国鉄スハ43系客車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内, 検索
スハフ42形。車掌室は出入台の外側にある。写真の車両では、車掌室は奥の乗降扉の右側にある(仙台駅、1985年3月撮影)
オハ46形(高松駅付近、1984年撮影)

国鉄スハ43系客車(こくてつスハ43けいきゃくしゃ)とは、日本国有鉄道(国鉄)が1951年から急行列車用に製造した客車の形式群である。

従来の客車と比較して、居住性を大幅に改善した画期的な客車であった。当初は特別急行列車にも使用され、1980年代初めまで、日本全国で急行列車に広く運用されたほか、早い時期から普通列車でも運用された。国鉄分割民営化直前まで定期運用され、JRへの移行後も少数の車両がイベント列車・観光列車で運用されている。

本項では、関連性の高いスハ44系客車についても記述する。

目次

[編集] 概要

国鉄が定めた正式な系列呼称ではなく、軽量客車と称された10系と従前のオハ35系との間に位置する、同一の設計思想によって製作された客車を総称する、趣味的・便宜的な呼称である。スハ43形を代表としたスハ43系客車の呼称が一般的である。

具体的には、三等車スハ43形スハ44形スハ45形オハ46形、三等緩急車のスハフ42形スハフ43形スハフ44形オハフ45形、三等荷物合造車のスハニ35形特別二等車スロ53形スロ54形食堂車マシ35形マシ36形郵便車スユ41形スユ42形スユ43形、およびこれらの改造車が該当する。

また、1950年度に製造された特別二等車のスロ51形寝台車スロネ30形マイネ41形および郵便車のオユ40形についても、車体構造などに共通点が多いため、同じ系列に含めることが多い。

[編集] 構造

オハ35系の改良版として設計され、急行列車に使用することを前提として製造された。

[編集] 外観

[編集] 車体

鋼体化車両と称された、オハ60形(1949年)で採用された完全切妻形車体(連結面に後退角がない車体)を採用した。これにより客室の有効面積が広がり、わずかではあるが座席間隔も広くなった他、製造上も、デッキ部分の工数が減ってコストダウンにつながっている。

従来の緩急車は、出入り台と客室の間に車掌室を設けていたが、本系列ではオハ60系と同様、車掌室を車端部に移した。これは車掌の後方監視の改善に寄与している。

本車両の生産時期は、戦後復興が進展してきた時代であり、内外装の仕上げも、戦後の混乱期と比較して良好なものとなった。

[編集] 台車

新型台車のTR47が採用された。これは、オハ35系のマイナーチェンジ版というべきスハ42形客車で採用された、ウイングバネ式鋳鋼台車であるTR40の設計を基本としつつ、ブレーキワークの取り回しと枕バネ部分の設計を変更して乗り心地の改善を図ったものである。

TR47形台車(スハフ42形、大井川鐵道千頭駅

国鉄で戦前設計の在来形2軸ボギー客車に多用されていたTR23・34は、軸箱直上に圧縮コイルばねを置く軸ばね式台車であり、ばねの変位量を大きく設定することが困難で、かつ極端な過積載(400人程度)を想定していた[1]ため、枕ばねについて過大なばね定数が設定されており、乗り心地が悪かった。

これに対し、TR34の後継として側枠の一体鋳鋼化を実施したTR40では、基本設計に携わった扶桑金属工業がモハ63形用として国鉄に納入したTR37[2]で成功を収めた、ウィングばね式軸箱支持機構が採用された。枕ばねの設計こそ前世代のものが踏襲されたものの、軸ばねの変位量増大と2本のばねへの負荷分散にともなうばね定数の大幅引き下げ、それに揺れ枕吊りの延長による揺動周期の長周期化で、乗り心地が大きく改善されることが確認された。

冷房装置などの追加にともない、床下機器搭載スペースの不足が問題となりつつあった優等客車は、戦前以来の伝統で、ばね定数引き下げのために車軸数を増やし、3軸ボギー台車とするのが常識とされていた。しかしTR40での成果を受けて設計が見直され、新造される優等客車は、3軸ボギー台車ではなく、通常の2軸ボギー式台車を使用することが決定された。

この方針に従い、まず食堂車であるマシ35・カシ36形用として、TR40の設計を基本としつつ緩衝ゴムの挿入や枕ばねのばね定数変更などを実施したTR46が、今後の標準台車試作の意味合いも込めて1950年に設計された。

更に、その枕ばねに用いる重ね板ばねを4列から2列に減らすなど、主として枕ばね周辺の設計を簡素化し、客車用標準型台車として設計されたのが、TR47である。

TR47は、過積載を想定しても、より現実的に130人程度と見積もることでばね定数の大幅な引き下げを実現しており、これによりTR40と比較しても大幅な乗り心地の改善が実現した。ばねの適切な設定と、一体鋳鋼製側枠による高剛性によって振動が小さくなり、国鉄の旧型台車の中では格別に乗り心地の優れた台車の一つとなった。

しかし一方で、鋳鋼製の台車枠と軸箱守のため重量がかさむ上、ばね下重量が過大で軌道破壊が起きやすいという欠点があり、そのため後期形では、側枠や軸箱守などの設計が変更され、軽量化が試みられている。

なおTR47はその優秀な性能を買われ、本系列群から捻出した他の用途への転用例も多く生じている[3]

[編集] 車内設備

スハフ44形(近代化改装車)の内装。座席形状と通路側頭もたせが大きな特徴である
スハフ44形の座席側面に設けられた栓抜き。これが当初の形態であった
スハフ42形の座席テーブルに設けられた栓抜き

