大久保嘉人
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| 大久保 嘉人 | ||
|---|---|---|
| 名前 | ||
| 愛称 | ヨシト、よっくん | |
| カタカナ | オオクボ ヨシト | |
| ラテン文字 | ŌKUBO Yoshito | |
| 基本情報 | ||
| 国籍 | ||
| 生年月日 | 1982年6月9日(27歳) | |
| 出身地 | 福岡県京都郡苅田町 | |
| 身長 | 170cm | |
| 体重 | 73Kg | |
| 血液型 | A型 | |
| 選手情報 | ||
| 在籍チーム | ||
| ポジション | FW(ST,CF) | |
| 背番号 | 50 | |
| 利き足 | 右足 | |
| クラブチーム1 | ||
| 年 | クラブ | App (G) |
| 2001-2004 2005-2006.7 2006.8-2007 2007-2009.1 2009.1-2009.6 2009.6- |
95(51) 39(5) 21(6) 62(25) 9(0) |
|
| 代表歴2 | ||
| 2003- | 37 (5) | |
| 1. 国内リーグ戦に限る。2009年6月1日現在。 2. 2009年6月6日現在。 ■Template(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
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大久保 嘉人(おおくぼ よしと、1982年6月9日 - )は、福岡県京都郡苅田町出身でヴィッセル神戸所属のサッカー選手。ポジションはフォワード。長崎県立国見高等学校卒業。
目次 |
[編集] 来歴
小学生時代は、陸上競技に力を注いでおり、全国小学生陸上競技交流大会に出場した経験を持つ。
国見高校3年時、松橋章太らとともにインターハイ、国体、全国高校サッカー選手権の三冠を達成、卒業後、高校選手権得点王などの触れ込みで、セレッソ大阪に入団。入団2年目にJ2で日本人トップの得点を記録し、頭角をあらわす。その翌シーズンとなる3年目、今度はJ1リーグで得点ランキング5位(日本人トップタイ)の活躍を見せるなどし、2003年度AFCのヤング・プレーヤー・オブ・ザ・イヤーを受賞する。
高校時代より各年代の日本代表に選出されており、2004年、アテネオリンピックにて3試合2得点。この活躍が、後にリーガ・エスパニョーラのマジョルカにレンタル移籍するきっかけとなった。
04-05シーズンの後半より所属したマジョルカではデビュー戦で1得点1アシストの鮮烈なデビューを飾り、高い注目を浴びる。一時怪我で出番から遠ざかるも、復帰したリーグ戦終盤にはマジョルカの奇跡と呼ばれた残留劇に、その主役の一員として活躍する。05-06シーズンもレンタル延長という形で参戦、シーズン序盤にレギュラーポジションを手にするなどしたが、最終的に完全移籍を勝ち取るまでには至らなかった。スペインでの成績は39試合5得点、5アシスト。
セレッソ大阪に復帰後、ヴィッセル神戸へ移籍。二桁得点を記録し、長らく遠ざかっていたA代表にも2007年10月17日のエジプト戦で復帰、以後代表のレギュラーに定着すると、翌年も二桁得点を記録。2008年末からオファーが来ていたが、金銭面で難航していたドイツのVfLヴォルフスブルクへの移籍が、最終的には大久保本人の希望を叶える形で神戸側が金銭的に譲歩し、2009年1月3日に決定した。そして、長谷部誠と共に、ヴォルフスブルグ史上初となるドイツ国内主要サッカー大会初優勝達成(ブンデスリーガ1部、ドイツカップなどを通して)に貢献した。ただ大久保自身は出場機会には恵まれず、ベンチ、もしくはベンチ外の日々が続いた。そうした中、ワールドカップに出たいがために古巣神戸への復帰を決意。2009年6月16日、たった半年でヴィッセル神戸への復帰が決定した。
2003年にA代表に初選出され、2007年10月17日のエジプト戦で、A代表21試合目の初得点(1試合2得点)を挙げた。2007年までに代表戦19試合に出場していたが、オフサイドや微妙な判定でのゴール取り消しがあり、2003年の東アジア選手権でのレッドカードでしばらく代表から離れたこともあり、ゴール自体も代表初選出から4年がかりでの初ゴールであった
[編集] プレースタイル
試合中に熱くなりすぎて不必要な警告を受けることがあり、精神面のコントロールを長く問題視されていた。2008年6月7日の南アフリカワールドカップアジア3次予選オマーン戦では、GKと交錯した後に、GKを審判の目の前で蹴ってしまい一発退場になってしまう。この退場処分に伴い、大久保はFIFA(国際サッカー連盟)規律委員会から6月18日、6月14日に消化済みのタイ戦を含め、ワールドカップアジア予選3試合の出場停止処分を受けた。この結果、9月6日の南アフリカワールドカップアジア地区最終予選の初戦に出場できなかった。
ちなみに試合中に岡田監督が大久保に『いったい何があったんだ?』と詳細を訪ねた所『相手を蹴ってしまいました』と答えて『ボケ!!』と怒鳴られた[1]。
2009年7月11日のJ1第17節第1日の試合でも、ファウルの判定に納得できず審判に水をかけてイエローカードをもらっている。レッドカードをもらってもおかしくない感情にまかした悪質な行為である。
[編集] 不祥事
ドイツW杯予選を控えた日本代表の鹿島合宿中の2004年2月9日夜、久保竜彦、奥大介、小笠原満男、山田卓也、都築龍太、茂庭照幸らと鹿嶋市内のキャバクラに無断外出したという報道が新聞をにぎわせ、それが時の代表監督ジーコの逆鱗に触れ、しばらく代表を遠ざかることとなった。
[編集] 所属クラブ
- 2001年 - 2004年 セレッソ大阪

- 2005年 - 2006年7月 マジョルカ
スペイン - 2006年8月 - 2007年 セレッソ大阪

- 2007年 - 2009年1月 ヴィッセル神戸

- 2009年1月 - 6月 VfLヴォルフスブルク

- 2009年6月 - ヴィッセル神戸

[編集] 個人成績
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 1999 | 国見高 | 13 | - | - | - | 1 | 0 | 1 | 0 | ||
| 2000 | 国見高 | 10 | - | - | - | 2 | 1 | 2 | 1 | ||
| 2001 | C大阪 | 15 | J1 | 20 | 2 | 1 | 1 | 3 | 0 | 24 | 3 |
| 2002 | C大阪 | 15 | J2 | 29 | 18 | - | 2 | 1 | 31 | 19 | |
| 2003 | C大阪 | 10 | J1 | 24 | 16 | 3 | 0 | 5 | 4 | 32 | 20 |
| 2004 | C大阪 | 10 | J1 | 22 | 15 | 2 | 0 | 1 | 0 | 25 | 15 |
| スペイン | リーグ戦 | 国王杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
| 2004-05 | マジョルカ | 17 | プリメーラ | 13 | 3 | - | - | 13 | 3 | ||
| 2005-06 | マジョルカ | 17 | プリメーラ | 26 | 2 | 1 | 1 | - | 27 | 3 | |
| 日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 2006 | C大阪 | 36 | J1 | 21 | 6 | - | 0 | 0 | 21 | 6 | |
| 2007 | 神戸 | 13 | J1 | 31 | 14 | 5 | 0 | 2 | 1 | 38 | 15 |
| 2008 | 神戸 | 13 | J1 | 31 | 11 | 0 | 0 | 1 | 1 | 32 | 12 |
| ドイツ | リーグ戦 | リーグ杯 | DFBポカール | 期間通算 | |||||||
| 2008-09 | ヴォルフスブルク | 8 | ブンデス1部 | 9 | 0 | - | 2 | 0 | 11 | 0 | |
| 日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 2009 | 神戸 | 50 | J1 | - | |||||||
| 通算 | 日本 | J1 | 149 | 64 | 11 | 1 | 12 | 6 | 172 | 71 | |
| 日本 | J2 | 29 | 18 | - | 2 | 1 | 31 | 19 | |||
| 日本 | 他 | - | - | 3 | 1 | 3 | 1 | ||||
| スペイン | プリメーラ | 39 | 5 | 1 | 1 | - | 40 | 6 | |||
| ドイツ | ブンデス1部 | 9 | 0 | - | 2 | 0 | 11 | 0 | |||
| 総通算 | 217 | 87 | 12 | 2 | 17 | 8 | 246 | 97 | |||
[編集] 代表歴
[編集] 出場大会など
- 年代別代表
- 2000年 AFCユース選手権2000
- 2004年 アテネオリンピック
- A代表
- 2003年 FIFAコンフェデレーションズカップ2003
- 2003年 東アジアサッカー選手権2003
[編集] 試合数
- 国際Aマッチ 37試合 5得点(2003 - )
| 日本代表 | 国際Aマッチ | |
|---|---|---|
| 年 | 出場 | 得点 |
| 2003 | 14 | 0 |
| 2004 | 3 | 0 |
| 2005 | 2 | 0 |
| 2006 | 0 | 0 |
| 2007 | 2 | 2 |
| 2008 | 12 | 3 |
| 2009 | 4 | 0 |
| 通算 | 37 | 5 |
[編集] ゴール
| # | 開催年月日 | 開催地 | 対戦国 | 勝敗 | 試合概要 |
|---|---|---|---|---|---|
| 1. | 2007年10月17日 | 日本 | ○4-1 | アフロアジア選手権 | |
| 2. | 2007年10月17日 | 日本 | ○4-1 | アフロアジア選手権 | |
| 3. | 2008年2月6日 | 日本 | ○4-1 | 2010 FIFAワールドカップ・アジア地区予選 | |
| 4. | 2008年6月2日 | 日本 | ○3-0 | 2010 FIFAワールドカップ・アジア地区予選 | |
| 5. | 2008年11月13日 | 日本 | ○3-1 | キリンチャレンジカップ2008 |
[編集] 出版
[編集] 関連書籍
- 大久保嘉人の挑戦 - Desafio (2005年9月発売、角川書店、小宮良之著) ISBN 4048839365
[編集] 脚注
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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