平山相太

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平山 相太 Football pictogram.svg
名前
愛称 ソータ[1]
カタカナ ヒラヤマ ソウタ
ラテン文字 HIRAYAMA Sota
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 1985年6月6日(27歳)
出身地 福岡県北九州市
身長 190cm
体重 85kg
選手情報
在籍チーム FC東京
ポジション FW
背番号 13
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2005-2006 ヘラクレス 32 (8)
2006- FC東京 112 (20)
代表歴2
2010 日本の旗 日本 4 (3)
1. 国内リーグ戦に限る。2013年4月29日現在。
2. 2010年1月6日現在。
テンプレート(ノート 解説)サッカー選手pj

平山 相太(ひらやま そうた、1985年6月6日 - )は、福岡県北九州市小倉南区出身のプロサッカー選手JリーグFC東京に所属。ポジションはフォワード長崎県立国見高等学校卒業、筑波大学中退。元日本代表

目次

来歴 [編集]

高校時代まで [編集]

小学校2年よりサッカーを始め[1]、抜きん出た体格と素質を示した。高校サッカーの名門・国見高校に入学後、エースとして活躍。1年時には自らの決勝点で高円宮杯を制し[2]、2年時の第82回天皇杯では、1回戦の山形中央高校戦でハットトリックを記録。2回戦で国士舘大学を破り高校チームながら3回戦でJリーグ王者のジュビロ磐田と対戦した。 2003年の11月にはワールドユースUAE大会日本代表に1年代下から抜擢され、1次リーグ最終戦・エジプト戦では決勝トーナメント進出を決める貴重な決勝点を挙げるなど、4試合2得点。その後、12月から翌年1月に行われた第82回全国高校サッカー選手権では大会前から注目を集め、長崎県代表・国見高の中心選手としてゴールを量産。大会史上初となる2年連続得点王を引っさげ、アテネオリンピックアジア最終予選の日本代表に高校生として唯一選出された。

大学時代 [編集]

高校卒業を前に、Jリーグだけでなくヨーロッパのクラブからもオファーが来ていたが、国見高校の恩師小嶺忠敏総監督のアドバイスもあり[3]、全てのオファーを断って2004年4月からの筑波大学への進学を決断。この選択は、プロスポーツやサッカー界を取り巻く環境面についての議論を呼んだ[注 1]

2004年4月17日の大学リーグデビュー戦(関東大学リーグ1部・対流通経済大学戦)は3800人の観衆が集まるなど注目を集め、駒沢陸上競技場にマスコミが多数集まりスポーツニュース等で報道された。なお、大学時代のチームメイトには2学年上にMF藤本淳吾、3学年上にFW鈴木達也、MF兵働昭弘らがおり、木山隆之監督の指導を受けている。 U-23日本代表としては、同年2月8日の国際親善試合・U-23イラン戦で初先発し初ゴールを挙げる[3]。8月にはサッカー競技としては史上最年少の19歳2ヶ月[注 2]アテネオリンピックに出場。しかし山本昌邦監督が平山を起用したのはグループステージ初戦・パラグアイ戦の終盤16分間のみで、チームも1勝2敗で決勝トーナメント進出はならなかった。

2005年6月には、自身2度目のワールドユースに主力メンバーとして[6]出場し、チームの成績は振るわなかったものの開催国のオランダ戦で1得点を挙げる。この大会終了後の同年7月、オランダリーグフェイエノールトの練習生として短期留学。その後8月にこのシーズンから1部入りしたヘラクレス・アルメロに3年契約で入団することが決まり、筑波大学を休学する事になった。この時期の心境について後年に「2度目のワールドユースに出場し、2003年のワールドユースの時の自分から何も変わっていない、成長していない。厳しい環境に身を置きたいと強く思った」と述べている[7]

オランダ時代 [編集]

2005年8月20日、オランダでのデビュー戦となった対デン・ハーグ戦は後半途中から投入。出場から2分後、味方のフリーキックからヘディングで押し込みプロ初ゴールを挙げ、その後コーナーキックの折り返しを再び頭で合わせて2得点、デビュー戦でチームを逆転勝利に導いた[8]。同年11月20日の対RBC戦ではボレーシュートを決め、現地のサッカー番組の中でベストゴールにノミネートされた[9]。2005-06シーズンは途中出場も多い中、チーム最多の8得点を挙げた[注 3]

2006年1月27日、FIFAが選出する「ベスト・ヤング・プレーヤー・オブ・ワールドカップ2006」にノミネート。4月30日には、サッカーに専念するため、休学中であった筑波大を自主退学。プロサッカー選手としての活動に専念することとなった。しかし、2006-07シーズン、平山を気にかけていたピーター・ボスに代わって新たに監督に就いたルート・ブロート (enからは信頼を得られず[10]、欧州の移籍期限終了後の9月5日、所属していたヘラクレスを退団。オランダのDFに競り勝つための身体作りと慣れない海外生活から、心身ともに疲弊した状態で日本に帰国した[1]

