玉田圭司

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玉田 圭司 Football pictogram.svg
名前
愛称 タマ、タマちゃん
カタカナ タマダ ケイジ
ラテン文字 TAMADA Keiji
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 1980年4月11日(34歳)
出身地 千葉県浦安市
身長 173cm
体重 67kg
選手情報
在籍チーム 名古屋グランパス
ポジション FW (ST、WG、CF)MF(SH、OH)
背番号 11
利き足 左足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1999-2005
2006-
柏レイソル
名古屋グランパス
109 (30)
216 (64)
代表歴2
2004-2010 日本の旗 日本 72 (16)
1. 国内リーグ戦に限る。2014年1月6日現在。
2. 2010年6月29日現在。
テンプレート(ノート 解説)サッカー選手pj

玉田 圭司(たまだ けいじ、1980年4月11日 - )は、千葉県浦安市出身のサッカー選手ポジションFWMFJリーグ名古屋グランパス所属。マネジメント事務所はレプロエンタテインメント

来歴[編集]

習志野市立習志野高等学校出身(同級生に吉野智行松比良平太)。高校時代から「左の切り札」と呼ばれており、周囲の評価は高かった[1]1999年柏レイソルに入団。

1999年の1stステージ第2節アビスパ福岡戦で初出場[2]。デビュー戦で抜群のスピードを見た都並敏史は、将来の日本を背負う逸材と称えたという[1]。しかし、その後2年間は出場機会に恵まれず、2001年までの3年間で出場試合は15、得点はなかった。

玉田に転機が訪れるのは2002年。チームは1stステージを14位で折り返し、2ndステージでは残留を目指して新監督にマルコ・アウレリオを迎えた[3]。アウレリオは個人能力重視へとチームを転換する過程で埋もれていた玉田の才能を見出し、左サイドの中盤での出場機会を与える[3]。2ndステージ第1節コンサドーレ札幌戦で初得点を挙げる[2]と、リーグ戦2ndステージだけで3得点を挙げた。エースストライカーとして信頼を受けるようになり、2003年にはリーグ戦28試合に出場し11得点を挙げた。これは、Jリーグ得点ランキング10位、日本人選手に限れば久保竜彦大久保嘉人に次ぐ3位[3]であり、翌2004年にも10得点を挙げ2年連続2桁得点を達成した。

日本代表にも選出され順調かと思われたが、翌2005年には度重なる怪我により、出場試合数こそ減らなかったものの6得点に留まる[4]。チームも低迷し、リーグ戦16位、入れ替え戦でもヴァンフォーレ甲府に二試合合計8-3で敗れ、J2降格が決定した。代表入りを目指す玉田はJ1でのプレーを希望し、移籍先を探すこととなる[5]。間もなくJ1複数クラブからオファーがあり、日本代表選手の楢崎正剛藤田俊哉が在籍していた名古屋を玉田が希望する[6]。チーム間の交渉が難航した[7]ものの完全移籍でまとまり、2006年1月19日に名古屋が獲得を発表[8]。背番号は「11」が与えられた[8]

鳴り物入りでの入団であったが、玉田が得意ではないポストプレイヤーとしての役割を当時の監督フェルホーセンから求められ、2006年は思うような活躍ができない状態が続いた[9]。加えて2007年には怪我の影響もあり、出場試合は14に留まった[10]

2008年にグランパスの監督にストイコビッチが就任。ストイコビッチは玉田に攻撃の核として期待を寄せ[11]、得意なドリブルのプレーが求められたことでプレーにキレを取り戻した[12]。得点こそ4得点であったが、6アシストを記録しフローデ・ヨンセン小川佳純らを生かすチャンスメイカーとして機能。持ち味のドリブルやパスで終盤まで優勝争いに貢献した。

2010年は元日の天皇杯決勝でガンバ大阪に敗れて始まったが、リーグ戦では中断期間以降に10得点を記録するなど好調を維持し過去最多となる13得点を挙げ、名古屋のリーグ初優勝の原動力として優秀選手賞を獲得した。

2011年は開幕から得点を量産し、最終的にキャリアハイとなる14得点(リーグ6位タイ)を挙げたが、チームは激しい優勝争いの末リーグ戦2位に終わった。

日本代表[編集]

「ワールドカップ出場が夢」と語っており、前述の通り柏がJ2降格となった折には、代表選出を求めてJ1チームへの移籍と言う苦渋の選択をしている[5]

日本代表に初選出されたのは2004年。代表チームの得点力不足に悩むジーコによって、ドイツW杯・アジア地区1次予選の日本代表に選出され、3月のシンガポール戦で初出場した[5][13]アジア杯でも活躍し優勝に貢献した[13]

アジア杯での活躍がジーコに強烈な印象を与えたことや、玉田のようなドリブラー的な役割を得意とする選手が当時の代表には稀少であったこともあり、ジーコジャパンにとって必要不可欠な存在となっていく[5]。2006年はチームでの成績は振るわなかったが、ドイツW杯日本代表に選出され[5][13]、ブラジル戦では先制点となるゴールを決めた[10]

怪我の影響や代表監督の交代もありしばらく代表から遠ざかっていたが、2008年3月26日南アフリカW杯アジア3次予選の対バーレーン戦で1年8ヶ月ぶりに代表復帰した[14]。それ以来岡田武史率いる日本代表への招集も増え、エース格の活躍を見せている[14]

南アフリカワールドカップ本戦ではオランダ戦とパラグアイ戦に途中出場。2大会連続のゴールはならなかったが、得意のドリブルで相手守備網を切り裂いたり、ファールをもらってセットプレーに繋げるなどの効果的なプレーを見せた。

エピソード[編集]

  • 横浜フリューゲルス横浜FCなどで活躍したモネールから、少年サッカー教室で「君は将来大物になる」と褒め称えられた。
  • 柏に在籍していた2004年、名古屋の親会社・トヨタ自動車のテレビCMへの出演経験がある[15]
  • コーラ好き[16]
  • 大の『ウイニングイレブン』ファン。対人プレイを好み、本人曰く「1人では絶対にやらない」[17] 。雑誌「We-Ele」の企画で、当時チームメイトの山口慶本田圭佑須藤右介と対戦し見事優勝した[18]
  • グランパスの幹部は「期待が大きいほど乗るタイプ」といい、現役時代のストイコビッチと似ていると語っている[11]
  • 「理想のゴールは?」の問いには「マラドーナの5人抜きドリブル」を挙げている[3]
  • 2009年1月11日、千葉県習志野市の母校近くにもんじゃ焼き店「MONJA DINING TAMA」をオープンした[19]
  • 同年12月、一般女性と入籍したことを明らかにした[20]
  • ファンを大事にしている。それゆえ、ファンにストーカーまがいの行動をされたときはショックを受け、ブログでファンにモラルを求めたことがある[21]

所属クラブ[編集]

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
1999 28 J1 5 0 1 0 0 0 6 0
2000 5 0 1 0 0 0 6 0
2001 2 0 0 0 1 0 3 0
2002 13 3 2 0 1 0 16 3
2003 28 11 5 0 2 1 35 12
2004 28 10 0 0 1 0 29 10
2005 28 6 0 0 0 0 28 6
2006 名古屋 11 26 6 1 0 2 0 29 6
2007 14 5 4 2 2 0 20 7
2008 31 4 2 0 1 0 34 4
2009 27 8 1 0 4 1 32 9
2010 29 13 1 0 2 1 32 14
2011 33 14 0 0 3 0 36 14
2012 25 5 0 0 3 1 28 6
2013 31 9 6 2 1 0 38 11
通算 日本 J1 325 94 24 4 22 4 371 102
総通算 325 94 24 4 22 4 371 102

その他の公式戦

国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFC ACL
2009 名古屋 11 9 2
2011 3 0
2012 7 2
通算 AFC 19 4

タイトル[編集]

クラブタイトル

代表歴[編集]

日本代表でプレーする玉田
(写真右、2008年10月9日、UAE戦)

試合数[編集]

  • 国際Aマッチ 72試合 16得点 (2004-2010)


日本代表 国際Aマッチ
出場 得点
2004 18 5
2005 16 2
2006 7 2
2007 0 0
2008 12 4
2009 10 1
2010 9 2
通算 72 16

ゴール[編集]

