新幹線100系電車

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国鉄/JR東海/JR西日本
100系新幹線電車
100系新幹線電車(2003年撮影)
100系新幹線電車(2003年撮影)
編成 4両(4M / P編成)
6両(6M / K編成)
12両(10M2T / 暫定G編成)
16両(12M4T / X・G・V編成)
起動加速度 1.6 km/h/s[1]
1.4 km/h/s(V編成)
営業最高速度 220 km/h
230 km/h(V編成)
設計最高速度 275 km/h
減速度 2.6 km/h/s(常用最大)
編成定員 X編成 - 計1,277名(124名)
暫定G編成 - 計1,031名(68名)
G編成 - 計1,321名(168名)[1]
V編成 - 計1,285名(126名)
K編成 - 計394名
P編成 - 計250名
()内はグリーン車
編成長 402.1 m(X・G・V編成)[1]
152.1 m(K編成)
102.1 m(P編成)
全長 26,050 mm(先頭車)[1]
25,000 mm(中間車)[1]
全幅 3,383 mm
全高 4,490 mm
車体長 25,800 mm(先頭車)
24,500 mm(中間車)
車体高 4,000 mm(平屋車両)[1]
4,490mm(2階建て車両)
編成質量 838.5t(X編成)
839.2t(G編成)
851.8t(V編成)[2]
214.6t(P編成)
軌間 1,435mm
電気方式 交流25,000V 60Hz
主電動機 直流直巻電動機MT202(230kW)
WMT202(230kW/V編成)[3]
編成出力 230kW×48 = 11,040kW(X,G,V編成)[4]
230kW×24 = 5,520kW(K編成)
230kW×16 = 3,680kW(P編成)
歯車比 2.41[1]
2.17(V編成)[1]
制御装置 サイリスタ位相制御[4]
駆動装置 WN平行カルダン駆動方式
台車 IS式ダイレクトマウント空気ばね台車
(W)DT202(電動車)
(W)TR7000(付随車)
ブレーキ方式 発電ブレーキ併用粘着パターン制御[4]電気指令式空気ブレーキ電動車[1]
渦電流ブレーキ併用粘着パターン制御[4]電気指令式空気ブレーキ(付随車[1]
保安装置 ATC-1型
製造メーカー 川崎重工業
日本車輌製造
日立製作所
近畿車輛
東急車輛製造
備考
Wikipedia laurier W.png
第26回(1986年
ローレル賞受賞車両

カテゴリ / テンプレート

新幹線100系電車(しんかんせん100けいでんしゃ)とは、日本国有鉄道(国鉄)と東海旅客鉄道(JR東海)、西日本旅客鉄道(JR西日本)が設計、製造した東海道・山陽新幹線の二世代目の車両である。

目次

[編集] 概要

1964年東海道新幹線開業時から製造されていた0系は、開業当時から運用されている車両において、列車同士のすれ違いやトンネルの出入りで生じる気圧差の繰り返しによる金属疲労が発生し、これにより気密構造を維持できなくなってきたほか、数々の経年不良が相次いで見つかった。初めて設計された新幹線車両であったので、在来線車両より早く老朽化が進行する事態は当初には予期できなかったことであった。国鉄は0系を廃車にする基準を製造後13年とし、古い0系を新たに製造した0系で置き換えることが数年間続いた。0系の増備が急速に進んだ結果、編成中で車両の経年がまちまちになり、既存の車両と混成・編成替えを行う都合などから互換性を配慮する必要もあった為とされる。

0系は何度かマイナーチェンジはされているものの、基本となるデザイン・内装は1964年の登場当初のままであった。そのため旅客から車両の陳腐化と映り、また技術が進化するとともに新幹線車両に起こりうる事象がある程度把握できたこともあった。1980年代後半には新幹線博多開業時に編成単位で大量増備された車両が取替え時期を迎えるにあたって、モデルへチェンジの機運が高まり、100系はこれらを改善するために、主に内装を中心にモデルチェンジを行い、1985年10月から1992年までに合計1,056両が製造・投入された。内装や技術面で、これ以降生産される新幹線車両に搭載される設備・技術も数多い。

100系の最終増備編成であるG46編成より300系の量産車第1号であるJ2編成が先に落成した[5]が、G46編成が先に廃車になった。

2003年9月16日に東海道新幹線から撤退し、現在は山陽新幹線において4・6両の短編成にした上で「こだま」用車両として運用に就いている。

100系は0系のモデルチェンジ車であるので、ここでは主に0系との相違点を中心に述べる。

[編集] 構造

[編集] 車両外観

シャープなフロントマスク

先代である0系との最大の違いは、そのフロントマスクと2階建車両の存在である。フロントマスクは、騒音空気抵抗の低減を図るために、鋭角にした前頭部から徐々に断面積を大きくしてゆく「流線型」とし、前照灯内のライト配置を0系の縦2灯から横2灯に変更して、横に細長い形に変えた。また、運転台の窓と車体の段差は極力小さくなり、0系では開閉可能であった側窓も固定化され、極力平滑化された。これにより、走行抵抗を0系比70パーセントに軽減することができた[6](220km/h走行時で、0系は約120kN、100系は約80kN[6])。なお、試作車は前照灯に角度がついているためツリ目形状であったが、量産車は角度が小さくなっている。これらの形状から「シャークノーズ(サメ鼻)」とも呼ばれる。前照灯の間にある中央の丸い部分は、非常用の連結器が収納されている。足元はスカートで覆われ、内部には何重ものアルミ板を重ねた排障器がある。また、空調装置の室外機は200系と同様に天井車端に一括配置された。車体は0系と同じく普通鋼製である。

客室窓は、9000番台の(X0→)X1編成は0系1000,2000番台と同じく小窓だが、量産編成は0系0番台と同じく2列に1つの窓である大窓が採用されている。

[編集] 塗装

オリジナルの塗装は、車体はパールホワイト、窓周りがブルーの塗りわけである。また、ブルー塗装の下には、ピンストライプが追加されている。JR西日本所属のK・P編成の塗装の変更については#K・P編成を参照。

NSマーク

国鉄時代には「New Shinkansen」の愛称を与えられ、2階建車両の車体にこれを意匠した赤色のマーク(NSマーク)が標記されていた[7]が、1987年分割民営化後は、代わりにJRマークが貼付された。なお、JR東海所属車については、後に1・8・15号車の車両番号横にJR東海のコーポレートカラーであるオレンジ色(JR西日本へ譲渡された編成は青色)の小さなJRマークに貼り替えられた。JR西日本所属車(V編成)は1・15号車のトイレ区画、8号車のNSマークが標記されていた箇所にJRマークが貼付されていたが、幾分小さくなっている。

[編集] 台車

電動車台車はDT202、付随車台車はTR7000と呼称され(いずれもJR西日本の場合は頭に「W」を付す)、0系のDT200と同じくIS式軸箱支持装置、枕バネを採用している。コスト削減のため、DT202とTR7000の台車枠は共通のものが用いられ、車輪径は910mm、輪距は2,500mm、重量は9,800kg(DT202)9,225kg(TR7000)となっている[8]

乗り心地向上を目指し、DT200と比較して、左右の振動の減衰に関係してくる空気ばねの横剛性は1.33倍、左右動ダンパー減衰係数も1.5倍となっている[8]。また、車輪のレール接触面の形状を円弧にし、軸箱の強度もDT200の2倍とすることで、フランジの磨耗を防いでいる[8]

[編集] 集電装置

PS202型パンタグラフと特高圧引き通し線(K58編成)

パンタグラフは0系から引き続き下枠交差型が採用された。PS202型と呼称される。200系と同様に集電舟(架線と接触する部分)が可動式となったことにより、架線追従性が向上。0系に比べて離線率を20%減少させることができた[9]

0系では各ユニットに1基、つまり16両で8基のパンタグラフを設置しており走行時の騒音源となっていた。100系でも当初は各電動車ユニットごと、16両編成で6基のパンタグラフ(X・G編成は2・4・6・10・12・14号車、V編成は2・4・6・12・14・16号車)を使用していたが、1991年の東海道新幹線のATき電化により3基(2・6・12号車)に半減された。ただし、V編成は4基(4・6・12・14号車)搭載で、6号車は予備扱いで使用されなかった。これは天井に這わせた高圧ケーブルによる特高圧引き通しを実施し、パンタグラフのないユニットへの主電動機への電力供給も可能になったためで、この方法は以降新製される新幹線全車両に採用されている。K編成は2・6号車に、P編成は2・4号車に2基搭載している。パンタグラフカバーは、X・G編成ではパンタグラフを四方から囲む形だったが、V・K・P編成では車両サイドに小さな遮蔽板を設ける程度となっている。

[編集] 電源・制御機器

Thyristor phase control ja.png
サイリスタ位相制御(4分割)の回路(上)と動作(下)。サイリスタT1からT4まで順に位相制御し、電圧を連続制御する。
サイリスタ位相制御(4分割)の回路(上)と動作(下)。サイリスタT1からT4まで順に位相制御し、電圧を連続制御する。

