重信房子

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重信 房子
生年: 1945年9月3日
思想: マルクス主義
活動: テロリズム
所属: 日本赤軍
投獄: 東京拘置所
裁判: 懲役20年 (上告中)
  

重信 房子(しげのぶ ふさこ、1945年9月3日 - )は、テロ組織日本赤軍の最高指導者及びテロリスト東京都生まれ。本名:奥平房子(旧姓:重信)。

目次

[編集] 経歴

四元義隆とは同郷の同志の鹿児島県出身で、戦前の右翼血盟団のメンバーであった重信末夫が父親である房子は、赤ん坊の頃、血盟団そして後の護国団 (日本)の指導者の井上日召の膝に抱かれたことがあるといわれている。父親は、雑誌のインタビューに対して「娘は立派な右翼です」と答えたといわれている。

東京都立第一商業高等学校卒業後、キッコーマンで働きながら明治大学文学部史学地理学科(二部日本史学)に通った。この時、学費値上げに絡んで学生運動に参加。この際、後に連合赤軍山岳ベース事件でリンチ殺人の犠牲となった遠山美枝子神奈川県立横浜緑ヶ丘高等学校卒。二部法学部、麒麟麦酒勤務)と知り合う。

赤軍派に入るも、塩見孝也ら幹部が逮捕され弱体化する中で主導権を握った森恒夫と対立。1971年に国際根拠地論に基づいて、パレスチナ赤軍派の海外基地を作ろうとする。奥平剛士偽装結婚(奥平剛士は1972年5月、民間人ら100人以上を殺傷したテルアビブ空港乱射事件のテロ行為で死亡)をし、奥平房子という戸籍を得て、2月28日出国。

パレスチナで日本赤軍を発展的に結成。拠点をアラブに移し、パレスチナ解放機構と合流し、革命運動を指揮した。パレスチナ人男性結婚

秘密裏に帰国中の2000年大阪府高槻市にて逮捕監禁容疑で逮捕される。押収した資料から1991年から日本での武力革命を目的とした「人民革命党」及びその公然活動部門を担当する覆面組織「希望の21世紀」を設立していたこと、またその足がかりとして社会民主党(旧日本社会党)との連携を計画していたことが判明する。

移送先の警視庁の女性留置場で囚人組合を結成し、オルガナイザーぶりを発揮するものの、2001年には獄中から日本赤軍解散を発表している。

2009年6月、初めて新聞メディアのインタビューに応じ、過去の活動について「世界を変えるといい気になっていた。」と語った。一方で「運動が行き詰まったとき、武装闘争に走った。世界で学生運動が盛り上がっていたが、故郷に戻り、運動を続けたところもあった。私たちも故郷に戻って運動を続けていれば、変わった結果になったかもしれない」と自責の念にも駆られていたとも述べた[1]

[編集] ハーグ事件裁判

東京地方裁判所(裁判長・村上博信)は2006年2月23日、「(ハーグ事件は)パリ当局に逮捕されたメンバー(山田義昭)を奪還するために日本赤軍が主導した事件。重信被告はパレスチナ解放人民戦線 (PFLP)に武器調達を依頼するなど重要な役割を担っていた」と指摘。さらに「身代金30万ドルが日本赤軍に入ったこと」、「共謀の詳しい内容や時期、場所は明らかではないが、被告がアラブ諸国の協力組織を介するなどして実行犯と共謀した」と認定し、ハーグ事件について監禁殺人未遂共謀共同正犯)などで懲役20年の有罪判決を受けた。判決理由はその一方で、中核的立場を担ったものの犯行を主導したと断言できないとし、検察が求刑していた無期懲役を退けた。重信は判決後の法廷で、ガッツポーズをみせ「がんばります」と傍聴席に声をかけた。

弁護側は、ハーグ事件当時、日本赤軍が組織体制を確立しておらず、PFLPの作戦であったから重信が指示・指導する立場ではなかったうえ、謀議があったとされる時期にはリビアにいたと主張しており、「事実を事実として検証せず、権力に迎合する不当な判決だ」と批判した。

控訴審ではフランスで終身刑を受けている国際テロリストだったカルロス受刑者がハーグ事件の指揮系統や武器提供の経緯の供述を弁護側と検察側双方が面会して証言を得て裁判所に提出された。

娘の重信メイと主任弁護人大谷恭子は同日、司法記者クラブで記者会見した。メイは「母が何度もこぶしを上げていたのは『これからも頑張る』という意味。今日の判決は最後ではなく、戦いの始まり」と表明。大谷も、「推測に推測を重ねた不当判決。共謀共同正犯の認定は慎重に検討しなければならないという刑事裁判の鉄則を無視したもので、納得できない」と判決を強く非難し、ただちに控訴する方針を明らかにした。

2007年12月20日、東京高等裁判所は一審判決を支持し、控訴棄却。重信は上告した。

[編集] その他

八尾恵(よど号グループ柴田泰弘の妻)の『謝罪します』には、1970年代後半に北朝鮮に在住し始めた時の夫の柴田のアルバムに、日本赤軍の重信房子がチマチョゴリを着て2歳くらいの娘と一緒の写真があったと書かれており、重信とよど号グループとの関係が指摘されている。

[編集] 関連する作品

『赤軍-PFLP・世界戦争宣言』
カンヌ国際映画祭の帰途で足立正生若松孝二の両監督が、レバノンベイルートに滞在する重信とPFLPの協力を得て撮影した映画。若松プロダクション製作の1971年ドキュメンタリー作品。監督は足立と若松の共同で行ない、重信は両監督とともにPFLPの日常をルポし、日本語版作品の音声も担当している。2007年ニュープリント上映された。
『オリーブの樹の下で』
ロックヴォーカリストパンタがアコースティックユニット「響」の作品として、2007年8月に発表したアルバム。アルバム中の歌詞は重信房子とパンタとの往復書簡を利用して作詞されている。娘の重信メイが、「母への花束」の作詞を、またLeila's Ballade (『ライラバラード』)で英語訳詞も担当している。

[編集] 文献

[編集] 著書

  • 1974年 『わが愛わが革命』講談社、[1]
    • パレスチナ解放闘争史: p.260 - 263
  • 1983年1月 『十年目の眼差から』話の特集、ISBN 4826400667
  • 1984年7月 『大地に耳をつければ日本の音がする 日本共産主義運動の教訓』ウニタ書舗、ISBN 4750584096
  • 1984年10月 『ベイルート1982年夏』話の特集、ISBN 4826400829
  • 1985年12月 『資料・中東レポート』1(日本赤軍との共編著)、ウニタ書舗、[2]
  • 1986年4月 『資料・中東レポート』2(日本赤軍との共編著)、ウニタ書舗、[3]
  • 2001年4月 『りんごの木の下であなたを産もうと決めた』幻冬舎、ISBN 434400082X
  • 2005年7月 『ジャスミンを銃口に 重信房子歌集』幻冬舎、ISBN 4344010159

[編集] 関連文献

  • 2002年5月 重信メイ著『秘密 パレスチナから桜の国へ母と私の28年』(講談社) - ISBN 4062108593
  • 2003年2月 重信メイ著『中東のゲットーから』(ウェイツ) - ISBN 4901391313
  • 2007年 婦人公論: 島﨑今日子『重信房子 この空を飛べたら』
    • (1)「父の娘」(2007年11月22日号)【抜粋@婦人公論公式サイト】
    • (2)「青春の闘争」(2007年12月7日号)
    • (3)「運命の同志」(2008年1月7日号)
    • (4)「戦火に生きて」(2008年1月22日号)
  • 2008年 「重信房子氏に聞く(上) 60年代・70年代を検証する 全共闘の魂はアラブを駆け巡った」(『図書新聞』第2885号 2008年09月13日、聞き手・小嵐九八郎)【冒頭@『図書新聞』公式サイト】、「重信房子氏に聞く(下)」(『図書新聞』第2886号 2008年09月20日、聞き手・小嵐九八郎)

[編集] 関連項目

[編集] 脚注

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  1. ^ 【さらば革命的世代】番外編 テロリストの女王・重信房子被告に聞く産経新聞2009年6月25日
  2. ^ 朝日シネマ倶楽部: 一回、一瞬 すべてを込める 俳優 伴杏里(2008/4/7夕刊be ブレイク5秒前)

[編集] 外部リンク