塩見孝也
| 塩見 孝也 | |
|---|---|
| 生年: | 1941年5月22日(70歳) |
| 生地: | |
| 思想: | マルクス主義 |
| 活動: | 新宿騒擾事件ほか |
| 所属: | (関西ブント→) (第二次共産主義者同盟→) (関西派→) (共産主義者同盟赤軍派→) (赤軍派プロ革派→) (日本社研→) ぱとり・自主日本の会 |
| 投獄: | 府中刑務所(懲役18年) |
| 現職: | 駐車場管理員 |
塩見 孝也(しおみ たかや、1941年5月22日 - )は、日本の新左翼活動家。元赤軍派議長、最高指導者。「日本のレーニン」と呼ばれた。
目次 |
[編集] 来歴
1941年、広島県尾道市で出生。1962年、京大文学部入学。
[編集] 活動
京大在学中から「ブント」の活動家となり、京都府学連書記長、社学同書記長と幹部となる。
しかし1969年、それまでのブントの活動に飽きたらず、「これまでの闘争方針では70年闘争を闘いきれない。受動的な階級闘争論では展望が開けず、能動的な攻撃型の階級闘争こそが必要である」と武装闘争を主張する。 さらぎ徳二らの関東派と対立の結果、決別し、いわゆる関西ブントを中心に「共産主義者同盟赤軍派」を結成し、その議長に就任した。
メンバーは京大、同志社大、立命館大を中心に400人で、軍事委員長は大阪市大の田宮高麿である。
同年秋には具体的な実行として、大阪、東京で交番・パトカーなどを襲撃した大阪戦争、東京戦争等を指揮する。
しかし11月に「大菩薩峠事件」の失敗で主要幹部を含む53人が逮捕され、大きな打撃を受ける。
その後、「一国内の闘争には限界がある。労働者国家(キューバ)を根拠地とし、そこで軍事訓練を行った革命軍を各地に送って、武装蜂起を図り「世界共産主義革命」を実現すべき」という「国際根拠地理論」を提唱した。
1970年、「フェニックス作戦」と名づけたハイジャックを計画。下見を重ね具体的な計画を作成。実行部隊のメンバーを決定し同年3月後半の実施を決定したが、寸前の3月15日警察に逮捕された。しかし塩見の逮捕を知った実行部隊は、善後策を協議し既定方針どおりハイジャックを決行。3月31日、田宮高麿をリーダーとする9名が、羽田空港で日本航空機・よど号をハイジャックし北朝鮮に亡命した(よど号ハイジャック事件)。
塩見は爆発物取締法、よど号事件の共謀共同正犯、破防法などで起訴される。法廷闘争の中、1972年の連合赤軍事件以来分裂状態にあった赤軍派に対し1974年に赤軍派(プロレタリア革命派)を結成。その後プロ革派は分裂し、塩見派は1979年に日本社会科学研究所(マルクス・レーニン主義、毛沢東思想)を結成。1980年、懲役18年の判決が出され、1982年刑が確定。府中刑務所に収監され、結局19年9ヶ月の獄中生活を送り、1989年12月出所。
[編集] 現在
ぱとり・自主日本の会を主宰し、定期的に都内で集会を開くなどの活動を行っている。出所後は何度も渡朝し田宮(1995年死亡)らと再会。また近年、民族主義を唱え一水会らと共に「国の日集会」(毎年9月2日開催)を開いたり、よど号事件実行犯が日本人拉致に関与しているかのような発言を行い、物議を醸している。
だが先に挙げた民族主義に関しては彼なりの過去の内ゲバに対する反省点と愛郷心から来ており同じ革命を目指す者同士なら左右問う事無く解決すべきであるという理念が伺える。
ちなみに塩見自身は、新宿騒擾事件については刑事責任を問われうる範囲内であるも、ハイジャックについては無罪であるとの主張を、現在においても唱えている。
赤軍派や日本赤軍については、反省すべき点はあるとしつつも基本的に肯定的に評価している。一方で連合赤軍(特に山岳ベース事件)については全否定しており、自身や赤軍派とは何の関係も無いと主張している。一方で、山岳ベースでの同志殺害をもたらした連合赤軍の暴力的体質や「共産主義化」の理論は赤軍派や塩見のものに他ならない、との批判が関係者からなされることもある[1]。
[編集] エピソード
- PANTAは「塩見さんもちょっと露出のしすぎかなと思う。赤軍の頃は本当にすごくて、私らにとっては雲の上の人だったんですから」と話している[2]。
- 最近では自身の高齢に伴う身体の衰えを実感し、地元の東京都清瀬市シルバー人材センターの紹介により清瀬市所有の駐車場管理員(隣は西友の駐車場)の仕事を時給950円にて紹介してもらい、本人も「66歳にして労働の意義を知る」と自身のHP内や週刊新潮(2008年5月1・8日号)等でその充実ぶりを語り、それ以前の生活費は仲間からの援助や労組からのカンパ(たかり)だったと語った。だが経緯が経緯なだけに形式的には現在も反権力を唱える革命家が、現権力体制の保護を受けているという現状批判の声もある[要出典]。
- mixiにて、HN「預言者」として活動中[3]。なおそのネームバリューゆえにコメント欄にて議論となる事も多いが、見解の相違する相手とは話し合う必要すらないと言う姿勢のもと、抽象化された単語で飾った文章で本質に一切答えず一方的に対話を打ち切るスタンスが良く見られる(mixiにおいて批判派の言い分より)。
- 「誠のサイキック青年団」(ABCラジオ)にゲスト出演、番組内で闘争による革命の必要性を説くが、収録後の打ち上げで「少し言い過ぎたかな」と肩を落とす。
- 彼自身、こう云った運動する為にはインターネットが必須と考えて折、65歳を過ぎても自身でネットを使い政治活動をしている。
- 飲み会の席では必ず割勘を貫き通し、殆ど他人には奢らない
[編集] 著書
- 過渡期社会論 酒井隆樹共著 共産主義者同盟赤軍派(プロ革)編 査証出版 1975
- 一向過渡期世界論の防衛と発展のために 査証出版 1975
- 封建社会主義と現代—塩見孝也獄中論文集 塩見孝也救援会,高沢皓司編 新泉社1988
- いま語っておくべきこと 現代資本主義論と社会主義論 革命的左翼運動の総括 川島豪対談 新泉社 1990
- 「リハビリ」終了宣言—元赤軍派議長の獄中二十年とその後の六年半 紫翠会出版 1996
- さらば赤軍派 私の幸福論 オークラ出版 2002
- 赤軍派始末記 元議長が語る40年 彩流社 2003
- 監獄記—厳正独房から日本を変えようとした、獄中20年。 オークラ出版 2004
- その他
- サイキック10年ファイル 1988 - 1998 (座談会)青心社 1998年8月、ISBN 4878921528)
- 参考文献
- よど号と拉致 /NHK報道局 NHK出版 2004