力行制御は0系の低圧タップ制御に替えて、半導体素子を用いたサイリスタ位相制御が採用されている[10]。これは200系から採用されたものであるが、東海道・山陽新幹線では積雪時の空転に対する配慮が岐阜滋賀県境の関ヶ原付近を除いて不要なため素子数を減らした(100系:等4分割、200系:不等6分割)ものが採用されている[10]。主電動機(MT202。JR西日本の場合は頭に「W」を付す)は直流直巻式であるが、0系のものに比べて軽量で高出力となった。主電動機も含めて床下機器の冷却方法が0系の自己通風式から強制通風式となり、冷却用のファンが搭載された[10]。床下の平滑化による騒音の低減と着雪障害の防止のため床下機器を収納する簡易ふさぎ板が設けられた。

0系と同じくMM'ユニットを採用し、M車には主制御器と抵抗器が、M'車には主変圧器・整流装置・補助電源装置・空気圧縮機(16両編成時の2,6,12,14号車のみ)・集電装置(一部車両除く)が搭載される[11]

ブレーキは、電動車は0系と同じく発電ブレーキを高速域での減速に使い、低速域では空気ブレーキを使う。空気ブレーキが電気指令式に変更されたほか[8]、速度に対応して有効なブレーキ力が最大限に生かせるようになっている[10]。今回、新幹線で初めて設定された付随車のブレーキには、渦電流ブレーキを設置した。これは、以降製造された東海道・山陽新幹線の新幹線車両のうち300系と700系の付随車にも採用された。

主に制御機器・主電動機の軽量化・高性能化により、0系の16両全電動車方式から16両中4両が付随車となった。モーターの高出力化により、電動車を4両減らしても0系とほぼ同等の出力(16両の編成出力:0系=11,840kW、100系=11,040kW)を得ることができる。

また、200系で使用されたドットマトリクス表示の運転台モニタ装置は、本系列ではカラー表示が可能なブラウン管モニタ(1面設置。後の300系や500系などは2面設置)へと進化している。パンタグラフや空調設備の作動状況、走行情報などが逐一、運転台から監視・制御できるようになった。全体では、点検作業効率化の観点から機器の配置見直しなども行われ、保守の省力化を図っている。

[編集] 列車無線機器

列車無線装置についてもバージョンアップされ、0系で使用していたVHFによる無線から線路のそばに敷設された漏洩同軸ケーブル (LCX) に流れた情報を先頭車の足元に設置されたアンテナが受信して通信をやり取りする方式に変更し、東海道区間ではJR化後の1989年3月から、山陽区間では2000年3月から岡山まで、2004年3月から全線で本格運用を始めた。回線数が増えたことから、車内公衆電話は2両に1箇所設置することが可能となった。また、それまでの車内電話は列車内発信時にはオペレータを通し、なおかつ沿線の都市のみが通話可能エリアであったが、これにより日本全国へのダイヤル通話ができるようになった。

[編集] 設備

平屋車両の場合、グリーン車は博多寄り車端の1か所に、普通車は各車両端の2か所に客用扉・デッキを設けた。なお食堂車として製造された168形には東京寄り車端にデッキがあり、客用扉と同様な扉を持つが、業務用扉であり、乗客の乗降には供されない。

便所は2両に1箇所(奇数号車の東京寄り)に設置されており、大便所2箇所(洋式便器1箇所+和式便器1箇所)と小便所1箇所、洗面所2箇所という構成である。

[編集] 内装

壁などは、内装の工事が容易に行えるようにフィルムシートが張られ、できるだけ金属色やねじを見せないようにねじ隠しがされている[12]。普通車の内装は、奇数号車がブルー系、偶数号車がブラウン系の配色となり、シートモケットやカーテンなどのデザインが異なっている[12]

普通車には直接照明が採用されているが[13]グリーン車食堂車には、新幹線車両として初めて間接照明が採用された[13]。また、グリーン車では、荷棚の下に読書灯が各席毎に設置された[13]

[編集] 座席

[編集] 普通車

普通車は3列+2列座席であるが、前後間隔(シートピッチ)を0系2000番台の980mmから1,040mmに広げ、3人席においても回転・リクライニング可能とした[12]。リクライニング角度は、0系の17 - 22度から、6 - 31度まで拡大された[12]

K・P編成は、主にG・V編成のグリーン車の座席を流用している。詳細は#K・P編成を参照のこと。

[編集] グリーン車
100系のグリーン車の車内(148形2階席)

グリーン車は、通常の座席が主であったが、X・G編成には個室も設置された。

普通席ほどの大幅な変更は施されていないが、肘掛部分にオーディオサービス用機器が埋め込まれている[12]

[編集] 車内サービス

ミュージックサービスとNHKラジオ第1放送の再送信を始めた。普通車では手持ちのFMラジオ[14]で、グリーン車内では備え付けのイヤホンで聴くことができる。このサービスは、以降新製される東海道・山陽新幹線の16両編成の全車両に装備されている。

LED式(単色、V編成は2色)の電光掲示板が装備された。電光掲示板の上部にはデジタル式の時計、右側に次の停車駅までの距離を7セグメントで表示する装置が配され[15]、通常走行時はLCXから送信されたニュースを表示した[16]。X編成では当初速度表示もなされていたが後に取りやめとなっている。電光掲示板の文字が小さいという乗客からのクレームがあり、G32 - G50編成では電光掲示板の文字を大きくし、時計と距離表示は省略された。後者の電光掲示板は、300系では同じタイプのものが搭載され、以降のすべての新幹線車両に標準搭載されている。

この電光掲示板は、一部が0系WR(R60番台)編成に転用された。

[編集] 2階建て車両

100系は2階建て車両が新幹線で初めて連結され、0系にはない多様なサービスを可能にした。

基本的に階上は、車窓が良いことや乗客の通り抜けがないことからグリーン席と食堂車、階下は普通席、カフェテリアもしくは個室が設定された。詳細は#各編成の概要を参照。

客席部分を最大限使用するため、電動機などの機器を搭載することができず、付随車となった。また、空調設備などは床上に機器室を設けることによって搭載スペースを確保した。

2階建て車両は、平屋車両との段差が大きくなるために空気抵抗が拡大することや車体重心が高くなることから、車高はできるだけ低いほうが望ましい。しかし、2階建て車両投入によるイメージアップも重要なテーマのひとつであることから、車両限界を有効に使い設計された[17]。V編成「グランドひかり」の場合、室内高さは、1階部分が1982mm、2階部分が1986mmとなっている[17]。ちなみに、平屋車両の場合、室内高さは2100mmで、0系よりも10mm大きくなっている[18]

東海道・山陽新幹線区間では、300系以降で車両軸重を11.4t以下にすることを目標に設定したことや定員の相違による互換性の面での支障、速度向上のために車両の軽量化や走行抵抗の軽減が求められた結果、2階建て車両の新造の予定はない[19]

[編集] 形式および車種

本系列に属する各形式名とその車種は以下の通り。

基本的に電動車は奇数形式と偶数形式でペアを組んでMM'ユニットを構成し、16両編成の場合は6組のMM'ユニットと4両のT車(X・G編成は1・8・9・16号車、V編成は7・8・9・10号車)で、6両および4両編成の場合はすべてMM'ユニットで組成される。

←博多 ユニット構成表 東京→
1号車 2号車 3号車 4号車 5号車 6号車 7号車 8号車 9号車 10号車 11号車 12号車 13号車 14号車 15号車 16号車
X編成 123形
(Tc)
126形
(M')
125形
(M)
126形
(M')
125形
(M)
126形
(M')
125形
(M)
168形
(T'dd)
149形
(Tsd)
116形
(M's)
125形
(M)
126形
(M')
125形
(M)
126形
(M')
125形
(M)
124形
(T'c)
1ユニット 2ユニット 3ユニット 4ユニット 5ユニット 6ユニット
G編成 123形
(Tc)
126形
(M')
125形
(M)
126形
(M')
125形
(M)
126形
(M')
125形
(M)
148形
(T'sbd)
149形
(Tsd)
116形
(M's)
125形
(M)
126形
(M')
125形
(M)
126形
(M')
125形
(M)
124形
(T'c)
1ユニット 2ユニット 3ユニット 4ユニット 5ユニット 6ユニット
V編成 121形
(Mc)
126形
(M')
125形
(M)
126形
(M')
125形
(M)
126形
(M')
179形
(Tsd)
168形
(T'dd)
179形
(Tsd)
178形
(T'sd)
125形
(M)
126形
(M')
125形
(M)
126形
(M')
125形
(M)
122形
(M'c)
1ユニット 2ユニット 3ユニット 4ユニット 5ユニット 6ユニット
K編成 121形
(Mc)
126形
(M')
125形
(M)
126形
(M')
125形
(M)
122形
(M'c)
全席2列+2列シート
1ユニット 2ユニット 3ユニット
P編成 121形
(Mc)
126形
(M')
125形
(M)
122形
(M'c)
全席2列+2列シート
1ユニット 2ユニット

番台としては、試作編成でもあったX0(後にX1編成に改造)編成は9000番台、それ以外のX・G編成は0番台を、V編成とK・P編成の中間車は3000番台を、K・P編成の先頭車は5000番台を名乗る。

