西紀寛
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|---|---|---|---|---|---|---|
| 名前 | ||||||
| 愛称 | にし | |||||
| カタカナ | ニシ ノリヒロ | |||||
| ラテン文字 | NISHI Norihiro | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 | ||||||
| 生年月日 | 1980年5月9日(33歳) | |||||
| 出身地 | 大阪府高槻市 | |||||
| 身長 | 175cm | |||||
| 体重 | 72kg | |||||
| 選手情報 | ||||||
| 在籍チーム | 東京ヴェルディ1969 | |||||
| ポジション | FW、MF | |||||
| 背番号 | 11 | |||||
| 利き足 | 右足 | |||||
| ユース | ||||||
| 1993-1995 1996-1998 |
高槻市立芝谷中学校 船橋市立船橋高等学校 |
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| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 (得点) | ||||
| 1999-2011 2012- |
ジュビロ磐田 東京ヴェルディ1969 |
255 (36) () |
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| 代表歴2 | ||||||
| 2004 | 5 (0) | |||||
| 1. 国内リーグ戦に限る。2011年12月21日現在。 2. 2007年12月1日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
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西 紀寛(にし のりひろ、1980年5月9日 - )は、大阪府高槻市出身のサッカー選手。ポジションはフォワード、ミッドフィールダー。Jリーグの東京ヴェルディ1969所属。Honda FCのミッドフィルダー西望実は実弟である。
目次 |
来歴 [編集]
本人によればサッカーを始めたのは保育園時代。中学校までは地元でプレーしていたが、高校は地元を離れて船橋市立船橋高等学校に入学し、サッカー部で活躍。サッカー部の同期に松田正俊がいる。他にも岩佐潤(バスケットボール部)・高橋美佳子(吹奏楽部)・佐藤章晶(硬式野球部)がいる。高校3年次の1998年にはインターハイを制するが、同年の全国高等学校サッカー選手権大会は千葉県予選で玉田圭司を擁した習志野高校に敗れ、出場はならなかった。
当時は横浜フリューゲルスの強化指定選手でサテライトの試合にも出場。入団も内定していたが、同クラブが消滅したため、オファーのあったジュビロ磐田に入団することとなる。元々はフォワードや1.5列目のプレーヤーである。
磐田では、名波浩の移籍や中山雅史らの負傷者のために戦力不足に陥った1999年第2ステージから本格的に起用されはじめ、翌2000年に就任したハジェヴスキー監督から、その攻撃力とドリブルを評価されて右サイドに抜擢され、次第にレギュラーの一人として頭角を現す。2002年には戦術的理由から一時レギュラーを外され、移籍志願をしたこともあったが翻意した。
2004年以降は負傷に見舞われて戦線離脱していることも少なく、2005年以降は右サイドの太田吉彰の台頭で、元来のポジションであるフォワードやトップ下として起用されることも増えた。
2009年以降はシーズンほぼフル稼働して、チームに欠かせない選手となっている。しかし、過去の怪我の影響などで膝の状態が常に良いわけではなく、途中交代が多くなり90分間フルで出場することは少なくなった。それでも2010年のナビスコカップ決勝では、足がつりながらも延長戦を含め120分間攻守にわたって活躍し、優勝に貢献した。
2011年、近年大きな怪我は減っていたが、オフシーズン中の試合形式の練習中にアキレス腱を断裂してしまい、全治6カ月と久々の長期離脱となってしまった。
8月24日、大宮アルディージャ戦で途中出場で復帰。次の清水戦ではスタメン復帰もして、勝利に貢献した。
10月15日、鹿島アントラーズ戦で、250試合出場を達成した。
2012年、13年間在籍したジュビロを離れ、東京ヴェルディ1969へ完全移籍した[1]。2013年はチームの副キャプテンに就任した。
所属クラブ [編集]
- 1987年 - 1992年 日吉台ウイングス (高槻市立安岡寺小学校)
- 1993年 - 1995年 高槻市立芝谷中学校
- 1996年 - 1998年 船橋市立船橋高等学校
- 1999年 - 2011年 ジュビロ磐田
- 2012年 - 東京ヴェルディ1969
経歴 [編集]
- 1999年2月27日 - プロデビュー(プレシーズンマッチ) - 浦和レッドダイヤモンズ戦 (愛鷹広域公園多目的競技場)
- 1999年4月28日 - 公式戦初出場(アジアクラブ選手権) - アル・アイン戦 (アザディ・スタジアム/イラン)
- 1999年5月29日 - 国内公式戦初出場(Jリーグ) - ジェフユナイテッド市原戦 (市原臨海競技場)
- 1999年8月21日 - プロ初ゴール(Jリーグ) - アビスパ福岡戦 (博多の森球技場)
- 2004年4月25日 - A代表初出場 (国際親善試合)- ハンガリー戦 (ザラエゲルセグ/ハンガリー)
個人成績 [編集]
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 1999 | 磐田 | 26 | J1 | 13 | 4 | 1 | 0 | 3 | 0 | 17 | 4 |
| 2000 | 19 | 3 | 0 | 0 | 3 | 0 | 22 | 3 | |||
| 2001 | 11 | 22 | 2 | 7 | 0 | 2 | 1 | 31 | 3 | ||
| 2002 | 26 | 4 | 7 | 1 | 3 | 0 | 36 | 5 | |||
| 2003 | 24 | 1 | 8 | 0 | 5 | 1 | 37 | 2 | |||
| 2004 | 17 | 4 | 0 | 0 | 4 | 2 | 21 | 6 | |||
| 2005 | 19 | 3 | 0 | 0 | 1 | 2 | 20 | 5 | |||
| 2006 | 16 | 4 | 5 | 0 | 2 | 1 | 23 | 5 | |||
| 2007 | 17 | 2 | 0 | 0 | 1 | 0 | 18 | 2 | |||
| 2008 | 12 | 2 | 6 | 1 | 2 | 1 | 20 | 4 | |||
| 2009 | 29 | 4 | 4 | 0 | 2 | 0 | 35 | 4 | |||
| 2010 | 31 | 3 | 7 | 1 | 2 | 0 | 40 | 4 | |||
| 2011 | 10 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 12 | 0 | |||
| 2012 | 東京V | J2 | 38 | 6 | - | 1 | 0 | 39 | 6 | ||
| 2013 | - | ||||||||||
| 通算 | 日本 | J1 | 255 | 36 | 47 | 3 | 30 | 8 | 332 | 47 | |
| 日本 | J2 | 38 | 6 | - | 1 | 0 | 39 | 6 | |||
| 総通算 | 293 | 42 | 47 | 3 | 31 | 8 | 361 | 53 | |||
- 強化指定選手としての公式戦出場はなし
その他の公式戦
- 1999年
- Jリーグチャンピオンシップ 1試合0得点
- 2000年
- スーパーカップ 1試合0得点
- 2001年
- Jリーグチャンピオンシップ 2試合0得点
- 2004年
- スーパーカップ 1試合0得点
| 国際大会個人成績 | ||||
|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 |
| AFC | ACL | |||
| 2004 | 磐田 | 11 | 4 | 1 |
| 2005 | 4 | 1 | ||
| 通算 | AFC | 8 | 2 | |
その他の国際公式戦
- 2003年
- A3チャンピオンズカップ 3試合0得点
代表歴 [編集]
出場大会など [編集]
- 2000年 シドニーオリンピック (ベスト8)
- 2004年 アジアカップ2004 (優勝)
試合数 [編集]
- 国際Aマッチ 5試合 0得点(2004)
| 日本代表 | 国際Aマッチ | |
|---|---|---|
| 年 | 出場 | 得点 |
| 2004 | 5 | 0 |
| 通算 | 5 | 0 |
脚注 [編集]
- ^ 西紀寛選手 東京ヴェルディへ完全移籍 ジュビロ磐田公式サイト 2012.1.7付ニュースリリース
関連項目 [編集]
外部リンク [編集]
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