国鉄キハ181系気動車

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国鉄キハ181系気動車
「やくも」 1982年 岡山駅
「やくも」 1982年 岡山駅
営業最高速度 95km/h→120km/h
車両定員 キハ181 52 (席)
キハ180 76(席)
キロ180 48(席)
キサシ180 40(席)
最大寸法
(長・幅・高)
キハ181・キサシ180 21,300mm×2,903mm×3,955mm
キハ180・キロ180 21,300mm×2,903mm×4,087.3mm
車両質量 キハ181
44.2t(量産先行車)/44.6t(量産車)
キハ180
41.4t(量産先行車)/42.0t(量産車)
キロ180
42.2t(量産先行車)/42.5t(量産車)
キサシ180
30.3t(量産先行車)/31.6t(量産車)
機関出力 500PS/1600rpm (DML30HSC) 1基
(キハ181・キハ180・キロ180)
駆動装置 液体式
DW4C(量産先行車)/DW4F(量産車)
変速段 変速1段・直結1段
台車 ダイレクトマウント空気バネ台車
制動方式 電磁自動ブレーキ (CLE)
機関ブレーキ
保安装置 非常時交互点滅灯、ATS
製造メーカー 富士重工業新潟鐵工所日本車輌製造[1]
備考 参考文献『形式キハ80・181系』p.63
(予讃線伊予三島-観音寺間、1992年1月4日)

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(北陸本線富山-高岡間、1999年8月3日)

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国鉄キハ181系気動車(こくてつキハ181けいきどうしゃ)[* 1]とは、日本国有鉄道(国鉄)が開発・保有した特急形気動車1968年から1972年までに158両が製造された。

概要[編集]

特急形気動車としてその快適性から好評を博していた、在来のキハ80系の設計コンセプトを踏襲しつつ、キハ90系試作車における大出力エンジン開発の成果を踏まえ、国鉄の量産気動車としては初の500PS級大出力エンジン搭載車となった。大出力を利して主に電化前の中央西線奥羽本線伯備線、あるいは土讃線など勾配区間が連続する急峻な山岳線区を中心に、特急列車用として投入された。

開発経緯[編集]

本系列登場以前は、非電化区間特急列車用としてDMH17H系ディーゼルエンジンを搭載するキハ80系が投入され、電化区間とほぼ同等の快適な特急サービスを日本全国に幅広く提供して好評を博していた。だが、キハ80系には快適な客室設備とは裏腹に、以下の制約を抱えていた。

  • 搭載機関が旧式かつ非力で、十分な走行性能を確保するには1両あたり2基ずつ搭載する必要がある。
  • サービス電源用の発電セットを搭載する車両については走行用エンジンが1基までしか搭載できない。
  • 発電セットは4両につき1両(消費電力の大きな食堂車は1両につき2両分の負荷とみなす)に搭載する必要がある。
  • 運転台付き車両は例外なく発電セットを搭載するため、食堂車を含む基本編成7両中2両が必ず1エンジン車となり、それ以上の増結時にも最低1両は1エンジン車が含まれる。

これらの制約から、キハ80系ではおのずと編成中の2エンジン車の比率が低下し、編成全体の走行用エンジン出力が不足気味となった。同時に、高速運転を重視した歯数比としたことから、同系列は勾配線区での均衡速度を高く取れなかった。さらに、同系列が搭載するDMH17系機関にはその熱効率の悪さ故に排気管過熱・焼損が発生しやすく、俗に「5ノッチ・5分」として知られる全力運転を5分以内に限るという運用上の制約を抱えていた[要出典]。そのため、キハ80系は急勾配区間が連続する山岳線区への投入は極めて困難であり、また電車特急との混走区間でのさらなる運転速度の引き上げも事実上不可能であった[* 2][2]

キハ80系は当初、DD13形用のDMF31Sを横置き(水平)シリンダーとしたDMF31HS系ディーゼルエンジンと、新型の多段直結式液体変速機を搭載する大出力ディーゼルカーとして計画されていた。だが、キハ80系設計直前の1960年に、同系列のためのデータ収集用試作車として計3両が製造されたキハ60系の試験では、肝心のDMF31HSAエンジンとDW1多段直結式液体変速機の実用試験が失敗に終わってしまう[* 3]。そのため、同エンジン・変速機の実用化を前提に進められていた特急用新型ディ-ゼル気動車は、開発スケジュールの問題もあって同エンジン・変速機の不具合の問題解決を諦め、基本設計が古く非力だが一定の信頼性が確保可能なDMH17系機関を横置き仕様に手直しした、新設計のDMH17H系機関[* 4]を2基搭載とするほかなかった。

こうして半ば応急処置的に開発されたキハ80系が初期のトラブル続出を乗り越え大きな成功を収める一方で、その後も国鉄内部では一度は失敗に終わった単一機関による大出力ディーゼルカーの開発が模索され続けていた。そうして1964年度に至り、ようやく気動車用の新型大出力ディーゼルエンジンと、これに適合する新型液体変速機の実用化に目処がつくことになる。このとき新開発された2種のエンジンは以下の特徴を備えていた。

  • DMH17系[* 5]のそれを基本にピストン径を10mm拡大し、増積を図った新設計のシリンダを採用。
  • 過給器の付加による気筒内圧力の増大を前提に、各部の構造を強化。
  • 必要に応じ、直列6気筒あるいは水平対向[* 6]12気筒構成を選択可能。

これは、1気筒当たりの排気量が過大で気筒内潤滑が難しく、気動車用横置き(水平)機関としての使用に適さないことが判明した、キハ60系用DMF31HSA[* 7]に対する反省から生み出されたもので、過給器常用を前提[* 8]としシリンダ径を変更した以外は、燃焼室の構造やシリンダの行程長が同一で、かつシリンダ数を増減して様々な性能要求に対応する点などを含め、第二次世界大戦前に初号機が完成していたDMH17系の影響が極めて色濃く、既に燃料噴射方式の直噴方式への移行が進みつつあった同時代の欧米の同級エンジンと比較すると、明らかに時代遅れの基本設計を備えたエンジンである。

これらの新型機関は、当時の国鉄の命名基準に従って6気筒モデルがDMF15HZA、12気筒モデルがDML30HSAと付番され、新系列機関と呼称された。前者は過給器に加えて中間冷却器の追加で300PS、後者は過給器のみの付加で500PSを発揮した。これらは1966年に試作されたキハ90形・キハ91形にそれぞれ搭載の上で評価試験が実施された。この際、新型気動車の走行用機関としては出力に余裕があり、冷房用電源のための床下スペース捻出も容易なDML30HSAが採用されることになった。

この決定を受け、1967年夏にはDML30HSAに小改良を施したDML30HSBを搭載するキハ90系量産試作車が落成し、同年秋の中央西線での性能試験以降、中央西線の急行「しなの」などでの大出力新系列気動車の長期実用試験が開始された。しかし、この実用試験完了を待っていては当時国鉄が進めていたいわゆる「ヨンサントオ」と呼ばれる1968年10月実施予定の白紙ダイヤ改正に伴う列車高速化計画に間に合わないことは明らかであった。そのため、既に一定の実用性が立証されているキハ91形の走行機器と、キハ80系の車体構造を折衷する形で、キハ90系による試験結果を待たずに新型特急形気動車の設計が開始された。

こうして1968年に完成したのが本系列、181系気動車である。

車体[編集]

キハ181系はキハ80系の外観と接客設備を踏襲しているが、以下の相違点が見られる。

車体構造[編集]

151系「こだま形」特急電車に始まる、準張殻構造、複層ガラス、客室設備、それに特急色などの要素は受継がれた。ただし、機関出力の増大、屋根上への自然放熱式冷却器の搭載、冷房装置の強化に伴う重量増などの対策のための構体補強などにより自重は中間車であるキハ80形とキハ180形の比較で3t増加している。また、台車仮想心皿方式となり、枕ばねとして車体直結型空気ばねが採用されたため、客用扉が位置的にこれと干渉することから戸袋を設けて引き戸にすることができず、2枚折戸に変更された。加えて同時期製造の特急電車などと同様に、側面行先表示器を採用し、便・洗面所をデッキ外に配置している。またキハ82形をはじめとする他の特急色と異なり、側面の帯は上部が出た逆台形型となった。