[編集] 新製車両

116形(M's)
グリーン席を備える中間電動車。X・G編成10号車として使用。車掌室(博多寄り)を備え、集電装置・主変圧器・整流装置・空気圧縮機などを搭載する。9000番台は当初、客用扉が2箇所あったが、量産化改造を経て1箇所になった。
1991年にパンタグラフ半減工事が実施され、集電装置は撤去された。
121形(Mc)
普通席を備える制御電動車。V編成1号車として使用。博多向き運転台、便所、洗面所を備え、主制御器・抵抗器、電動発電機などを搭載する。0番台は存在しない。
122形(M'c)
普通席を備える制御電動車。V編成16号車として使用。東京向き運転台を備え、集電装置・主変圧器・整流装置・電動空気圧縮機などを搭載する。0番台は存在しない。
1990年3月にパンタグラフ半減工事が実施され、集電装置は撤去された。ただし、3008,3009の2両は新製時から集電装置を搭載していなかった。
123形(Tc)
普通席を備える制御付随車。X・G編成1号車として使用。博多向き運転台、便所、洗面所を備える。
124形(T'c)
普通席を備える制御付随車。X・G編成16号車として使用。東京向き運転台を備える。
125形(M)
普通席を備える中間電動車。
0,3000,9000番台
X・G編成3,5,13,15号車、V編成3,13,15号車、K編成5号車として使用。便所、洗面所を備え、主制御器・抵抗器、電動発電機などを搭載する。
500,9500番台
X・G編成7号車として使用。便所、洗面所、業務用室、多目的室を備え、主制御器・抵抗器、電動発電機などを搭載する。
700,3700,9700番台
X・G・V編成11号車、K・P編成3号車として使用。便所、洗面所、車内販売準備室、車椅子対応設備、多目的室を備え、主制御器・抵抗器、電動発電機などを搭載する。
3800番台
V編成5号車として使用。便所、洗面所、多目的室を備え、主制御器・抵抗器、電動発電機などを搭載する。
126形(M')
普通席を備える中間電動車。X・G・V編成2,4,6,12,14号車、K編成2号車、P編成2号車として使用。集電装置・主変圧器・整流装置・空気圧縮機などを搭載する。
148形(T'sbd)
グリーン席とカフェテリアを併設する2階建て中間付随車。G編成8号車として使用。1階にはカフェテリアが、2階にはグリーン席が設置された。
149形(Tsd)
グリーン席を備える2階建て中間付随車。1階にグリーン個室、2階にグリーン席が設置された。
0番台
X・G編成9号車として使用。グリーン個室は1人用5室、2人用3室、3人用1室が設置された。G1 - G3編成には当初0番台が連結されていたが、グリーン個室の配置を見直したことにより100番台に改番された。
100番台
G編成9号車として使用。グリーン個室は1人用3室、2人用3室、3人用1室、4人用1室が設置された。
9000番台
X0 → X1編成9号車として使用。
168形食堂車(168-9001)
168形(T'dd)
売店(1階)と食堂(2階)を備える2階建て中間付随車。X・V編成8号車として使用。この形式のみ、番台区分に関わらず大窓仕様である。
178形(T'sd)
普通席(1階)、グリーン席(2階)を備える2階建て中間付随車。V編成10号車として使用。博多寄りに車掌室を備える。0番台は存在しない。
179形(Tsd)
普通席(1階)、グリーン席(2階)を備える2階建て中間付随車。
3000番台
V編成7号車として使用。業務用室を備える。
3100番台
V編成9号車として使用。電話室を備える。
形式 定員 製造数 総数 備考
116 1 - 56 68名 56両 57両
9001 60 → 68名 1両 小窓、個室撤去による定員の増加
121 3001 - 3009 65名 9両 9両
122 3001 - 3009 65名 9両 9両
123 1 - 56 80名 56両 57両
9001 1両 小窓
124 1 - 56 80名 56両 57両
9001 1両 小窓
125 1 - 224 90名 224両 387両
501 - 556 100名 56両
701 - 756 85名 56両 車椅子対応設備付き
3001 - 3027 90名 27両
3701 - 3709 73名 9両 車椅子対応設備付き
3801 - 3809 80名 9両
9001 - 9004 90名 4両 小窓
9501 80名 1両 小窓
9701 73名 1両 小窓、車椅子対応設備付き
126 1 - 280 100名 280両 330両
3001 - 3045 100名 45両
9001 - 9005 100名 5両 小窓
148 1 - 50 85名 50両 50両
149 1 - 9 56名 9両 57両 後に7,8,9は101,102,103に改番された。
104 - 150 58名 47両
9001 64 → 56名 1両 小窓、個室配置を1人用3室と3人用6室から、1人用4室、2人用3室と3人用1室に変更。
168 1 - 6 (44名) 6両 16両
9001 (44名) 1両
3001 - 3009 (40 → 44名) 9両
178 3001 - 3009 43名 9両 9両
179 3001 - 3009 40名 9両 18両
3101 - 3109 40名 9両

[編集] 改造車両

山陽新幹線区間の「こだま」として使用されるK・P編成組成時に、以下の各形式について改造による番台区分が発生している。

121形(Mc)
5000番台
K・P編成1号車として使用。種車は121形3000番台で、230km/h走行用トランスポンダ車上子を撤去している。元番号に2000が加算されている。P編成に組み込まれた5001,5006,5008には乗務員室出入り台に、業務用電話、旅客指令操作盤などが取り付けられている[20]
5050番台
K・P編成1号車として使用。V編成の中間車である125形にG編成123形廃車体の先頭部を切り継いで先頭車化を行なったもの[21]。G編成のATC装置や列車無線はそのまま流用している[22]。G編成で使用していたATC装置はV編成のものと歯車比が違うため、速度入力信号の変更を行った[22]
P編成に組み込まれた5051 - 5053,5058 - 5063には乗務員室出入り台に、業務用電話、旅客指令操作盤などが取り付けられている[20]
122形(M'c)
122形先頭車(122-5004)姫路駅にて
5000番台
K編成6号車、P編成4号車として使用。種車は122形3000番台で、230km/h走行用トランスポンダ車上子を撤去し、新たに空気圧縮機と集電装置を搭載している。元番号に2000が加算されている。P編成に組み込まれた5001,5006,5008には乗務員室出入り台に、自動放送装置、列車案内中央装置、業務用電話、旅客指令操作盤などが取り付けられ、車掌室としている[23]
5050番台
K編成6号車、P編成4号車として使用。V編成の中間車である126形にG編成124形廃車体の先頭部を切り継いで先頭車化を行なったもの[21]。G編成のATC装置や列車無線はそのまま流用している[22]。G編成で使用していたATC装置はV編成のものと歯車比が違うため、速度入力信号の変更を行った[22]
P編成に組み込まれた5051 - 5053,5058 - 5063には乗務員室出入り台に、自動放送装置、列車案内中央装置、業務用電話、旅客指令操作盤などが取り付けられ、車掌室としている[23]
125形(M)
3750番台
K・P編成3号車として使用。G編成11号車に連結されていた125形700番台の車体とV編成の電装品を組み合わせたもの[24]。客室ドアを空気式から電気式に、方向幕を3色LED(3色)式に変更している。
3752 - 3757がJR東海所属の、3751,3758 - 3763がJR西日本所属のG編成125形700番台の車体を使用しているが、名義上は3751,3758 - 3763は車体を提供したG編成を種車とし、3752 - 3757は電装品を提供したV編成を種車として処理されている[23]
125形(種車) 車体 712 715,716,721,725,736,749 709 711 707 708 713 710
電装品 3806 3801 3017 3808 3807 3805 3809 3001,3004,3010,3802 - 3804
125形 3751 3752 3753 3754 3755 3756 3757 3758 3759 3760 3761 3762 3763
  • 太字は名義上の種車
126形(M')
3200番台
K編成4号車として使用。3000番台の車体の博多側2列の座席を撤去して車掌室を組み込んだ。集電装置は撤去されている。
126形 3032 3037 3022 3012 3031 3017 3021 3042 3007 3041
126形 3201 3202 3203 3204 3205 3206 3207 3208 3209 3210
形式 定員 改造数 総数 備考
121 5001 - 5009 52名 9両 22両 3000番台からの改造
5051 - 5063 13両 中間車を先頭車化したもの
122 5001 - 5009 60名 9両 22両 3000番台からの改造
5051 - 5063 13両 中間車を先頭車化したもの
125 3751 - 3763 58名 13両 13両 700番台車両の車体と3000,3800番台の電装品を利用
126 3201 - 3210 72名 10両 10両 車掌室付き

