重信房子

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重信 房子
生誕 1945年9月3日(64歳)
Flag of Japan.svg 日本 東京都
職業 日本赤軍元最高指導者
  

重信 房子(しげのぶ ふさこ、1945年9月3日 - )は、日本テロリスト。元日本赤軍の最高指導者。本名:奥平房子(旧姓:重信)。

目次

[編集] 経歴

[編集] 生い立ち

東京都生まれ。父親は、四元義隆とは同郷の同志の鹿児島県出身で、戦前の右翼血盟団のメンバーであった重信末夫。東京都立第一商業高等学校卒業後、キッコーマンで働きながら明治大学文学部史学地理学科(二部日本史学)に通った。

[編集] 学生運動

この時、学費値上げに絡んで学生運動に参加した。この際、後に連合赤軍山岳ベース事件でリンチ殺人の犠牲となった遠山美枝子(二部法学部、麒麟麦酒勤務)と知り合う。その後赤軍派に入るも、塩見孝也ら幹部が逮捕され弱体化する中で主導権を握った森恒夫と対立した。

[編集] 日本赤軍

1971年に「国際根拠地論」に基づいて、パレスチナ赤軍派の海外基地を作ろうとする。奥平剛士偽装結婚(奥平剛士は1972年5月、民間人ら23人を殺害、計100人以上を無差別殺傷したテルアビブ空港乱射事件のテロ行為で死亡)をし、「奥平房子」という戸籍を得て2月28日に出国した。なお重信は、後にパレスチナ人男性結婚した。

その後パレスチナで日本赤軍を結成する。創設当初は「アラブ赤軍」、「赤軍派アラブ委員会」、「革命赤軍」等と称し、その名称さえきちんと定まっていなかったが、1974年以降、「日本赤軍」を正式名称とした。

重信が「最高指導者」となった日本赤軍は、レバノンベカー高原を主な根拠地に、「革命運動」を自称し1970年代から1980年代にかけて、パレスチナ解放人民戦線(PFLP)などパレスチナの極左過激派と連携し、一連のハイジャック空港内での乱射事件などの無差別殺人を起こした。さらに外国公館の政府要人やハイジャックした飛行機の乗客を人質に取って、身代金や仲間の奪還を目論む事件を起こしたり、外国公館に攻撃をするなど、民間人をも巻き込んだ卑劣なテロ事件を繰り返した。

[編集] 逮捕

その後重信は「ハーグ事件」への関与で国際指名手配を受けたものの、逃亡を続けた。その後、不法に入手した偽造パスポートを使って日本に帰国。2000年に重信が日本の大阪府高槻市に潜伏しているとの情報が警察に入ってきた。重信はホクロが特徴となっていたが、化粧でホクロを隠していた。内偵する内に、特有のタバコの吸い方から重信本人と突き止めた。11月に潜伏していた高槻市で旅券法違反容疑で警視庁公安部によって逮捕される。なお、大阪から警視庁への移送には東海道新幹線が用いられ、当時運用されていた100系で移送された。その際は逃亡を防止する為グリーン車の個室に閉じ込めての移送となった。押収された偽造パスポートには、1997年12月から2000年9月には自らが他人になりすまして旅券を取得し、関西国際空港から計16回にわたって中華人民共和国などに出入国を繰り返したことが確認されている。

逮捕の際に押収された資料により、1991年から日本での「武力革命」を目的とした「人民革命党」及びその公然活動部門を担当する覆面組織「希望の21世紀」を設立していたこと、またそれを足がかりとして社会民主党(旧日本社会党)との連携を計画していたことが判明したと新聞等で報じられた。

なお、「希望の21世紀」は同事件に関連し警視庁と大阪府警の家宅捜索を受けたが、日本赤軍との関係を否定している。社民党区議の自宅なども「希望の21世紀」の関連先として同時に捜索を受けたが、社民党は「何も知らなかったが事実関係を調査する」とした。

[編集] 解散

2001年には獄中から日本赤軍の解散を発表している。2009年6月に、初めて産経新聞のインタビューに応じ、過去の活動について「世界を変えるといい気になっていた」と語った。一方で「運動が行き詰まったとき、武装闘争に走った。世界で学生運動が盛り上がっていたが、故郷に戻り、運動を続けたところもあった。私たちも故郷に戻って運動を続けていれば、変わった結果になったかもしれない」と自責の念にも駆られていたとも述べた[1]

[編集] ハーグ事件裁判

1974年9月13日に、日本赤軍がフランス当局に逮捕されたメンバー(山田義昭)を奪還するために、オランダハーグで起こしたフランス大使館占拠事件、いわゆる「ハーグ事件」への関与をめぐり起訴され、東京地方裁判所2006年2月23日に、「重信被告はパレスチナ解放人民戦線(PFLP)に武器調達を依頼するなど重要な役割を担っていた」と指摘。さらに「身代金30万ドルが日本赤軍に入ったこと」、「共謀の詳しい内容や時期、場所は明らかではないが、被告がアラブ諸国の協力組織を介するなどして実行犯と共謀した」と認定し、ハーグ事件について監禁殺人未遂共謀共同正犯)などで懲役20年の有罪判決を受けた。