車体寸法[編集]

キハ80系固有の車体長21mから、新世代の客車・気動車標準の21.3m(いずれも連結面間)に拡大された。

前面デザイン[編集]

キハ181 キハ82
キハ181
キハ82

好評であったキハ82形の貫通形デザインを踏襲した。ただし、ライトケースがキハ82形の丸みを帯びたものから角張ったものに、ヘッドマークが逆台形のものからに長方形に変更され、尾灯とタイフォン(警笛)が一体型のケースにまとめられた。また塗装の羽型飾り帯の意匠が一部変更されている。

車内[編集]

キハ180形車内

キハ80系を概ね踏襲しているが、2等車(普通車)の座席は回転クロスシートであるT17形座席で座席背面は80系では樹脂パネルだったのが、181系電車同様に座席と同素材のモケットを張っている。1等車(グリーン車)の座席は腰掛けに小型格納式テーブルを持つR22形で80系にみられた座席上端の上下調整機構が省略されている。

空調機器[編集]

キノコ型キセ付きのAU12系[* 9]から、14系座席客車でも採用された、1ユニットずつ独立した分散型のAU13S[* 10]へ変更された。

主要機器[編集]

キハ181-1床下のDML30HSCエンジン

走行用エンジン[編集]

走行用エンジンとして、当初はキハ91形2 - 8に搭載されたDML30HSBを改良した DML30HSC[* 11]を、付随車であるキサシ180形以外の各形式について各1基搭載し、以後増備の度に順次改良されてDML30HSD・DML30HSE・DML30HSFが搭載されたが、その基本設計に変更はない。

このエンジンは車載用ディーゼル機関の開発趨勢として、世界的に直噴式への移行が一般化しつつあった時期に、大規模な開発を行って新規設計された旧弊な予燃焼室式機関であり、熱効率に劣り(燃料消費量が多く高発熱)、しかも重量過大、と大出力達成の代償として様々な問題[* 12]を抱えていた。

発電用エンジン[編集]

キハ80系では走行用のDMH17Hを発電用に転用したDMH17H-Gを先頭車と食堂車に各1基搭載して編成の電力をまかなったが、本系列ではキハ90形で走行用として試験されたDMF15Hをデチューンの上で発電用に変更したDMF15HS-G[* 13]をキハ181形に各1基搭載する。

これにより、キハ80系では発電セット1セット当たり三相交流440V/125kVAであった給電能力が、キハ181系量産車では発電用機関の出力向上から三相交流440V/180kVAに増強され、1セットで5両分のサービス電源供給[* 14]が可能となった[* 15]

変速機[編集]

キハ181-1の台車減速機周辺。手前側が自在継手装備のトルクロッド、奥手側が駆動用の推進軸である

キハ91形の設計を踏襲し、1段3要素充排油方式の液体式変速機のDW4C - DW4E[* 16]を搭載する。

これは直結1段・変速1段構成で、大出力による空転を防ぐ目的で1台車2軸駆動を実施する関係上、従来は台車枠から吊り下げられる最終減速機と一体であった逆転機が機関直結の変速機と一体化するように変更されているという特徴がある。また、各機関の気筒の往復方向への振動が車体に伝わるのを遮断する目的で、機関を車体と弾性支持するだけではなく、台車側で支持するために反力軸と呼ばれる反力吸収用の軸(トルクロッド)を推進軸と平行する形で変速機から出し、これを動力台車の機関寄り最終減速機と結合して支持することで機関振動を車体ではなく台車に逃がす、という対策が講じられている[3]

従来のTC2・DF115系の場合は45km/hで変速 - 直結の手動切替を行っていたが、DW4系は大馬力エンジンによる太いトルクで空転が多発するのを防止するため、低速ではすべりが大きく、中高速での効率をより重視した構成(トルクコンバーターのストールトルク比が小さい設定)となっており、85km/h程度まで変速段で加速を行い、回転数を検知してマイクロスイッチよりクラッチが作動することで直結段に自動変速する自動切替となっている。このため、勾配線区で常用される速度域が伝達効率の低い変速段で占められる[* 17]ことになり、また起動加速時には滑り損失の大きさから、攪拌による変速機油の温度上昇が大きくならざるを得なかった。これらに加え、自然通風式の屋根上放熱器による冷却系が、低速域では通風量の不足から冷却効率が著しく低下したことも、過負荷傾向の機関に追い打ちをかける結果となった。

もっとも、その一方で85km/h以上での高速走行時には、通風量の増大で冷却システムが有効に機能し、直結段で機関本来の性能がフルに発揮可能であるため、本系列はむしろ平坦線において85 - 120km/hの速度域で電車に伍して走行するのに適している。なお最終減速比はキハ80系の2.613に対して、2.362と設定された。

冷却系[編集]

中間車(動力車)については、山岳線での運用主体ということもあり、冷却ファンの駆動による走行用機関の馬力損失と騒音・振動を嫌い、また車両製造コストの削減を狙って自然通風式を採用した。このため、大型の放熱素子を並べた巨大な自然通風式ラジエーターを屋根上ほぼ車体全長に渡って搭載している。

もっともこのシステムは先行採用したキハ90系でも冷却能力の不足が解決できていなかった[* 18]上に、夏場の高温下での運用試験が未了であったにもかかわらず、いわば見切り発車で採用されており、後述するように本系列が夏場を中心に急勾配線区で不具合を頻発する一因となった。

この冷却器は構造単純でかつ廉価であったが、その反面、冷却水量過大[* 19]や車両重量の増加、それに重心高の引き上げという問題があった。また低速・高トルク状態での連続運転を強いられた山岳線区、中でも特に中央本線のような線区での運用時においては、通風量の不足と前述の変速段常用、それに機関そのものの高発熱特性などによる発熱過大が重なって起きた致命的な冷却能力不足と、これに起因する機関故障等が頻繁に発生した。こうした事情から、このシステムを含むキハ90以来の新系列気動車は客観的に見て決定的な失敗作であったと断じられている[4][* 20]

それゆえ、このキハ90系と同様の自然通風式冷却器搭載を踏襲した中間車については、冷却系の能力改善が特に強く要求された。これに対し国鉄技術陣は基本設計には抜本的な変更を加えず、不足する冷却能力の強化を目的として床下に油圧モーターによる強制通風式ラジエーターを追加搭載[* 21][5]することで問題の解決を図った。これにより冷却能力不足については一定の改善が見られたが、油圧モーターのためのオイルポンプ駆動に伴って機関出力損失が発生し、また自重も増大した。

これに対し、キハ181形は発電装置を搭載するため、軸重の制限[* 22][6]から重量面で不利な自然通風式が採用できなかった。このため、走行・発電の2基のエンジンのラジエーターをまとめて運転台後部の車体両側面に装備し、屋根上の2基の静油圧駆動ファンによる強制通風を行った。こちらはトラブルが頻発した中間車とは異なり、冷却系の性能不足に起因するトラブルはほとんど発生しなかった。

台車[編集]

キハ90形・キハ91形で新規開発された延長リンク+ウィングバネ複合軸箱支持方式を採用する、DT36B・TR205B[* 23]仮想心皿方式空気ばね台車が引き続き採用された。

これらは片側台車2軸駆動のために設計されたものであり、トランサム(横梁)中央を推進軸が貫通している。このため揺れ枕吊りとボルスタ(心皿)を廃して推進軸との干渉を回避し、荷重は左右の側梁中央直上に車体直結のダイアフラム式空気ばねを載せてここで受け止め、台車の首振りおよび牽引力の伝達は、空気ばねの横剛性(たわみにより台車の首振りを許容)と台車の枕梁と車体を直結するボルスターアンカーにより台車の位置決めをする仮想心皿方式を用いることで代替している[7]。また、逆転機は変速機内装とされたため、動台車には最終減速機のみが各軸に搭載されている。

なお、延長リンク+ウィングバネ複合軸箱支持方式については延長リンクのスパンが過大で軸箱支持機構としての横剛性が低く、120km/h運転時に1軸蛇行動が発生しやすいことが運用開始後に指摘されており[8]、後述する台車枠交換時にペデスタルで軸箱の上下動を案内するウィングばね構造に変更されている[9]

制御系[編集]

国鉄キハ181形特急形気動車 運転台 左側がマスコン 右側がブレーキ

主幹制御器は専用品(固有形式名なし)を搭載し回転は横軸となっている。

これはキハ90系の設計を踏襲しており、電車と同等の自動進段を行うため、その制御信号は他の気動車各系列との互換性がなく併結して総括制御を行えない。しかも、急行形として在来型気動車との併結の可能性を考慮せざるを得なかったキハ90系とは異なり、運用上キハ80系を含む在来型気動車との併結を一切考慮していない。

ただし、本系列の制御信号および電気連結器はキハ90系のそれと互換性があり、併結や混用も可能な設計となっている。このことは、運用開始直後の特急「しなの」での故障続出時に、車両不足をキハ91形で補うという形で有効活用[* 24]された。

これを受けて、編成内の引き通し線の接続はキハ90系と共通の密着自動連結器下に取り付けられた専用の電気連結器のみを用いており、増解結などによる編成組み替えが容易になっている。

ブレーキ[編集]

常用ブレーキシステムは、同時期の国鉄電車で標準採用されていた応答性に優れたSED系電磁直通ブレーキではなく、軽量化を目的として機器構成が簡素な、三圧力式制御弁を用いるCLE系電磁自動空気ブレーキ(C16B)を採用しており、それを作動させるためのC16Bブレーキ制御装置を各車に搭載している。運転席にはセルフラップ方式のSE16Aブレーキ弁を採用しておりハンドルの回転が横軸となっている[10]

また、常用補助制動装置として機関ブレーキ(エンジンブレーキ)を備えている。機関ブレーキは3ノッチあり、マスコンを切位置にして左側に倒すと1ノッチ位置となり[11]、2ノッチまでの機関ブレーキが掛かるようになっており、40km/h以下になると機関ブレーキは開放される。[12]

量産先行車では基礎ブレーキ装置に踏面ブレーキを採用したが、高速運転時のフラット対策と踏面ブレーキ使用による、車輪踏面の損傷が発生したため、量産車(キロ180-3~・キハ181-5~・キハ180-7~・キサシ180-3~)以降はその対策として、油圧式車輪ディスクブレーキに変更している。

新製車[編集]

量産先行車[編集]

以下の4形式で構成される。

キハ181形 (1 - 4)
キハ181-4
先頭車。定員52名。発電セットに加え、走行用機関の大型放熱器[* 25]も搭載するため、機器室がキハ82形より長くなり、定員の確保と軽量化のため便所洗面所は設置されていない。そのため、営業運転では原則として3両以上の編成で運用する必要がある[* 26]。行先表示器はない。


キハ180形 (1 - 6)
キハ180-1
中間車。定員はキハ80形より4名多い76名。出入台付近に和式便所と洗面所を設けた。行先表示器と便所・洗面所の小窓の位置が量産車と異なる。


キロ180形(1 - 2)
中間1等車。定員48名。キロ80形にあった荷物保管室は廃止となり、代わりに乗務員室(業務用控室)を設置した。車掌室内にはラジオ受信器を搭載している。0番台での便所は出入台側に洋式、反対側車端部に和式をそれぞれ1カ所、洗面所もそれぞれの便所の向かい側の2カ所に設けた。行先表示器はそれぞれの車端部に計4台設置されている。行先表示器と便所・洗面所の小窓の位置が量産車と異なる。
キサシ180形 (1 - 2)
食堂車。食堂定員40名。室内のレイアウトは583系電車サシ581形に準じており、前位寄から車販準備室・休憩室・食堂・厨房が設けられている。行先表示器はない。側窓は複層式磨きガラスの間にベネシャンブラインドを内蔵し、カーテンは廃止された。調理用をはじめ、電源はすべてキハ181形から供給を受ける設計で、系列中、唯一の付随車となった。

量産車[編集]

ディスクブレーキの台車に変更され、製造番号はキロ180形100番台を除き量産先行車の続番となっている。

キハ181形 (5 - 49)
キハ181-17
先頭車。定員52名。発電用エンジンが過給器付きのDMF15HS-Gに変更された。


キハ180形 (7 - 79)
キハ180-77
中間車。定員76名。便所・洗面所の寸法変更ならびに小窓・行き先表示器の位置変更が行われた。


キロ180形(3 - 13、101 - 104)
キロ180-13 キロ180-102
キロ180-13
キロ180-102
中間グリーン車。定員48名。1969年5月の等級制廃止・モノクラス制移行に伴い、グリーン車マークが貼られている。便所・洗面所の寸法変更ならびに小窓・行き先表示器の位置変更が行われた。
100番台は1972年に四国特急用として登場したもので、定員は0番台と同じく48名。四国特急では食堂車は連結しないため、0番台の洋式便所・洗面所のスペースを車販準備室とした。


キサシ180形 (3 - 13)

量産先行車では公式側(開閉窓のある側)前方(食堂室側)の休憩室の窓が2等車(普通車)の窓と同一寸法だったが、量産車では休憩室を小さくし非公式側(通路のある側)前方(食堂室側)の車販準備室の窓と同一寸法となる。

キハ181系年度別車両番号一覧(1968年 - 1972年)[13]
製造年度 落成時期 キハ181 キハ180 キロ180 キサシ180 総数 備考
1968年度 1968年7 - 8月 1 - 4 1 - 6 1 - 2 1 - 2 14両 量産先行車
1969年度 1969年11月 - 12月 5 - 19 7 - 31 3 - 7 3 - 7 50両 量産車
1970年度 1970年9月 - 1971年3月 20 - 30 32 - 57 8 - 12 8 - 12 47両
1971年度 1971年7月 - 1972年2月 31 - 49 58 - 79 13・101-104 13 47両


改造車[編集]

キロ180形150番台(車販準備室取付改造)[編集]

1975年3月と1977年3月の四国特急の増発に際しては、所要車両は名古屋尾久からの転属によってまかなわれたが、このうちキロ180形について、100番台にあわせて洋式トイレ・洗面所を撤去して車販準備室とした車両で、1975年と1977年に合計2両が施工された。1988年に2両ともキロハ180形に改造され区分消滅している。

キロ180-1・7 → キロ180-151・152

キハ180形(車掌室取付改造)[編集]

キハ180-10

1976年10月1日のダイヤ改正により特急「おき」はキハ82系からキハ181系に置換えられたが、キロ180形の不足にともない、3往復中1往復はモノクラス編成で運転されることになった。そのため、当時の国鉄特急列車の規則に従い一部のキハ180形にキロ180形並みの車掌室を改造により設置した。

さらに、1985年3月14日ダイヤ改正以降、3 - 4両の短編成の特急列車が増発されるに及び、追加改造を行った。定員は76名から68名に減少している。

キハ180-10・14・17・18・23・24(番号変更はなし)

※23・24は後述のキロ180形200番台に改造され、それ以外の車両も現在は全車廃車され、区分消滅した。

キロ180形200番台(グリーン車化改造)[編集]

キロ180-202 キロ180-202 車内
キロ180-202
キロ180-202 車内

1986年11月1日ダイヤ改正で、四国内の特急列車を短編成化して増発するにあたり、不足するグリーン車をキハ180形をキロ180形に改造して充当することとした。

種車は改造費を抑える目的から車掌室を増設していたキハ180-23・24(前述)が充てられた。改造内容は腰掛を他系列の廃車発生品のグリーン車用リクライニングシートに交換し、後位側に車販準備室を新設した。この種の改造車の常として、座席と窓のピッチは合っていない。1988年に2両ともキロハ180形に改造され区分消滅している。

キハ180-23・24 → キロ180-201・202

キハ181形100番台(先頭車化改造)[編集]

キハ181-101 キハ181-103
キハ181-101
キハ181-103
簡易リクライニングシートに交換後の車内(2枚ともキハ181-102 1986年撮影) 洗面所跡に設置した100円硬貨専用の公衆電話
簡易リクライニングシートに交換後の車内(2枚ともキハ181-102 1986年撮影)
洗面所跡に設置した100円硬貨専用の公衆電話

国鉄の全体的な短編成化方針によって不足した先頭車と余剰となった中間車という関係上誕生した区分番台。国鉄時代に3両、国鉄分割民営化四国旅客鉄道(JR四国)で2両が改造された。中間車両からの改造のために便所・洗面所のスペースはそのまま残されたが、四国の改造車両は便所は業務用としてふさがれ、洗面所は撤去された。座席配置もキハ180形に準ずるものとなっている。外見は前面ガラスが金具押さえ支持になって、機械室が若干短くなり、その後ろの小さな窓がなくなっていることが特徴。また101・102・103は行先表示器は窓だけが残り、便・洗面所の窓はふさがれた。104・105は行先表示器窓がふさがれ、トイレ、洗面所窓跡が残った。定員は0番台車より4名少ない48名。電源装置はキハ183系のものと同じDMF15HSA-Gである。なお、キハ181-101の装置はキハ184-901をキロ184-901に改造した際の発生品を流用した。末期はトイレがある関係で座席数が少ないため「おき」「くにびき」の自由席車両に限って使用されたが、「おき」の定期ラストランにも用いられていた。

102・103はアコモ改良として他系列の廃車発生品の簡易リクライニングシートに交換し、洗面所跡に100円硬貨専用の公衆電話を設置して出場したが、キロハ180形に同様の公衆電話が設置されたため、JR四国色になって座席が再度交換されたときに撤去されている。104・105はJR四国色で出場した。現在では5両とも廃車となっている。

キハ180-7・69・70・68・73 → キハ181-101 - 105

キロハ180形(半室グリーン車化改造)[編集]

キロハ180-5[14]

キハ185系が営業運転を開始した1986年11月のダイヤ改正で、特急の増発と短編成化を実施した。その後車内設備をキハ185系並に改良する際、乗車率の低いグリーン車の席数を見直すことになり、キロ180形を半室グリーン車に改造し、キロハ180形とした。外装はJR四国のコーポレートカラーに変更し、車内は車両中央部にブロンズガラス製の空気式自動引戸付の仕切を設け、仕切の普通室側に100円硬貨専用の公衆電話を設けた電話室を設置した。この関係で7・8は窓が一部埋められて小型のものに変更されている。車内の化粧板や床敷物、仕切扉も交換されてグリーン室側は窓の巻上げカーテンを横引カーテンに交換した。1 - 6のグリーン室側は座席モケットを緑色のものに交換し、7・8のグリーン室側は座席をキロ180形からの発生品に交換し、1 - 6と同じ座席になった。普通室側は座席を普通車用のリクライニングシートに交換したが、座席の前後間隔はグリーン車時代と同じ1,160mmのままであった。定員はグリーン室24名、普通室18名。

この改造は1987年から翌年にかけて多度津車両所で施工され、これによりJR四国ではキロ180形が消滅した。

キロ180-101 - 104・151・152・201・202→キロハ180-1 - 8(番号順)


更新工事[編集]

台車枠交換工事[編集]

製造後10年前後で、台車枠に金属疲労で亀裂が入る不具合が相次いで発生したため、1982年頃から特修工事として当時在籍していたキハ181系の台車枠について新製交換を実施した。この際、軸箱支持機構を従来の平行リンク・ウィングばね複合式からウイングばね式に変更している[* 27]。なお、流用部品の仕様差から各台車の形式は旧台車のそれを踏襲し、サフィックス部の変更で区分する方式が採られており、新旧台車形式の対応は下記のとおりとなる。

キハ181系形式別台車[15]
区分 車両形式 製造番号 更新前台車 更新後台車 ブレーキ方式
量産先行車 キハ181 1〜4 DT36B/TR205B DT36C/TR205D 踏面ブレーキ
キハ180 1〜6
キロ180 1〜4
キサシ180 1〜2 TR205C TR205E
量産車 キハ181 5〜49 DT40/TR219B DT40B/TR219D ディスクブレーキ
キハ180 7〜79 DT40/TR219
キロ180 3〜13・101〜104
キサシ180 3〜13 TR219A TR219E


台車枠交換工事が始まった時点で、全車が運用を失い、一部廃車が始まっていたキサシ180については、改造の対象外とされた。

アコモデーション・その他の改造[編集]

リクライニングシートに交換したキハ180形車内 仕切扉を交換しリクライニングシートに交換したキハ181-104車内
リクライニングシートに交換したキハ180形車内
仕切扉を交換しリクライニングシートに交換したキハ181-104車内

四国旅客鉄道(JR四国)に承継された車両は、国鉄末期より普通車回転クロスシートキハ185系に準じた[* 28]背面テーブル付リクライニングシートへの交換、車内の床敷物、側面化粧板、仕切扉の交換、巻上げカーテンの交換などのアコモデーション改良を実施した。また1987年から翌年にかけて全車がJR四国のコーポレートカラーに変更している。さらに一部の車両は2000系導入後モケットを交換している。この改造で発生した回転クロスシートはキハ58・28に転用されたものもある(現存せず)。

西日本旅客鉄道(JR西日本)に承継された車両は、ATS-SW形が装備されている。グリーン車の座席モケット交換、普通車の回転クロスシートを485系のアコモデーション改良車と同様な背面テーブル付リクライニングシートへの交換、車内の床敷物、化粧板、仕切扉の交換、巻上げカーテンの交換などのアコモデーション改良を実施した。

1994年12月3日ダイヤ改正で、キハ181系で運行される智頭急行線経由の「はくと」1往復が新設されたが、智頭急行線では自動列車停止装置としてATS-Pが採用されたため、京都総合運転所所属車両のうち同時に1往復減便された「はまかぜ」から捻出された車両の一部にATS-P対応機器の追加取り付け改造を行い、充当した。

1996年3月16日ダイヤ改正で「はくと」が増発され、「あさしお」の廃止に伴い捻出された車両にATS-P形の追加取付改造を行い充当した。

運用[編集]

国鉄時代の運用[編集]

新製当初の運用[編集]

1968年に竣工した、キハ181系第1陣となる量産先行車は同年10月1日から中央西線の特急「しなの」[* 29]に投入され、最高速度は95km/hのままながら大出力を利した加速性能の引き上げで大幅な所要時間短縮を実現した[* 30]。もっとも、特に初年度は気温が上昇する夏場にオーバーヒートに起因する車両故障が頻発した。この際、予備車が製造されていなかったため、一時は制御信号が共通で走行性能も同一のキハ91形[* 31]を編成に組み込んで急場をしのぐことさえ行われる有様[* 32]であった。

キハ181系名古屋機関区編成表(1968年)
 
← 塩尻
長野・名古屋 →
号車 1 2 3 4 5 6 7
形式 キハ
181
キハ
180
キハ
180
キハ
180
キサシ
180
キロ
180
キハ
181
備考 編成の塩尻寄りにキハ181形+キハ180形を増結する場合もあった。

本系列はキハ80系と比較して最高速度・加速・勾配での均衡速度を向上し[* 33]奥羽本線の特急「つばさ」など北海道を除く日本各地の山岳線区を中心に投入されたが、未成熟な新しいメカニズムを採用していたことと、高効率ダイヤの下で酷使を重ねた結果、故障が多発した[* 34]。特に「つばさ」運用[* 35]においては、当初は速度種別の査定通り板谷峠での単独登坂運行を行っていた。だが、屋根上の自然放熱式冷却器が長時間にわたる高速運転による過熱状態[* 36]で、しかも通風量が不足し冷却能力が著しく低下する奥羽本線の勾配区間に入ってなお、機関の定格出力いっぱいの運転が実施された結果、ヘッドガスケットの吹き抜け、排気マニホールドの過熱 → 発火・焼損等といった熱設計不備と燃料噴射量過大に起因する致命的な事故が頻発した。そのため一時は故障車続出で予備車確保もままならず、定時運行はおろか定期列車運行の維持そのものが危ぶまれる状況に追い込まれた。

この問題の対策として、1972年10月のダイヤ改正で運用の見直しが実施され、過熱による排気管や機関のトラブルの原因となっていた、「変速6ノッチ」(変速段でのフルスロットル)の取扱について、DMH17系機関と同様、連続最大5分の使用可能時間制限が設けられ、加えてキハ80系時代と同様にEF71形補機に牽引されて板谷峠を登るように改められた[* 37]。さらに1973年10月のダイヤ改正では、予備車確保を目的としてキハ180形1両の減車が行われた他、ダイヤ上の余裕時分を確保するため、東北本線上野 - 福島間において所要時分が伸びた。

なお、中央西線や東北・奥羽本線での運用終了後は、高負荷運転が減ったことに加え、その後キハ65形の整備経験と、DD16キハ66系などでの試験結果が生かされ、出力を規定の噴射量と噴射圧を厳守する、つまり実効出力を500PS以下に規制する整備が行われるようになり、機関にまつわるトラブルは格段に減少している。

他線区への転用[編集]

「はまかぜ」(1983年、大阪駅)

中央西線・奥羽本線など、本系列が投入された山岳線区での電化の進展後は、他線区への転用が図られた。

もっとも、キハ90系以来DML30系エンジン搭載車の運用を手がけ、本系列の故障対策においても重要な役割を果たした、いわば本系列の育ての親に当たる名古屋工場・名古屋第一機関区は、山岳線区である高山本線を走る特急「ひだ」や紀勢本線を走る特急「南紀」(1978年10月2日運転開始)を担当していたにもかかわらず、国鉄本社から打診された、奥羽本線電化に伴う「つばさ」の電車化に際して余剰となった本系列の両列車への転用・充当を拒否した[16]

そのため、本系列はその性能を必要とした伯備線を含む山陰本線系統の各特急列車、および同様に本系列の性能が必須であった土讃本線を運用区間に含む四国島内での運用が中心となった。1976年の時点では山陰本線系統では「やくも」「おき」、四国島内では「しおかぜ」「南風」の4系統の列車に使用され、特に「やくも」は岡山で新幹線に接続する陰陽連絡特急であったことから食堂車キサシ180形を含む基本8両+付属3両の11両編成とされ、気動車唯一のエル特急に相応しい設備と輸送力を備えていた。

キハ181系米子運転区編成表(1975年3月15日現在)
 
← 益田・出雲市・松江
岡山 →
号車 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11
形式 キハ
181
キハ
180
キハ
180
キロ
180
キサシ
180
キハ
180
キハ
180
キハ
181
キハ
180
キハ
180
キハ
181
編成 基本編成 付属編成
備考 付属編成は一部列車の岡山 - 米子間で連結

しかし、1982年には伯備線電化に伴う381系電車化により、本系列は「やくも」運用から撤退した。この際、食堂車のキサシ180形は製造後15年以内と経年が浅かったにもかかわらず全車が運用を離脱した。しかし、これらはその経年の浅さ故に直ちに全車廃車とできず、やむなく休車として米子の側線に長期間留置された後、全車とも廃車解体処分されている[* 38]。残る「やくも」用車両は、陳腐化の進行しつつあったキハ80系で運用されていた「あさしお」、「はまかぜ[* 39]まつかぜ[* 40]を置換えたが、1986年には福知山線山陰本線城崎電化完成に伴う特急の運転系統分割で「まつかぜ」が廃止となった。

四国地方での運用[編集]

1972年3月の山陽新幹線岡山開業で四国に初めて特急「しおかぜ」3往復、「南風」1往復が設定された。これにあわせてキハ181系の最終新製車26両が高松運転所に配置された。

1975年3月には「しなの」の全面電車化による余剰車8両が転入し、キロ180-1がキロ180-151に改造されて「南風」2往復が増発された。同年11月、「つばさ」電車化に伴う余剰車8両が転入し、キロ180-7がキロ180-152に改造されて1977年に「しおかぜ」1往復が増発された。

1986年には、後に改造グリーン車になる車掌室付キハ180形2両が転入、配置車両は44両となった。同年11月のダイヤ改正でキハ185系がデビューし、「しおかぜ」が大増発された。予讃本線多度津以西の速度向上により高松 - 松山間の最高運転速度は95km/hとなった。またキハ181系の編成は7両、6両から5両に短縮された。キハ180形からの改造でキハ181-102・103、キロ180-201・202が登場した。

1987年3月のダイヤ改正で高松 - 松山間の最高運転速度は110km/hとなり、所要時間が最速で2時間40分台から2時間30分台に短縮された。キハ180形から改造されたキハ181-104・105が登場し、キロハ180形やアコモ改良車も翌年にかけて順次登場していった。

分割民営化での車両継承[編集]

1987年4月1日の国鉄分割民営化の際には、本系列はその運用線区ごとに西日本旅客鉄道(JR西日本)および四国旅客鉄道(JR四国)の2社に承継された。

国鉄分割民営化時点での車両継承表
会社 所属 形式 番号 総数
JR西日本 向日町運転所 キハ181
キハ180
キロ180
20 - 27・44 - 47
26・31 - 49・53・54・77 - 79
4 - 6・8・10・12
43両
米子運転所 キハ181
キハ180
キロ180
4・5・7 - 12・14 - 19・28 - 32・48・49・101
5・6・9・10・12 - 22・25・30・50 - 52・55 - 58
2・3・9・11・13
51両
JR四国 高松運転所 キハ181
キハ180
キロ180
1 - 3・6・33・34・36 - 43・102・103
1 - 4・59 - 68・71 - 76
101 - 104・151・152・201・202
44両

JR四国所属車両の変遷[編集]

1988年4月には本四備讃線瀬戸大橋線)が開業し、「しおかぜ」、「南風」は岡山発着となり、島内運行の列車は「いしづち」、「しまんと」となった。この瀬戸大橋線開業で「しおかぜ」と「南風」の需要は激増したため編成の増結が実施され、車両の不足分については1990年までの繁忙期にはJR西日本からキハ180形を最大3両借り受けて対応した。

1989年3月、瀬戸大橋上の一部区間で減速運転[* 41]が開始される一方で、瀬戸大橋線児島 - 宇多津間と土讃線多度津 - 阿波池田間の最高運転速度が120km/hとなった。また、同時期に2000系「TSE」が営業運転を開始した。同年7月に土讃線阿波池田 - 高知間の最高運転速度が120km/hとなり、「南風」の所要時間が約10分短縮された。

1990年11月、「宇和海」、「あしずり」を新設し「南風」の運用がなくなる。2000系量産車が落成し、予讃線高松 - 宇和島間の最高運転速度は120km/h(一部は110km/h)、土讃線高知 - 窪川間の最高運転速度は110km/h(一部は120km/h)となった。またこの頃から繁忙期に「しおかぜ」、「いしづち」で8両編成中4両(1両目と6~8両目)がキハ181形、2両がキロハ180形(2・3両目か3・4両目)という編成が見られるようになる。

1991年11月、2000系の増備で余剰となったキハ180形2両が廃車された。キハ181系が使用される「しまんと」、「あしずり」は時刻表上では3両編成になっていたが、全ての運用でキハ180形1両の増結が実施されたため、実際には3両で運転されたことはなかった。

1993年3月、予讃線高松 - 松山 - 伊予市間の電化完成で定期運用がなくなり、普通車のみの5両編成2本、計10両を残して廃車となった。同年10月21日から11月9日にかけて香川徳島両県で開催された東四国国体秋季大会開催時期に臨時運用で、高徳線高松 - 徳島間「うずしお」の定期列車2往復が7両もしくは5両で運転された。この臨時運用で運転された「うずしお」がJR四国所有のキハ181系の特急列車としての最終運行であった[* 42]。同年11月14日、団体列車「どんぐり号」に使用され、これがJR四国所属のキハ181系によるラストランとなった。これらの車両も国体終了後の1993年内に全車廃車となったが、その後トップナンバーであるキハ181-1とキハ180-1が「しなの」ゆかりの東海旅客鉄道(JR東海)に引取られ、このうちキハ181-1は佐久間レールパーク静態保存され、キハ180-1は四国色のまま美濃太田車両区にて保管されていたが、2013年3月に名古屋工場に陸送され解体された。さらにキハ181-1は、2011年3月に開館した「リニア・鉄道館」へ移設のうえ、展示されている。

JR西日本所属車両の変遷[編集]

1987年4月のJR西日本発足時点では、特急「あさしお」、特急「はまかぜ」、特急「おき」、特急「いそかぜ」で運用されていた。

1994年から智頭急行線経由で新設された特急「はくと」に投入されたが、1997年11月29日のダイヤ改正でHOT7000系気動車の増備により特急「はくと」の定期運用から撤退したため、捻出した車両のうち3両編成3本9両(キハ181-12・17・20・22・24・47 キハ180-31・41・42)が鳥取鉄道部西鳥取車両支部に転属し、同時に新設された智頭急行線経由の特急「いなば」3往復に充当した。

また、山陰本線園部 - 福知山間電化により特急ネットワークが再編されて1996年に「あさしお」が廃止となり、急速に定期運用が減少していった。1996年からは鳥取 - 米子間の「いなば」に投入されたが、翌1997年に「いなば」は「くにびき」に統合された。

2001年7月7日のダイヤ改正でキハ187系気動車の増備により特急「おき」・「くにびき」の定期運用から撤退し、「いそかぜ」の運転区間が短縮されたため、後藤総合車両所所属の車両のうち、引き続き特急「いそかぜ」で運用するのに必要な3両編成2本6両(キハ181-8・28・31・32 キハ180-10・17)が下関地域鉄道部下関車両管理室に転属し、それ以外の車両が廃車となった。なお、これに伴ってキハ181系を利用したリバイバルトレインも多く企画されることになった。また、下関の車両は広島 - 下関間の臨時快速列車「下関ふくフク号」、「関門・MUSASHI号」にそれぞれ専用ラッピングを施し使用された。

2002年春より姫路方面から伊勢市鳥羽方面への修学旅行列車キハ58系より京都総合運転所所属のキハ181系6両に変更されている。また、この年にキハ181系を使用した初のリバイバル企画として「リバイバルやくも」が運行された。これに続いて同年6月にはJR四国で初のリバイバルトレイン「南風」(高松 - 高知間)、「しおかぜ」(高松 - 松山間)に使用され、さらに11月には「うずしお」(高松 - 徳島間)、「いしづち」(徳島 - 阿波池田 - 多度津 - 松山間)、「しおかぜ」(松山 - 高松間・高松 - 宇和島間)、「I LOVE しまんと」(宇和島 - 高知間)、「南風」(高知 - 高松間下り1本・上り2本)がキハ181系で運行され四国一周運行した。

2003年10月1日のダイヤ改正でキハ187系気動車の増備により特急「いなば」の定期運用から撤退したため、鳥取鉄道部西鳥取車両支部所属の3両編成3本9両のうち5両(キハ181-12・22・47、キハ180-41・42)が京都総合運転所に転属し、残り4両(キハ181-17・20・24、キハ180-31)が廃車となった。

2005年3月1日のダイヤ改正で特急「いそかぜ」が廃止となったため、下関地域鉄道部下関車両管理室所属の3両編成2本6両が予備車となり、のちに全て廃車となった。これに伴いこの年まで盆や正月などの多客時の臨時便として運転されていた松江 - 新山口間の「おき」での運用も消滅し、山陰地区へ乗り入れる本系列は「はまかぜ」1往復のみとなった。

定期運用が特急「はまかぜ」のみとなって以降も、京都総合運転所所属の波動用キハ58系の全廃に伴い、天理教関連などの団体臨時列車等にも充当されていた。このため、前述した関西方面から伊勢方面の修学旅行臨で参宮線にも入線するなど、すでに両数的には系列として消滅寸前の状況にあっても、運用範囲は新たに拡大していた。

2007年には京都総合運転所に26両が在籍するのみとなっていた。全車JR西日本のオリジナルカラーに変更され、特急「はまかぜ」として運用されてきたが、2010年11月7日から最高速度130km/hの性能を持つ新型車両であるキハ189系が投入され、11月6日をもって定期運転を終了した[* 43]。定期運転終了後も一部は「かにカニはまかぜ」に使用されたが、こちらも2010年12月23日をもって終了した[17]

キハ181系の完全引退を記念し、日本旅行が企画・募集する「ありがとうキハ181系号」ツアーが2月26日に京都―米子間、27日に米子-京都間で運転された[18][19][* 44]

これら京都総合運転所に残っていたキハ181系は2011年3月25日までにすべて幡生へ回送されている[20][21]。特に、3月24日と25日の運転分は、ヘッドマークや方向幕が取り付けられた。後述の譲渡分は車籍が残されていた。

また、キハ181-12が旧津山扇形機関車庫に保存されることが、正式にアナウンスされた[22]。国鉄特急色に塗り替えられて保存される[23]

2012年2月9日までに15両がミャンマーに譲渡される[24][25]。前日の2月8日までに全車とも廃車され、廃系列となった。

ミャンマー国鉄での現状[編集]

2012年2月9日までにミャンマー国鉄に15両が譲渡されたが、2011年から急増している外国人観光客の対策として、その内の5両が観光列車用に改造され、2013年9月7日からヤンゴンと南東部の著名な仏塔がある観光地「チャイティーヨー・パゴダ」の最寄り駅の間を結ぶ、週末の観光客向けの列車として運転を開始した[26]。また、すべての車両に空調が完備されている列車としては、ミャンマー国鉄では初めてのことである。

事故廃車[編集]

1975年9月4日、奥羽線秋田-四ツ小屋間で上りつばさ2号の脱線事故があり、キハ181-13・35、キハ180-11の3両が翌1976年1月17日付で除籍となった。[27]

脚注[編集]

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  1. ^ 系列を持つ国鉄初の新系列気動車として3桁表示の付番となり、新性能電車同様に形式称号と車番の間にはハイフンが挿入されている。正式な系列名は「181系」である。ただし、慣例的なものや、181系電車との混同を防ぐため、一般には「キハ181系」と呼ばれることが多い。
  2. ^ 電車特急は1時間定格出力120kW級のMT54形電動機の開発によりパワーアップが実現し、主要幹線での最高速度が120km/hに引き上げられたが、キハ80系の最高速度はそもそも逆転機の歯数比が摩耗時でも100km/hを確保できるように設定されるなど、各部が最高速度100km/hを前提に設計されており、100km/hのまま留め置かれた。
  3. ^ キハ60系自体も後に通常のDMH17Hエンジンと、TC2またはDF115液体変速機に換装された。
  4. ^ このDMH17H系機関は補機や排気管の取り回しなどの制約から、構造的に過給器の付加が難しい、という問題を抱えていた。縦置きのDMH17系では、過給器や中間冷却器を付加することで定格出力300PSを達成したDMH17SBが存在したが、これを横置きの気動車用に応用することは困難であった。
  5. ^ シリンダ径130mm、行程160mm。
  6. ^ 対向シリンダのクランク軸とコネクティングロッドの組み付け状態から、厳密にはいわゆるボクサーではなくバンク角180°のV型となる。
  7. ^ シリンダ径180mm、行程200mm。
  8. ^ DMH17の初号機が設計された戦前の段階では、日本ではターボチャージャー(当時は一般に排気タービンと呼称した)は満足な性能・信頼性を得られる量産品が存在しなかった。
  9. ^ 冷凍能力4,000 - 5,000kcal/h。
  10. ^ 冷凍能力5,500kcal/h。なお485系電車後期型183系電車などで採用されたAU13EはAU13を基本として架線下での使用を前提に絶縁対策が施されている。
  11. ^ 水平対向12気筒排気量30L 予燃焼室式水冷4ストロークディーゼルエンジン ターボチャージャー付 連続定格500PS/1,600rpm、最大出力590PS/2,000rpm。
  12. ^ 予燃焼室式機関の問題点についてはDML30系エンジンを参照のこと。
  13. ^ 横置直列6気筒 予燃焼室式水冷4ストロークディーゼルエンジンターボチャージャー付230PS/1,500rpmを搭載しており、走行用のDML30HSCとは部品の互換性がある。ただし、量産先行車(キハ181-1 - 4)はターボなしのDMF15H-G 180PS/1,500rpmで、その分発電能力が低下する。
  14. ^ 発電用エンジン出力の相違から、キハ181形量産先行車では1セットで4両分の給電能力となる。
  15. ^ ただし、キサシ180形は電子レンジなどの厨房機器の関係で、それぞれ2両分の電力を消費する。
  16. ^ DW4Cは爪クラッチ、DW4Eは湿式多板クラッチで、DML30HSC搭載車はDW4C搭載で竣工したが、途中で改良や検査時の部材プールの関係でDW4D・DW4Eへ改修・交換されている。
  17. ^ 動輪周馬力 = けん引力と均衡速度は応分に高く、特にトルク伝達効率のピークは、登り33.3パーミルでの均衡速度である60km/h強に設定されている
  18. ^ このため冷房搭載の試験車となったキハ91 8を除くキハ91形量産試作車では、屋根上放熱フィンの間に強制通風ファンを追加して速度による通風量変動を一定の範囲に収めるという、その採用理由と相矛盾する対策が採られた。これに対し、本系列ではキハ91 8と同様ここに冷房装置が搭載され、夏期には側面吸気上面排気という冷房装置の構造から、一定の冷却補助を期待できたが、小断面トンネルが連続する勾配区間では逆に上面から排気された熱を帯びた空気が屋根上放熱器にまとわりつくことになるため、状況がかえって悪化した。
  19. ^ 一度高温となった冷却水がすべて冷やされるまでに時間がかかるうえ、その冷却水路長ゆえに抵抗 = 馬力損失も大きい。
  20. ^ この問題は機関出力の損失を嫌って同じく自然通風式冷却器を搭載した、戦前のキハ40000形でもやはり勾配線区での走行時に発生して問題となったことが知られている。なお、本系列の開発が進められていた当時、国鉄の車両全般について責任を負う車両担当副技師長は同形式の設計開発に携わり、その失敗の経緯を良く知っていた北畠顕正であった。
  21. ^ もっとも、名目上は「補助」冷却器で、実際に本系列の設計に携わった副島廣海も「この放熱器は補助的なもの」と第1編成完成当時の鉄道誌(『キハ181系特急ディーゼル動車』、「鉄道ピクトリアル No.215 1968年10月号」、電気車研究会、1968年)で明言している。だが、少なくとも後年の実際の運用においてはこの床下強制通風式冷却器を常時使用し、機関の冷却水温が70を超過する場合に限って屋根上ラジエーターを併用するような運用形態で主従関係が完全に逆転している。
  22. ^ キハ181形の自重は量産先行車で44.2t、量産車では44.6t、積車重量は51tに達した。これに対し、発電装置を持たない中間車は、キハ180形の初期車で自重41.4t、キロ180形の量産車でも42.4tであった。なお、冷房用発電装置搭載を搭載し、しかも自然通風式放熱器を搭載するキハ91 8は、発電機関が小型のものであったにもかかわらず、自重が45.9tに達した。
  23. ^ 量産車(キロ180-3~・キハ181-5~・キハ180-7~・キサシ180-3~)以降は車輪ディスクブレーキ付きのDT40・TR219への改良が実施された。
  24. ^ もっとも、その煽りで車両を供出したキハ90系本来の急行運用において、こちらも車両故障が頻発したことから定数を充足できず、エンジンの相違から同等の性能が得られず予備となっていたキハ90形を機関換装しキハ91形へ編入改造することで、ようやく定数を満たす有様であった。
  25. ^ 静油圧式ファンによる強制通風式で、発電セットの冷却用放熱器も併設する。
  26. ^ 開発当時には、特急列車は食堂車や1等車(グリーン車)を連結するのが当然と考えられており、そのような短編成での運用は考慮されていない。
  27. ^ 181系電車をはじめ、1950年代後半から1960年代にかけて国鉄が設計した特急形車両では、連日の高速運転による酷使もあって、軽量化が過ぎた台車枠の強度不足による変形や亀裂の発生で台車交換となった例が多い。だが、それらの大半は薄すぎた板材の増厚などで対処されており、本系列のように軸箱支持機構の変更による全面的な設計変更を伴い、かつ無条件に現役全車に対して施工されたものは他にない。
  28. ^ モケットの色はキハ185系登場時のものと同じだが、肘掛側面がモケット張りである、灰皿が肘掛上面にある、テーブルに丸い穴があるなどの相違点があった。
  29. ^ 急行「しなの」を格上げ。
  30. ^ 新製配置の際に120km/hでの性能試験が実施されているが、初期故障対応や地上設備の問題などから最高95km/hのまま営業運転が開始されている。なお、本系列の120km/hでの営業運転は1970年秋のダイヤ改正にともなう特急「つばさ」での東北本線上での運用が最初である。
  31. ^ 主に冷房装置を備えサービス面でのレベル低下が少ないキハ91 8が起用された。ただし、同車の「しなの」転用が恒常化した結果、キハ90系の運用に支障が生じ、出力不足で休車となっていたキハ90 1の機関を換装してキハ91 9とすることで車両定数の不足を補うという処置が取られている。
  32. ^ 量産先行車は定数ぎりぎりの7両編成2本分のみ製造され、本系列としての予備車は用意されなかった。
  33. ^ 速度種別は全動力車で特通気A32、動力車11両+キサシで特通気A31、動力車8両+キサシで特通気A27と設定されており、最高速度がキハ80系の100km/hから120km/hへと向上している。これらの速度種別は優等車を付随車としている関係で一般にMT比の低い485系電車を概ね凌ぐ数字であった。また、後年の出力是正後も特通気A28(全動力車)が指定されており、気動車ならではの起動加速度と、当時の電車並かそれ以上の高速走行性能を備えていた。もっとも、速度種別そのものは電車を凌駕したが、特に中・高速域での加速性能は出力特性の相違から電車のそれに及ばず、自重過大もあって実質的な走行性能は同時期の電車を必ずしも上回るものではなかった。 そもそも、停車駅数の少ない優等列車では、起動加速度の高さはほとんど寄与せず、むしろ速度制限区間通過後の再加速などで多用される中速域での加速性能の低さの方がダイヤ編成上制約となったのである。また、速度種別設定の上限ぎりぎりでのダイヤ設定は、機関および冷却系に多大な負担をかけた。
  34. ^ こういったトラブルは、電車・機関車等でも当時の国鉄においては日常的に発生していた。ことさら本系列の不具合が目立つのは、新システムであったことと、故障時に代走できる車両がキハ90系以外に存在しなかったこと、それにキハ90系で長期実用試験のデータが揃わない時点で見切り発車的に本格設計を開始し、同系列の運用・保守を担当した名古屋工場などの現場から既に指摘されていた各部設計の重大な問題点について、設計を担当した国鉄車両設計事務所のスタッフがまともに認識も対応もせず無視し、それらについての根本的な改善が何ら実施されないまま漫然と量産が強行されたためである。これらの問題解決が行われるのは、1970年末に車両設計事務所で人事異動が行われ、本系列を担当する動力車担当次長として、それまで技師長室で標準化担当として品質管理に携わっていた石田啓介(前苗穂工場次長。EF81形電気機関車の主任設計者)が着任して以降となる。なお、この人事異動は本系列で深刻なトラブルが頻発していた時期であったにもかかわらず、新たに赴任する石田に対する工作局からのその事に対する事前説明も、前任者からの引き継ぎも一切行われなかったという極めて異様なもので、石田は人事で裏に何かありそうな気がした、と後年のインタビューで証言している。
  35. ^ 上野から福島まで最高120km/hでの高速走行を実施した直後に最大33パーミルの板谷峠を擁する連続急勾配区間に入るという、極めて過酷な使用条件であった。後年電化の際も483系・485系では東北特急の共通編成である6M5Tや速度種別上キハ181系8両(動力車7両+キサシ1両)と同等になる6M4Tでは巻線過熱で営業運転は困難と判断され、その運用全期間を通じてMT比2:1での編成が厳守された。
  36. ^ しかも、故障車のエンジンカットも頻繁に実施されており(このことから本系列の平坦線での高速運転性能には、大出力機関搭載を利してある程度の余裕があったことが見て取れる)、実質的な負担が規定以上という状態が恒常化していた。また、福島以北の区間での遅れを取り戻すための回復運転も福島以南の東北本線上で実施されており、機関出力が整備上のばらつきで規定値以上を発揮していたこと(燃料噴射ポンプのプランジャーと各ノズルに噴射量にばらつきがあった場合、多いものに揃えられる傾向があった)も手伝って、実際には120km/h以上で運転されていたとの証言(本系列の速度計は120km/h上限となっており、それが振り切れていたという。直結段での速度ゆえ、当然過回転である)もあり、東北本線上での機関の酷使は著しいものであった。このような事情から、夜間間合いを利用した臨時「つばさ」が計画された際には、「夜間の検修時間を取り上げられては定期「つばさ」の運行もままならなくなる」と検修側から反対の声が上がるという事態にもなった。
  37. ^ この措置は1975年の奥羽本線電化完成に伴う485系電車への全面置き換えまで継続された。
  38. ^ キサシ180形の中には、「つばさ」の電車化後全く使用されず尾久で長期間留置されてそのまま廃車になった車両もあった。
  39. ^ この「はまかぜ」はキハ80系時代の運用を踏襲して新大阪始発であったため、新大阪 - 姫路間の東海道山陽本線上を後発の新快速電車に追われながら最高120km/hで走破する、本系列としては久々の高速運用となった。なお、キハ181系への置換え当初はキハ80系のダイヤをそのまま踏襲したため、大阪 - 姫路間の所要時間は最速でも68分だったが、1986年11月のダイヤ改正からは大阪 - 姫路間で本来のキハ181系の性能に則ったダイヤになってスピードアップが図られている。
  40. ^ 当初1往復、1985年に全列車キハ181系化を実施。
  41. ^ 瀬戸大橋線開通当初から騒音問題があったが、特に人家が近い下津井瀬戸大橋直下の地区での騒音問題は深刻になり、1988年中に本系列より車重が軽いキハ185系が瀬戸大橋線を多く通る運用に変更されたが、騒音自体は両系列ともほとんど変わりなかったため、対策として瀬戸大橋上の減速区間では65km/hに制限された。
  42. ^ これにより当時運転されていたJR四国の特急列車すべてについて運用実績が残される結果となった。
  43. ^ 下り「はまかぜ5号」最終日の編成は以下の6両編成であった。←姫路:キハ181-48+キロ180-12+キハ180-6+キハ180-48+キハ180-79+キハ181-27:大阪・鳥取
  44. ^ 編成は以下の通り。←米子:キハ181-49+キハ180-22+キハ180-77+キハ180-49+キハ180-36+キハ181-47:京都→

出典[編集]

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  1. ^ 『形式キハ80・181系』p.74-77
  2. ^ 『鉄道ピクトリアルアーカイブスセレクション14』p.40・『世界の鉄道 '77』 p.163
  3. ^ 『鉄道ダイヤ情報 No.273 2007年1月号』 pp.29,34-35
  4. ^ 坂上茂樹「鉄道車輌用ころがり軸受と台車の戦前・戦後史 ― 蒸気機関車、客貨車、内燃動車、電車、新幹線電車から現在まで ―」『Discussion Paper No.60』、大阪市立大学経済学部、2010年、p.322 [1]
  5. ^ 『鉄道ダイヤ情報 No.273』 p.33
  6. ^ 『世界の鉄道 '77』 pp.162,164・『鉄道ピクトリアルアーカイブスコレクション14』 p.77
  7. ^ 『鉄道のテクノロジー』Vol,11 2011年 三栄書房 P47
  8. ^ 『鉄道ピクトリアル No.806』 p.18
  9. ^ 『鉄道ダイヤ情報 No.273』 p.29
  10. ^ 『鉄道のテクノロジー』Vol,11 2011年 三栄書房 P66
  11. ^ この位置では、エンジンはアイドリング状態であり、機関ブレーキは開放の状態となっている。
  12. ^ 『鉄道のテクノロジー』Vol,11 2011年 三栄書房 P66
  13. ^ 『形式キハ80・181系』p.74-77
  14. ^ 元キロ180-1 → 元キロ180-151 →キロハ180-5
  15. ^ 『形式キハ80・181系』p.63
  16. ^ 岩成政和 「戦後国鉄気動車史の立役者 DMH17系エンジン」『鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション14 国鉄の気動車1960』、電気車研究会、2008年3月、p.15
  17. ^ キハ181系“かにカニはまかぜ”ラストラン - 交友社鉄道ファン』 railf.jp 鉄道ニュース、2010年12月24日
  18. ^ キハ181系号:43年間“ロングラン”に終止符 来月ラストラン満喫ツアー /鳥取 毎日新聞 2011年1月26日
  19. ^ 「ありがとうキハ181系」号運転 - 交友社『鉄道ファン』 railf.jp 鉄道ニュース、2011年2月27日
  20. ^ 【JR西】キハ181系 廃車回送 - 鉄道ホビダス RMニュース、2011年3月24日
  21. ^ 【JR西】キハ181系 最後の車輌が廃車回送 - 鉄道ホビダス RMニュース、2011年3月25日
  22. ^ 「旧津山扇形機関車庫と懐かしの鉄道展示室」一般公開および「みまさかスローライフ列車」の運転について - 西日本旅客鉄道プレスリリース、2011年2月22日
  23. ^ キハ181-12が津山へ - 交友社『鉄道ファン』 railf.jp 鉄道ニュース、2011年3月3日
  24. ^ ミャンマー鉄道省への気動車の譲渡について - 西日本旅客鉄道プレスリリース、2012年2月1日
  25. ^ 「キハ181系」ミャンマーへ…JR西 - 読売新聞 2012年2月7日
  26. ^ 中古車両、観光列車に ミャンマー、JR西が譲渡 - msn 産経ニュース2013年9月7日
  27. ^ 『レイル』No.3 '81 SPRING エリエイ出版部

参考文献[編集]

  • 『世界の鉄道 '77 特集●私鉄の特急/国鉄の気動車/外国の気動車』、朝日新聞社、1976年10月
  • 『国鉄型車両の系譜シリーズ03 形式キハ80・181系』、イカロス出版、2006年8月
  • 鉄道ダイヤ情報編集部 「キハ181系特急型気動車車両ガイド」、『鉄道ダイヤ情報 No.273 2007年1月号』、交通新聞社、2007年1月、pp.28-33
  • 三沢学・鉄道ダイヤ情報編集部 「後藤総合車両所で見たキハ181系エンジン整備の最前線」、『鉄道ダイヤ情報 No.273 2007年1月号』、交通新聞社、2007年1月、pp.34-37
  • 『鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション13 国鉄の気動車1950』、電気車研究会、2007年11月
  • 『鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション14 国鉄の気動車1960』、電気車研究会、2008年3月
  • 岡田誠一・服部朗宏「石田 啓介氏に聞く 新系列気動車キハ181系のトラブルから学んだ車両開発の要」『鉄道ピクトリアル2008年8月号 No.806』、電気車研究会、2008年8月、pp.10 - 23

関連項目[編集]