[編集] 次車

100系は1985年3月から1992年2月まで製造された。

X・G編成

次車 新製時期 製造両数 編成 備考
先行試作 1985年3月 16両 X0 → X1
1 1986年6月 - 8月 48両 暫定G1 - G4
2 1986年10月 16両 X2 - X5 1次車の16両編成化
3 1987年3月 32両 X6,X7
4 1988年2月 - 3月 48両 G1 - G3
5 1988年12月 - 1989年3月 192両 G4 - G15
6 1989年4月 - 9月 80両 G16 - G20
7 1989年10月 - 1990年3月 176両 G21 - G31
8 1990年4月 - 1991年2月 160両 G32 - G41
9 1991年1月 - 3月 64両 G42 - G45
10 1991年5月 - 1992年2月 80両 G46 - G50 最終増備編成はG46編成
1992年2月26日新製

V編成

次車 新製時期 製造両数 編成 備考
1 1989年2月 - 3月 32両 V1,V2
2 1989年6月 - 12月 32両 V3,V4
3 1990年7月 16両 V5
4 1990年12月 - 1991年2月 32両 V6,V7
5 1991年7月 - 12月 32両 V8,V9 最終増備編成はV9編成
1991年12月12日新製

[編集] 運用

山陽新幹線区間で6両K編成が新大阪 - 博多間で、4両P編成が岡山 - 博多間で「こだま」運用に就いている。そのほかの編成(X・G・V編成)はいずれも運用を終了している(後述)。

[編集] 2009年3月14日改正

山陽新幹線で運転される「こだま」の大半の列車に充当されている。具体的には、JTBパブリッシング発行の時刻表では「100系」、交通新聞社発行の場合は「6両編成グリーン車なし」「4両編成グリーン車なし」、JR発行の無料時刻表の場合は「2列シート&2列シート」と表記されている列車に充当されている。なお、多客期や運用上の都合でP編成→K編成あるいはK編成→500系V編成に運用が変更となるケースがある。

  • K編成(6両)
    • 新大阪発着の全ての「こだま」(下り9本・上り9本)
    • 岡山 - 博多間:下り1本・上り2本
    • 広島 - 博多間:下り1本
    • 新山口 - 博多間:下り1本
  • P編成(4両)
    • 岡山 - 福山・広島・博多間:下り14本・上り13本
    • 広島 - 博多間:下り2本・上り2本
    • 新山口・小倉 - 博多間:下り7本・上り7本
    • 新山口 - 小倉間:上り1本

[編集] 各編成の概要

現在、4・6両に短編成化されたP・K編成計22編成(P1 - P12,K51 - K60編成)のうち、20編成(P1,P3 - P12,K52 - K60編成)が車籍登録されている。また、「グランドひかり」V9編成のうち、2階建て車両である7・8号車(179-3009と168-3009)は現在も車籍が残っている。

[編集] X編成

食堂車168-9001(一般公開時)

1985年に落成した100系初の編成。先頭車と2階建車両各2両が付随車であり、2階建車両は8号車と9号車に組み込まれ、8号車は食堂車、9号車は、階上がグリーン車・階下がグリーン個室(1人用5室、2人用3室、3人用1室)となっている。

[編集] X0編成

試作車である9000番台X0編成(1985年3月27日落成・1986年8月から10月にかけて量産化改造を実施し、X1に改番)は、量産車とはいくつか違いが見られた。

前照灯の角度が大きめであり、16号車(124-9001)の窓下の桟がV字型となっており、小窓だった。X0編成には当初、9号車1階部分は何も設置されず、平屋構造の10号車(116-9001)博多寄りに個室(1人用2室・2人用1室)が設置されていただけであったが、9号車の1階部分にも個室(1人用4室・3人用6室)が設置された[25]。量産車との設備統一を目的として1986年に、10号車の個室は撤去され、9号車の個室の配置を量産車にあわせた。

9号車の東京寄りに出入り口はなく、10号車の博多寄りには出入り口があった[25]。量産化改造を経て、9号車に出入り口が新たに設置され、10号車のそれは撤去されて荷物室となった[25]

1985年3月27日に公式試運転を三島 - 東京間で行った[26]。その後、直ちに営業運転に使用せず、4月には東京 - 博多間で営業速度での試験を実施した[26]。さらに、9月まで速度向上試験を実施し米原 - 京都間で230km/hを、小郡 - 新下関間で260km/hを記録した[26]

[編集] 暫定G編成・X1 - X7編成

1986年落成の量産車4本(X2 - X5)は当初2階建車両のない12両編成(暫定G編成・G1 - G4)として搬入され、営業運転開始の6月から2階建車両などが組込まれて16両編成化される11月までの5か月間は「こだま」として運用された。

[27]

←新大阪 暫定G編成 東京→
編成 1号車
123形
(Tc)
65名
2号車
126形
(M')
100名
3号車
125形
(M)
90名
4号車
126形
(M')
100名
5号車
125形
(M)
73名
6号車
126形
(M')
100名
7号車
125形
(M)
80名
8号車
116形
(M's)
68名
9号車
125形
(M)
90名
10号車
126形
(M')
100名
11号車
125形
(M)
90名
12号車
124形
(T'c)
75名
G1 1 1 1 2 701 3 501 1 2 4 3 1
G2 2 5 4 6 702 7 502 2 5 8 6 2
G3 3 9 7 10 703 11 503 3 8 12 9 3
G4 4 13 10 14 704 15 504 4 11 16 12 4
JR東海100系X3編成

同年11月からは2階建車両を含む4両が組込まれ(5号車と9号車を入れ替え、7,8号車間に新8,9号車となる2階建て車両〈168形,149形〉と9,10号車間に新12,13号車となる平屋車両〈126形,125形〉を挿入)、X編成(X2 - X5)として分割民営化直前に落成した増備車2本(X6,X7)とともに「ひかり」運用に充当された。分割民営化後は全編成がJR東海に所属した。

10月1日にX編成が「ひかり6号」(東京 → 博多・X0編成)で営業運転を開始した。量産車は1986年11月1日からX編成としての営業運転を開始した。東京 - 博多間の「ひかり」を中心に運用されており、運用によっては1日の走行距離が2,500km以上にも達し[28]、検査周期も他の編成に比べて極端に短かった。1998年10月2日の「ひかり126号」(新大阪 → 東京・X1編成)を最後にX編成の食堂車営業と「ひかり」運用が終了し、以降は東海道区間の「こだま」のみとなった。総走行距離が車齢に比して多かったことから、0系YK編成に続いて1999年10月1日「こだま429号」(東京 → 新大阪・X1編成)を最後に定期列車の運用から離脱し、そのまま全車廃車された。

←博多 X編成表 東京→
1号車 2号車 3号車 4号車 5号車 6号車 7号車 8号車 9号車 10号車 11号車 12号車 13号車 14号車 15号車 16号車
123形(Tc)
普通車
126形(M')
普通車
125形(M)
普通車
126形(M')
普通車
125形(M)
普通車
126形(M')
普通車
125形(M)
普通車
168形(T'dd)
食堂車
149形(Tsd)
グリーン車
116形(M's)
グリーン車
125形(M)
普通車
126形(M')
普通車
125形(M)
普通車
126形(M')
普通車
125形(M)
普通車
124形(T'c)
普通車


  • 定員:1,277人(普通車1,153人・グリーン車110人・グリーン個室14人)
  • 製造両数:7本(X1 - X7編成)・112両
  • 最高速度:220km/h
  • 製造時期:1985年 - 1986年

[編集] G編成

G編成「ひかり」(1991年頃)
G編成末期のカフェテリア
1人用個室 4人用個室
1人用個室
4人用個室

JR東海が1987年から投入した編成で、部内で「100'(ダッシュ)系」と呼称される。車両番号のハイフン以下の数字はX編成からの通し番号だった。

X編成と同じく先頭車と8号車と9号車に組み込まれる2階建車両各2両が付随車である。2階建車両のうち9号車はX編成と同じくグリーン車とグリーン個室であるが、「ひかり」の利用客が増加傾向にあったことから、8号車については食堂車の設定をやめ、階上にグリーン車・階下にカフェテリアを設け、グリーン車の定員を増やした。グリーン個室はX編成の個室設定のうち、多人数利用の需要から、1人用2室を4人用1室に変更した(→1人用3室、2人用3室、3人用・4人用各1室)。また、6次車となるG16編成以降の普通車座席には、足掛けが装備された[29]

1996年にG1 - G3,G6の4本、1997年にG4,G5,G7の3本、7編成の計112両がJR西日本へ譲渡された。背景としては、JR西日本はJR東海に比べ新幹線の輸送量が少ないため短期間で新車を大量投入することは難しく、そのためJR西日本は、受け持ちの東京直通の「ひかり」にも0系を充てる状況であったことが挙げられる。しかし、それでは100系に比較すると動力性能の低い0系の運転曲線を基準にしたダイヤを組まなくてはならないため、それを嫌ったJR東海がJR西日本に譲渡したものである。また、JR西日本も阪神・淡路大震災で山陽区間に閉じ込めとなったG編成の検査経験があることから譲渡が実現した。JR西日本に譲渡されたG1 - G7編成は、0系のNH編成の運用をそのまま置き換えたため、運輸上の区別でのみ「N編成」と称されていた。譲渡後は東海道直通だけでなく山陽区間のみの「ひかり」にも使用された。

