鹿砦社

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鹿砦社(ろくさいしゃ)は、日本の出版社。かつては兵庫県西宮市に本社があったが、社長松岡利康の逮捕(後述)で出直しを余儀なくされ、2006年からは東京都千代田区の(自社ビルではなく)雑居ビルに拠点を移している(1969年に創設されてから、松岡が社長に就任するまでの本社所在地でもあり、Uターンしたと言える)。

1980年代までは関連会社「エスエル出版会」と共に新左翼関係の書籍を手がけていたが、その後は「言論の自由表現の自由の限界への挑戦」をモットーに、主としてパチンコ業界、相撲業界、細木数子落合信彦の経歴、ジャニーズなど、他社があえて扱わないようなトピックの暴露ネタを取り上げた図書を多数刊行したことで有名になった。これまでに日本相撲協会大阪市立大学講師、アルゼバーニングプロダクションから名誉毀損で訴えられているほか、ジャニーズ、宝塚歌劇団からもプライバシー侵害で訴えられている(ただし、訴訟総額は週刊現代講談社よりも安く、宝塚歌劇団との示談も2008年3月までの間にスピード成立している)。

また、2005年7月までの間、取材対象者のうち鹿砦社が「正しき者」と認定した者が自らの意思で買い取りに乗り出すという形を借りた、いわゆる「見返り出資」なるものが存在した(後述)。

目次

[編集] 概要

主な定期刊行物

主な書籍

  • 『アルゼ王国の闇』シリーズ

[編集] 名誉毀損訴訟事件

2005年7月12日、社長の松岡利康が名誉毀損の疑いで逮捕された。発行物および ウェブサイトで、パチンコ会社のアルゼプロ野球チーム・阪神タイガースの元職員を中傷したというのが容疑の内容だった。鹿砦社は家宅捜索を受け、業務に必要な書類をことごとく押収されたため、事実上壊滅状態になった。しかし、社員や支援者団体等の尽力で、『紙の爆弾』など一部の刊行物は残った。松岡の保釈は、逮捕からちょうど半年後、時期的に言えばライブドア堀江貴文社長(当時)が逮捕された数日後に認められたのだが、その際、鹿砦社側は「鈴木宗男より早いタイミングで認められたとはいえ、保釈請求(抗告を除く)が4回目でやっと認められているからには、はっきり言って長すぎる」と、司法当局に対して不快感をあらわにしている。検察は松岡に懲役1年6ヶ月を求刑した。

これに関連してアルゼのライバル会社であるSNKプレイモアが『アルゼ王国の闇』シリーズなどを買い取り、関連団体などに配布していたとして捜索を受けている(前身会社であるSNKの倒産の真相および対アルゼ裁判の行方を一社独占スクープの形で報道したことへの見返りと言うことができ、これによって当時の売上が2割増えている)。また松岡の有罪確定後の2007年7月27日にはアルゼから訴訟提起された(おなじく『アルゼ王国の闇』シリーズを買い取り、配布していたサミーも訴訟提起されている)。

第二次世界大戦後では、出版社やその責任者が名誉毀損として刑事訴訟の対象となるのは異例で、他には 1976年の『月刊ペン』事件、1995年の『噂の真相』事件しかなく、本件で3例目である。鹿砦社側は「言論の自由表現の自由を侵害する弾圧、もとい治安維持法を60年の眠りから蘇らせようとする暴挙が生んだ冤罪であり遺憾」として無罪を主張した。

しかし「私たちの取材活動は少なくとも欧米のメディアにしか見向きもされなかった(『紙の爆弾』2005年9月号の特集記事から)」という独白文が示すように、民放や主要新聞社をはじめとするマスメディアの扱いは無視に近いもので(特に、NHKは、この出来事については、関西ローカルニュースのみでの扱いだった。また、神戸地方裁判所の駐車場に傍聴希望者の行列ができたことでも知られる初公判についても、鹿砦社自身がアルゼ関連の民事裁判事件を取材した時と同様に「一社独占スクープ」が成立していたと言ってもよかった)、元 『噂の真相』編集長の岡留安則も、「不当逮捕である」との声明は出したものの、『紙の爆弾』で激しい批判的な記事を書かれていたため、全体として冷淡な態度を取った。このように、普段「タブーなきスキャンダリズム」と称し、多くの執筆者らの暴露記事・批判記事を単行本や雑誌で掲載していたことが、この出版社の報道姿勢への反感を招き、いざ立件となると大手メディアや多くの執筆者から距離を置かれたり、その彼らから手のひらを返したかのように総攻撃を受ける側に回るなど、いわゆる「村八分」を受ける原因となったと評価する声もある(そうなった背景として、無視もしくは総攻撃に回った者たちは共謀罪の適用を恐れて、というよりはスピード成立を先取りしていたのではないかとの意見も存在する)。また、容疑の一つとなった阪神スカウト転落死事件の記述について、実際の筆者となった阪神側のスカウトの娘(松岡の共犯とされたが、分離公判となり、懲役8ヶ月を求刑された)は、証人尋問などにおいて温情判決を狙い松岡に不利となるような証言を繰り返して減刑嘆願するなど、松岡を売る態度を見せた。

神戸地方裁判所の佐野哲生裁判長は、遺族の娘に懲役8ヶ月(2006年6月7日付)、松岡に懲役1年2ヶ月(同年7月4日付)、2人に共通して執行猶予4年の有罪判決を下した(判決文を読み上げる時、佐野裁判長の口調は異常にしどろもどろだったという)。判決では「表現の自由に名を借りた言葉の暴力と言わざるを得ない」、「被告の行為は公共性、公益性を著しく軽視したものだ」とアルゼ側の言明・主張を完全に認めたものとなっている。また、事実認定は、阪神スカウト事件の記事については「立証されていない」としたが、アルゼ事件の記事については押収した証拠に依拠しただけで初めから行っていない(この一審判決において「阪神スカウト事件の記事の方のみ公共性、公益性が認められている」としている事実から、「発行物やその記事について公共性、公益性が認められるかどうか」を事実認定を行うかどうかの判断基準としたらしい)。7月12日、松岡のみが冤罪を信じて控訴したものの、2007年2月27日大阪高等裁判所は一審判決を完全に支持(公判が即日結審したことでも有名。公共性、公益性が認められた阪神スカウト転落死の記事の事件に限って事実認定をしたことも含む)。松岡は翌日に上告したが、同年6月25日最高裁判所は、一審・二審判決を完全に支持し、松岡の有罪が確定した。

ちなみに松岡は、一審判決の主文に対して「たとえ冤罪とはいえ、名誉毀損事件の厳罰化を痛感した」と『紙の爆弾』など各誌の取材にコメントしているが、上訴審での説諭において「別に厳罰に処してはいないので、別に針小棒大に言うことではない」と一蹴されたというエピソードがある。

[編集] 関連項目

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