玉田圭司

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玉田 圭司
名前
愛称 タマ、タマちゃん
カタカナ タマダ ケイジ
ラテン文字 TAMADA Keiji
基本情報
国籍 日本
生年月日 1980年4月11日(29歳)
出身地 千葉県浦安市
身長 173cm
体重 67kg
血液型 AB型
選手情報
在籍チーム 名古屋グランパス
ポジション FW(ST、WG、CF)
背番号 11
利き足 左足
クラブチーム1
クラブ App (G)
1999-2005
2006-現 在
柏レイソル
名古屋グランパス
109 (30)
82 (16)
代表歴2
2004- 日本 60 (13)
1. 国内リーグ戦に限る。2009年7月5日現在。
2. 2009年6月17日現在。
Template(ノート 解説)サッカー選手pj

玉田 圭司(たまだ けいじ、1980年4月11日 - )は、千葉県浦安市出身のサッカー選手ポジションFWJリーグ1部(J1)名古屋グランパス所属。

目次

[編集] 来歴

習志野市立習志野高等学校出身。1999年柏レイソルに入団。

1999年の1stステージ第2節アビスパ福岡戦で初出場[1]。デビュー戦で抜群のスピードを見た都並敏史は、将来の日本を背負う逸材と称えたという[2]。しかしその後2年間は出場機会に恵まれず、2001年までの3年間で出場試合は15、得点はなかった。

玉田に転機が訪れるのは2002年。チームは1stステージを14位で折り返し、2ndステージでは残留を目指して新監督にマルコ・アウレリオを迎えた[3]。アウレリオは個人能力重視へとチームを転換する過程で埋もれていた玉田の才能を見出し、左サイドの中盤での出場機会を与える[3]。2ndステージ第1節コンサドーレ札幌戦で初得点を挙げる[1]と、リーグ戦2ndステージだけで3得点を挙げた。エースストライカーとして信頼を受けるようになり、2003年にはリーグ戦28試合に出場し11得点を挙げた。これは、Jリーグ得点ランキング10位、日本人選手に限れば久保竜彦大久保嘉人に次ぐ3位[3]であり、翌2004年にも10得点を挙げ2年連続2桁得点を達成した。

日本代表にも選出され順調かと思われたが、翌2005年には度重なる怪我により、出場試合数こそ減少しなかったものの6得点に留まる[4]。チームも低迷し、リーグ戦最終成績16位、入れ替え戦でもヴァンフォーレ甲府に8-3で敗れ、J2への降格が決定した。代表入りを目指す玉田はJ1でのプレーを希望し、移籍先を探すこととなる[5]。間もなくJ1複数球団からオファーがあり、日本代表選手の楢崎正剛藤田俊哉が在籍していた名古屋を玉田が希望する[6]。チーム間の交渉が難航した[7]ものの完全移籍で纏まり、2006年1月19日に名古屋が獲得を発表[8]。背番号は「11」が与えられた[8]

鳴り物入りでの入団であったが、玉田が得意ではない役割を当時の監督フェルホーセンから求められ、2006年は思うような活躍ができない状態が続いた[9]。加えて2007年には怪我の影響もあり、出場試合は14に留まった[10]

2008年にグランパスの監督にストイコビッチが就任。ストイコビッチは玉田に攻撃の核として期待を寄せ[11]、得意なドリブルのプレーが求められたことでプレーにキレを取り戻した[12]。得点こそ4得点であったが、持ち味のドリブルやパスで終盤まで優勝争いに貢献した。

[編集] 日本代表

「ワールドカップ出場が夢」と語っており、前述の通り柏がJ2降格となった折には、代表選出を求めてJ1チームへの移籍と言う苦渋の選択をしている[5]

日本代表に初選出されたのは2004年。代表チームの得点力不足に悩むジーコによって、ドイツW杯・アジア地区1次予選の日本代表に選出され、3月のシンガポール戦で初出場した[5][13]アジア杯でも活躍し優勝に貢献した[13]