Jリーグ入団後 [編集]

日本に帰国後にはJリーグの複数チームから獲得の打診があり、「学業の両立」が可能で、かつ、「すぐ試合に出られるチーム」を条件に絞り込み、9月10日にFC東京への加入が決定。しかしヘラクレス側は平山のこの行動を不服とし、「説明が無い限り(公式戦出場に必要な)国際移籍証明書を発行しない」という声明を発表したが、期限前に証明書は発行され無事に2006年のJリーグ公式戦に出場できる運びとなった。国際移籍証明書がなかなか発行されなかったために日本サッカー協会が選手登録の締切り期限を1日延長した。

2006年、9月30日の対新潟戦でJリーグデビュー(先発出場)した。10月7日の対名古屋戦でJリーグでの初得点を記録。ゴール後、スポンサーの看板(三井住友海上)を蹴り壊してしまい、クラブに損害請求される珍事が起こった[注 4]10月25日、U-21日本代表に招集され出場した対U-21中国代表との親善試合(国立競技場)では、相手GKと交錯したボールを手で押し込んでゴールを奪い、中国の監督は試合後「マラドーナスタイルにやられてしまった(马拉多纳风格做了。)」と皮肉をこめたコメントを残した。

2007年北京五輪アジア二次予選で5試合[注 5]で5得点を挙げるなどU-22代表で活躍。しかし、最終予選ではU-20代表組が合流したこともあって、運動量やスピードを重視した選考が多くなり、平山は重用されなくなった。

Jリーグでは、出場機会のほとんどが試合終盤からの投入だったものの、9月15日のJ1第25節横浜FC戦で、後半40分からの出場ながらフィールド中央からドリブルでの5人抜きゴールを決めるなど、能力の片鱗は感じさせた[11]。FC東京の原博実監督は「ボールの落下地点に早く入ることとか、正確に狙ったところへボールを落とすなどヘディングの技術を磨く必要がある」と、長身ではあるがヘディングに課題があると評していた[12]

2008年からFC東京の監督に城福浩が就任。開幕戦ではスタメンで起用されたが、赤嶺真吾の台頭もあり、その後はサブとしてゲーム後半からの途中出場が多くを占めた。長年期待されてきた北京五輪代表候補にも、2月のアメリカ遠征に招集された位で、本大会の前哨戦として捉えられていた5月のトゥーロン国際大会などには招集されなくなっていたが、ナビスコカップ東京ダービーでハットトリックを決め[13]、最後の滑り込み招集に一縷の望みを託す。しかし、反町康治五輪代表監督には招集されず、オリンピック2大会連続出場は叶わなかった。

2009年5月、城福監督からの「試合に出られそうなときとそうでないときで練習でのプレーにムラがある。サッカー選手は選手寿命が短いのだから時間の使い方がもったいないのではないか」との指摘や[14]NHKの番組[注 6]にてプロ野球選手・小笠原道大の練習姿勢に感銘を受けた事などが重なり、「プロとしての自覚が足りないことに気付き、極限の努力をするべき」だと意識改革を試みる[14]。以降は出場停止となった2試合を除き全試合にスタメン出場。6月20日のJ1第14節戦では身体の強さを活かし、チェックに来たDF小林祐三を吹き飛ばしてゴールを決めた。以降、ゴール量産こそならなかったが、体躯を活かしたプレーで貢献[注 7]。このシーズン、15得点の活躍を見せた石川直宏からは「前に起点ができるおかげで、ぼくらが前に行ける。FWだからゴールに近い位置でプレーしたいはずなのに(ポスト役をこなしてくれる)」と平山のポストプレーなどを高く評価した[16]。また、この頃から梶山陽平が「守備では本当に助かっている」と話すなど[17]、運動量と守備意識に改善を見せている[18]。城福監督からは「バイタルエリアからでも難しいパスを出すことができるが、シンプルなパスを出すところとの判断が甘い」と課題を挙げられている[19]11月3日ナビスコカップ決勝・川崎戦では後半にヘディングでのゴールを決め、自身プロ入り後の初タイトル獲得に大きく貢献した。

2010年1月6日アジアカップ最終予選イエメン代表戦(サナア)にA代表選手として国際Aマッチ初出場、代表デビュー戦でハットトリックを達成。これは日本では史上2人目[注 8]、途中出場では初となる快挙だった。この活躍でチームも逆転勝ちした。Jリーグでも得点を狙う動きが増え、開幕戦では決勝ゴールを決めたが、それ以後が続かず、5月1日のJ1第9節広島戦では「チームとして点が取れない中での変化が欲しかった(城福監督)」[20]という理由で、コンディション不良でないにもかかわらず前半28分に交代を命じられた。8月4日に開催されたスルガ銀行チャンピオンシップでは1ゴール1アシストの活躍を見せ、タイトル獲得に貢献。対戦相手であるLDUキトのバウサ監督は「(平山の)身長の高さにてこずった、彼がいると自分たちのコントロールが効かなくなり悩まされた」と評価した[21]。また、同試合のPK戦では真っ先に辞退を申し出ており[22]PK戦への苦手意識を見せている。10月23日のJ1第27節・新潟戦でも自らが倒されて得たPKを梶山に譲った[23]大熊清が監督に就任した第24節以降は、中心選手として[24]スターティングメンバーに固定され、前線からの守備やポストプレーによる[25]攻撃の起点として[26]貢献するもチームはJ2降格を喫した。また、この年はワールドカップ招致アンバサダーも務めた。

2011年は、前年終盤に活躍の兆しが見えたこともあり[27]リーグ戦序盤を勝ち切るためのキーマンとして構想されていたが[28]、4月10日の練習試合中に脛骨腓骨を骨折[29]。自身初の負傷による長期離脱を経験した。2012年シーズン序盤にかけて復帰したものの、5月に腓骨・短腓骨筋を挫傷し、再離脱[27]

コンディションを取り戻して以降も、ランコ・ポポヴィッチ監督は、平山にはブランクがあるとして[30]控えに置いていた[31]が、練習試合で得点を量産するなど[32][33]気を吐き[34]2013年4月3日ヤマザキナビスコカップ名古屋戦で760日ぶりに公式戦先発出場の機会を得た[35]

所属クラブ [編集]

ユース経歴
プロ経歴

個人成績 [編集]

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
2001 国見高 14 - - - 2 1 2 1
2002 - - 3 3 3 3
オランダ リーグ戦 リーグ杯 KNVBカップ 期間通算
2005-06 (en ヘラクレス 17 エールディヴィジ 31 8 - - 31 8
2006-07 (en 9 1 0 - - 9 1
日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
2006 FC東京 39 J1 7 2 - 0 0 7 2
2007 13 J1 20 5 2 0 3 2 25 7
2008 24 2 8 4 3 2 35 8
2009 26 4 9 4 3 1 38 9
2010 30 7 6 1 4 4 40 12
2011 J2 1 0 - 0 0 1 0
2012 J1 4 0 1 0 0 0 5 0
2013
通算 日本 J1 111 20 26 9 13 9 145 38
日本 J2 1 0 - 0 0 1 0
日本 - - 5 4 5 4
オランダ エールディヴィジ 32 8 - - 32 8
総通算 144 28 26 9 18 13 183 50
国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFC ACL
2012 FC東京 13 1 0
通算 AFC 1 0

その他の公式戦

出場歴
ハットトリック

タイトル [編集]

長崎県立国見高等学校
筑波大学
  • 関東大学サッカーリーグ戦 (2004年)
FC東京

個人 [編集]

  • 全国高校サッカー選手権大会 得点王 (2002年・7得点、2003年・9得点)

代表歴 [編集]

  • 2010年01月06日:国際Aマッチ初出場 - アジアカップ最終予選 vs イエメン代表 (アリムフシン)

出場大会など [編集]

試合数 [編集]

  • 国際Aマッチ 4試合 3得点 (2010)


日本代表 国際Aマッチ
出場 得点
2010 4 3
通算 4 3

ゴール [編集]

# 開催年月日 開催地 対戦国 勝敗 試合概要
1. 2010年1月6日 イエメンサナア イエメンの旗 イエメン ○3-2 AFCアジアカップ2011予選
2.
3.

CM出演 [編集]

脚注 [編集]

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注釈
  1. ^ セルジオ越後は自身の持つサッカー誌での連載コラムにて「飛び級でオリンピック代表に選ばれるほどの大器がなぜプロではなく大学進学を選んだのか、つまり大学生活がJリーグよりも魅力があったということで、Jリーグに夢が無いからだ」と記した[4]
  2. ^ 平山以前の最年少出場選手は松田直樹1996年のアトランタオリンピックに19歳4ヶ月で出場した[5]
  3. ^ なお、後に来日し千葉清水でプレーしたエディ・ボスナーは、このヘラクレス時代の2年間チームメイトであった。
  4. ^ 本人曰く「あんな簡単に壊れるとは思わなかった」。後のインタビューで約15万円で弁償した事を告白している。
  5. ^ 二次予選は全6試合だが、第5戦終了時点で最終予選進出が決まったため、平山を含む主力級の選手は第6戦には招集されていない。
  6. ^ スポーツ大陸』2009年5月10日(BS-1)、5月11日(総合)放送回
  7. ^ 空中戦勝利数は178回で5位(勝率51.9%)、フリックオン成功数は31回で3位(成功率36%)[15]
  8. ^ 1930年若林竹雄東京帝国大学)が代表デビュー戦で4得点を記録している。
出典
  1. ^ a b c d e 『FC東京ファンブック 2010』 アサヒオリジナル2010年、21頁。
  2. ^ 全日本ユース(U-18)選手権 過去の決勝vol.2 ゲキサカ (2010年9月2日)
  3. ^ a b 大ストライカー出現! 平山U-23デビュー先制弾 サンケイスポーツ (2004年2月9日)
  4. ^ 「セルジオ越後の天国と地獄」『週刊サッカーダイジェスト』2004年5月4日号 133頁
  5. ^ 平山相太、日本サッカー史上最年少の五輪出場 サンケイスポーツ (2004年7月17日)
  6. ^ ワールドユース2005 大熊清監督インタビュー J's GOAL、2005.05.24
  7. ^ FC東京NEWS vol.75 2010年11月号 巻頭インタビュー
  8. ^ 平山オランダ鮮烈デビュー 2得点で逆転勝利 47news (2005年8月20日)
  9. ^ 平山相太、エースの貫禄。 Number Web (2006年1月10日)
  10. ^ 平山の負け惜しみの裏にあるもの。 Number Web (2006年9月20日)
  11. ^ 先発FWサバイバルレース激化 平山『5人抜き』で急上昇 東京中日スポーツ (2007年9月19日)
  12. ^ 平山相太は覚醒するか。 Number Web、2007.08.09
  13. ^ a b 【2008Jリーグヤマザキナビスコカップ】予選リーグ第6節 平山 相太 選手(FC東京)・杉本 恵太 選手(名古屋)ハットトリック達成 Jリーグ (2008年6月8日)
  14. ^ a b 週刊サッカーマガジン No.1276 平山相太「極限への挑戦」』 ベースボール・マガジン社2010年、24-25頁。
  15. ^ Jリーグ ディヴィジョン1 データランキング2009 (Stats Stadium調べ) ひかりTV SOCCER
  16. ^ 石川直宏、プロ10年目の覚醒 ゴール量産を支える“積み上げの美学” スポーツナビ (2009年7月3日)
  17. ^ 平山 決意の今季初ゴール宣言 東京中日スポーツ、2009.06.03
  18. ^ “変身した怪物”平山ついにA代表初招集へ スポーツニッポン (2009年12月16日)
  19. ^ FC東京・平山相太は190cmのファンタジスタか? Number Web、2009.11.10
  20. ^ J1第9節 広島vsFC東京 城福浩監督記者会見コメント J's GOAL、2010.05.01
  21. ^ エドガルド・バウサ監督(キト)記者会見コメント J's GOAL、2010.08.04
  22. ^ FC東京日本勢初V! 目覚めた平山 デイリースポーツ、2010.08.04
  23. ^ J1第27節 FC東京vs新潟 各選手コメント J's GOAL、2010.10.23
  24. ^ 厳しい戦い続くFC東京 平山「気持ちよく打てた」 スポーツニッポン (2010年11月14日)
  25. ^ 【J1:第30節 横浜FM vs F東京】レポート J's GOAL (2010年11月15日)
  26. ^ J1第25節 FC東京vs湘南 各選手コメント J's GOAL (2010年10月3日)
  27. ^ a b “和製イブラ”平山にかかる復活への期待 ブランク乗り越え、けがをする前より強く 1/2 スポーツナビ (2013年4月8日)
  28. ^ FC東京は20年前の志で東京Vに立ち向かえるか スポーツナビ (2011年5月3日)
  29. ^ 平山相太選手の検査結果について FC東京 (2011年4月11日)
  30. ^ “和製イブラ”平山にかかる復活への期待 ブランク乗り越え、けがをする前より強く 2/2 スポーツナビ (2013年4月8日)
  31. ^ 平山 香川から刺激でハット達成!控えの立場「定位置争いは激しいけど」 スポーツニッポン (2013年3月4日)
  32. ^ 平山は3発 ポポ監督にアピール 東京中日スポーツ (2013年3月4日)
  33. ^ 平山2戦5発!! 猛アピール 東京中日スポーツ (2013年3月11日)
  34. ^ 平山 執念ヘッド&1アシスト 東京中日スポーツ (2013年3月25日)
  35. ^ FC東京・平山、760日ぶり先発/ナビスコ杯 サンケイスポーツ (2013年4月4日)

関連項目 [編集]

外部リンク [編集]