判決理由はその一方で、「中核的立場を担ったものの犯行を主導したと断言できない」とし、検察が求刑していた無期懲役を退けた。重信は判決後の法廷で、ガッツポーズをみせ「がんばります」と傍聴席に声をかけた。なお重信の弁護側は「ハーグ事件当時、日本赤軍が組織体制を確立しておらず、PFLPの作戦であったから重信が指示・指導する立場ではなかったうえ、謀議があったとされる時期にはリビアにいた」と主張しており、娘の重信メイと主任弁護人大谷恭子は同日司法記者クラブで記者会見し判決を非難し、ただちに控訴した。

控訴審では弁護側と検察側双方が、1970年代から1980年代にかけ世界各国でテロ事件を起こし、フランスで終身刑を受けているテロリストの「カルロス」受刑者から、「ハーグ事件」の指揮系統や武器提供の経緯についての証言を得て、裁判所に提出された。2007年12月20日に東京高等裁判所は一審判決を支持し、控訴棄却。重信は上告した。

[編集] その他

八尾恵よど号グループ柴田泰弘の元妻)の『謝罪します』には、「1970年代後半に北朝鮮に在住し始めた時の夫の柴田のアルバムに、日本赤軍の重信房子がチマチョゴリを着て2歳くらいの娘と一緒の写真があった」と書かれており、重信とよど号グループとの関係が指摘されている。

[編集] 関連する作品

『赤軍-PFLP・世界戦争宣言』
カンヌ国際映画祭の帰途で足立正生若松孝二の両監督が、レバノンベイルートに滞在する重信とPFLPの協力を得て撮影した映画。若松プロダクション製作の1971年ドキュメンタリー作品。監督は足立と若松の共同で行ない、重信は両監督とともにPFLPの日常をルポし、日本語版作品の音声も担当している。2007年ニュープリント上映された。
『オリーブの樹の下で』
ロックヴォーカリストパンタがアコースティックユニット「響」の作品として、2007年8月に発表したアルバム。アルバム中の歌詞は重信房子とパンタとの往復書簡を利用して作詞されている。娘の重信メイが、「母への花束」の作詞を、またLeila's Ballade (『ライラバラード』)で英語訳詞も担当している。

[編集] 文献

[編集] 著書

  • 1974年 『わが愛わが革命』講談社、[1]
    • パレスチナ解放闘争史: p.260 - 263
  • 1983年1月 『十年目の眼差から』話の特集、ISBN 4826400667
  • 1984年7月 『大地に耳をつければ日本の音がする 日本共産主義運動の教訓』ウニタ書舗、ISBN 4750584096
  • 1984年10月 『ベイルート1982年夏』話の特集、ISBN 4826400829
  • 1985年12月 『資料・中東レポート』1(日本赤軍との共編著)、ウニタ書舗、[2]
  • 1986年4月 『資料・中東レポート』2(日本赤軍との共編著)、ウニタ書舗、[3]
  • 2001年4月 『りんごの木の下であなたを産もうと決めた』幻冬舎、ISBN 434400082X
  • 2005年7月 『ジャスミンを銃口に 重信房子歌集』幻冬舎、ISBN 4344010159
  • 2009年7月 『日本赤軍私史 パレスチナと共に』河出書房新社、ISBN 978-4309244662

[編集] 関連文献

  • 2002年5月 重信メイ著『秘密 パレスチナから桜の国へ母と私の28年』(講談社) - ISBN 4062108593
  • 2003年2月 重信メイ著『中東のゲットーから』(ウェイツ) - ISBN 4901391313
  • 2007年 婦人公論: 島﨑今日子『重信房子 この空を飛べたら』
    • (1)「父の娘」(2007年11月22日号)【抜粋@婦人公論公式サイト】
    • (2)「青春の闘争」(2007年12月7日号)
    • (3)「運命の同志」(2008年1月7日号)
    • (4)「戦火に生きて」(2008年1月22日号)
  • 2008年 「重信房子氏に聞く(上) 60年代・70年代を検証する 全共闘の魂はアラブを駆け巡った」(『図書新聞』第2885号 2008年09月13日、聞き手・小嵐九八郎)【冒頭@『図書新聞』公式サイト】、「重信房子氏に聞く(下)」(『図書新聞』第2886号 2008年09月20日、聞き手・小嵐九八郎)

[編集] 関連項目

[編集] 脚注

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  1. ^ 【さらば革命的世代】番外編 テロリストの女王・重信房子被告に聞く産経新聞2009年6月25日
  2. ^ 朝日シネマ倶楽部: 一回、一瞬 すべてを込める 俳優 伴杏里(2008/4/7夕刊be ブレイク5秒前)

[編集] 外部リンク