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ラモン・ディアス |
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| 名前 |
| 本名 |
ラモン・アンヘル・ディアス |
| 愛称 |
禿げ (El Pelado) |
| ラテン文字 |
Ramón Díaz |
| 基本情報 |
| 国籍 |
アルゼンチン |
| 生年月日 |
1959年8月29日(52歳) |
| 出身地 |
ラ・リオハ (en) |
| 身長 |
172cm |
| 体重 |
68kg |
| 選手情報 |
| ポジション |
FW |
| 利き足 |
左足 (ただし、サッカー時以外は右) |
| 代表歴 |
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ラモン・アンヘル・ディアス(Ramón Angel Díaz、1959年8月29日-)は、アルゼンチン、ラ・リオハ出身の元同国代表のサッカー選手(FW)、サッカー指導者。
[編集] 来歴
U-20アルゼンチン代表の一員としてのぞんだ1979年のワールドユース選手権で大会得点王に輝き、最優秀選手に選ばれたマラドーナと共にチームを優勝に導く立役者となる。この活躍が認められ、翌1980年にはフル代表デビューを果たし、レギュラーとして活躍。
1982年にはスペインで行われたワールドカップにも出場し(同大会の開幕戦のキックオフは、ディアスからマラドーナへのパスであった)、ブラジル戦ではゴールを記録。しかし、マラドーナの退場などによりこの試合に敗れ、チームは2次リーグで姿を消すこととなった。
結果的には、これがディアスの最後の代表戦となった。代表の決定力不足が指摘され、ディアスの復帰要望が国民から出たこともあったが、結局復帰することは無かった。当時のアルゼンチン代表は、マラドーナを中心としたチームづくりを行っていたため、確執のあったディアスが外されたという説も根強い(ダニエル・パサレラも、同じ理由から代表を外されたと言われている[要出典])。代表には縁が無くなったディアスだが、クラブでは1982年にナポリへ移籍したのを皮切りにセリエAを中心に活躍、ストライカーとして確固たる地位を築き上げた。インテルでは88-89シーズン、ローター・マテウス、アンドレアス・ブレーメらとともにチーム8年ぶりのスクデット獲得に貢献。90-92年にはASモナコにおいてアーセン・ベンゲルのもとでプレーした。
1993年、誕生したばかりのJリーグにおいて、横浜マリノスに在籍。リーグに呼ばれたものの、ゲーリー・リネカーなど既にピークを過ぎ活躍できなかったスター選手が多い中で、ディアスはJリーグで初めて2試合連続ハットトリックを決めるなど32試合で28ゴールを挙げ、初代得点王に輝いた。2年目の1994年も主力として活躍。
1995年、ホルヘ・ソラーリ新監督のスタイルに合わないと判断したディアスは、6試合に出場したのみで、シーズン前半にチームを退団、そのまま現役を引退することとなった。殆ど左足だけでゴールを量産し、当時日本では黄金の左足と呼ばれるほどだったが、現役最後のゴールは右足で決めたものとなった。
引退後にはリーベル・プレートなどで監督経験もあり、指導者としても高く評価されている。ホルヘ・ソラーリとはウマが合わなかったディアスだが、ホルヘの甥であるサンティアゴ・ソラーリは選手として高く評価しており[要出典]、重用していた。
[編集] 人物
試合中に殆ど右足を使用しない極端なレフティーであるが、実生活では右利きである[要出典]。
性格は同時期に活躍したマラドーナとは対照的に、人格者とされている。両者が引退した後にマラドーナが問題行動を起こし、世間中から批判されていた際には、確執があったとされるにもかかわらず「いつでも助けになる」と発言したこともある[要出典]。
[編集] 所属クラブ
[編集] 個人成績
| 国内大会個人成績 |
| 年度 |
クラブ |
背番号 |
リーグ |
リーグ戦 |
リーグ杯 |
オープン杯 |
期間通算 |
| 出場 |
得点 |
出場 |
得点 |
出場 |
得点 |
出場 |
得点 |
| アルゼンチン |
リーグ戦 |
リーグ杯 |
オープン杯 |
期間通算 |
| 1978-79 |
リーベル・プレート |
|
|
20 |
8 |
|
|
|
|
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|
| 1979-80 |
|
|
43 |
23 |
|
|
|
|
|
|
| 1980-81 |
|
|
43 |
22 |
|
|
|
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|
|
| 1981-82 |
|
|
17 |
4 |
|
|
|
|
|
|
| イタリア |
リーグ戦 |
イタリア杯 |
オープン杯 |
期間通算 |
| 1982-83 |
ナポリ |
|
セリエA |
25 |
3 |
|
|
|
|
|
|
| 1983-84 |
アヴェッリーノ |
|
24 |
7 |
|
|
|
|
|
|
| 1984-85 |
|
27 |
5 |
|
|
|
|
|
|
| 1985-86 |
|
27 |
10 |
|
|
|
|
|
|
| 1986-87 |
フィオレンティーナ |
|
29 |
10 |
|
|
|
|
|
|
| 1987-88 |
|
24 |
7 |
|
|
|
|
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|
| 1988-89 |
インテル・ミラノ |
|
33 |
12 |
|
|
|
|
|
|
| フランス |
リーグ戦 |
リーグ杯 |
フランス杯 |
期間通算 |
| 1989-90 |
モナコ |
|
ディヴィジョン・アン |
28 |
15 |
|
|
|
|
|
|
| 1990-91 |
|
32 |
19 |
|
|
|
|
|
|
| アルゼンチン |
リーグ戦 |
リーグ杯 |
オープン杯 |
期間通算 |
| 1991-92 |
リーベル・プレート |
|
|
31 |
20 |
|
|
|
|
|
|
| 1992-93 |
|
|
21 |
7 |
|
|
|
|
|
|
| 日本 |
リーグ戦 |
ナビスコ杯 |
天皇杯 |
期間通算 |
| 1993 |
横浜M |
- |
J |
32 |
28 |
5 |
3 |
3 |
0 |
40 |
31 |
| 1994 |
37 |
23 |
3 |
1 |
4 |
3 |
44 |
27 |
| 1995 |
6 |
1 |
- |
- |
6 |
1 |
| 通算 |
アルゼンチン |
|
175 |
84 |
|
|
|
|
|
|
| イタリア |
セリエA |
189 |
54 |
|
|
|
|
|
|
| フランス |
ディヴィジョン・アン |
60 |
34 |
|
|
|
|
|
|
| 日本 |
J |
75 |
52 |
8 |
4 |
7 |
3 |
90 |
59 |
| 総通算 |
499 |
224 |
|
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[編集] 個人タイトル
[編集] 指導歴
[編集] 代表歴
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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Jリーグベストイレブン(FW) |
|
| 1990年代 |
93 三浦知良, ディアス | 94 武田修宏, 高木琢也 | 95 福田正博, 三浦知良, ストイコビッチ, 森島寛晃 | 96 三浦知良, ストイコビッチ, 岡野雅行 | 97 中山雅史, エムボマ | 98 中山雅史, 柳沢敦 | 99 ストイコビッチ, 黄善洪
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|
| 2000年代 |
00 ツゥット, 中山雅史, 西澤明訓 | 01 ウィル, 柳沢敦 | 02 エメルソン, 高原直泰, 中山雅史 | 03 エメルソン, ウェズレイ, 久保竜彦 | 04 エメルソン, マルケス, 大黒将志 | 05 アラウージョ, 佐藤寿人 | 06 ワシントン, マグノ・アウベス | 07 ジュニーニョ, バレー | 08 マルキーニョス, 柳沢敦 | 09 岡崎慎司, 前田遼一
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| 2010年代 |
|
|
| GK | DF | MF | FW |
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