それまで、優等客車に比してアコモデーションが劣るのもやむを得ないとされてきた三等客車の接客設備であるが、43系ではこの面で著しい改善が見られた。設備自体の改善に加え、新しい着想による装備も追加して、旅客サービスの向上が図られている。

従来の客車では、車内照明は天井中央に1列で最小限であったが、43系では2列配置とした。当時は、車載の蛍光灯照明は技術・コスト的に困難であり、まだ白熱灯照明ではあったが、照明数の倍増で、従来の客車に比べ車内は大幅に明るくなった[4]

座席は、背ずりの下半分の詰め物を厚くして腰への当たりを良くするとともに、スプリングも軟らかくされて座り心地が良くなり、長距離利用者に配慮したものとなった。シートピッチは15mm拡大され1470mmとされている。また、座席の通路側には固定式の頭もたせが付けられた。頭もたせは、特に夜行列車運用時には乗客に好評で、43系の後続形式である10系客車では窓側にも追加設置された。

客室とデッキを仕切る扉の戸車についても、従来は優等車に限って使用されていた防音戸車を採用し、車端座席の乗客の居住性改善を図っている。

便所は、80系湘南電車同様に、便器を埋め込み式として、内装にタイルによるシーリングを行い、清掃をしやすくして清潔性を高めた。また、便所使用中に客室にその旨を知らせる表示灯も、この形式から採用された。客室端壁面に装備されたこの表示灯は、当初は赤ランプだったが、非常信号と紛らわしく乗客が不安になった事例があったため、後に橙色に変更された[5]

新製当初の初期形車では、乗客の利便性を考慮し、各座席下にくず物入れが設けられたが、運用してみると、清掃の手間が掛かり過ぎるため、後に洗面所に大型のくず物入れを設ける方向に転換した。洗面所もしくはデッキへの大型くず物入れ設置は、以後の長距離用車両の標準装備となっている。

本系列群が登場した時代は、まだ市販の清涼飲料水は王冠で栓をした瓶に入って販売されているのが普通であり、栓抜きを忘れた乗客が、客車の窓枠や肘掛けに王冠を引っかけて瓶をこじ開けようとすることも珍しくなかった。このため、多くが木製内装だった当時の客車では、内装の損傷を招いた。

その対策として、本形式群の増備途中から、小さな金属板をコの字状に折り曲げた固定式栓抜きが装備されるようになった。王冠を栓抜きの下あごに掛け、瓶を手前に引き上げれば、栓抜きの上あごにより栓が抜ける仕掛けである。この単純だが実用的なアイデアが導入されたきっかけは、考案者である市井の一市民が、奇特にも国鉄に無償で使用権を寄付したことによるもので、当初は通路側肘掛け中央に装備された。のちには本系列群も含め、多くの国鉄長距離車両の窓側テーブル下に設置された。なお、本系列も後の近代化改造時に窓側に栓抜き付きのミニテーブルが取り付けられている。

[編集] 形式別概説

[編集] 基本形三等車

[編集] スハ43形

スハ43 2280。(松本駅、1977年)
0番台(1 - 698、電気暖房付き車両は製造番号 + 2000)
スハ43系の中心的存在となる基本番台の座席客車。698両が製造された。その内の3分の2ほどが他形式に改造、または編入されている。後期製造車の内で自重の軽いものはオハ46形へ編入された。また、戦前製の旧型車をオシ16形、オハネ17形に改造する際に、当形式のTR47を取り外し、これらの改造元車両が装着していたTR23と振り替えている。この振り替えを受けた車両は、自重が軽くなったため、重量ランクが一つ下がり、別形式のオハ47形とされた。1965年には、4両がスハフ42形400番台に改造されている。なお、オハネ17形の電気暖房化による台車振り替えの際、5両のオハ47形が再度TR47形台車を装着したために、これらの車両はスハ43形に復元されている。1978年以降、一部の車両は郵便荷物車スユニ50形に台車などを流用された。
700番台 (701 - 717)
スハ43形基本番台車に、北海道向けとして二重窓化や耐寒構造化などの改造を行い、スハ45形と同仕様にしたものである。1973年(昭和48年)に17両が改造された。当初に改造された11両は500番台としていたが、後期に製造された基本番台車と番号が重複するために、700番台に改番されている。700番台車の内、2両はオハ47形からスハ43形に復元された車両が種車 (650・652) である。後に、スハフ42形500番台に2両が改造されている。

[編集] スハフ42形

スハフ42 2195。車掌室の側から見る。妻面に窓がある。(松本駅、1977年)
基本番台(1 - 335、電気暖房付き車両は製造番号 + 2000)
スハ43形の緩急車版として製造された基本番台。車掌室は、従来車と異り乗降デッキの外側にあり、妻面には監視窓がある。
後に19両がスハフ42形500番台車に改造された。オールロングシート化され、オハフ41形(200番台)となったものや、軽量化改造を行いオハフ33形に編入された車両(スハフ42 18 → オハフ33 630)もある。1978年以降、一部の車両は郵便荷物車スユニ50形に台車などを流用された。
400番台(2401 - 2404、全車電気暖房付き車両)
1965年から翌年にかけてスハ43形基本番台を緩急車改造して登場したもので、乗降デッキの内側に車掌室があることで、スハフ42新造車と区別できる。4両が改造された。4両とも電気暖房付きのため、車番は基本番号に2000を足した番号である。
北海道向けのスハフ42形500番台に改造されたものが1両 (519) ある。
500番台 (501 - 523)
スハフ42形の北海道向け改造車の番台であるが、種車が数車種ある。内訳として、スハフ42形0番台から改造されたものが19両 (501 - 518・520)、スハフ42形400番台から改造されたものが1両 (519)、スハ43形700番台から改造されたものが2両 (521・522)、スハ42形の北海道向け改造車から改造されたものが1両 (523) となっている。基本的にはスハフ42形の他番台と見た目は変わらないが、523は種車がオハ35形と同一車体のスハ42であるため、他の43系客車と異なりオハ35形と同様の妻面に後退角が付いた半切妻になっており、台車もTR40を装着していた。522は、オハ47形からスハ43形に復元された車両が種車である。なお、釧網本線で運用されていた520 - 523は、車掌室部分の窓に住宅用の引き違い式アルミサッシを使用していた。