最初は東京 - 新大阪間の「ひかり」に使われていたが、増備が進むにつれて運転区間が拡大した[30]。東京 - 博多間の「ひかり」はX編成やV編成などを使用していたことからG編成が使用されることは少なかったが、X編成が「こだま」へ転用された後は本数が増えた。一方では300系の増備と0系の廃車が進んだために1995年頃から「こだま」にも充当されるようになっていた。

2003年9月16日の「ひかり309号」(東京 → 新大阪、G49編成)を最後に東海道新幹線での運用から離脱した。2004年3月1日にG50編成が廃車となり、JR東海所属のG編成は消滅した。

詳細は「#さよなら東海道新幹線100系」を参照

山陽新幹線においては、2003年9月15日の「ひかり556号」(博多 - 新大阪、G2編成)を最後に16両編成の営業運転を終了する予定であったが、10月9日に代替編成としてG7編成が運用され、「こだま557号」(広島 → 博多)が最後の営業列車であった。2004年3月30日にG7編成が廃車となったことでG編成は消滅した。これによって16両編成の100系も消滅した。

2000年以降、JR西日本が所有することとなる「こだま」用のK・P編成を製作する際に必要な先頭車と車椅子スペース設置車が不足するため、JR東海所有のG編成のうちG9,G10,G15,G19,G30,G43編成[31]が、8両に減車(1/2/11/12/13/14/15/16号車)されて浜松工場から博多総合車両所まで自力回送された。回送された車両のうち、両先頭車と11号車がJR西日本に譲渡され[32]、譲渡されなかった車両は博多総合車両所で廃車・解体となった。

←博多 G編成表 東京→
1号車 2号車 3号車 4号車 5号車 6号車 7号車 8号車 9号車 10号車 11号車 12号車 13号車 14号車 15号車 16号車
123形(Tc)
普通車
126形(M')
普通車
125形(M)
普通車
126形(M')
普通車
125形(M)
普通車
126形(M')
普通車
125形(M)
普通車
148形(T'sbd)
グリーン車
149形(Tsd)
グリーン車
116形(M's)
グリーン車
125形(M)
普通車
126形(M')
普通車
125形(M)
普通車
126形(M')
普通車
125形(M)
普通車
124形(T'c)
普通車
  • 定員:1,321人(普通車1,153人・グリーン車152人・グリーン個室16人)
  • 製造両数:50本(G1 - G50編成)・800両
  • 最高速度:220km/h
  • 製造時期:1987年 - 1992年

[編集] V編成

グランドひかりも参照のこと

JR西日本が1989年から製造した編成で、部内で「100N系」と呼ばれ、「グランドひかり」の愛称を持つ。X・G編成とは大きく異なる点が多い。

「グランドひかり」食堂車(1999年撮影)
「グランドひかり」食堂車全景(1999年撮影)

先頭車を制御電動車とすることで付随車は2階建車両4両に充てた。2階建車両は7 - 10号車に連結された。7・9・10号車の3両は、階上はX・G編成と共通のグリーン席であり、座席ごとに液晶モニターが設置され、山陽区間ではビデオソフトの視聴ができた。東京 - 博多間の長距離を運転することが基本であったことから、8号車はX編成と同じく食堂車とされた。階下はその後の「ひかりレールスター」(700系7000番台)につながる、普通車指定席でありながら、横4列配置のゆったりとしたサイズの座席(WRK206形)が配置されていた。その上、利用客の嗜好に配慮した、適度な照明と、落ち着いた色調のインテリア、付随車ならではの静粛性などから、この指定席を指名買いする常連客も存在した。

しかし、発電ブレーキを持たない付随車は、動力車に比べ制動時の減速度の立ち上がりが遅く、少なからず動揺が発生する傾向があった。しかも4両連続で編成中間に組成された2階建車両の慣性エネルギーは相当なもので、制動のたびに大きな前後衝動が発生することになった(現在は遅れ込め制御応荷重制御が確立されているが、当時100系には採用されなかった。遅れ込めは1994年E1系から、応荷重は1990年の300系先行試作車から採用。応荷重制御については、当時すでに在来線では211系などに採用例があった)。安らぎを求め、この車両を選んだ乗客にとっては大きな問題であり、それは食事を楽しむ食堂車の利用客にとっても同様であった。グリーン車常連客の中にはV編成運用列車を避ける者もいた。

非常連結器の下に、空気取り入れ口が設けられた。これは、先頭車が電動車となったため、主電動機を冷却するためのものである。中間電動車は床下から冷却風を取り入れていたが、制御車では排障器(スカート)があり、走行風を取り込みにくいため、この部分から取り入れることになった。

出入口付近に設置してある行先表示器を字幕式から3色LED(3色)式に変更し、上部に列車名と行先を表示しながら下部での停車駅のスクロール表示などを可能にした。これは、JR西日本独自仕様として、これ以降JR西日本で新製投入される300系以外の全新幹線車両[33]に採用されている。

山陽区間では最高速度230km/hで走行するため、ATC220 (km/h) 信号を230信号に読み替える信号読替装置「トランスポンダ」が装備されている。将来の高速化に備え、270km/h走行可能な動力性能が与えられた。試験では277.2km/hを達成しており、JR西日本は沿線への騒音が悪化しなければ、山陽新幹線の50%から60%の区間で270km/h運転を行い、新大阪 - 博多間を約2時間30分で結ぶ予定であったが、騒音が環境基準をクリアできなかったため最高速度は230km/hのまま営業が続けられた。

このV編成も高速化の影響を受けた。需要の急減に伴い、2000年3月10日をもって食堂車の営業は休止され、山陽新幹線博多開業前年の1974年から始まった新幹線食堂車の歴史は終了した。その後、2002年5月18日で定期列車の運用を終了し、同年11月23日の「ひかり563号」(新大阪 → 博多、V2編成[34])の運転をもって営業運転から離脱した。そして同月25日にV2編成が編成名削除となり、V編成が消滅した。

詳細は「グランドひかり#「グランドひかり」さよなら運転」を参照

運用は東京 - 博多間の「ひかり」を中心に使われ、最後まで、東海道新幹線内運行の「こだま」に使われることはなかった[35]

←博多 V編成表 東京→
1号車 2号車 3号車 4号車 5号車 6号車 7号車 8号車 9号車 10号車 11号車 12号車 13号車 14号車 15号車 16号車
121形(Mc)
普通車
126形(M')
普通車
125形(M)
普通車
126形(M')
普通車
125形(M)
普通車
126形(M')
普通車
179形(Tsd)
グリーン
普通車
168形(T'dd)
食堂車
179形(Tsd)
グリーン
普通車
178形(T'sd)
グリーン
普通車
125形(M)
普通車
126形(M')
普通車
125形(M)
普通車
126形(M')
普通車
125形(M)
普通車
122形(M'c)
普通車
  • 定員:1,285人(普通車1,169人・グリーン車116人)
  • 製造両数:9本(V1 - V9編成)・144両
  • 最高速度:230km/h
  • 製造時期:1989年 - 1991年

[編集] K・P編成

新幹線100系電車 リニューアルK55編成(岡山 - 相生)
奇数号車 車内
偶数号車 車内

JR西日本で「こだま」用0系R(WR編成以外)・Q編成を置き換える目的で、長距離運用から離脱したV編成に短編成化・車両延命化工事を実施したもので、6両編成はK編成、4両編成はP編成と呼称される。P編成は2000年10月4日(P1編成)から[36]、K編成は2002年2月12日(K51編成)から[36]営業運転に充当されている。全車普通車で構成されている。

[編集] 短編成化改造

編成が短くなり、2階建車両を外したことから全車電動車となった。

16両編成のときは、10号車に車掌室が設置されていたが、短編成化により新たに車掌室を設置する必要が生じた。そのため、P編成の場合、121形(1号車)乗務員室出入り台に、業務用電話、旅客指令操作盤などが[20]、122形(4号車)乗務員室出入り台に、自動放送装置、列車案内中央装置、業務用電話、旅客指令操作盤などが取り付けられた[23]。K編成の場合、車掌室を設置した126形3200番台の車両を4号車に組みこんだ。

短編成化により、V編成の車両だけでは先頭車(121形・122形)と車椅子対応設備設置車(125形3700番台/3号車に組み込み)が不足するため、G編成車体を利用した改造車両がK52,K55,K57,K60,P3 - P5,P7 - P12編成に組み込まれた。

中間車を先頭車化したものや、125形700番台の車体を再利用した車両は車両番号の下2桁が50以降となっている。

V編成では東京側先頭車両(16号車・122形)のパンタグラフは撤去されていたが、K・P編成組成時に再設置され、2・6号車(K編成)2・4号車(P編成)に搭載し、高圧引き通し線も設置されている。また、V編成に引き続いて先頭車が電動車であることから、非常連結器の下に、空気取り入れ口が設けられている。

V編成に搭載されていた230km/h走行用トランスポンダ車上子は短編成化改造時に撤去され、トランスポンダ地上子も「グランドひかり」運行終了後に撤去されているので、現在は230km/h走行を行うことはできない[37]

[編集] 座席の種類

P1 - P3編成は当初、V編成普通車の2列+3列のものを流用していた。K編成とP4 - P12編成は登場当初から2列+2列の座席を使用していた。これには、0系「ウエストひかり」普通席仕様の座席、100系G・V編成のグリーン席、100系V編成2階建て車両1階席の4種類がある。元グリーン席についてはフットレスト等の付帯設備を取り外して普通席と同じシートピッチに配列する方法で、「ひかりレールスター」の指定席並みの座席にグレードアップした普通車として改造された。肘掛内蔵テーブルについては、撤去されているものとされていないものが存在する。現在は全編成が前述の2列+2列シートに交換されている。

元ウエストひかり普通車元V編成DD1階席はシート自体の形が酷似しているが、シートの足の部分(箱型のものが元V編成1階席のもの、そうでないものが元ウエストひかり普通車)で区別ができる。ただし、3号車の車椅子対応の1人掛け座席は、元G・V編成の座席を使用している編成(K編成とP8 - P12編成)は元V編成、それ以外の編成は元ウエストひかり用のものに車椅子固定用金具が装着されている。モケットの色は奇数車両が赤系、偶数車両が青系に統一されている[20]

奇数号車

偶数号車

客室扉は、種車が2列+3列の座席配置であったため座席の配置とずれているが、車椅子対応設備が設置されている3号車新大阪側と車掌室を挿入したK編成4号車博多側の扉は車両の中心にあるため、座席とのずれはない。

[編集] カラーリング

新幹線100系電車 リニューアルP11編成(新下関駅)

登場当初のK51 - K53,P1 - P6編成は従来の白/青カラーだった。2002年8月に出場したK54編成から、車体塗装を0系WR編成と同じシルバー地にフレッシュグリーンと濃いグレーの帯を車体側面に配し、スカートも濃いグレーに塗装、車内のカラースキームはシルバー系に変更した。従来塗装車も全検時に塗り替えられた[36]

0系が2008年12月に引退したが、2009年4月以降、デッキにある車両案内板が新型に交換されている。従来のものは0系R・WR編成と共通のものであったが、案内板上部に「100系6両編成」もしくは「100系4両編成」と書かれた、500系V編成と同等のものに変更されている。

訓練車 P2編成(新下関駅)

P編成は新大阪駅の信号システムの都合上、同駅に入線することができないため、博多駅 - 岡山駅(以前は姫路駅)間の限定運用とされている。姫路・相生駅にはP編成が停車していた名残として4両編成用の停止標識が現在も残っている。

[編集] 訓練車

P2編成は2009年2月9日に廃車となった後、0系元Q3編成に代わり、新下関乗務員訓練センターに訓練車として搬入された[38]

[編集] 編成の詳細

[36][38][39][40]

編成 組成月日 2+2シート化 新塗色化 車両延命化工事 座席 廃車 備考
K51 2002年1月10日 2004年8月20日 元G編成 2009年4月1日[41]
K52 2002年4月1日 2004年10月20日 2002年4月1日 元G編成
K53 2002年4月18日 2004年10月15日 2002年4月18日(1,4,6号車)
2004年12月18日
元V編成
K54 2002年8月6日 元G編成
K55 2002年8月22日 2002年8月22日(3,4号車)
2005年5月10日(1,2,5,6号車)
元G編成(1,6号車)
元V編成
K56 2002年9月26日 元G編成
K57 2002年12月10日 元G編成
K58 2003年1月9日 2003年1月9日(1,4,6号車)
2005年9月1日
元G編成
元V編成(3,6号車)
K59 2003年4月14日 元G編成
元V編成(5号車)
K60 2003年8月5日 2005年11月26日 元G編成
P1 2000年8月25日 2002年2月23日 2004年8月30日 2005年2月21日 元ウエストひかり 1,2号車の座席は
肘掛にもテーブルが収納
P2 2000年10月10日 2002年3月13日 2003年5月20日 2006年1月6日 元ウエストひかり 2009年2月9日[41] 新下関乗務員
訓練センター訓練車
P3 2001年3月8日 2002年3月30日 2003年7月31日 2006年2月21日 元ウエストひかり
P4 2001年8月21日 2003年11月6日 2001年8月21日 元ウエストひかり
P5 2001年11月23日 2004年1月14日 元ウエストひかり
P6 2001年12月7日 2004年4月2日 元V編成DD1階
P7 2003年8月29日 元V編成DD1階
P8 2004年1月9日 元V編成DD1階
P9 2004年4月16日 元G編成 4号車の座席は
肘掛テーブルのみ
P10 2004年7月31日 元G編成
P11 2004年12月14日 元G編成
P12 2005年3月31日 元G編成

*元V編成DD1階は、V編成2階建て車両のうち、1階普通席に使われていた2列+2列シートのこと。シート部分は「ウエストひかり」のものと同一だが、椅子の足の部分が違う。

  • K編成(6両編成)
    • 定員:394人(全車普通車)
    • 編成・車両総数:10本(K51 - K60編成)・60両
    • 最高速度:220km/h
    • 組成時期:2002年 - 2003年
  • P編成(4両編成)
    • 定員:250人(全車普通車)
    • 編成・車両総数:12本(P1 - P12編成)・48両
    • 最高速度:220km/h
    • 組成時期:2000年 - 2001年,2003年 - 2005年

[編集] お召し列車用2階建てグリーン車

お召し列車としては1986年5月以降は100系が使われた。0系と違い、100系に装飾がなされないのは無線が普及したため、通常の列車とお召し列車の区別がつくようになったためである。新型車両として300系や500系700系が主流となってしばらくの間も100系が使われていた。これは、100系にある個室や2階建てグリーン車の方が警備上都合が良い(1階に警備員を配置できるので同じ車両で警備することができる)ためである[42]。100系のグリーン車が全て消滅した現在は700系のグリーン車が一般編成に混ざって使用されている。

[編集] ボルスタレス台車試験走行

100系は、300系から採用されるボルスタレス台車の試験車としても活躍した。

試作台車として製作されたDT9023A,B,C,D,E,Fの6種類が試験で使用された。

A,Bは0系用ボルスタレス試作台車のDT9022の改良版で1985年に製作された[43]。1986年にX編成での210km/h走行試験が実施され、100系用のDT202よりも乗り心地の改善と横圧の減少が確認された[43]

C,Dが乗り心地の改良版で一部部品をA,Bから流用している[43]。1987年に製作された[43]。1988年から100系に搭載されて営業運転で使用、30万kmの走行を行った[43]

E,Fは1989年に製作された300系仕様のプロトタイプであった[43]。220km/hでの走行試験を実施後、C,Dと同じく営業運転での30万kmの走行を行った[43]。1991年にはV編成を使用して275km/hでの走行試験を行い[43]、付随車には300系で採用される円筒ゴム式、電動車には500系で採用される軸はり式の軸箱支持装置を持った台車の走行性能試験が実施された。

軸箱支持方式は、主にJR東海が「円錐積層ゴム式」と「円筒積層ゴムコイルばね併用式」を[44]、JR西日本がV編成を使用して「軸はり式」を試験走行を実施した[44]。「円錐積層ゴムコイルばね併用式」が300系,700系(JR東海所有分),N700系(16両編成)に、「軸はり式」が500系,700系(JR西日本所有分),N700系(8両編成)に採用された。

[編集] 車両不具合

[編集] 車輪固着

1991年9月30日、新大阪行き最終列車となる「ひかり291号」(通称:シンデレラ・エクスプレス、X編成充当)に発生した[45]

[編集] 警報無視

東京駅を発車して300m地点で、運転台に車輪固着を知らせる警報が作動[45]。15号車新大阪寄りの台車のうち、東京寄りの車軸が固着していた[46]。21時00分に東京を発車して、21時25分までに計8回もの警報が鳴ったにもかかわらず警報のリセットを繰り返し、車輪が固着したまま三島駅(東京から約100km[45])まで走行した[46]

8回目の警報が作動した後、運転士はCTCセンターの指令員に停止する旨を伝えると、指令員は運転継続を指示した[47]。運転士は、新横浜駅に駅員と、近くの上り新幹線の運転士に床下から火花が出ているかどうか確かめてほしいと連絡を入れた[48]。そして、固着が起きている15号車の床下から火花が出ていることが確認された[48]。それを受けて、運転士は指令員に列車の停止を伝えると、指令員からは運転継続が指示された[49]。「ひかり291号」が新大阪行きの最終列車であったことや、三島駅三島車両所)に予備の編成があったためである[49]。さらに、定刻から20分遅れであったため、上限速度ぎりぎり(ATCの頭打ち速度である225km/h)での運行も指示された[49]。そのため、東京駅基準で41キロメートル地点と78キロメートル地点の計2度、ATCブレーキがかかっている[50]。その時も、指令員は「運転を継続してください」との連絡を入れていた[50]

[編集] 車輪損傷

三島駅で停車して全体を検査したところ、前述の15号車の新大阪寄りから2番目の車輪が長さ30cm、深さ3cmにわたって削られており[50]、2つの車輪をあわせて約6kgもの金属が消滅していた[50]。また、車輪が削られたことでフランジ部分が下がり、ATC信号を流すレールボンドが損傷していた[45]

[編集] 原因

車軸の駆動用モータ脇に設置されている駆動装置が、油が漏れたことによって破損したために車輪が固着してしまった[46][45]

該当列車に充当された編成は、1991年7月2日実施の台車検査時に油を交換したが2日後にの検査時には油が完全に抜けてしまっていた[46]。故障前日の仕業検査時にも3Lの油漏れが見つかったため[46]、不足分を補給するために給油栓を開けると油が霧状になって噴出した[51]。歯車箱内が異常な高温状態になっていたためと考えられる[51]。通常の補給量は0.5L程度である[46]

従来の点検マニュアルでは、車輪固着の警報が作動したときには、ブレーキの固着と車軸の過熱による「軸焼け」の点検が定められており、車軸の固着の点検については記載がなかった。しかし、この事故後、JR東海は、点検マニュアルに「列車を車転2回転分だけゆっくりと動かして、車輪の回転状態を確認する」という項目を追加した。

[編集] 潤滑油漏れ

1992年6月15日にJR西日本博多総合車両所で行われた仕業検査で、100系V3編成11号車[52]のもっとも博多寄りの車軸付近から大量の油漏れが発見された[53]。そこで台車の分解検査を行うと、車軸部に装着されているベアリングが異常磨耗を起こして脱落していた[54]

[編集] 原因

該当車両の軸受けに使われていたベアリング(QT4A)は、光洋精工が1990年4月に製造したものである[54]。通常は軸受鋼(SUJ2)が使用されるのだが、硬度が低い低炭素鋼(S25C)になっていた[54]。このベアリングはJR東海で164個、JR西日本で66個使われていた[54]

これらのベアリングは不良品として順次交換が実施された。今回のベアリングには一つ一つ識別番号がつけられており、交換対象になったものは「K2-4」と「K2-6」の2種類であった[51]。前述の「シンデレラ・エクスプレス」号での車輪固着を起こした車両のベアリングも「K2-6」であった[51]。そのため、その事故原因もベアリング破損による油漏れであるといわれている[51]

[編集] 車体の骨組みのヒビ

2007年9月にK54編成[55]の骨組みから[56]、2009年6月にもK53編成2号車の骨組みからひびが発見されるなど、老朽化が進んでいるとみられるトラブルが発生している[57][58][59]

[編集] 東海道新幹線からの撤退と16両編成運用の終了

のぞみ型車両と呼ばれる、300系、500系、700系が登場した1990年代には新幹線の高速化が進み、走行性能的に0系と大差ないレベルの100系は高速ダイヤに対応することができず[60]、車両自体の寿命を迎える前に大量淘汰を受けることになった[61]。また、山陽新幹線区間単独での運用の場合、16両編成では過剰なため、V編成を中心に短編成化が進行していく。

東海道新幹線においては、2003年10月1日ダイヤ改正で同線内の営業全列車の最高速度を270km/hにすることが2000年5月31日に決定した。そのため、2003年9月16日の「ひかり309号」(東京 → 新大阪)が最後の営業列車となった(ただし、新大阪 - 京都間にある通称「鳥飼基地」への回送列車を除く)。また山陽新幹線においては、2003年10月9日の「こだま557号」(広島 → 博多)が最後の16両編成列車であった。

2002年11月23日を持ってV編成の運用が終了し、「こだま」用のK・P編成に組み替えられた。

V編成の運用の変遷はグランドひかり#運用の変遷を、さよなら運転はグランドひかり#「グランドひかり」さよなら運転を参照のこと。

2003年5月1日時点では、G1 - G5,G7,G24,G32,G36,G40,G42,G44,G46 - G50編成が在籍し、16両G編成の運用は以下の通り。

種別 列車名 運転区間 備考
ひかり 174・179号 名古屋 - 博多 100系唯一の定期「ひかり」運用
174号は8月21日まで100系で運転
179号は8月22日まで100系で運転
こだま 402・405・412・415・
418・423・425・428号
東京 - 新大阪 412号は6月30日まで100系で運転
423号は7月1日まで100系で運転
405,418号は7月31日まで100系で運転
415,428号は8月1日まで100系で運転
402号は8月30日まで100系で運転
425号は8月31日まで100系で運転
443・452・454・457・
461・462・464・470・
471・475・477・482号
東京 - 名古屋 443,470,471,475号は6月30日まで100系で運転
454,457,462,482号は7月1日まで100系で運転
477号は7月31日まで100系で運転
452号は8月1日まで100系で運転
461号は8月30日まで100系で運転
464号は8月31日まで100系で運転
491・494号 名古屋 - 新大阪 494号は6月30日まで100系で運転
491号は7月1日まで100系で運転

徐々にG編成の運用は減少して行き、定期運用最終日の8月31日は「こだま425号」(東京 → 新大阪・G50編成)と「こだま464号」(名古屋 → 東京・G50編成)のみであった。8月31日の「こだま425号」で定期運用が終了。9月13,15,16日に臨時「ひかり」が運行された。9月16日の「ひかり309号」をもって、東海道新幹線での営業運転を終了した。

[編集] さよなら東海道新幹線100系

2003年8月31日に東海道新幹線での定期運用を終了した100系が、臨時「ひかり」として東海道・山陽新幹線区間で運転された。

列車名 運転日時 運転区間 停車駅 使用編成 備考
ひかり319号 9月13日 東京新大阪 名古屋,京都 G50
ひかり300号 9月13日 新大阪 → 東京 京都,名古屋,静岡,新横浜 G50
ひかり343号 9月15日 東京 → 新大阪 新横浜,名古屋,京都 G50
ひかり330号 9月15日 新大阪 → 東京 名古屋,京都 G46
ひかり332号 9月15日 新大阪 → 東京 京都,名古屋,静岡,新横浜 G50 最後の100系16両「ひかり」(上り)
ひかり556号 9月15日 博多 → 新大阪 小倉,新下関,小郡,広島,福山,岡山,新神戸 G2
ひかり309号 9月16日 東京 → 新大阪 名古屋,京都 G49 最後の100系16両「ひかり」(下り)

[編集] 時刻表

  • 下り
    • ひかり309号 新大阪行き(東京8:30発→名古屋10:22着/24発→京都11:05着/06発→新大阪12:23着)
    • ひかり319号 新大阪行き(東京11:30発→名古屋13:22着/24発→京都14:05着/06発→新大阪14:23着)
    • ひかり343号 新大阪行き(東京19:26発→新横浜19:42着/43発→名古屋21:22着/24発→京都22:06着/07発→新大阪22:23着)
  • 上り
    • ひかり300号 東京行き(新大阪8:10発→京都8:26着/27発→名古屋9:09着/10発→静岡10:02着/06発→新横浜10:52着/53発→東京11:10着)
    • ひかり330号 東京行き(新大阪15:56発→京都16:13着/14発→名古屋16:56着/57発→東京18:50着)
    • ひかり332号 東京行き(新大阪16:10発→京都16:26着/27発→名古屋17:09着/10発→静岡18:02着/06発→新横浜18:52着/53発→東京19:10着)
    • ひかり556号 新大阪行き(博多14:13発→小倉14:32着/33発→新下関14:43→小郡14:57着/15:04発→広島15:44着/52発→福山16:20着/30発→岡山16:51着/52発→新神戸17:30着/31発→新大阪17:47着)
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[編集] 編成表

  • さよなら運転初日の2003年9月13日時点では、G2,G4,G7,G42,G44,G46,G47,G49,G50編成が在籍していた。そのうち、G2,G46,G47,G49,G50編成が使用された。
←博多 さよなら東海道新幹線100系 東京→
編成 1号車
123(Tc)
普通車
65名
2号車
126(M')
普通車
100名
3号車
125(M)
普通車
90名
4号車
126(M')
普通車
100名
5号車
125(M)
普通車
90名
6号車
126(M')
普通車
100名
7号車
179(M)
普通車
80名
8号車
148(T'sbd)
グリーン
42名
9号車
149(Tsd)
グリーン
58名
10号車
116(M's)
グリーン
68名
11号車
125(M)
普通車
73名
12号車
126(M')
普通車
100名
13号車
125(M)
普通車
90名
14号車
126(M')
普通車
100名
15号車
125(M)
普通車
90名
16号車
124(T'c)
普通車
75名
組成日 廃車日
G2 8 36 29 37 45 38 508 2 102 12 708 39 31 60 32 8 1988年2月9日 2003年11月27日
G46 52 256 205 257 206 258 552 46 146 52 752 259 207 260 208 52 1992年2月6日 2003年11月6日
G47 53 261 209 262 210 263 553 47 147 53 753 264 211 265 212 53 1991年9月11日 2004年2月2日
G49 55 271 217 272 218 273 555 49 149 55 755 274 219 275 220 55 1991年5月17日 2004年1月7日
G50 56 276 221 277 222 278 556 50 150 56 756 279 223 280 224 56 1992年1月13日 2004年3月1日
G47編成に施された特別塗装
  • 定員1321名。1 - 5号車が自由席、それ以外は指定席で運行。
  • G2編成の5,10,14号車は、G6編成の3,10,14号車に組み換え。
  • G49編成は、先頭車と中間車の一部にさよなら100系の特別塗装が施された。
  • G47編成は、先頭車に特別塗装が施され、G49編成の予備として東京第二車両所に待機。

