、出場時間に比してその得点能力は彼の高い決定力を示すものである。
2008年8月16日のJ1第21節の東京ヴェルディ戦ではGK曽ヶ端準のフィードが相手DF陣を越えると、約50mをトップスピードで全力疾走してきた興梠は素早く反応しワンバウンドして背後から頭越しに飛んできたボールを、体を反転させて左足ダイレクトボレーでゴール左隅に決め、卓越したサッカーセンスとシュートスキルを披露している。
[編集] 所属クラブ
ユース経歴
- 1993年 - 1998年 宮崎東SSS
- 1999年 - 2001年 東大宮中学校
- 2002年 - 2004年 鵬翔高校
プロ経歴
- 2005年 - 現 在 鹿島アントラーズ
[編集] 個人成績
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 2005 | 鹿島 | 23 | J1 | 8 | 0 | 4 | 1 | 0 | 0 | 12 | 1 |
| 2006 | 鹿島 | 23 | J1 | 10 | 0 | 10 | 0 | 2 | 0 | 22 | 0 |
| 2007 | 鹿島 | 17 | J1 | 22 | 6 | 7 | 0 | 3 | 0 | 32 | 6 |
| 2008 | 鹿島 | 13 | J1 | 29 | 8 | 2 | 0 | 2 | 0 | 33 | 8 |
| 2009 | 鹿島 | 13 | J1 | ||||||||
| 通算 | 日本 | J1 | 69 | 14 | 23 | 1 | 7 | 0 | 99 | 15 | |
| 総通算 | 69 | 14 | 23 | 1 | 7 | 0 | 99 | 15 | |||
| 国際大会個人成績 | ||||
|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 |
| AFC | ACL | |||
| 2008 | 鹿島 | 13 | 7 | 2 |
| 通算 | AFC | 7 | 2 | |
[編集] 代表歴
- U-18日本代表
- U-19日本代表候補
- U-20日本代表
- U-22日本代表
- U-23日本代表
- 日本代表(2008-)
[編集] 試合数
- 国際Aマッチ 7試合 0得点 (2008 - )
| 日本代表 | 国際Aマッチ | |
|---|---|---|
| 年 | 出場 | 得点 |
| 2008 | 2 | 0 |
| 2009 | 5 | 0 |
| 通算 | 7 | 0 |
[編集] エピソード
- 同じ鵬翔高校で鹿島に所属する1歳上の増田誓志とは対照的に、中学から進学は推薦では無く、一般であった。また高校に入学してからも、1年の時は日曜日の練習をサボるなどしていた。
- 身体能力には絶対の自信を持っており、「センターバックをやれば、カンナヴァーロ(当時世界最高峰のDF)ぐらいの選手になれると思う」と語っている。
- ミッドフィールダーは疲れるから嫌だという理由でフォワードに転向したと言い放つほどの心臓の持ち主。
- かつてアントラーズ入団当時の監督トニーニョ・セレーゾに「潜在能力は小笠原満男に匹敵する」と言わしめ、彼が鹿島の監督を離職した際には「ブラジルに連れて帰りたい」と発言された。
- 2008年シーズンよりポジション登録をミッドフィールダーからフォワードへ正式に変更。背番号もエースFWであった柳沢敦の13番を受け継ぐ。
- 北京五輪代表メンバーから落選するも五輪期間中にクラブではスタメンを奪取。「将来のことを考えるとこっちの方が大きい。本当に北京に行かなくて良かった」と落選させた五輪代表監督反町康治に対しての皮肉とも取れる発言をしている。
- キリンチャレンジカップ2008の日本代表メンバーに初選出された。
- 2009年スポーツマン№1決定戦に青木剛と共に初出場しショットガンタッチで佐藤寿人と玉田圭司の持つサッカー記録12m50cmを40cm上回る12m90cmを成功させサッカー選手がショットガンタッチ№1という初の栄誉を勝ち取った
- 2009年1月31日放送分のTBSスーパーサッカーPLUS内では、日本代表・岡田武史監督に「興梠は将来、日本代表のエースになる」と言われ大きな期待をかけられている。
[編集] 外部リンク
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