アジア杯での活躍がジーコに強烈な印象を与えたことや、玉田のようなドリブラー的な役割を得意とする選手が当時の代表には稀少であったこともあり、ジーコジャパンにとって必要不可欠な存在となっていく[5]。2006年はチームでの成績は振るわなかったが、ドイツW杯日本代表に選出され[5][13]、ブラジル戦では先制点となるゴールを決めた[10]

怪我の影響や代表監督の交代もあり暫らく代表から遠ざかっていたが、2008年3月26日南アフリカW杯アジア3次予選の対バーレーン戦で1年8ヶ月ぶりに代表復帰した[14]。それ以来岡田武史率いる日本代表への招集も増え、エース格の活躍を見せている[14]

[編集] プレースタイル

高校時代から「左の切り札」と呼ばれており、周囲の評価は高かった[2]。Jリーグでも屈指のスピードに乗ったドリブルが特徴[5]で、ドリブルで相手ディフェンスの裏へ飛び込むプレーを得意とする[5]。そのプレーはACLで対戦した北京国安イ・ジャンス監督に「かなり強力な選手」と言わしめたほど[14]

ドリブルからの意表を付いた精密なスルーパス[3]や強烈なミドルシュート、直接ゴールも狙える[15]高精度で威力もあるフリーキックも武器。シュートは特にペナルティエリア付近の左45度からを得意としており、本人も「結構入る」と語っている[16]

173cmと小柄だが当たりに弱いところを見せず、代表ではアジアの屈強なDFのチャージをもろともせずに突っ込んで行くシーンも度々見られる。[要出典]

本人曰く、ヘディングが苦手なのが欠点[要出典]だが、2007年8月25日の大宮アルディージャ戦ではヘディングでゴールを決めるなど、苦手意識を克服している。

[編集] エピソード

[編集] 所属クラブ

[編集] 個人成績

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
1999 28 J1 5 0 1 0 0 0 6 0
2000 28 J1 5 0 1 0 0 0 6 0
2001 28 J1 2 0 0 0 1 0 3 0
2002 28 J1 13 3 2 0 1 0 16 3
2003 28 J1 28 11 5 0 2 1 35 12
2004 28 J1 28 10 0 0 1 0 29 10
2005 28 J1 28 6 0 0 0 0 28 6
2006 名古屋 11 J1 26 6 1 0 2 0 29 6
2007 名古屋 11 J1 14 5 4 2 2 0 20 7
2008 名古屋 11 J1 31 4 2 0 1 0 34 4
2009 名古屋 11 J1 11 1 11 1
通算 日本 J1 191 46 16 2 10 1 217 49
総通算 191 46 16 2 10 1 217 49
国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFC ACL
2009 名古屋 11 5 2
通算 AFC 5 2

[編集] 経歴・タイトル

クラブチーム
クラブタイトル

[編集] 代表歴

[編集] 試合数

  • 国際Aマッチ 60試合 13得点(2004-2009)


日本代表 国際Aマッチ
出場 得点
2004 18 5
2005 16 2
2006 7 2
2007 0 0
2008 12 4
2009 7 0
通算 60 13

[編集] ゴール

# 開催年月日 開催地 対戦国 勝敗 試合概要
1. 2004年4月25日 ハンガリー、ザラエゲルセグ ハンガリー ●2-3 親善試合
2. 2004年8月3日 中国済南市 バーレーン ○4-3 AFCアジアカップ2004準決勝
3. 2004年8月3日 中国、済南市 バーレーン ○4-3 AFCアジアカップ2004準決勝
4. 2004年8月7日 中国、 北京市 中国 ○3-1 AFCアジアカップ2004決勝
5. 2004年11月17日 日本さいたま市 シンガポール ○1-0 2006 FIFAワールドカップ・アジア地区予選
6. 2005年1月29日 日本、横浜市 カザフスタン ○4-0 キリンチャレンジカップ
7. 2005年1月29日 日本、横浜市 カザフスタン ○4-0 キリンチャレンジカップ
8. 2006年6月4日 ドイツデュッセルドルフ マルタ ○1-0 親善試合
9. 2006年6月22日 ドイツ、ドルトムント ブラジル ●1-4 2006 FIFAワールドカップグループリーグ
10. 2008年5月24日 日本、愛知県豊田市 コートジボワール ○1-0 キリンカップ
11. 2008年10月15日 日本、さいたま市 ウズベキスタン △1-1 2010 FIFAワールドカップ・アジア地区予選
12. 2008年11月13日 日本、神戸市 シリア ○3-1 キリンチャレンジカップ
13. 2008年11月19日 カタールドーハ カタール ○3-0 2010 FIFAワールドカップ・アジア地区予選