# 開催年月日 開催地 対戦国 勝敗 試合概要
1. 2004年4月25日 ハンガリー、ザラエゲルセグ ハンガリーの旗 ハンガリー ● 2-3 親善試合
2. 2004年8月3日 中国済南市 バーレーンの旗 バーレーン ○ 4-3 AFCアジアカップ2004
3.
4. 2004年8月7日 中国、 北京市 中華人民共和国の旗 中国 ○ 3-1
5. 2004年11月17日 日本さいたま市 シンガポールの旗 シンガポール ○ 1-0 2006 FIFAワールドカップ・アジア予選
6. 2005年1月29日 日本、横浜市 カザフスタンの旗 カザフスタン ○ 4-0 キリンチャレンジカップ2005
7.
8. 2006年6月4日 ドイツデュッセルドルフ マルタの旗 マルタ ○ 1-0 親善試合
9. 2006年6月22日 ドイツ、ドルトムント ブラジルの旗 ブラジル ● 1-4 2006 FIFAワールドカップグループリーグ
10. 2008年5月24日 日本、愛知県豊田市 コートジボワールの旗 コートジボワール ○ 1-0 キリンカップサッカー2008
11. 2008年10月15日 日本、さいたま市 ウズベキスタンの旗 ウズベキスタン △ 1-1 2010 FIFAワールドカップ・アジア予選
12. 2008年11月13日 日本、神戸市 シリアの旗 シリア ○ 3-1 キリンチャレンジカップ2008
13. 2008年11月19日 カタールドーハ カタールの旗 カタール ○ 3-0 2010 FIFAワールドカップ・アジア予選
14. 2009年9月9日 オランダユトレヒト ガーナの旗 ガーナ ○ 4-3 親善試合
15. 2010年2月11日 日本、東京 香港の旗 香港 ○ 3-0 東アジアサッカー選手権2010
16.

経歴・タイトル[編集]

代表

代表タイトル

脚注[編集]

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  1. ^ a b 日本代表:選手紹介 玉田圭司 - ウェイバックマシン(2006年6月18日アーカイブ分) - J's GOAL
  2. ^ a b 名古屋グランパス. “選手データ 玉田圭司”. 2013年12月20日閲覧。
  3. ^ a b c d Number Web (2004年6月4日). “玉田圭司「遅れてきたレフティ」”. 2013年5月8日閲覧。
  4. ^ 名古屋テレビ (2006年3月4日). “光る!スポーツ研究所 グランパスコーナー No.086 玉田圭司”. 2009年7月3日閲覧。[リンク切れ]
  5. ^ a b c d e ドイツW杯カウントダウン 第9回 玉田圭司”. 2009年7月3日閲覧。
  6. ^ 柏FW玉田の名古屋入り濃厚 - ウェイバックマシン(2006年1月15日アーカイブ分) - 日刊スポーツ(2006年1月13日)
  7. ^ 中日スポーツ (2006年1月15日). “玉田の獲得難航 柏は完全移籍希望”. 2009年7月3日閲覧。
  8. ^ a b 中日スポーツ (2006年1月20日). “玉田、入団決定 名古屋に救世主”. 2009年7月3日閲覧。
  9. ^ All About (2006年5月8日). “苦しいチーム事情にも、見えた光明”. 2009年7月3日閲覧。
  10. ^ a b 快速FW玉田、地元で“公約”果たす キリン杯サッカー - ウェイバックマシン(2008年5月29日アーカイブ分) - 産経新聞(2008年5月24日)
  11. ^ a b 中日スポーツ (2008年3月12日). “玉田、輝きを再び ピクシー監督助言「攻撃の核に」”. 2009年7月3日閲覧。
  12. ^ 中日スポーツ (2008年3月7日). “玉田、ゴール&アシスト“10” 移籍3年目、不退転の決意”. 2009年7月3日閲覧。
  13. ^ a b c 代表復帰!玉田も「驚いた」…26日W杯アジア予選バーレーン戦 - ウェイバックマシン(2008年3月18日アーカイブ分) - スポーツ報知(2008年3月15日)
  14. ^ a b 日刊スポーツ (2009年3月20日). “玉田がバーレーン戦「ケリつける」”. 2009年7月3日閲覧。
  15. ^ 柏レイソル (2004年10月17日). “TOYOTA『MORE THAN BEST』新CMに玉田圭司選手が登場”. 2013年5月8日閲覧。
  16. ^ 日本代表FW玉田も「オレ流」信者!? - ウェイバックマシン(2011年9月16日アーカイブ分) - 日刊スポーツ(2006年4月25日)
  17. ^ J'sGOAL (2007年9月15日). “J1 注目選手スペシャルインタビュー Vol.8:玉田圭司選手”. 2010年4月15日閲覧。
  18. ^ 『We-Ele』付属DVD
  19. ^ Narinari.com (2009年1月4日). “「日本人だから」日本代表のFW玉田圭司選手がもんじゃ焼き店オープン。”. 2013年5月8日閲覧。
  20. ^ 玉田圭司選手、入籍のお知らせ 名古屋(09.12.28) - J's GOAL(2009年12月28日)
  21. ^ 悲しいこと - 玉田圭司オフィシャルブログ(2010年3月7日)
  22. ^ 玉田、杉山がブラジル短期留学 - ウェイバックマシン(2001年7月9日アーカイブ分) - Reysol Supporter's Square(1999年12月5日)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]