[編集] 酷寒地形三等車

スハ45 13

北海道向けとして製造されたもので、客用窓が二重窓となっており、耐寒構造が強化されている。蓄電池は大型化され、車軸発電機も歯車駆動式が装備されている。

[編集] スハ45形

0番台 (1 - 53)
スハフ44形とともに北海道向けに製造された座席車で、1952年(昭和27年)から1954年(昭和29年)にかけて53両が製造された。車体の基本構成はスハ43形と同じであるが、客窓の二重窓化、温気暖房装置等の北海道向け設備を装備しており、台車は歯車駆動方式の車軸発電機を使用している。外観はスハ43形に酷似している。後に5両が五稜郭工場で車掌室と緩急設備を取り付ける改造を施されスハフ44形に編入された。

[編集] スハフ44形

小樽市で保存されているスハフ44 7
0番台 (1 - 27)
スハ45形とともに北海道向けに製造された緩急設備付き座席車で、1952年(昭和27年)から1954年(昭和29年)にかけて日本車輌製造、川崎車輌、汽車製造で27両が製造された。車体の基本構成はスハフ42形と同じであるが、客窓の二重窓化、温気暖房装置等の北海道向け設備を装備しており、台車は歯車駆動方式の車軸発電機を使用している。1988年(昭和63年)に1両が「C62ニセコ」用のスハシ44形に改造された。外観はスハフ42形に酷似している。
100番台 (101 - 105)
スハ45形に車掌室と緩急設備を取り付けスハフ44形に編入したグループで、1972年(昭和47年)に五稜郭工場で5両改造された。前位側の座席1ボックス分を撤去して車掌室が設けられたため、出入台はスハフ44形0番代と異なり車体両端にある。

[編集] 軽量形三等車

乗客にも現場にも好評だったスハ43系だが、積車重量が40トンの「ス」級であるため、長大編成を組む際には機関車に大きな負担となる問題があった。そこで、1955年(昭和30年)には、各部の軽量化を図り重量を「オ」級に下げる改良を行った、オハ46形オハフ45形が製造された。車体構造や内装はスハ43系と同等であるが、屋根が鋼板製となったため、妻面のキャンバス押さえが省略され、雨樋も金属製となり、縦樋が円管状の細いものとなっていることなどが外観上の特徴である。台車はTR47であるが、側枠や軸箱守の素材に工夫を行う等により、軽量型となっている。

[編集] オハ46形

オハ46 13。オリジナル車で、鋼板製の屋根と屋根布押えのない妻面上部に注目。
基本番台(1 - 60、電気暖房付き車両は製造番号 + 2000)
スハ43形の各部を仕様変更し、自重を軽量化した車両である。60両が製造された。
スハ43形からの編入車(374 - 398・494 - 553・599 - 628・654 - 698、電気暖房付き車両は製造番号 + 2000)
スハ43形として製作された車両のうち、設計変更のため自重が軽減された後期製作車の一部を改番編入したものである。落成後の計量で1区分軽い「オ」級に収まる160両が対象となり、1956年に改番されオハ46形へ編入された。記番号は形式のみが変更され、個別番号は旧番号を踏襲したため車両番号は連続していない。
基本番台と異なり、構造はスハ43形と同一である。1978年以降、一部の車両は郵便荷物車スユニ50形に台車などを流用された。

[編集] オハフ45形

基本番台(1 - 25、電気暖房付き車両は製造番号 + 2000)
スハフ42形を設計変更し軽量化した車両である。1978年以降、一部の車両は郵便荷物車スユニ50形に台車などを流用された。
100番台(101 - 111、電気暖房付き車両は製造番号 + 2000)
オハ46形の基本番台に車掌室を追設し、緩急車に改造した車両である。種車の関係で車掌室は乗降デッキの内側に設けられている。
200番台(201 - 209、電気暖房付き車両は製造番号 + 2000)
オハ46形のうち、スハ43形から編入した車両を緩急車化改造した車両である。種車の関係で車掌室は乗降デッキの内側に設けられている。

スハフ42形は、元々スハ43形よりも自重が重く、計量しなおしても「オ」級になるものが存在しなかったため、スハフ42形からオハフ45形に編入された車両はない。

[編集] 三等車(台車振り替え改造車)

[編集] オハ47形

オハ47 2261
0番台(1 - 328、電気暖房付き車両は製造番号 + 2000)
1960年代中盤、高度経済成長の時流に乗った急行列車における、寝台車需要の急激な伸びに対応するため、戦前製優等客車の台枠を再利用して、10系寝台車と同等の車体を新製したオハネ17形が量産された。
このオハネ17形を製造する際、台車の新造は予算面で困難であったため、寝台車の乗り心地向上の見地から、既存台車中で最良の乗り心地であったスハ43形のTR47の流用が実施され、その代わり、台車を供出したスハ43形には、複雑な手続きを経て捻出された[6]TR23を、若干改造のうえで装着することとなった。この改造を受けたスハ43形は、台車が軽くなったため自重が減って「オ」級にランクダウンし、オハ47形に形式変更された。乗り心地は、本来のスハ43に比してやや悪くなった。なお、電気暖房付き車は、途中に碓氷峠越えの区間を抱え重量制限が厳しい信越線系統の列車を中心に充当された。後に、オハ47形500番台に8両、緩急車のオハフ46形0番台に30両、オハフ46形500番台に1両改造された。
500番台 (501 - 508)
オハ47形を北海道向けに改造したもので、8両が改造された。後に、1両がオハフ46形500番台に改造された。

[編集] オハフ46形

0番台(1 - 30、電気暖房付き車両は製造番号 + 2000)
オハ47形を緩急車改造したもので、30両が改造された。後に5両が北海道向けのオハフ46形500番台に改造された。
500番台 (501 - 507)
総計7両が改造された。オハフ46形の北海道向け改造車の番台であるが、オハ47形からの改造車も2両存在した。501 - 505がオハフ46形0番台からの改造、506がオハ47形0番台からの改造、507がオハ47形500番台からの改造である。

スハフ42形も、スハ43形と同様に台車交換を行いオハフ47形とする計画もあったが、急行寝台列車の格上げによる特急寝台列車への移行が急速に進展し、オハネ17形の製造が打ち切られたため、これは実現しなかった。

[編集] 特別二等車(後のグリーン車

[編集] スロ51形

鋼体化改造車のスロ60・50形に続く初の新造特別二等車。

オハ41 364(スロ51 45からの改造車)岩国駅にて
オハ41 356(スロ51 36からの改造車)高松駅付近、1984年撮影

自らの強い指示で製造(鋼体化改造)したスロ60・50形の好評ぶりを見たCTS(連合軍総司令部民間運輸局)は、続いて全国を走る急行列車の二等車置換指示を出し、これを受けて1950年に60両が製造された。スロ50形と同様、座席間隔は1100mmで窓幅700mmだが、給仕室と手荷物室を縮小して客室長を確保したため、定員は52人となった。台車は、TR40をベースに乗り心地の改善を図ったTR40Bである。

このうち8両は二重窓を装備して北海道に配置されたが、1952年にスロ52形に改称された。のちに残るスロ51形のうち10両を北海道向けに改造し、スロ52形に編入している。スロ51・52形の増備により、全国の主要な急行列車に最低1両は特別二等車が連結されることになったが、シートピッチや乗務員室・荷物保管室が狭い等、必ずしも好評の声ばかりではなく、以後の増備は後述のスロ53・54形になった。

両形式とも一部が緩急車化されてスロフ51形スロフ52形となったが、冷房化改造は行われなかったため、優等列車の急激な電車化や気動車化の進行にともない淘汰対象となり、大部分はロングシート化され、オハ41形、オハフ41形になって1983年まで在籍した。

また一部はマニ37形や保健車スヤ52形に改造され、国鉄民営化直前まで在籍した。なお改造されなかったものは、一部の普通列車に使用された後、1972年3月末までに廃車された。

[編集] スロ53形

1951年に30両が製造された。座席間隔が1160mmに拡大され、現在につながるグリーン車の基本様式を確立した。

スロ60・50・51各形の使用実績と乗客・乗務員の意見をもとに設計されたため、当時としては完成度の高い特別二等車とされるが、本形式で新採用したアメリカ流の鋼板製荷物棚は、忘れ物のトラブルが多発したため失敗と評価され、以降製造された国鉄の特急・優等座席車の荷物棚は長らくステンレスパイプ棚が採用された。

1957年から1958年にかけて、客車の近代化改装工事により側窓のアルミサッシ化と室内灯の蛍光灯化が実施され、1961年から1964年にかけて全車が緩急車化され、スロフ53形となった。本形式も冷房化改造を実施されなかったため、ロングシート化されてオハ41形、オハフ41形に、郵便車・荷物車に改造されてマニ37形、スユニ61形になったものがあるが、改造されなかったものは1975年までに廃車されて形式消滅となった。最後まで在籍した2025(←スロ53 4)は、1971年に、松任工場で側廊下14畳敷に簡単な供食スペースを備え、側窓下にかつての三等車を意味する赤帯を巻いた「お座敷食堂車」に改造され、前年秋から運転されていた能登半島観光列車「ふるさと列車おくのと号」に連結されて1973年9月末の列車廃止まで運用に就いた。

[編集] スロ54形

1952年から1955年にかけて47両が製造された。基本形態はスロ53形と同じだが、照明が蛍光灯に変更されたため別形式になった。

1964年に2両が床下装架形冷房機+給電用ディーゼル発電機セット(ダイハツ製エンジン)により冷房改造され、マロ55形となったが、床に風道を設けたため段差が生じるなどの問題があり、残る45両については、1966 - 68年に車体を低屋根に改造して屋上にAU13分散式冷房装置を設置し、床下に給電用ディーゼル発電機セット(新三菱重工製エンジン)を装架、更に台車を軽量化のためにTR40BからTR23D・Eに交換[7]されるなどの大改造を実施されたが、全車が改造対象であり、また重量等級が変化しなかったためもあって形式はスロ54のままとされた。

後にマロ55形も、床下冷房はそのままで、台車をTR23Dに交換し、原形式番号に戻されている。一部は耐寒改造を受け500番台に改番され、北海道で使用された。

冷房化されていたため、旧特別二等車のなかでは最後まで使用されたが、1960年代以降は北海道と名古屋以西に配置されたため、1975年山陽新幹線博多開業による夜行急行大削減で多くが用途を失って廃車され、北海道内と日本海縦貫線団体臨時用として残ったものも1982年11月15日ダイヤ改正までに運用を失い、翌1983年に全廃された。

[編集] 寝台車

[編集] マイネ41形

国鉄マロネ40形客車#マイネ41形(マロネ41形)参照。

[編集] スロネ30形

1951年に10両が製造された二等寝台車。前年に改造で登場したマロネ39形と同様、4人用のコンパートメント形式の寝室を8室設け、寝台は枕木方向に600mm幅の二段式寝台を設けた。のちのオハネ14形700番台に近い車内寝台配列であった。

寝台幅が在来のマロネ29形より狭く、区分室のため、見知らぬ客同士が同室になることへの抵抗感も手伝って、必ずしも評判は良くなかった。

マロネ29形が駐留軍輸送から返還され、より設備のいいオロネ10形が登場すると、定期急行列車運用からはずされ、臨時急行や準急列車に使われたり、団体臨時列車に使われた。

冷房改造や二等寝台(二等級制時代の)への格下げ改造はされず、1970年までに余剰廃車またはマニ36・37形に改造されて姿を消した。

なお、1950年にGHQからの命令で進駐軍兵員輸送用寝台車として「マロネ31形、スハネ40形」を製造する計画もあったが、これは実現しなかった。

[編集] 食堂車

[編集] マシ35・36形

[編集] 郵便車

[編集] オユ40形

1951年に3両が製造された取扱便用郵便車。荷重は7t。台車は電車用を改造したTR35Uを使用。1956年に締切郵袋室の拡大化改造(荷重8t化)を行い、スユ40形(0番台)に改称された。1972年までに全車が除籍された。

[編集] スユ41形

1952年に2両が製造された取扱便用郵便車。荷重は7t。台車はTR23Aを使用。車内はオユ40形と同じで、新製時より室内灯に蛍光灯が採用されているため、通風器の配置がオユ40形と異なる。1965年に前位側荷物扉を両開き式に改造した。1972年までに全車が除籍された。

[編集] スユ42形

1953年から12両が製造された取扱便用郵便車。荷重は7t。製造年次により形態の差異があり、1953年3月製造の1 - 6は区分室採光窓が枠付の内傾式で、台車はTR23形を使用。同年11月製造の11 - 13は同仕様の車体であるが、台車を防振ゴム付のTR40Bに変更。1954年以降製造の14 - 16は区分室の窓をすべてHゴム固定式に変更し、作業環境改善のため床下に集塵機を設置、腰板部には通気口が設けられた。台車は変わらずTR40B。本形式の室内配置は後に製造されたオユ10形などの10系郵便車にも踏襲された。冷房は設置されず、1979年度までに全車が除籍された。

[編集] スユ43形

1956年に6両が製造された、国鉄郵便車初の護送便用郵便車。乗務員室が中央にあり、その前後に締切郵袋室、後位に車掌室がある。区分室はなく、その分荷重は13tに増加。東京駅 - 門司駅間の鉄道郵便路線(東門線)の輸送改善のために投入された。台車は全車とも防振ゴム付のTR23D。1両は火災のため1972年に廃車され、残存車もスユ15形などに置き換えられる形で1977年度までに全車が除籍された。

[編集] 荷物車

[編集] マニ35形

200番台(2201 - 2204、全車電気暖房付き)
スハニ35形から改造された。台車はTR47を使用。
220番台(2221・2222、2両とも電気暖房付き)
オハニ40形から改造された。台車はTR23を使用。

200・220番台のいずれも両端に出入台を設け、前位には自転車置場、後位には便所、貴重品室、車掌室が配置されていた。後位にある種車の荷物室側の車掌室を再利用していたため、車掌室は、いずれも狭くなっていた。荷重は14t。

他に0・50番台が存在したが0番台はスハ32系、50番台はオハ35系に属する。

[編集] マニ36形

200番台(212 - 216、電気暖房付き車両は製造番号 + 2000)
スハニ35形から改造された。台車はTR47を使用。スハニ35形時代に近代化改造工事を施工済みの車両は側窓がアルミサッシに更新されていた。
他の200番台はオハ35系に属する。
300番台(332 - 337、電気暖房付き車両は製造番号 + 2000)
スロネ30形から改造された。台車はTR40BからTR23に振り替えられている。荷物車化に際して後位に新たに出入台が設けられ、側窓は700mm幅に統一された。
他の300番台は60系に属する。

他に0番台が存在したがスハ32系オハ35系に属する。

[編集] マニ37形

パレットと一般荷物の輸送用として余剰座席車を改造した荷物車。新聞用A形ボックスパレットを積載するため、床は鋼板張りに改装され、パレット固定用のロープ掛けが装備されていた。荷重は14t。

30番台 (31・32)
スロ51形から改造された。
60番台(61 - 64、電気暖房付きは製造番号 + 2000)
スロフ53形から改造された。
100番台 (101 - 103)
スロネ30形から改造された。
200番台 (205)
マニ37 64から改造された。14系座席車と併結可能なようにブレーキ装置を変更した。
他の200番台は60系に属する。

30・60・100番台の各番台ともに台車はTR40BからTR23に振り替えられている。荷物車化の際、前位に新たに出入台が設けられた。

他に0・150番台が存在したが0番台は60系、150番台はスハ32系に属する。

[編集] 救援車

[編集] スエ31形

0番台 (79・182・186)
1971年から1972年にかけてマニ35 2204・2203・2221から改造された。該当車両は1987年までに全車除籍された。
他の0番台はスハ32系オハ35系に、他の100番台はオハ35系にそれぞれ属する。

[編集] オエ61形

600番台 (602)
マニ37 102を1981年に国鉄幡生工場で改造した救援車で、外部色は青15号からぶどう色2号に変更された。
改造後は広島運転所(広ヒロ)に配置され、1987年に除籍された。
他の600番台は60系とスハ32系に属する。他に0・300の各番台が存在したが、0番台は60系に属し、300番台はスハ32系とオハ35系と60系に属する車両が混在する。

[編集] 職用車

[編集] スヤ42形

2次形 (2 - 4)
スハ43形を改造した保健車。国鉄職員の健康診断を行うための巡回車両で、車内にレントゲン室、暗室、聴力検査室、診察室などを設けた。駅構内での留置状態で用いられることが多いため、その間の暖房用として温気暖房装置を搭載している。北海道内で用いられたが1986年までに全車が除籍された。
なお、スヤ42形は他に1両が存在したが、マロネ40形を改造した車両である。

[編集] スヤ52形

保健車の増備のため、1はスロフ52形、2 - 4はスロ52形、5はスロフ51形、6はスロ51形からそれぞれ改造された。外観は一部窓が埋められているがほぼ原形を保っていた。2・5は単独で使用されるため両デッキ式に改造され、それぞれに入口、出口の表示があった。3・6は機器搬入出用の増設扉が特徴である。床下には独立した温気暖房装置を備え、構内に長時間留置中でも自車で暖房が可能である。1・6は2両1組で使用された。1986年までに全車が除籍された。

[編集] 特急形車両(スハ44系)

スハフ43 3(琴平駅、1985年)
スハフ43 19(1981年)

1951年に特急列車のサービス改善を目的として、戦前のスハ34形に相当する専用三等客車が設計された。

基本構造はスハ43形に準ずるが、デッキは特別二等車並みに片側のみとされ、車内は、2列配置の一方向き固定クロスシート[8]がシートピッチ835mmで通路の左右に配置されるなど、まだ戦災復旧車の70系や、窮屈な60系鋼体化客車が当たり前に使われていた当時の一般向け三等客車とは比較にならない、高水準なアコモデーションを備えていた。

このグループとしては、基幹形式であるスハ44形 (1 - 34)、緩急車として車掌室や手ブレーキ装置を持つスハフ43形 (1 - 3)、それに緩急車としての機能に加えて荷物室を持つスハニ35形 (1 - 12) の3形式49両が製造されている。

新造後は当初の計画通り、東海道本線特急「つばめ」・「はと」東北本線特急「はつかり」などの特急列車を中心に使用されたが、昼行特急はスピードアップのために電車化あるいは気動車化され、夜行特急は20系車両を使用した寝台車主体の寝台特急、いわゆる「ブルートレイン」に移行したため、冷房化されることもなく一般形車両に格下げ運用された。なお、この格下げに際して回転クロスシートに改修しているが、シートピッチの関係で向かい合わせ使用は不可能であった。また、スハニ35形は後に近代化改造工事で回転シートになった3両を除き、特急時代の一方向固定式のままであった。

1960から1961年にかけてスハ44形14両 (9 - 22) が緩急車改造され、スハフ43形(10番台) (11 - 24) となった。また、1962年にはスハニ35形2両 (2・3) がオシ16形改造の際、改造種車のTR23とTR47の振り替え対象となり、背摺りを木製で垂直のものに交換して、オハニ40形(同一番号)となったが、これらを含めてスハニ35形は全車、1965年以降荷物車であるマニ35・36形や教習車オヤ33形に改造され、1970年までに消滅している。

[編集] 近代化工事

特急列車の相次ぐ電車・気動車化で余剰となったスハ44系について、観光団体専用列車や急行列車などへの転用が実施されることになった際、一つの問題が生じた。

それは、本系列の座席が終端駅での編成全体の方向転換を前提とする一方向固定式クロスシートであり、そのような運用が困難な団体列車や急行列車での使用に適さなかったこと[9]であった。

そこで団体・急行列車に転用される車両について各車の回転式クロスシートへの交換工事が実施されることとなったが、これにあわせ、10系客車などと比較して陳腐化が目立ち始めていた、内装の近代化改修もあわせて実施することとなった。

このスハ44系の近代化工事は時期により窓枠の構造が変更されたため、2種に大別される。

  • スハ44 1 - 8・スハフ43 11 - 24・スハニ35 4 - 6
    • 最初の近代化工事施工車。1960年度に施工され、客室窓枠のアルミサッシへの変更、照明の蛍光灯化、座席の回転クロスシート化、内張りの木材からメラミン樹脂化粧板への張り替え、客用扉の交換などである。このため無塗装のアルミサッシ窓枠に10系客車に準じた客用扉を備え、塗装も青15号を基本に車体裾部にクリーム色の帯を巻いた当時の観光団体列車専用塗装に変更されたため、新造時とは見違えるような近代的な外観となった。
  • スハ44 23 - 34・スハフ43 1 - 3
    • 改造コスト削減のため、窓枠のアルミサッシ化と内張りの変更が見送られ、客用ドアの交換も行っていない。但し、後にドアを交換した車両は幾つか存在する。
    • 照明は、最初の近代化工事施工グループが直管の蛍光灯を使用しているのに対し、このグループは従来の灯具位置に設置可能な円環型の蛍光灯を使用している。客室内張りは、コストダウンのため従来のベニヤ板を塗りつぶす形となった。これも上記のグループが淡緑色系なのに対し、このグループは暖色系になっている。但し、1975年に四国総局に転属したスハフ43 2・3は1976・1977年に多度津工場で体質改善工事を施工されている。このうち、スハフ43 3はトイレ、洗面所の窓がHゴム支持の固定窓となり、ウインドヘッダーも窓の上で切れている。
    • なお、本グループは当初車体色がぶどう色2号で出場している。

これらの近代化改造工事を施工されたグループは、当初は観光団体列車にオハネ17形などとともに運用されていたが、1964年の東海道新幹線開業後は、幹線系統の急行列車の普通指定席車に充当されるようになり、「瀬戸」・「明星」・「銀河」・「日南」・「筑紫」・「さんべ」などの東海道山陽線夜行急行を主体に使用された。

その後は1970年代以降格上げによる特急列車への種別変更と、1975年の山陽新幹線博多開業で急行列車が激減し、また車両そのものの老朽化も進行したことから、最後まで本系列を使用していた急行「銀河」へ20系客車への置き換えが決定され、1976年をもってスハ44形の全車廃車と本系列の急行運用消滅となった。

もっとも、老朽化していたとはいえ60系よりは格段に良好なコンディションであったためか、車掌台付きのスハフ43形についてはその大半が当時大量の60系客車を抱えていた四国総局へ転属の手配がとられ、体質改善工事などの大がかりな更新修繕工事を実施の上で、国鉄分割民営化直前まで使用され続けた。

その後、1986年に日本ナショナルトラストの活動によりスハフ43 2・3の2両[10]が同団体に払い下げられ、現在も大井川鐵道で動態保存されている。

[編集] 私鉄の同形車両

紀勢本線への乗り入れ列車を運行していた南海電気鉄道が、その専用客車としてスハ43形をベースとしたサハ4801形客車を保有していた。

[編集] 現状

後に登場したナハ10形などの軽量客車グループは、車体構造の宿命からか劣化が早く短命に終わったが、本系統車両群は重量級でこそあったが、頑丈且つ丁寧な造りが幸いして、イベント用とはいえ、21世紀になっても本線上で運行される姿を見ることができる。

[編集] 稼動車両・動態保存車

スハシ44 1

北海道旅客鉄道(JR北海道)では、旭川運転所にスハフ42形が2両、スハフ44形から改造されたスハシ44形が1両配置され、「SL函館大沼号」と「SL冬の湿原号」の客車として使用されている。

東日本旅客鉄道(JR東日本)では、高崎車両センターにスハフ42形が2両(スハフ42 2173・スハフ42 2234)、オハ47形が3両(オハ47 2246・オハ47 2261・オハ47 2266)配置され、オハニ36 11およびスハフ32 2357とともにイベント列車等に使用されている。なお、スハフ42 2173および2234は、近年にデジタル無線取り付け工事も施工されており、車掌室側妻面上部にデジタル無線のアンテナが追加装備されている。2011年に復活を果たしたC61 20の牽引客車として旧形客車の整備工事が2011年早春に同センター内で行われ、同センターが保有する旧型客車の全車両を対象に、JR北海道所有車と同じ仕組みを用いた乗降ドアの半自動改造による半自動化(電磁石により固定された全てのドアを、磁力解放時にクローザーの引力を利用して閉めた状態で、スイッチ操作によりロックを掛けられる集中鎖錠装置の設置)を実施、更にオハ47形3両全てのトイレが従来の線路垂れ流しの和式から汚物処理装置を備えた洋式に改造されている。それまでは、スハフ42 2173が現存する旧形客車で唯一汚物処理装置を備えたトイレが使用可能な車両であり、他の車両のトイレは整備されておらず「使用停止」という張り紙で締め切られていた。現在はオハ47形のトイレ改装と引き換えに、スハフ42 2173のトイレ室を利用した機械室に切り替わったため、同車のトイレが使用停止になった。また、バッテリーなども整備され、スハフ42 2173及びスハフ42 2234の尾灯のLED化を実施し、整備完了後の初めての営業運転は2011年4月29日運転の「ELレトロ横川号」から行われた。蒸気暖房装置は同初冬に整備が行われ、営業としての蒸気暖房装置使用再開は2012年2月にある「SL内房100周年記念号」から開始する予定である。

オハフ46 2008(JR東海保留車)

東海旅客鉄道(JR東海)では、美濃太田車両区にオハフ46形が3両所属していたが、2008年3月31日付で2両が除籍され、残りの1両も2009年3月31日付で除籍された。美濃太田車両区で保管されていたスハ43 321は、2011年3月に開館したリニア・鉄道館に移設のうえ展示されている。

西日本旅客鉄道(JR西日本)では、宮原総合運転所にオハ46形が1両配置されている。保留車。(現在は梅小路運転区に留置されている)

大井川鐵道では、大井川本線にオハ47形が4両、スハフ42形が4両配置され、オハ35形オハフ33形とともに「SL急行」の客車として使用されている。また、財団法人日本ナショナルトラスト所有のスハフ43形2両(スハフ43 2・3)が動態保存されている。

津軽鉄道では、津軽鉄道線にオハ46形が2両イベント・団体用(冬季はストーブ列車用)として配置されている。

[編集] 静態保存車

  • 北海道小樽市にある「小樽市総合博物館」にスハ45 14・スハフ44 1が保存されている。
  • 北海道三笠市にある「三笠鉄道村」にスハ45 20とスハフ44 12とオハフ46 504が保存されている。
  • 北海道勇払郡にある「追分町鉄道記念館」にスハ45 25が保存されている。
  • 北海道紋別郡にある「丸瀬布いこいの森」にスハ43 703が保存されている。
  • 北海道虻田郡にある「六郷鉄道記念館」(旧胆振線六郷駅跡)にオハフ46 501が保存されている。
  • 北海道虻田郡にあるペンション「ファーストムーン洋蹄」内の養鶏場の鶏舎としてスハ45 21・36が利用されている[11]
  • 北海道岩内郡にある「幌似鉄道記念公園」(旧岩内線幌似駅跡)にスハフ42 507が保存されている。
  • 北海道余市郡にあるラーメン店「ソーラン号ラーメン列車」にスハ45 40が店舗として利用されている。
  • 北海道小樽市にあるレストラン「トレノ」にスハ43 717が店舗として利用されている。
  • 北海道小樽市にある「北海道ワイン」にスハフ44 6・7が保存されている。この2両は、C62ニセコに使用された。
  • 北海道久遠郡にある「バーベキューハウスメーメー」にスハフ42 506が店舗として利用されている。
  • 北海道室蘭市にある「ウインズ室蘭」にスハ45 19・48・49・51が保存されている。
  • 北海道勇払郡にある「富内鉄道公園」(旧富内駅跡)にスハ45 26がライダーハウスとして利用されている。
  • 北海道沙流郡にある「振内鉄道公園」(旧振内駅跡)にスハ45 37とスハフ42 519がライダーハウスとして利用されている。
  • 北海道新冠郡にあるライダーハウスにオハフ46 505が利用されている。
  • 北海道の函館本線大麻駅南口にあるカレーレストラン「じかん」にスハ45 2が店舗として、車体の縦半分を駅舎内に組み込まれた状態で利用されている。
  • 北海道夕張郡にあるユニトピア川端パークゴルフ場にスハフ44 11・27がレストハウスとして利用されている。この2両は、C62ニセコに使用された。
  • 北海道上川郡にある「ライダーハウス白樺」跡にスヤ52 2が放置されている。
  • 北海道河東郡にある「上士幌町鉄道公園」(旧糖平駅跡)にオハフ46 506が保存されている。
  • 北海道川上郡にある「ホテルパークウェイ」にスハフ42 522がカラオケルームとして利用されている。
  • 北海道北見市にある「喫茶店湧網線」跡にスハフ44 4が放置されている。
  • 北海道網走郡にある「相生鉄道公園」(旧相生線北見相生駅跡)にスハフ42 502が保存されている。
  • 北海道網走市にある「卯原内交通公園」(旧湧網線卯原内駅跡)にオハ47 508が保存されている。
  • 北海道北見市にある「NPO自然体験村虫夢ところ昆虫の家」にスヤ42 4が研修室や宿泊施設として利用されている。
  • 北海道紋別郡にある「計呂地交通公園」(旧湧網線計呂地駅跡)にスハ45 17が保存されている。
  • 北海道富良野市にある「北の国から 吾郎の拾ってきた家」としてスハ43 711とスハフ44 15が利用されている。
  • 茨城県結城市にある「富士見幼稚園」にスハフ42 2052が客車劇場・客車文庫として利用されている。
  • 東京お台場船の科学館フローティングパビリオン羊蹄丸」船内にて、スハフ44 25が展示されている。
  • 石川県白山市にある「松任青少年宿泊研修センター」にオハ47 2079・2235が保存されている。
  • 福井県福井市にある「焼肉レストランどん幸」跡にオハフ45 2014が保存されている。
  • 福井県武生市にある「やまぼうし高原」にオハフ46 2029が保存されている。
  • 徳島県小松島市にある「自動車店オートザム」にスハフ43 15が保存されている。
  • 徳島県板野郡にある「阿波っ子ステーション」にオハ47 107・129が保存されている。
  • 徳島県板野郡にある「上板町歴史民族資料館」にスハ43 275が保存されている。
  • 高知県高知市にある「ながさきチャンポン」にオハ47 2316が店舗として利用されている。

[編集] 脚注

  1. ^ ラッシュアワーのすし詰め状態となる通勤電車(TR23系台車は電車付随車にも使用された)を除けば、平常ではあり得ない過大荷重である。
  2. ^ 社内呼称FS-1、後のDT14。
  3. ^ 旧形客車改造の軽量寝台車オハネ17形制作時には、乗り心地改善のために大量に捻出転用され(この結果、新形式のオハ47形・オハフ46形が出現した)、更に、はるか後年のオリエント急行日本運行(1988年)に際しては、搭載車の自重が「マ」級以上となることからばね定数の変更を実施し、オリエント急行用客車の日本国内運行用台車に流用された。
  4. ^ 1960年代以降、近代化改造工事に併せてサークライン型の蛍光灯に交換されている。
  5. ^ 現代の車両では乳白色のものが採用されている。
  6. ^ オハネ17形に台枠を提供した車両には、3軸ボギー台車を装着する車両が多数含まれており、直接これを流用することは出来なかったため、予備部品や廃車により発生した部品の流用で、必要数が揃えられている。
  7. ^ この台車は近代化改装施工済みのオロ35形から捻出され、スロ54形のTR40Bはスハ32形へ、スハ32形のTR23に振り替えられたオロ35形はマニ36形に改造された。
  8. ^ 当時の特急列車では、終端駅で編成単位での方向転換を実施し、展望車が最後尾となるようにするのが常識であり、本系列の一方向固定クロスシートの採用も、その常識が前提であった。
  9. ^ これは本来の用途である特急でも問題となった。京都駅 - 博多駅間運行であった特急「かもめ」では、京都方では、梅小路のデルタ線使用で極めて短時間での方向転換が可能であったものの、博多方での編成の方向転換に博多駅→吉塚駅筑前勝田駅香椎駅→吉塚駅→博多駅、と筑豊地区の路線群を引き回す必要があった。その作業には実に1時間43分もの時間が浪費され、費用面でも深刻な問題であったため、早期に10系客車への置き換えが実施されている。
  10. ^ 当初はスハ44の面影を留めるスハフ43 11 - 24の譲受を希望していたが、交渉の段階で既に最後の1両が飲食店に払い下げられており、やむなくこれら2両の譲受となったという。
  11. ^ このうち、スハ45 21は車体を延長する改造を受けている。

[編集] 参考文献

[編集] 関連項目

個人用ツール
名前空間
変種
操作
案内
ヘルプ
ツールボックス