[編集] 廃車が早まった理由

JR西日本による100系短編成化改造が行われる一方で、0系を存置したままほとんどのG編成が廃車になった。

設計最高速度は275km/hであるが、騒音基準を満たすことができなかったため、東海道新幹線や山陽新幹線における「のぞみ」や「ひかり」の全270km/h運転に対応できなかった。もう一つの理由は、100系が全電動車方式ではなかったことにある。

全電動車方式の0系では、簡素な改造でほとんど性能を変えることなく、ユニット単位(2両)で編成の増減が可能であるのに対し、100系はMT比(電動車と付随車の構成比率)が変わることで車両性能が変化してしまう。

G編成は、先頭車両が付随車となったことで電動車2両ユニットの構成が0系と逆になった。1号車側から考えると、0系の場合MM'ユニットであったが、G編成の場合、M'Mユニットとなり、0系とユニットの組み方が逆となった。しかし、パンタグラフの搭載位置を0系と変えなかった(M'車の博多寄りに搭載)ため、パンタグラフがユニット博多側の端に来てしまった。そのため、G編成を利用して6両編成を作る場合、先頭車両が付随車であることからそのまま組成することはMT比の関係(動力車の割合が小さくなりすぎる)で不可能となり、先頭車改造を行うにしてもパンタグラフの位置の兼ね合いなどで大規模な改造が必要となってしまう。そのため、0系よりも早くG編成は淘汰されてしまった。

また、JR西日本の0系は「ウエストひかり」のために延命工事を施された車両が多く、100系初期車よりも状態の良い車体も少なくなかった。そのため、100系の短編成化改造より、延命工事施工済みの0系を継続使用した方が経済的だったのである。

[編集] 今後の予定

N700系の大量導入に伴って500系を8両編成に短縮した上で2008年12月から5編成を山陽新幹線「こだま」に転用。また、現行の「ひかりレールスター」用700系7000番台も急勾配区間が多い九州新幹線への直通が性能面で困難なことから、N700系ベースの新型車両(N700系7000番台)を導入することが決定した。

それに伴う本系列の運用離脱時期については明言されていなかったが、2011年春の九州新幹線全面開業により順次、廃車になる予定と報道[62]されているが、JR西日本からの公式な発表はない。

[編集] 保存車両

123-1(元X2編成)
  • 123-1(初代G1→X2編成1号車),168-9001(X0→X1編成8号車)
    JR東海浜松工場に保管されている。同工場のイベントなどで一般公開される。
  • 179-3009(V9編成7号車),168-3009(V9編成8号車)
    JR西日本博多総合車両所内で保管されている。車籍も残っており、時折イベントなどで公開されている。

[編集] その他

最終的に本系列として実現する0系後継車の構想は1981年頃には既に存在し、今後の国鉄車両の方向性を示すものの一つとして各種メディアや『鉄道ファン』等の鉄道雑誌に取り上げられた。当時公表された構想図のうち、先頭部形状や塗色については大まかな概念図が主であったが、アコモデーションのそれは2階建食堂車のレイアウトやグリーン個室など、この時点で後年の実車にかなり近いものであった。また、実現しなかったものでは2階部分をフリースペースのラウンジとした案もあった。

これらの案に基づいて、浜松工場では2階建て車両のモックアップが制作された。

また、V編成「グランドひかり」以外の編成による「ひかり」の通称として「スーパーひかり」が使われることがあった。この呼称は、前述の構想とは別の、300系列車およびその源流の超高速運転構想における仮称が転用されたものである。

[編集] 脚注

[ヘルプ]
  1. ^ a b c d e f g h i j 『高速鉄道物語 -その技術を追う-』 日本機械学会、成山堂書店、1999年、p.33。ISBN 4-425-92321-9
  2. ^ 『Rail Magazine 238(2003-7)』 ネコ・パブリッシング、2003年、p.23。
  3. ^ 『Rail Magazine 238(2003-7)』 ネコ・パブリッシング、2003年、p.26。
  4. ^ a b c d 『高速鉄道物語 -その技術を追う-』 日本機械学会、成山堂書店、1999年、p.86。ISBN 4-425-92321-9
  5. ^ J2編成の各車両は1992年2月5日、100系G46編成の各車両は同月28日落成(交友社『鉄道ファン』1992年8月号 No.376 83頁参照)
  6. ^ a b 『高速鉄道物語 -その技術を追う-』 日本機械学会、成山堂書店、1999年、p.80。ISBN 4-425-92321-9
  7. ^ このNSマークは時刻表で「2階建て車両連結」を意味することとなったほか、新幹線車内の温度計にも標記された。
  8. ^ a b c d 『Rail Magazine 238(2003-7)』 ネコ・パブリッシング、2003年、p.9。
  9. ^ 『Rail Magazine 238(2003-7)』 ネコ・パブリッシング、2003年、p.11。
  10. ^ a b c d 『Rail Magazine 238(2003-7)』 ネコ・パブリッシング、2003年、p.7。
  11. ^ 『Rail Magazine 238(2003-7)』 ネコ・パブリッシング、2003年、p.17。
  12. ^ a b c d e 『Rail Magazine 238(2003-7)』 ネコ・パブリッシング、2003年、p.12。
  13. ^ a b c 『Rail Magazine 238(2003-7)』 ネコ・パブリッシング、2003年、p.13。
  14. ^ 現行車両も含めて東海道区間のみ車内販売で購入することができる。
  15. ^ 残り距離表示は当初は15km手前からだったが、電光ニュースが表示されるようになってからは停車駅到着予告のアナウンス後・5km手前からとされた。
  16. ^ 東海道新幹線内は1989年3月から、V編成・山陽新幹線内では2000年3月から実施。
  17. ^ a b 鉄道ファン 2003年11月号』 交友社、2003年、P.58。
  18. ^ 『新幹線のぞみ白書』 大朏博善、新潮社、1994年、p.71。ISBN 4-10-400201-1
  19. ^ 鉄道ファン 2003年11月号』 交友社、2003年、PP.52,58。
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  27. ^ 『Rail Magazine 238(2003-7)』 ネコ・パブリッシング、2003年、p.21。
  28. ^ 後に300系で3,000km/日の運用が出現した。
  29. ^ 『Rail Magazine 238(2003-7)』 ネコ・パブリッシング、2003年、p.25。
  30. ^ ただし、「のぞみ」の運転が開始された1992年3月以前は、原則的に広島駅以西に入ることはなかった。
  31. ^ 回送・譲渡日時は、G9:2001年3月14日,G10:2002年2月4日,G15:2001年12月5日,G19:2001年7月5日,G30:2002年7月4日,G43:2002年11月5日
  32. ^ 鉄道ファン 2003年7月号』 交友社、2003年、P.91。
  33. ^ N700系ではこれを発展させたフルカラーLED方式がJR西日本車とJR東海車に共通で採用されている。300系は短期間で所要編成数を揃える必要があったので、先に登場していた東海車からの大幅な設計変更は避けたために東海車と同一の字幕式が採用された。
  34. ^ 但し、2階建て車両は状態の良かったV9編成のものと差し替えられた。
  35. ^ 山陽新幹線では「グランドひかり」運行開始直前の足慣らしと運用変更時に「こだま」で使用されたことがある。
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  55. ^ 1989年6月に製造されたのはV3編成。そのV3編成が種車となっているのはK54,P8,P12編成。そのうち6両編成のものはK54編成のみ。
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  57. ^ “新幹線「こだま」15箇所にヒビ 100系全車両を点検へ”. 山陽新聞Web News. (2009-06-25). http://www.sanyo.oni.co.jp/newsk/2009/06/25/20090625010009221.html 2009-06-26 閲覧。 
  58. ^ “100系車両の側柱キズ入り発見について”. JR西日本プレスリリース. (2009-06-25). http://www.westjr.co.jp/news/newslist/article/1174281_799.html 2009-06-26 閲覧。 
  59. ^ “100系車両の側柱キズ入り発見について(参照図)”. JR西日本プレスリリース. (2009-06-25). http://www.westjr.co.jp/ICSFiles/afieldfile/2009/06/25/20090625_100.pdf 2009-06-26 閲覧。 
  60. ^ 特に東海道区間においては、線路容量ぎりぎりのダイヤのため、低速車両の混在はいわゆる平行ダイヤを組むことに繋がり、全体の速度を下げる結果になっていた。
  61. ^ 新幹線車両の寿命は東海道新幹線の置き換え基準の場合で平均13年とされているが、100系の製造打ち切りから東海道新幹線を撤退するまでの期間は約11年(1992年製造打ち切り→2003年完全撤退)であったため、平均より約2年も早く淘汰されたことになる。
  62. ^ 2009年1月30日付朝日新聞。「もっと知りたい!」より

[編集] 関連項目

[編集] 100系が登場していたJR東海のテレビCM

[編集] 外部リンク

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