[編集] 経歴・タイトル

代表
代表タイトル

[編集] 脚注

  1. ^ a b 名古屋グランパス. "選手データ 玉田圭司". 2009年7月3日 閲覧。
  2. ^ a b J's GOAL. "日本代表:選手紹介 玉田圭司". 2009年7月3日 閲覧。
  3. ^ a b c d e goo スポーツ (2004年6月4日). "玉田圭司「遅れてきたレフティ」". 2009年7月3日 閲覧。
  4. ^ 名古屋テレビ (2006年3月4日). "光る!スポーツ研究所 グランパスコーナー No.086 玉田圭司". 2009年7月3日 閲覧。
  5. ^ a b c d e f g "ドイツW杯カウントダウン 第9回 玉田圭司". 2009年7月3日 閲覧。
  6. ^ 日刊スポーツ (2006年1月13日). "柏FW玉田の名古屋入り濃厚". 2009年7月3日 閲覧。
  7. ^ 中日スポーツ (2006年1月15日). "玉田の獲得難航 柏は完全移籍希望". 2009年7月3日 閲覧。
  8. ^ a b 中日スポーツ (2006年1月20日). "玉田、入団決定 名古屋に救世主". 2009年7月3日 閲覧。
  9. ^ All About (2006年5月8日). "苦しいチーム事情にも、見えた光明". 2009年7月3日 閲覧。
  10. ^ a b MSN産経ニュース (2008年5月24日). "快速FW玉田、地元で“公約”果たす キリン杯サッカー". 2009年7月3日 閲覧。
  11. ^ a b 中日スポーツ (2008年3月12日). "玉田、輝きを再び ピクシー監督助言「攻撃の核に」". 2009年7月3日 閲覧。
  12. ^ 中日スポーツ (2008年3月7日). "玉田、ゴール&アシスト“10” 移籍3年目、不退転の決意". 2009年7月3日 閲覧。
  13. ^ a b c スポーツ報知 (2008年3月15日). "代表復帰!玉田も「驚いた」…26日W杯アジア予選バーレーン戦". 2009年7月3日 閲覧。
  14. ^ a b c 日刊スポーツ (2009年3月20日). "玉田がバーレーン戦「ケリつける」". 2009年7月3日 閲覧。
  15. ^ スポーツ報知 (2008年8月28日). "玉田2発!名古屋奪取…J1第23節". 2009年7月3日 閲覧。
  16. ^ Yahoo!スポーツ (2008年11月20日). "カタール戦後 選手コメント 2010FIFAワールドカップ・アジア最終予選". 2009年7月3日 閲覧。
  17. ^ 柏レイソル (2004年10月17日). "TOYOTA『MORE THAN BEST』新CMに玉田圭司選手が登場". 2009年7月3日 閲覧。
  18. ^ 日刊スポーツ (2006年4月25日). "日本代表FW玉田も「オレ流」信者!?". 2009年7月3日 閲覧。
  19. ^ 『We-Ele』付属DVD
  20. ^ livedoorニュース (2009年1月4日). "「日本人だから」日本代表のFW玉田圭司選手がもんじゃ焼き店オープン。". 2009年7月3日 閲覧。
  21. ^ Reysol Supporter's Square (1999年12月5日). "玉田、杉山がブラジル短期留学". 2009年7月3日 閲覧。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク